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    <title>おおやにき</title>
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    <updated>2008-08-27T16:26:02Z</updated>
    <subtitle>jus postulandi actionem pro aliis</subtitle>
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    <title>今日の名古屋駅3番線</title>
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    <published>2008-08-26T14:18:22Z</published>
    <updated>2008-08-27T16:26:02Z</updated>

    <summary>前回は武豊行の区間快速が二本止まっていたJR名古屋駅の3番線だが、今日のこれは岡...</summary>
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        <![CDATA[<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="P1000634.jpg" src="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/images/P1000634.jpg" width="240" height="320" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>前回は武豊行の区間快速が二本止まっていたJR名古屋駅の3番線だが、今日のこれは岡崎行普通の切り離し。どうもここまで6両で来て、後の2両を切り離して発車していったらしい。上り普通はおおむね1番線からの発車なのに駅の時刻表を見るとときどき3番線があるのは何故だろうと思っていたが、どうもこういう事情だったようだ。つまりホームの途中で閉塞区間が別になっているので3番線なら切り離しができるということだろう。ちょうどホームにあがったら普通が発車するところだったのであわてて撮影した。ブレブレである。</p>]]>
        
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    <title>雨の箱根</title>
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    <published>2008-08-24T14:46:53Z</published>
    <updated>2008-08-27T16:18:04Z</updated>

    <summary>泊まり込みで研究会をやることになったので強羅まで出かけてきた。新幹線で小田原に出...</summary>
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        <![CDATA[<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="P8230206.jpg" src="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/images/P8230206.jpg" width="320" height="240" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span>泊まり込みで研究会をやることになったので強羅まで出かけてきた。新幹線で小田原に出て小田急車両4両の箱根湯本行各停に乗り継ぎ、箱根登山鉄道の強羅行き登山電車に乗り継ぎ、さらにケーブルカーに乗り換えてようやく会場である。<strong>遠い</strong>。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="P8230210.jpg" src="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/images/P8230210.jpg" width="240" height="320" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span>というかそもそも小田原に出るまでが一苦労で、現在三河在住である私の(新幹線の)最寄り駅はすでに名古屋ではなく、しかし豊橋と小田原に都合よく止まるひかりなぞあるわけもないので東海道線の快速からこだまに乗り継ぎ、そこから上記の経路で三回ほどスイッチバックを堪能した結果として会場に着いたらすでに疲れていたわけである。<strong>いいのかそれで研究会として</strong>。ちなみにスイッチバックが奇数回であるというのをすっかり忘れていたので上大平台からずっと進行方向を背にして急勾配を上った結果若干気分が悪くなりまあ体調も悪かったような気がするんだけどすっかり虚弱である。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="P8230214.jpg" src="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/images/P8230214.jpg" width="320" height="240" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span>しかも一泊二日の日程中えんえんと雨が降っており、まあ別に本筋は部屋にこもって人の話聞いているだけなので構わないと言えば構わないが気が滅入る。せっかく箱根まで来たので日曜に予定が済んだら少し観光でもしようかと思っていたがどうも適当な陽気とも思えない。それでも何もせずに帰るのは悔しいので風祭で途中下車して「<a href="http://www.kamaboko.com/submenu/1.htm">かまぼこ博物館</a>」とか行ってみた。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="P8240230.jpg" src="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/images/P8240230.jpg" width="320" height="240" class="mt-image-right" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span>お飲み物付きでいいかまぼこの試食(有料)とかさせてくれるので面白かったが、すぐ横にある「鈴なり市場」とやらに行ったら<u>値段順に三種類のかまぼこ食べ比べセット</u>とかがあり orz。　これから行くぞという人がもしいたら、お値段は少し高いがそちらの方がお勧めかなと。</p>

<p>そして予約してあった帰りのひかりの時間が近づいたので小田原駅に行ったら新幹線が大雨で止まっている。ちょうど運転再開したところだが2時間前に発車していたはずの前のひかりがこれから来るというので本来の便を待っていたらいつになるかわからない。仕方ないので自由席に乗り込んだら当然ながら満杯で名古屋まで立ちづめである。まあ90分やそこら立っているのは職業上慣れたものではあるが<strong>なんでこんな目に</strong>。結局疲れに行った研究会ではあったなあとそういう話である。</p>

<p><CENTER>＊＊＊</CENTER></p>

<p>なお翌日の新聞報道(<a href="http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080824-OYT1T00552.htm">Yomiuri Online</a>)などを見るとどうもそれでも私は運がよい方であったらしい。 小田原で待っていれば席のあるひかりが来ただろうが帰りがいつになったかわからないところを見ると、あの選択で正解だったのかなあ。</p>]]>
        
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    <title>ゆとり世代？</title>
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    <published>2008-08-12T14:53:20Z</published>
    <updated>2008-08-27T15:43:57Z</updated>

    <summary>ようやく1年生向け科目の採点が終わったわけだがどうなのかいろいろと(挨拶)。念の...</summary>
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        <name>おおや</name>
        
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        <![CDATA[<p>ようやく1年生向け科目の採点が終わったわけだがどうなのかいろいろと(挨拶)。念のために言っておくと以下はあくまである大学で特定の教員がたまたま経験した内容であってそれ以上の一般化をするつもりはないしその材料になるとも思わないが、しかしその何と言うかこう。</p>

<p>まず前提として、私の行なう試験は<strong>原則として持込可</strong>である。まあいい加減大学なので暗記力ではなく理解力や表現力を問おうとしているわけであるが、試験の秩序を維持し公正を担保するために「外部との連絡手段、生物、音響を発しまたは動作に外部電源を必要とする機器」の持ち込みは禁止している。だからまあ、音を消したノートパソコンは持込可だし、実際に利用した学生もいるわけで、そういうのは別に構わないと思っているわけだが<strong>食い物を持ち込まれたのは初めてだぞこのヤロウ</strong>。<br />
</p>]]>
        <![CDATA[<p>従来から飲み物を持ち込む学生は年に数人単位でおり、別に周囲に迷惑もかかるまいから止めるまでもないがそんな余裕本当にあるのかなあとかお手洗いが近くなるデメリットを認識しているだろうかとか余計な心配はしていたわけである(普段の講義に飲み物を持ち込むのはまったく構わない、というか私も飲んでる、というかそうしないと90分しゃべり詰めなので喉を痛める)。しかし食べ物は本当に予想外だったというか、講義では禁止なので<u>どうして試験でレギュレーションが緩くなると思うのかよくわからない</u>のであるが、まあ確かに文面上禁止はしていない。しかしなあ。</p>

<p>なおこのパターンの学生は今年2人おり、片方はボトルガムを持ち込んでまりまり噛んでいるというものなので一応理解はできる。うん。でまあ私も禁止はしていなかった。周囲に迷惑もかからなさそうなのでここは一本取られたとそういう感じでOKである。しかしもう片方の、<strong>こっちが問題用紙を配り始めたらにぎりめしを取り出して囓り始めた学生</strong>についてはいまだに本気で理解不能に近い。いやそれはまあ一限だったので朝飯を食うならその分寝てきたいくらいの話はわかるとしてじゃあ終わるまで食うなよ。あるいは席に着いた段階で食べておけよ。なんでわざわざそのタイミングで食うんだよというかそんな余裕あんのかというかこっちが問題配りながら考え込んでいるあいだにその学生が食べ終えてしまったので注意もしそこねたのだが<strong>しかし何故</strong>。</p>

