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    <title>おおやにき</title>
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    <updated>2012-01-07T05:16:10Z</updated>
    <subtitle>jus postulandi actionem pro aliis</subtitle>
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    <title>Note</title>
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    <published>2012-12-31T14:30:48Z</published>
    <updated>2012-01-07T05:16:10Z</updated>

    <summary>どうもサインインせずにコメントを書くと、結構な割合でスパム認定されるようです。チ...</summary>
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        <name>おおや</name>
        
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        <![CDATA[<p>どうもサインインせずにコメントを書くと、結構な割合でスパム認定されるようです。チェックして戻すようにしていますが、<strong>私が確認するまでのあいだは表示されないまま放置されることになります</strong>。申し訳ありませんが、そのことを承知してコメントしていただくか、サインインするようにお願いします。<br />
</p>]]>
        
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    <title>閉鎖中</title>
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    <published>2012-05-15T14:18:35Z</published>
    <updated>2012-05-15T14:23:38Z</updated>

    <summary>やはり今年もゴールデンウィークはなく、というか昨年度に獲得した大型経費の執行と今...</summary>
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        <name>おおや</name>
        
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        <![CDATA[<p>やはり今年もゴールデンウィークはなく、というか<strong>昨年度に獲得した大型経費の執行と今年度の応募の両方を同時期に同一人物にやらせるのはどうなんだ</strong>と思ったのだが出勤して打ち合わせと会議の3件連続を処理したら夜とかいう生活を続けていてますます自分が何なのかわからない。そういう次第で原稿面の不義理を続けているので閉鎖モードに入ってはいるのだが、余計なことの説明をちょっと一つしておきたいと思ったので、書く。</p>]]>
        <![CDATA[<center>＊＊＊</center>

<p>まず前提を書くと、私は国立大学法人N大学に所属する教員であり、法人化の際に(公務員法上の)国家公務員の地位は失っている。保険・年金が相変わらず文部科学省共済だったり、刑法上は公務員であったりして中途半端ではあるのだが、少なくとも「国家公務員かくあるべし」という理念なり規定なりが直接に適用される対象ではない。ないはずなのに給料を減らせとかわけのわからない「要請」が東京から来たりしてどっちなのかはっきりしろとか思うわけではあるが、ここでは措く。さてその私に何らかの仕事をさせたい外部の方がいたとすると、その方法は大きく二種類ある。</p>

<p>第一は<strong>N大学に依頼する方法</strong>で、それを受けてもいいと大学が考えれば私に職務命令が出されてその仕事をすることになるだろう。この場合、それは「大学の仕事」なので費やした時間は大学に対する労働時間としてカウントされ(実際には裁量労働制なのであまり関係ないが措く)、逆にその仕事から生じる報酬があったとしてもそれは大学に入ることになる(大学が「無償でいいから引き受ける」と決めることもあるだろう)。仕事の内容・進め方についてもあくまで大学が決めて私に命令するのであり、まあ労働法上適法なものであるかぎり私はその命令に従わなくてはならない。</p>

<p>例としては助成事業の成果報告会を開催するのでプロジェクトの名代を来させて報告しなさいと文科省からN大学が言われるようなケースがあり、じゃあお前行ってこいと大学が私に命令すると勤め人であるので行かざるを得ず、その際の報告・発言内容もその立場による制限や大学からの指示を守る必要があるということになる。もちろん出張に関する経費と手当は大学から支給されるが、それ以外の報酬のようなものはない。</p>

<p>第二は<strong>私個人に依頼する方法</strong>で、私は大学の職務外でその仕事を行なうことになる。職務外なので勤務時間外に行なうか・休暇を取得するかしなくてはならないが、報酬についても大学とは無関係に私個人が受け取ることになるし、<strong>職務上の立場や大学の意見による制約は受けない</strong>。もちろん、報酬を受ける場合には(大学から見れば)「兼業」ということになるので基本的には服務規程で禁止されており、事前に許可を受ける必要が出てくるが、詳細は組織ごとに違う可能性があるもののN大学の場合1日だけで終わる兼業(単発の講演とかな)については届出だけで済み、複数回あるいは定期的な兼業についても教育目的のもの(他大学の非常勤講師とか)や公益性の高いもの・研究成果の社会還元という性質の強いもの(官庁の審議会・研究会の委員とか)については度が過ぎていて本業の遂行に支障があるようなものでない限り容易に認められている。</p>