<p>どうもこれは来年から本気で「飲食物禁止」をレギュレーションに入れることを検討しなくてはならんのではあるまいかと悩んでいるのが一つ目の話。なお本年までの規定には<u>最終的な決定権を担当教員が留保する</u>旨が明示されているので、私には食い物持ち込みを禁止する権限は存在した。もちろん学生の期待を保護する観点からそのような例外規定の行使には慎重たるべきだとは思うわけだが、しかし上記規定では<u>ブルドーザの持ち込みが明示的に禁止できていない</u>など、紙幅による制約を文脈で補完している部分があったので例外条項自体は不可欠だと思われるわけである。</p>

<p><CENTER>＊＊＊</CENTER></p>

<p>二つ目の話は採点後のことである。やはり私は各科目で問題を3つ出して「うち1問を選択して回答せよ」という出題をすることが多いのだが、某科目で<strong>問題のひとつを選んだ学生が全員不可</strong>になるという衝撃的な結末を迎えることに。</p>

<p>いやわりとよくある見解問題で、というのは文章が掲げてあって「この見解について述べよ」というものだったのだが課題文が過去の歴史的なものだということを誰一人指摘できていなくてですな。つうか「日満支諸民族」とか「新東亜建設」とかどう考えても<strong>現代じゃ使えない語彙</strong>だろう。過去の文献なんだからそれがどういう立場の人によって何を批判して書かれたものでどういう思想の反映なのかまずきちんと位置づけろよ民族差別的でよくないとか<u>お前の感想なんか誰も聞いてないんだよ</u>。</p>

<p>もちろんより深刻なのは<u>何故わざわざその問題を選んだか</u>という点にある。すでに述べた通り3問中1問の選択なのだから、文章の位置づけとかが読み解けないなと思ったらこの問題にツッコまなければよい。まあ正直他学部向け講義なので読めるヤツも少ないかなとは思い、実際に多くの学生は危ないと思って他の問題を選択したようである。当該問題の選択者は全体の約8％で、しかしということは自分が何をわかっていないのかもわからない人間が8％ほどいたということになろう。ぬう。</p>

<p>まったくの偶然かもしれないのだが、そういうわけでこの夏の私は憂鬱だったのである。なお知人の高校教師から(間接的に)聞いたところによれば、1〜2学年上と比較しても<u>今年の新入生はおかしい</u>らしく、それがあと3年くらいでこっちに来ると思うとあああああああああ</p>]]>
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    <title>TypeKey導入しました(暫定)</title>
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    <published>2008-08-10T14:53:20Z</published>
    <updated>2008-08-10T18:01:46Z</updated>

    <summary>え〜ごらんになるとわかると思いますが、コメントする際にTypeKeyによる認証を...</summary>
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        <![CDATA[<p>え〜ごらんになるとわかると思いますが、コメントする際にTypeKeyによる認証を行なうことが<strong>できる</strong>ようにしました。mayであってmustではありません。「匿名でコメントすることもできます」という部分をクリックすると、従来のコメント欄が表示されます。</p>

<p>従来発生していた「何故か特定の方のコメントが漏れなくスパムフィルタに引っかかる問題」に対処するために認証システムを導入したものですが、第一に誰でもコメント可能であるという従来のポリシーを変更する気はないところその観点からは(コメントする人にとっての)余計な手間が増えており、第二にこの変更によって問題が解決するのかどうかも実はよくわからないので、しばらくしたら廃止してしまうかもしれません。まあ暫定導入ということで、ひとつ。</p>]]>
        
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    <title>夕景</title>
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    <published>2008-08-08T14:36:20Z</published>
    <updated>2008-08-10T17:53:04Z</updated>

    <summary>ちょっと珍しかったので撮影。JR名古屋駅の3番線なのだが、手前に止まって客が乗降...</summary>
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        <![CDATA[<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/images/P1000633.html" onclick="window.open('http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/images/P1000633.html','popup','width=480,height=640,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/assets_c/2008/08/P1000633-thumb-320x426.jpg" width="320" height="426" alt="P1000633.JPG" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></a></span>ちょっと珍しかったので撮影。JR名古屋駅の3番線なのだが、手前に止まって客が乗降しているのが18:03発の武豊線直通区間快速(キハ75形2両×2)。その奥に少し間隔を空けて次の区間快速(18:23発)になる編成(同じくキハ75形2両×2)が待機している。同一番線に二編成が待機って、まあ引き上げ線に余裕のない近鉄難波駅でやっているとは聞くもののあまり見ないよねえと思った。普段からこういう運用なのか、なにかトラブルがあった余波なのかは確認していない。</p>]]>
        
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    <title>要約版。</title>
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    <published>2008-08-04T10:41:26Z</published>
    <updated>2008-08-04T10:57:00Z</updated>

    <summary>というわけで、3月に開催された「警察政策フォーラム」の記録が公刊されました。大屋...</summary>
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        <name>おおや</name>
        
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        <category term="原稿" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/">
        <![CDATA[<p>というわけで、3月に開催された<a href="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000511.html">「警察政策フォーラム」</a>の記録が公刊されました。大屋雄裕「監視と自由の関係：事前規制と事後規制の違いを中心に」(警察政策フォーラム：市民生活の自由と安全・理論と実務の架橋)、警察大学校(編)『警察学論集』61巻8号、立花書房、2008.8、pp. 111-124.</p>

<p>すでに述べた通り、基本的には『自由とは何か』の内容をもとに実例などに言及して要約的に述べたというものですが、会場でお話しした内容のうち舌先の滑った部分は省略しましたのであしからず。というかサービス精神旺盛で早口なので当日は大変にいらんことを言った気配があってですな、まあ名大法学部の研究室配置をめぐって憲法学の先生とかけあいした部分とかはディスカッションの記録(これは別途公開されるらしい)からも割愛したのですよええ。</p>

<p>私がライブだと<strong>すげえいらんことを言う</strong>というのは実際に私の話とか聞いたことのある人は知っていると思うわけであり、いや本当にこのブログでさえだいぶ実は抑制してるのだが、なんかまた人前でお話しする機会がいただけるようなので気になる人は案内をお待ちいただけるといいかと思う。なお＠東京(だと思うんだけど)。</p>]]>
        
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    <title>医療過誤問題管見</title>
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    <published>2008-07-26T01:37:32Z</published>
    <updated>2008-07-26T03:05:24Z</updated>

    <summary>地元での用事を片付けようと合計30分くらいバイクでうろうろしただけで両腕の上半面...</summary>
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        <name>おおや</name>
        
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        <![CDATA[<p>地元での用事を片付けようと合計30分くらいバイクでうろうろしただけで両腕の上半面が赤くなっているわけですが<strong>どういう熱帯ですかここは</strong>(挨拶)。さて気付いたら医療過誤の法的取り扱いをめぐるモトケン先生と小倉先生の議論に<a href="http://d.hatena.ne.jp/bewaad/20080723/p1">bewaadさんまで参入していた</a>のだが、ええと、ちょっと<a href="http://www.dashiblog.com/blog/archives/000140.html">「ITプロジェクトの実態とは！」</a>あたりの話を思い出しましたね。</p>]]>
        <![CDATA[<p>何が言いたいかというと、現時点までに医療関係者から出てきた主張の<strong>文言解釈</strong>としては小倉さんの方が正しいと私も思う。でも<u>それに何の意味があるのかはよくわからない</u>ということ。たとえば「業務上過失致死傷罪を廃止せよ」という文言が、医師である(とお書きである)NATROMさんの意図に反して本当に故意が認定できる場合以外のあらゆる事例(血液型クロスマッチを行なわない輸血、が一例として挙がっているが)を免責することになってしまうという点については、bewaadさんご指摘の通りなので繰り返さない。つまりここにはかなり明確な形で<strong>意図と表現内容の齟齬</strong>があり、そのことは多くの関係者によって認識されている。問題は、<strong>じゃあどうしたらいいのか</strong>というところにあるような気がするのだが。</p>