<p>昨年度後半に総務省関係の研究会委員を引き受けていたのはこれで、大学からは勤務時間外に行なう兼業としての許可を得ていた。勤務外なので開催地に向かう旅費なども大学から支給されるのではなく、依頼者である総務省からもらうことになる。</p>

<center>＊＊＊</center>

<p>さてこれを踏まえて。ポイントは、独立行政法人たる研究所に所属する人が「職務でそのような場に呼ばれたり、コメントを求められた場合は、専門外のことを話すことは許されていません」と述べるとすれば<strong>それは第一の場合にのみ当てはまること</strong>なので、それ以外の部分にわたる自由な意見交換とかがしたければ第二のパターンで呼べばよいという点にある。適切な場所・機会を設定し、知見・意見を披露してもらうことを本来の職務以外の仕事として依頼すればよろしい。もちろんそれを引き受けるためには兼業許可が必要になるだろうし、休暇ないし勤務時間外のプライベートな時間を費やすことになるのだからその代償としての報酬や、旅費などの必要経費はお支払いするべきだろう。しかし、そのような準備ができればという条件付きではあれ、それは可能である。もちろん依頼された側で「やりたくない」と思って断る可能性はあるし、そうするのも自由だが、それはあくまで<strong>「できるけどやらない」のであり、「できない」のとは違う</strong>。</p>

<p><DIV class="note">なお産業技術総合研究所のウェブサイトにある<a href="http://unit.aist.go.jp/hrd/ci/kengyo/kengyo.html">「職員の兼業の取り扱いについて」</a>というページを見ればわかる通り同組織においてもN大学と同じく二つの仕事の仕方が認められており(当たり前で元々は同じ政府の規制なのである)、うち一般兼業については「研究所の成果普及等に資するもの」であり「必要な知見を有する」場合に認められることになっているが(同研究所兼業等規程15条、ただし他にも職務遂行に支障が生じないことなどの要件があるので詳細は規程自体を参照されたい)、報酬を得ない場合には手続きを要しない(同研究所兼業等規程13条但書)。</DIV></p>

<p>あるいは、職務内容に関する指示はあくまで所属機関の意思決定によりなされるものであるので、所属機関を説得して<strong>従来とは違う職務命令を下してもらい、第一のパターンで処理することも十分可能</strong>である。仮にご本人はやりたいのに従来の職務命令が禁止しているようなケースであればそうするのはご本人にも喜ばしいことであろうし、やりたくないのだとしても労働法上許される範囲であれば別段問題はない。本人は嫌がっているが社長を口説いて出向命令出させちゃうとか、民間企業でもありそうな話である。</p>

<p>逆に言うと、広い範囲での意見交換がしたいという相手に対して引用部分のように応答することは、(その根拠となる職務命令等が実在しているのであれば)<strong>第一のパターンでは正しいので「虚偽」ではないが、第二のパターンがあり得ることに触れていないので「不十分」</strong>であり、それによりそれが不可能だという印象を相手ないし聴衆に与えることを意図していたのであれば<strong>「不誠実」</strong>だということになろう。</p>