<p>これが裁判であれば、内心の意図なるものより表現された意思、提出された書面から読み取れる内容で判断しなさいということで良いのだろうとは思う。「『そういうつもりはなかった』といってもそう書いてあるのだし、その請求内容は不当なので、棄却」とか裁判官なら言いそうである。でも<u>小倉弁護士は裁判官じゃないよね</u>。あるいはその意図と表現内容の齟齬(によって議論が進展しないこと)について、bewaadさんはその原因が「一に医療側の勉強不足であり、二にそれをたしなめない法律家の甘やかしにあった」とご指摘である。でも議論はそれを問題にしないといけない段階まで熟しているんだろうか。</p>

<p>もちろん問題をこじらせた原因の一部は<strong>専門用語の誤用</strong>にある。変にそんなもの使うんじゃなくて自分の要求を「日常用語でそのまま主張」した方が良いという点にも同意するところである。でもまあ、たとえば我々が医者に行くと「先生、神経痛がひどいんです」とか「急に咳き込んで真っ赤な血を吐血したんです」とかうっかり言うのではないだろうか。でまあそれに対してお医者さんは「いやそれは医学的に『喀血』ですからあなたの主張は間違いです」とか言わずに検査したり治療したりしてくれる気がする。<u>シロウトは専門用語によってであれ日常用語によってであれ自分の思っていること・考えていることをうまく伝えられない</u>ので、専門家の側が努力して確認する必要がある、というのは従来のインフォームド・コンセント論(説明すれば理解できるし、意思表示できる)を超えて専門家倫理論で最近主張されていることだったりもする。その過程では従って、専門用語の誤用とか明らかにヒステリックな反応とか意味不明な主張とかいろいろ出てくるだろうと思うのだが、<u>とりあえずその意図するところを確認しつつ言いたいことを言ってもらう</u>というのが専門家によるカウンセリングとか相談とかの常道ではないだろうか。</p>

<p>もちろん「斯界の要求」として高らかに掲げたりしかるべきスジに運動したりする際にはそんな水準ではダメで、一応妥当な言葉遣いと要求内容へと洗練されているべきだと思う。だからその働きかけ対象の中の人である(らしい)bewaadさんが「いやこんなんもってこられてもさあ」(意訳)という気分になるのはよくわかるのだが、雑多な人々の雑多な主張を洗練して「法的要求」にまとめる仕事の人が同じ態度でいいのかとか、一生懸命当事者の声を確認している最中に審判づらで出てこられると「帰れ」とか言いたくなるよねえと思わなくもない。私自身は、従って、この問題の成否は今後モトケンさんなどが医療従事者の主張を<strong>良い意味でcanalizeできるかどうか</strong>にかかっていると思っており、だから現時点ではあまり何も言う気がないのである。</p>

<center>＊＊＊</center>

<p>ついでの一。でも「すべての過失犯を免責」とか言ったらどうなるかくらいわかるだろうと思う人もいそうだが、いや<strong>お医者さん驚くほど法律のこと知らないよ</strong>。「民法上の成年は20歳」とか「民事と刑事は別」とか「とにかく裁判は起こそうと思えば起こせる」とか私が何回附属病院で説明していることか(笑)。あ～個人情報保護の話をしに行って「でも私たちが扱うなかに個人情報ってないでしょう？」とか教授ににこやかに言われたこともあったな(まあこれは個人情報保護法制の本格施行前のことで世間的にも知識レベルは低かったけど)。</p>

<p>まあでもそれは当然で、法学教育は受けていないし高校の「現代社会」とかにどれだけ期待できるかと言われたら<u>私が「理科I」の内容を記憶しているのと同程度</u>だろう。つまりお医者さんの側でもATPサイクルがどうのとかHER2の過剰発現がこうのと言われてなんのことかさっぱりわからない人間(いや私のことだが――理科は化学選択だったですよ)を相手にしないといけないわけで、ご苦労なのはお互いさまである。異分野の専門家同士のコミュニケーションてのもたいがいそういうもので、行きがかりはあっただろうけれども継続的にそれに取り組んでいるモトケン先生のことは本気で尊敬しているのである。私にはちょっと、行政職を越えてこの問題に取り組む余力はない。</p>

<center>＊＊＊</center>

<p>ついでの二。は駄々話であるが、しかし非専門家による意図と表現のギャップを解消する必要に、(文字通り)元検察官であるモトケンさんがかなり自覚的なのに最初からそういう仕事であるはずの弁護士だった小倉さんが無関心というのはちょっと面白い。まあ小倉さんも<u>理屈ではこうなので判例が全然そうでないのはダメだダメだダメだ</u>みたいなあまり弁護士さんらしくない論文(というのは「弁護士さんの論文って『理屈はそうでも実務・判例はこうだからさあ』てえのが多いよね」という私の偏見に依存するのだが)書く人だから、らしいと言えばらしいのかもしれんけど。</p>

<p><br />
<center>＊＊＊</center></p>

<p>ついでの三。実はこの問題に、三月の警察政策フォーラムにおける質疑応答で触れている。最近の政府・官僚批判がある意味で無制限な結果責任論に帰着するのではないかという論点に対して、ある程度<u>専門家を免責するシステムを作らないと責任の代償として対象に対する完全なコントロールを要求する・必要とするようになっていく、それは結局「個人」とその自己決定の可能性を抹殺することになる</u>という趣旨で回答した一環。そのうち『警察政策研究』とかに掲載されるそうですので、出たらまたお知らせします。</p>]]>
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    <title>結構難しい。</title>
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    <published>2008-07-24T14:00:40Z</published>
    <updated>2008-07-28T06:23:28Z</updated>

    <summary>空気など読まぬ(挨拶)。というわけで、大屋雄裕「ウェブ時代の新聞の役割は」『朝日...</summary>
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        <category term="原稿" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/">
        <![CDATA[<p><strong>空気など読まぬ</strong>(挨拶)。というわけで、大屋雄裕「ウェブ時代の新聞の役割は」『朝日新聞』2008年7月24日・夕刊(名古屋本社版4面)。毎日新聞WaiWai問題に言及したりMSN産経ニュースを褒めてみたりしたけど載せてくれたよ。結構豪儀だな朝日。</p>

<p>ちょっと前に書いた先方から明確なサジェスチョンがあった原稿というのはこの話ですが、誤解があるといけないので書いておくと基本的にすべて表記とか文章表現の問題で、論旨には一切影響ありませんでした。その上で気付いたことを三点ほど。</p>]]>
        <![CDATA[<p>一つは、とにかく一文一文を短く、簡潔な表現にすることが望まれる。まあ紙幅の制限がかなり厳しいというのが一つ、私の文体が元々かなりややこしいというか長いというか込み入っているのも一因でしょう。これはあちらの要求が正当であると自覚するところもあり。</p>

<p>二つ目は、記述に具体性をかなり求められること。理念とか観念まわりの問題として抽象的に書いていると、具体例を入れて理解しやすくしてくれと言われる。これはまあ普通の人が毎日読むものだしという理由もあるから十分理解できるんだけど、他方でやはり本格的な議論とか取っつきの悪い問題提起ができない、わかりやすい・典型的な・カタにはまった主張に流れる可能性が高くなるのかな、とも思った。</p>

<p>最後はわりとどうでもいい話なんだけど、記者さんとのやりとりが電話とFAX中心なのに軽く衝撃を受ける。出版関係のお仕事だと最近はメイルでのやりとりが多いし、校正刷りもPDFで送られるケースが出てきている。私自身も最近特に<strong>コンピュータは持っているがどこで仕事してるかわからない傾向</strong>が強いので、基本的には大学の研究室に連絡が来るという事態にかなり戸惑う。もちろん全体的に締切までの時間とか進行とかに余裕が少ない媒体なので<u>直接相手の反応が押さえられる手段を優先するのかな</u>とも思ったが、ううむ、慣れないなあ。FAXとかもうほとんど使わないから廃止しちゃおうかなあと思ってたところなんだけど。</p>

<p>まあもちろん、ある会社の特定の記者さんを相手に一度お仕事してみただけの結果なので単なるその方の個性である可能性も十分にあるわけだが、なんとなくそれでも新聞とかその記事というものができてくる背景のプロセスをかいま見たようで面白かった。まあ全体的には<strong>いわゆる新聞論説を自分も書けるのか実験してみました</strong>という感じでいやなかなかしんどいものであるとは思ったのだが、成功しているかどうかは読者の方に聞くしかないねえ。(なおこのエントリは7/28に掲載紙を確認してから書きました。)</p>]]>
    </content>
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    <title>読書まとめ</title>
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    <published>2008-07-19T06:05:26Z</published>
    <updated>2008-07-18T16:06:29Z</updated>

    <summary>渡辺将人『見えないアメリカ：保守とリベラルのあいだ』(現代新書2008)を読んだ...</summary>
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        <name>おおや</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/">
        <![CDATA[<p>渡辺将人『見えないアメリカ：保守とリベラルのあいだ』(現代新書2008)を読んだら面白かったので勢いに乗り、研究室の山から鈴木透『性と暴力のアメリカ：理念先行国家の矛盾と苦悶』(中公新書2006)を取り出す。で、<strong>ぐにゃり</strong>。</p>

<p>いや基本的には良い本で、「性と暴力の特異国」としてのアメリカの特徴とその背景について興味深くまとめている。しかしその、部分部分でどうもおかしい。</p>]]>
        <![CDATA[<p>たとえば1984年のアラン・バーグ射殺事件について「1分間に100発も連射できるフル・オートマチックの拳銃が使用されていた」と書かれていて<strong>どんなんや</strong>と思い調べたらどうも<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/MAC-10">Ingram MAC-10</a>らしい。ふつう「サブマシンガン」と言うように思うのだが。まあ(自衛隊的に)「機関拳銃」と呼ぶのもいいが単に「拳銃」と書くのはミスリーディングに過ぎるだろうし、発射能力は800～1000発/分であって一桁違っている。もちろんマガジンには30発くらいしか入らないのでこれは計算上の数値なのだが、そういう注記もない。</p>

<p>あるいはアメリカの暴力性の一つの現われとして「軍歴が評価される社会」だということを指摘し、「米軍兵士のなかで、士官学校出身の職業軍人はごく一部にすぎず、大多数は民間出身で、しかも、彼らは軍役を一時の仕事と考えている。それは、巨大な民兵組織と言えなくもない」だからそれは「アメリカにおける民間武装の伝統が極度に進化した姿」だと言うのだが、いやあの日本の自衛隊だって総員25万人程度のうち幹部自衛官が4万5千人程度、防衛大学校卒業者はさらにその一部に過ぎないわけですが。つうか<strong>職業軍人である下士官はどこに行ったの？</strong></p>

<p>何故こんなことになるかというと、一つの答はおそらく、著者の専門が「アメリカ文化研究」だからということになろう。いやその分野が問題だというのではなく、比較の視野が対象たるアメリカ社会と著者の背負った日本社会に限定されているので、観察された<u>アメリカ社会の相対的暴力性</u>という事象がアメリカの絶対的暴力性に由来するのか、日本の非暴力性(暴力性の欠如)に由来するのかが意識されていないということを言いたい。実際には、たとえば人口あたりの殺人事件数に関する国際統計あたりを参照すると、他の先進国に比して<u>アメリカは突出して件数が多く、日本は逆に低い</u>という傾向があったりする(これがどの程度まで・いつまでの実態を反映しているかは議論の余地がある)。日本からアメリカ社会が暴力的に見えるのは、実は我々の社会がそれを成り立たせている暴力を忘却しすぎているから、かもしれないのだ。</p>

<p>でまあ、著者が「ごく最近まで犯罪を犯した段階で未成年だった者にも死刑が執行されてきた。先進国で未成年者への死刑執行を容認してきたのは、アメリカだけである」などと書いているのを見ると、あれ<strong>永山事件って何だっけ</strong>(念のために言うと問題になっているのは後段も含めて「犯行時」で「死刑執行時」ではない)というか、日本における「暴力」(ここでは国家による暴力)の問題についてあまりにも無自覚・無知ではないかという疑念がわいてくる。で、最終的に議論は次のような方向に行ってしまう――</p>

<p><DIV class="quote">アメリカにおける暴力の伝統の重要な要素であるリンチには、戦争との類似性が見られる。まず、両者とも、何らかの大義名分を掲げて法規を無視し、暴力を正当化する傾向がある。リンチも戦争も、共同体の多数の支持があれば、正義の名のもとに正当化されやすい。また、両者とも、人権無視の集団的暴力と言える。</DIV></p>

<p>ええっと典型的な国益のための<strong>制限戦争観と聖戦論の違いとかまるっと無視するわけですか</strong>。カール・シュミットがかつて『パルチザンの理論』で描いたように、「正義」を無視することによって(少なくとも理屈上はそれなりに)制限的であり得た「戦争」が大義名分と結合することによって逆説的にその制約から解放され、結果的に「聖戦」に至るという認識の元に、その「聖戦」とリンチの類似性について論じるとかであれば議論として理解も同意もできるんだけど、それ抜きにいきなり両者を結合させてしまうというのはあまりにも慎みがなさ過ぎるんじゃない？　とまあこれは結局、著者がその「暴力性」を批判するアメリカ社会とはまさに逆の方向に、日本の大学とか知の世界において戦争と暴力をめぐる知識とか理論が無視されてきたことの帰結なのだろうな、とは思うわけだが。</p>

<p>でまあついでにそういう「慎みのなさ」が気になったもう一冊が、文庫に落ちたので読んだ長山靖生『人はなぜ歴史を偽造するのか』(知恵の森文庫2008)で、実際の歴史偽造の例とかその背後にある欲望を読み解いていく部分は面白いし丹念なのだが、それと現代社会の問題を結びつけるあたりでとたんに手つきが危なっかしくなるというか、まあとりあえず私は<strong>長尾龍一を憲法学者と呼んでいる</strong>あたりでひっくり返ったが。つうか憲法解釈がどうのこうの意見を言いたいなら新書で参考文献済ませるなよというか、いつぞや林信吾氏も似たようなことやったなと思い出すのだが長谷川正安『日本の憲法』(岩波新書)好きだねえというか、いやつらつら鑑みて長谷川説を支持するというならそれはそれで良いがあんたら私の何分の一も長谷川先生の本読んでないよねというか、そんな感じである。同著者の『貧乏するにも程がある：芸術とお金の"不幸"な関係』(光文社新書2008)も同様の「慎みのなさ」と危なっかしさだけが目についたのだが、何となくそういうわけで原因がつかめたので今後はこの著者は歴史物だけだなあと思った次第。</p>

<p>このあたり、逆に「慎み」がはっきりしているのが谷崎光『北京大学てなもんや留学記』(文春文庫2008)だなあと、タイトルからはそう思えないだろうが、思う。デビュー作の『中国てなもんや商社』から一貫してそうなのだが、この著者の姿勢は自分の見て聞いて体験したことを書くという限定がはっきりしていて、それ故の限界がどこかにあるのかもしれないのだが上述のような危なっかしさや不愉快さを感じさせるところがない。その著者が以下のように述べていることには感じ入るところがあったので写す(丸数字を括弧内算用数字に改めた)。</p>