<p>念のために言えば、対立の契機となった問題それ自体に対して私は十分な知識がないので論評を差し控えるが、「図書館の自由」については重要な理念だと考えているし、確かに部分社会のものではあるが公序良俗に反しない限り部分社会固有の理念は尊重すべきではなかったろうかと思っているし、いろいろなセクターの情報が結合されることがそれぞれの和を超えた新たな問題を引き起こしかねないことについては著書でも指摘している(かといって何でも情報収集だの結合だのを否定してもどうにもならんだろうとも書いているのではあるが)。しかしまあそれとは別の話として高木浩光氏が「門外漢のことを自分の言葉でつぶやいた例もあまりないはずです。ブログでは門外漢のことはほぼ書いていないはず。」と書いているのは爆笑もので、岡崎市立中央図書館事件の際には<strong>専門でもなければまともに勉強もしていなければ理解もしていない刑法解釈の問題についてあれだけ書き散らしたじゃねえか</strong>とは思うわけである(<a href="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000738.html">なお参考</a>)。その後に<a href="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000760.html">拙劣な隠蔽工作までして自己弁護を図ったこと</a>も含めて考えると上記の問題についても<strong>ああまた不誠実なことしてやがんなあ</strong>と思うわけではあるが、もちろん一方当事者を不誠実であると評価することは他方当事者を誠実とか有能とか正当とか言うことを含意しないのでそのようにな。何のことかわからない人は<a href="http://togetter.com/li/300338">このあたり</a>を参照されたい。</p>

<center>＊＊＊</center>

<p>というわけで、今回のやり取りを見る限りではもちろんこういう絡まれ方をするのも大変だなと思うわけであるが、高木浩光氏ご自身が<a href="http://twitter.com/HiromitsuTakagi/statuses/26197951839">「誤解を予測しながら防止すべく話を構成するのがプロであるし、誤解が出ているならば、個々の誤解に対して直接打ち消す言論をすればいいだけの話」</a>と主張しておられたので、ぜひとも新世紀の言論態度を実践して健闘されることをお祈りしておきたい。どっとはらい。<br />
</p>]]>
    </content>
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    <title>書評一本</title>
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    <published>2012-04-21T14:15:40Z</published>
    <updated>2012-05-15T14:17:34Z</updated>

    <summary>というわけで書評を一本書き終わりました。「変わる時代の、変わらない歌」で、詳細は...</summary>
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        <name>おおや</name>
        
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        <![CDATA[<p>というわけで書評を一本書き終わりました。「変わる時代の、変わらない歌」で、詳細はいつものように掲載されてから。しかし無事に掲載されるかな、これ。自分でも疑わしい。</p>

<p>ダウンロード犯罪化問題についてごく簡単な記述に留めたのはこの原稿以外にも研究会報告だの論文だのの債務を抱えているにもかかわらず、二週間くらい前からひどい喉風邪をひいて難渋しているからです。医者にも見てもらって一週間くらいは療養を重視していたのですが、その期間内にも<u>講義一日三コマのあと打ち合わせに2時間かかる事件</u>とか<u>地下会議室に拘束されて一日中報告書を修正させられる事件</u>とか<strong>「霞が関に書類持っていくから最新版に更新しておけ、あ、明日中な」事件</strong>とかがあり、<strong>治るかこんな勤務状況で</strong>。なお今年も連休はない模様です。(5/15公開)<br />
</p>]]>
        
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    <title>ダウンロード犯罪化の経過について</title>
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    <published>2012-04-19T14:50:09Z</published>
    <updated>2012-04-19T15:28:52Z</updated>

    <summary>著作権法を改正して音楽・動画の違法ダウンロードに刑事罰を導入しようという案件につ...</summary>
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        <name>おおや</name>
        
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        <![CDATA[<p>著作権法を改正して音楽・動画の違法ダウンロードに刑事罰を導入しようという案件について。すでに2010年から違法行為との位置付けはされていたが、その際には見送られた犯罪化をしようという動きがあり、4月13日の自民党文部科学部会で改正案が了承され(<a href="http://ichita.blog.so-net.ne.jp/2012-04-13-1">山本一太議員のブログ</a>)、政府・民主党も「著作権者の許諾なしにインターネットのサイトから音楽や動画を違法ダウンロードする行為に罰則を科す方針を固めた」との報道である(<a href="http://www.47news.jp/CN/201204/CN2012041301001810.html">47news</a>)。</p>