<div class="quote">こんな汚職まみれの中国は民衆の不満が爆発し、遅かれ早かれ自滅する、という意見があるが、私はそうは思わない。理由は、<BR>(1) 大陸の中国人からすれば今は中国の「有史以来、庶民が一番食えている時代」で、生活は昔より良くなっている――と多くの庶民自身が思っている。つい最近まで本当に食えなかったのである。<BR>(2) 庶民も勝ち組と負け組に分裂している。革命できるような人材もそうでない人も、お金儲けに、もしくは生きるために必死。(中略)<BR>(4) 若者ほど男女ともに仕事の意欲があり、人間的にもまともな人が増えている。</div>

<p>まあこの話を、<a href="http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20080717/p1">ちょいと舐める舐めないの話になっている</a>のとの関係で書いておきたかったのですよ。ただちょっと注記しておくと、私自身は中国政府の現体制がどうのこうのという関心では基本的に動いていなくて、ただ中国(なりその周辺国なり)の人々がどういう体制を選択するにせよしないにせよ有益であるはずの法律専門家の養成というのを自分の仕事だと考えている。それは現に存在する抑圧的体制を強化するという帰結をもしかしたら短期的には導くのかもしれないし、根本でダメな体制における人々の生活を改善することによってその延命に力を貸してしまうのかもしれないのだが、それを恐れて何もしなければむき出しの・無制限な暴力がのさばり続けるだけ、かもしれない。肯定であれ否定であれ大文字の正義とか政治的意義に関する語りを封印し、専門家としての態度に沈潜することによって途上国への貢献とか働きかけということを続けていこうというのが私なりのケツの舐め方である。常に政治的に正しい言説を展開せよとか、言論の自由のある国でぷうぷう吹いてるやつの寝言ですよ寝言と、<strong>実際に途上国でひどい目に遭っている度</strong>に関して「ミクロ山形」くらいは名乗っても許されるのではないかと思っている私としては(いや私は基本的に「先生」なのでそうえらい目にも遭わないのだが)思う次第である。</p>]]>
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    <title>先取られ。</title>
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    <published>2008-07-18T13:12:51Z</published>
    <updated>2008-07-18T14:16:39Z</updated>

    <summary>鰤端末さんが書いていたのではてなブックマーク経由で「on rehabilitab...</summary>
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        <name>おおや</name>
        
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        <![CDATA[<p><a href="http://d.hatena.ne.jp/Britty/20080716#p2">鰤端末さんが書いていた</a>のではてなブックマーク経由で「on rehabilitability」に対するApeman氏の反応を読んだら思ったことが氏のエントリタイトルに先取られていた。なんかねえ。相変わらず自分にしかわからない「真実」に依拠して問題を描写しているだけだし、私に「そういう人がいたらどうするの？」と聞かれているのに「そういう人はいませんでした」と返事して勝ったつもりになっているというのは日本語わからないんだねえ、やっぱり。以前に<u>イスラエルによる虐殺正当化の論理についてはどうするのか</u>聞いたときにも思ったんだけど、自分がやられてるポイントは全部無視して、曲言すれば自分が勝っているように見せられる論点だけに言及することで「勝利のポーズ」を演出してるだけだしね。でもそれに騙される人もいるのかなあ(タメイキ)。</p>

<p>でまあ以下は鰤さんへのお答え。</p>]]>
        <![CDATA[<p>まず「知らない」の用法は法哲学でも同様で、私も質問の枕詞に多用いたします。ところでその渡邊二郎先生の枕詞の恐ろしさについてなにやらかまびすしい人々はきっと理解できないだろうと思うわけですがどうですかイヤミですかそうですか。</p>

<p>でまあそれはそれとして、私ももちろん稲田朋美先生について一般的な事柄は知っているわけですが(正直そんなに興味はないので多分Apeman氏とかと比べて知識は非常に少ない......まあ嫌いなものに詳しくなっちゃうことはよくあるよね)、いやそれ以前の問題としてですな「[モノ]のことは知っている」というのと「[ヒト]のことは知っている」って<strong>意味違わないですか</strong>。</p>

<p>いや私だけの語感だったら申し訳ないのですが、「佐藤さんのことは知っている」とか「田中さんのことは存じ上げている」という表現は佐藤さんや田中さんに<strong>面識があるとか知己を得ているとか、最低でも会ったことくらいはないと使わない</strong>んじゃないかと思うわけですが。そいでこの意味においては私、間違いなく「稲田先生のことは存じ上げない」のですよ。</p>

<p>いやそこは「稲田朋美に関する事柄」という語感で読めるのだと反論されたとしても、問題がジェンダーとセクシュアリティという極めて私秘的な領域に属する以上<u>ぐぐればわかる</u>という感覚(これはApeman氏ではない)には本気で脱帽というか、<strong>手のほどこしようがねえな</strong>と思います。個人の選好を抜きに理屈のレベルで見てもジェンダーフリーとボーイズラブその他に対する態度は割り切れない錯綜したものになるのに(だから正直稲田氏は何とでも言える――Apeman氏の無思慮な決めつけとは逆に――と思う。氏は「稲田朋美が「ボーイズラブ」についてみせるであろう反応を予測した」だけだと述べているが、<strong>その予測が成立すると思うところがダメだ</strong>と言われているのがさっぱりわかっていない)、実際に利害関係のある個人として何を言うかなんてさらに予測不能だと思うわけですが。だって稲田氏は実はルビー文庫コレクターなのでジェンダーフリー運動には反発しても文章による同性愛描写規制案からは何となく距離を取るということがあるかもしれないし、逆に大学時代の彼氏を男性に寝取られたのですごく拒否感があるかもしれないし(Cf. 木村紺)、そんなこと個人的によっぽど親しくないととても「予測」なんてできないと思うわけですよ。</p>

<p>というか私自身はパートナーに対してであれ<strong>そのセクシュアリティを知っているなどとは口が裂けても言いたくない</strong>わけですが、そういう慎みのない人にはわからないんでしょうね。</p>

<center>＊＊＊</center>

<p>あ、ところで西村修平さん(ですか？)については<strong>本気で知りませんでした</strong>。お顔を見たこともないと思います。お名前についてもひょっとしたらどこかで見たことがあるだろうか程度でして、互いの知的環境の違いを実感するところですね。あと、思い当たる節があったのであれば今後の人生の参考にしていただければいいかと思いますが、なんでも自分のことだと思いこむのは良くありません、だいたい<strong>あなたには論じるべき対象となる「業績」などないでしょう？</strong>　とこれはまだ読んでいたらApeman氏へ。あ～なおあのプラカードが技術的に拙劣だし醜悪だしいったい何がやりたいんだろう恥ずかしくないのかしらという評価については<strong>満腔の同意</strong>。私に何の関係があるのかよくわからないことではあるけれど。「ウヨクもダメだねえ」で終わり、じゃない？</p>]]>
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    <title>原稿二件</title>
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    <published>2008-07-15T08:19:04Z</published>
    <updated>2008-07-18T08:35:46Z</updated>

    <summary>大屋雄裕「電子化された社会とその規制」「電子化された社会と法制度」渡部明・長友敬...</summary>
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        <name>おおや</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/">
        <![CDATA[<p>大屋雄裕「電子化された社会とその規制」「電子化された社会と法制度」渡部明・長友敬一他『情報とメディアの倫理』(シリーズ〈人間論の21世紀的課題〉第7巻) 第3章・第4章、ナカニシヤ出版、2008、pp. 50-74.　倫理学の叢書の一冊ですが、教養なんかの授業に使うことも想定してということなのでわかりやすく話をまとめたつもり。法科大学院で「情報と法」などを教えていて、だから前々から言ってはいたが改めて書いてはいなかった議論の枠組に関することを、いい機会なので表に出しました。これを踏まえて現在の課題は？　というのが3月に出た「分散する規制、分散する主体」だとまあそういう位置付けでしょうか。なお著者略歴一覧などを見て<strong>「なぜにおまえが」</strong>と(いろいろな意味で)思った方がいるかもしれませんがまあそのなんだいろいろあったんだうん。</p>]]>
        <![CDATA[<p>で、この間にご依頼いただいた原稿(短いもの)を書き上げて送る。ほぼ初めての媒体なので表現とか内容のまとめ方とかについて迷うわけだが、初稿に対して発注元からわりと明確なサジェスチョンが返ってきたのでそのように修正する。基本的にあまり空気を読まない(読めない)せいもあって注文があるならはっきり言ってもらった方が望ましいし、その方が手間もかからないので双方のためである。義理のない仕事をさせるならカネか敬意か礼儀は払えという趣旨のことを漱石が言っていて感じいったが、そういうわけで特にカネが出る場合にはほとんど怒らない。要は予測可能性が高ければそれでいいのだと、特に最近スケジュールが立て込んできたこともあって思っている。いずれにせよ詳細は実際に掲載されてから。さてどうなるかなと。</p>]]>
    </content>
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    <title>幻想の共同体</title>
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    <published>2008-07-13T07:37:59Z</published>
    <updated>2008-07-18T08:36:26Z</updated>

    <summary>実家に寄ったので読売を読んでいたら、秋葉原の連続殺傷事件は人を取り替えのきく部品...</summary>
    <author>
        <name>おおや</name>
        
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        <category term="時事" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/">
        <![CDATA[<p>実家に寄ったので読売を読んでいたら、秋葉原の連続殺傷事件は人を取り替えのきく部品のように扱う現代社会の帰結で犯人を暖かく包む伝統社会とか共同体とかがあれば起きなかったのではとか書いている人がいてええと<strong>津山三十人殺しってどういう時代に起きたんだっけ</strong>(挨拶)。世話好きおばさんがいたら非モテでもお嫁さんとか来てくれて幸せになれたのではとかいう趣旨のことが書いてあったような気がするんだけど、<u>匿名性が高くて属性を隠蔽できるネット上の掲示板ですら「こいつなんかヘン」だと気付かれちゃうような人間の居場所が閉鎖的で固定的な共同体にあるわけないじゃん</u>。村中から後ろ指差されて違う形で暴発してただけなんじゃないの、とは思うところ。</p>]]>
        <![CDATA[<p>というか現代社会が行為や所属の領域を分断することによって「ちょっとヘン」な人がそのヘンさを日常とは違うところで表現したり発散したり、とにかく周囲の社会には気付かれずに平穏無事に生きていく可能性を高めたのは素晴らしいことだと思うし、世の中の「ちょっとヘン」な人の多くがそうやって何とか自分と社会の折り合いを付けながら生きているなかであの犯人はそういうことができなかったわけで、そういう人間をも包摂するような共同体を再建するというのはものすごく同調圧力が強くて「ちょっとヘン」なだけの人も窒息してしまうことになるか、さもなければ「すごくヘン」な人も笑顔で受け入れろという逆方向の圧力を普通の人に強制する社会になってしまうのではないか。「壊れた方が勝ち」という社会もモラルハザード起きまくりで崩壊するんじゃないの、世話好きおばさんに犯人みたいなのをお世話されちゃう女性の人権とか考えろよとまあそういう話である。</p>

<p>なんか進学校で挫折して云々という話も聞くが<strong>あのね進学校ってそういうところだから</strong>。犯人が行っていた高校のことは知らないが、たとえば小学校で一番二番を争う子を集めて作るのが名門の中高一貫校であり、従って進学すると<u>95％くらいの子は従来のような集団内の位置を失うわけ</u>。周囲にいるのは自分と同じ「村一番の秀才」ばかりで、その中の競争に勝ったごく一部以外は(集団内での)「凡才」とか「劣等生」に転落するわけですよ。もちろんそれでもより広い社会で見れば相変わらず優秀な集団のなかにはいるんだし、この運命は一人だけではなくて同級生の多くを襲うわけだから、ほとんどの人はそういうことを考えながら結果としての自分の位置付けというものに気付き・それを受け入れて自意識を形成していくわけです。もちろん勝ち残った「県下の秀才」たちはまた大学で同じ目にあってそのほとんどが集団内での地位を失っていくわけで、《自分は優秀である》なんてえ自意識を本当に維持する資格があるのはごくごく一握りに過ぎない。</p>

<p>問題なのは、にもかかわらず敗北を受け入れて自意識を再構成していくのではなく、肥大した自意識を維持するために現実認識を歪めるという安易な道を選ぶ人間が一定程度はいるということであって、しかも自意識的な<strong>「自信満々度」</strong>では本当に勝ち残った人と区別が付かなかったり、むしろ無根拠なだけに傷つくこともなくてより完全だったりするということだろう。結果としてその種の人間を信じてしまう「被害者」も発生するし、これは分断化された現代社会の負の側面として「あれは威張っているだけで中身はない人間なので真剣に取り合ってはいけない」という社会的評価は共有されにくいわけである。この問題を防ぐ方法は<strong>機会あるごとにそういう自我ギャップを叩いて矯正するしかないのかな</strong>、とは思うところ。</p>

<p>だから秋葉原の犯人みたいなのは指さして全力で嗤うのが正しいと、そう思うわけである。他人を傷つけることで自己の肥大した自我を正当化することなどできないと思い知らせることが、そのような自我の持ち主が他人を巻き添えにしながら崩壊していくことを防ぐ方法なのだと。硫化水素自殺のときにも思ったことだが、メディアの対応は被害の拡大や再発を防ぐ方向には向かっていない(それがメディアの使命なのかどうかについては議論の余地あり)。トンチンカンな善意より冷ややかな悪意の方が善に近いのだと、まあそういう話である。</p>]]>
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    <title>ドンキホーテの幸福</title>
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    <published>2008-07-07T15:46:24Z</published>
    <updated>2008-07-07T14:50:21Z</updated>

    <summary>経済学に関する本を出版社から頂いたので(ありがとうございます)読み始めたところ「...</summary>
    <author>
        <name>おおや</name>
        
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        <category term="読書" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/">
        <![CDATA[<p>経済学に関する本を出版社から頂いたので(ありがとうございます)読み始めたところ<B>「近代経済学は相対性理論と熱力学の第二法則に反している」</B>とか書いてあって何のことかと思えば需要曲線と供給曲線の交点として価格と供給の水準が決定されるというモデルは爆発的な量の計算が無時間的に行えることを前提にしているからおかしいという批判だったので静かに本を閉じて書棚に放り込んだ件について(挨拶)。というかそれでも第一章は通読した私を誰か誉めてほしい。<br />
</p>]]>
        <![CDATA[<p>問題は大きく二つある。第一に、現実の我々が・有限時間内に価格水準決定のための計算ができるだろうかと聞かれて肯定する近代経済学者というのはおそらくいないのであって、それが(たとえば)「もし全知の神さまがいたらどうなるか」という想定に立ったモデル、その意味で現実からある程度乖離したものだというのは当然の前提だということ。著者が「これは今まで誰も指摘していないよねえ」と得意げに述べたことは、実のところみんなわかっているから特段に語らないことであるに過ぎない。というか現実から乖離しているから悪いとか役に立たないとかいうことであれば「理想気体」なるものを想定してその挙動を考える高校化学とか摩擦のない世界を想定して物体の挙動を分析する初等物理学とか二重売買については登記の先後で所有権の有無を決着させるという民法177条において単一の物体を二回以上譲渡し得ることを認めている日本民法学とかすべて熱力学第二法則に反していてダメなのだということになりそうである。実際にはもちろん、これらはとりあえず<U>抽象的なモデルでメタレベルの分析を進めるために置かれた前提</U>であって、現実(ベタ)にどれだけ適合的かについては別途考えなくてはいけないとメタレベルの研究者は皆わかっているわけだ(考えるのは自分の仕事でない、とは思っているかもしれないが)。著者一人が、メタレベルの行為をベタの分析であるかのように誤認して、あるいはそこに存在するメタとベタのレベルの差を理解することができずに、自分だけは本当のことがわかっていると笑っているわけである。<B>イタイ</B>。</p>

<p>第二の問題は、しかし「<U>そんなの実際には計算できないじゃん</U>」と書いただけであれば我々が感じなかっただろうようなイタさであって、つうか<B>なんでそこで相対性理論とか持ち出してくる必要があるの？</B>　結局それは、常識ないし真理とされている物理学の知見を権威として動員し、それと近代経済学とのあいだに(幻の)対抗関係を作り出すことによって自らを物理学の権威と同一視させ、近代経済学と対抗し得るような権威的地位の持ち主として演出するための記述なんだろうと、そう書けばおわかりの通りこれは<U>トンデモ科学に一般的な叙述の形式</U>である。彼らは素粒子物理学や宇宙科学のような社会的に承認された権威を否定することによってあたかも自らがそれに値するような・そこで否定されているものに相当するような権威の持ち主であるかのように自ら信じまたそう演出するわけだし、その対抗関係に信憑性を持たせるために「常識」であるとか「聖書の記述」であるとか、あるいは誤解した物理学の知見のような<B>外部の権威</B>に頼ることもまた一般的である。だがそれらは結局彼らの肥大化した自我を正当化するために持ち出された意匠であるに過ぎず、正当化根拠として言及しているからにはそれを熟知しているのであろうというような普通は成立するかもしれない想定は、このような人々には通用しないわけである。というか理解していたら自分の立場を正当化しないことがわかってしまうので「常識」のように操作的に確認しようのないものとか自分にとって理解できる範囲での通俗的理解とかに頼ってみるわけやね。</p>

<p>まあもちろん名前を売るためには大物相手に喧嘩を売るのが戦術的に有効であるという点については、必ずしも否定しない。しかしそれでも批判としてそれなりの水準に達していないと議論の中身がわかる観衆からは失笑されるだけだし、今回のケースのようにどこの誰というわけでもない・自分の頭の中だけに存在する相手と勝負して勝ち誇っているというのはさらにそのなんと言うか、ドンキホーテ的痛々しさだけが漂うわけである。それでもドンキホーテなら風車に突撃して負けてくるわけだがこの論者のような人が突っ込む先には誰もいない以上一敗地にまみれたことを認める可能性も失われている。我々はこの「永遠の勝者」に対してどうすべきなのか、と考えるにまあ別に彼の自己顕示欲に付き合う必要もないので本を閉じればいいと、今回は結論しておきたい。まあツッコみたくない芸風の人っているよねというか、「私はかつて、配偶者からモラル・ハラスメントを受け、鉛色の空の下で十二年間も暮らした」とか<B>経済学の本で書かれちゃうと</B>「そうですか、それは大変でしたね、では」とにこやかにその場を去りたいよねという感じなのである。<br />
</p>]]>
    </content>
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    <title>on rehabilitability</title>
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    <published>2008-07-07T11:03:39Z</published>
    <updated>2008-07-07T11:30:29Z</updated>

    <summary>確か落語だったと思うのだが、「一つ目の珍しい人間がいる」と聞き込んだ興業師が捕ま...</summary>
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        <name>おおや</name>
        
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        <![CDATA[<p>確か落語だったと思うのだが、「一つ目の珍しい人間がいる」と聞き込んだ興業師が捕まえて見せ物にしようとその村に忍び込んで捕まり、村人は全員が一つ目だったので「二つ目の珍しい人間がいる」といって見せ物にされてしまうというのがあった。Apeman氏の新しいエントリを読んで思い出したのは、そういう話。</p>

<p>第一に<u>誤字が問題になるのはそれが誤字であるとわかる人々を対象にしている場合</u>であって、そうでない生活環境とか知識水準の人々を動員しようとしているなら<strong>政治的には</strong>別に差し支えないわけである。というかむしろ広く一般大衆に話すときに「病膏肓に入る」を「こうこう」と読んだり「遺言」を「いごん」と発音したりすると「え～字も読めないんだプギャー」とか言われてしまう可能性があり、こういうトラブルを避けるためには専門的に権威づけられた知とかそれと同一化している自己の知識水準とかを棚上げして<u>語りかける対象の心性を想像し、それに寄り添う必要がある</u>わけである。</p>

<p>ところでじゃあ民青を「チビ官僚」と表記するというのは<strong>誰のどのような知識水準を想定しているのか</strong>。知的水準ということで言えば単純な誤字よりこの方が恥ずかしくないようにも思うが、<strong>動員対象への訴求可能性</strong>という政治運動としての評価基準から見た場合、まだ優れているのは誤字であって「チビ官僚」ではない(誤字は誤字として認識される限り「本当はどう書きたかったのか」が対象に理解されている)。これが理解できないのは結局<u>Apeman氏が自分と異なる他者の存在を想定することができず、従ってそのような人々に訴求する営みとしての政治を理解できないことの現われ</u>である。</p>

<p>第二に、前エントリで私が主に批判したのは(たとえば「チビ官僚」のごとき)<strong>表現の形式</strong>であり、内容としてのエコロジー批判には一定の正当性があり得るかもしれないことを十分に認めている。しかしApeman氏が右翼のレベルが低いことの例として挙げた一つ目は確かに誤字という形式面の問題だが、二つ目は形式としてはむしろ一般人への訴求のためにがんばってみましたという例であって(それが十分に成功しているかは疑問だがまあ「無防備マン」よりはましに見える)、レベルが低いのは表現の内容だろう。これが私への批判として機能し得ると考えるあたりに、<u>Apeman氏が表現の内容(ベタ)と形式(メタ)を区別できないことが示されている</u>。</p>

<p>以上のまとめ。</p>

<ul>
	<li>Apeman氏にはメタレベルの言説とベタのものの違いが理解できない。</li>
	<li>Apeman氏には自己と他者の違いを認識する能力がない。</li>
</ul>

<p>つまりあれだけ言われても<strong>一歩も前に進めませんでした</strong>というのが、本件の結論であると評価して良かろうと思う。<br />
</p>]]>
        <![CDATA[<p>なおついでに三点ほど軽い補足をしておく。</p>

<p>第一。Apeman氏としては私が稲田朋美氏や『靖国』を問題にしたがっている人々に同情的な歴史修正主義者だとどうしても主張したいようなのだが、その根拠というのはつまり私が彼らに対する明示的な批判をしていない・そのことが彼らに有利に機能しているということに尽きるようである。まあ端的に事実に反していて『靖国』については批判派をむしろ批判した記憶があるがその点は措くとして、すると私はベンガルの人食い虎の恐怖やグリーンピースの反捕鯨「捜査活動」の法的性格やチェチェン紛争を抑圧するロシア軍の問題性やミャンマー軍事政権による人権抑圧についてここで書いたことはないので歴史修正主義者であると同時に人食い虎や環境保護運動やロシア軍や中国政府によるミャンマー軍政支援を支持しているという<strong>かなり支離滅裂なパーソナリティの持ち主</strong>だということになるような気がするが、そういうことを主張されているのであろうか。おそらくよりシンプルで現実性の高い仮説は私の周囲に人食い虎とかグリーンピースの活動家とかがいないのでそれらについて書く機会が特にはなかったということだと思うのだが。</p>

<p>私が観念右翼や歴史修正主義について(あまり)書かないというのも<strong>ああ大学にはそういう人いないからね</strong>という話ではないかと思う。■●は(書いたとおり)<strong>現実にいる</strong>わけだし、前に歴史ロマンがどうこういうああまあ極右だねえサークルの張り紙を見たときは言及したはずである。まあ他者の他者としての存在を理解できないApeman氏には私の周囲の生活環境とか知的水準とかを想像することも困難だろうと思うのだが、一般的にインテリには左翼が多いという傾向が反映しているだけだという推定の方が有力ではあるまいかと、当事者としては思うところである。なお例のうち最後のものについては確かに意図的に沈黙しているので(というのは別のどこかでは書いていることにも現れているのだが)<strong>おまえは中共のケツをなめている</strong>とは言われてもやむを得ない。私は単に、それでもなさなければならないことがあると自分では信じているというだけのことである。</p>

<p>第二。なんかジェンダーフリー反対派の稲田先生が「BL系コミック誌編集スタッフ募集」の告知を見たらどうなることかとか書いていていや私はその方のことを存じ上げないのであくまで一般論として言うが<strong>政治・思想運動としてのジェンダーフリーと創作・嗜好としてのボーイズラブを直線的につなげるようなモノイイは死ぬほど恥ずかしいのでやめた方がいいと思う</strong>。というかそういうのは十年以上前に中島梓がJUNE論としてやって批判され尽くしてるから。そもそもJUNEとやおいとボーイズラブの違いわかって書いてるの？　BLは裂けないんだよ？　((C)小島アジコ)</p>

<p>端的に言うとBL好きでもジェンダーフリー運動には関心がないとかむしろ反対であるという人は山のようにいるし、逆にジェンダーフリー活動の観点からBLとかけしからんよねえという人もいる。というかBLだってある種のポルノグラフィなんだから性の商品化を批判するフェミニストなら怒るだろうし、ポルノグラフィの問題点は男性の女性による抑圧なんだからBLはむしろ解放運動として評価するという人もいるだろう。そういう複雑な関係を無視して直結的な反映論を採るというのは<u>「フィギュア萌え族が少女誘拐殺人事件を起こしたに違いない」とか言うのと同じレベル</u>の言説なんだよ。<strong>だせえ</strong>。</p>

<p>第三。ご紹介いただいたリンク先でなんか毎日新聞報道を批判するプラカードの誤字をみんなして嗤っておられて、まあ誤字は恥ずかしいと私も思うので批判すればよろしかろうと思うが<strong>誰一人誤りの内容を正確に指摘できていないというのはどういう二段オチですか</strong>。orz</p>

<p>もう何というか、周囲の人々の知的水準がこうなんだと思うとApeman氏がむしろ気の毒になってきたり、その程度なんだということに気付かない幸せってあるよねと思ってみたりである。まあなんだ、<strong>がんばってくれ</strong>、うん。</p>]]>
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    <title>フォロー特集</title>
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    <published>2008-07-02T14:58:19Z</published>
    <updated>2008-07-02T16:45:02Z</updated>

    <summary>朝起きたらテレビで「モンゴルに非常事態宣言」というニュースをやっていたので電車に...</summary>
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        <name>おおや</name>
        
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        <![CDATA[<p>朝起きたらテレビで<strong>「モンゴルに非常事態宣言」というニュースをやっていたので電車に乗り遅れました</strong>(挨拶)。いや講義には間に合いましたが。幸い日本法教育研究センターの教員については無事が確認されましたが、このニュースにシリアスな利害関係のある人日本にどのくらいいるのかなあ。いまは観光シーズンだから結構いるかな？</p>]]>
        <![CDATA[<p><CENTER>＊＊＊</CENTER></p>

<p>え〜<a href="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000482.html#comment-25234">コメント欄でもお知らせいただいた</a>このニュース......「防衛省宿舎でビラ配り逮捕　邸宅侵入容疑の男」(<a href="http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080701/crm0807011820027-n1.htm">MSN産経ニュース</a>)。「「早急に核武装しよう」などと書いたビラを郵便受けに」入れたそうですが、ええっと、いやいや何ごとかを決めつけるのは早いですよ国防の対米依存と軍事同盟政策をよしとせずに自主防衛の必要性を唱える左翼かもしれないじゃないですか。</p>

<p>まあこの点に関してはですね、仮に警察と右翼団体の癒着なり相互依存関係なりがあったとしてもそれは組織化され「馴致」された右翼団体だけが対象なのでその統制を外れる「はぐれ右翼」はむしろ排除されることになるという可能性はあろうかと思うのでただちに「左翼狙い撃ち」説オワタということにもなるまいとは思いますが、しかし私としてはやはり<strong>右でも左でも馬鹿が捕まるだけなんじゃない？</strong>という気はするところです。</p>

<p>なお<U>右翼と左翼とでは警察との関係が違う</U>という意見を一笑に付そうとは私は思わないけど、ある一つの・かつわりと特殊な右翼団体関係者の証言だけではなくてもう少し広いソースを参照できると信頼性が高まるのではないかなと。一方当事者だけが「共闘関係が成立している」と思いこむなんて戦前の共産党員と労働者の関係のように別に珍しいことでもなかろうと思われるし、<a href="http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq10u02.html#08187">そのことを裏付ける当事者主張</a>もある(ただしまあ、信頼性について言うと「ある」という側とたいして変わらないようにも思われる)。なおその際には<strong>暴力団対策法の前後を分けて検討するとより有益であるか</strong>と思料するところなのでご検討いただきたい。まる。</p>

<p><CENTER>＊＊＊</CENTER></p>

<p>さて先日<a href="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000530.html">「省エネ性能が高くなることに反対する人ってのは左右を問わず多分ほとんどいない」</a>と書いた私であるが、けさがた教養の講義のために講義棟に出かける途中で某学部自治会(■●)のタテカンを発見。え〜エコロジー論議で問題の本質を隠蔽しようとする洞爺湖サミットを糾弾するために環境問題否定論者の人を呼んで講演会するそうです。<strong>そうかあ、そうきたかあ</strong>。</p>

<p>念のために言うと環境問題に関連して一般的になされる主張のすべてが正しいかどうか私には確信がなく、そのあたり盲信するのではなくて科学的な検討が必要であるなあとは思っているわけだが、それといわゆるエコロジーを全面的に否定することや政治的な陰謀説に結びつけることはまったく違うだろうという話である。まともなエコロジー批判者であればなおのこと、自分の主張が政治的トンデモ論者に利用されないように注意する必要があるだろうにな、とは思ったことであった。</p>

<p>で、彼らが学費値上げ反対問題について学生自治会(多数派)を批判しているビラが掲示板に貼ってあったので思わず読みふけってしまったのだが、<strong>ねえこれ誰に向けて書いてるの？</strong>　とにかく相手をこき下ろす表現から糾弾の文句から相当の予備知識がないと理解不能で、まあ「スターリニスト」という表現で日本共産党を指すのはまだ了解可能かなあとおもうのだが「チビ官僚ども」がその指導を受けている(と彼らが信じているところの)主流派自治会に対する揶揄表現だとかさあ、そもそも「日共＝官僚主義」という(彼らなりの)等式を前提しないと理解不能だし、<strong>ソ連の存在さえリアルな記憶のない今の学部学生たちにわかるはずがない</strong>と思うわけですよ。そんなもんを教養棟の掲示板に貼ってどうする。</p>

<p>まあつまり、学生に読ませようとして貼っているのではないのだろうなあ、彼らが読ませたいのは彼ら自身なのだろうなあとそういうことであって、つまるところカルトそのものだと思うわけですが、「このへんな生きものはまだ日本にいるのです。たぶん」とまあ、そういう話。ところで君ら学籍あるんだろうな本当に。</p>]]>
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