<p>ここで書きたいのは<strong>これがどういう経過を示しているのかということ</strong>で、というのは「しかも今回、途中までは議員立法でやるという話だったものが、突然どさくさにまぎれて閣法に盛り込まれた。立法プロセスとしても相当タチ悪いよこれ。関係者呼んでヒアリングさせて「十分議論して進めますので」と宣言してから１カ月も経ってないのにこんな手段で通そうとする。ふざけんなよって話。」(twitterにおける津田大介氏発言、cf. <a href="http://togetter.com/li/287668">togetter</a>)のように<strong>わけのわからないことを書いている人がいる</strong>からである。なおあくまで立法プロセスに関する話で、内容およびそれに対する評価の問題ではない。<br />
</p>]]>
        <![CDATA[<p>(1) 衆議院に提出された著作権法改正案については、衆議院のウェブサイトにある<a href="http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_gian.htm">「議案」のコーナー</a>で確認することができる。180国会に提出された閣法(内閣提出法案)64番「著作権法の一部を改正する法律案」で、3月9日に衆議院が受理し、現在審議中である。<a href="http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_gianrireki.htm">「法律案等審査経過概要」</a>には出てこないので、審議は実質的にほぼ進んでいないことがわかる。</p>

<p>衆議院に提出された内閣提出法案自体の内容についても、<a href="http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g18005064.htm">そこで確認することができる</a>。見ると分かる通り主な内容はいわゆる日本版(がっかり)フェアユースの導入で、<strong>ダウンロード犯罪化は含まれていない</strong>。</p>

<p>(2) では今回の話は何かというと、この(犯罪化の含まれない)内閣提出法案について<strong>自民党・公明党が修正案を提出する方針を決めた</strong>ということと、<strong>民主党</strong>(およびその執行部を含む内閣)<strong>がそれに賛成する方針を決めた</strong>ということである(この点、47newsは正確である)。なお問題の修正案は現時点で衆議院の「議案」コーナーに掲載されていないので、まだ提出されていないものと推測される。</p>

<p>(3) ポイントは<strong>修正案を出すのは誰か</strong>という話で、それは当然ながら<strong>国会議員</strong>である(今回は自民・公明)。他方、関係者を呼んだりヒアリングをしたり「十分議論して進めますので」と宣言したりしたのは誰かといえば、おそらく政府の中の人である。両者は概念的に同一ではないし、今回は事実としても同じでないだろう。津田氏は「ふざけんなよ」とかお怒りであるが、そもそも野党議員の行動を政府が統制できるわけはないので、政府の中の人が嘘をついたわけでも津田氏を裏切ったわけでもない。じゃあその改正案を容認することを決めた「政府」はどうなんだと聞かれるかもしれないが、内閣提出法案の内容を作っていく「政府」が所管官庁から内閣法制局に至る官僚であるのに対し(従って法案としての筋の良さや合憲性はおおいに気にするが政治的実現可能性や世論へのインパクトは二義的な評価になる)、今回出てきた「政府」は国会運営を乗り切りたい与党・民主党の政治家である。やはりここでも<strong>同じ人があちらとこちらで別のことを言っているわけではない</strong>。官僚がこう言ったんだから政府全体もそう動くべきだというのは、まあ信じるのは自由だし同情しないでもないが<strong>そもそも民主党政権というのは政治主導を掲げて官僚の政策決定過程からの排除を狙っていたのであってね</strong>、とは言いたくなるところである。</p>

<p>(4) そもそも衆法・参法(議員提出法案)か閣法かというのは<strong>その法案を誰が提出したのかというマークに過ぎず</strong>、議員提出には一定の賛同者が必要であるという制約こそあるものの、<strong>提出された法案の法的な位置付けが違うわけではない</strong>。議員提出法案であれ内閣提出法案であれ、それに対する修正案は委員会審議の際に委員＝議員から提出されるものであり、原案が衆法なり閣法なりに分類されているから修正案もそれに合わせて並べられているだけで、<strong>議員から提出された議案である点では同一</strong>である。</p>

<p>(5) 今回の件も閣法に対する議員からの修正案として(おそらく)盛り込まれるということになる。それは、第一に今国会で衆議院が審議に入っている<strong>内閣提出法案104件のうち10件に同様の修正案が入っていることを見れば異常でも何でもない</strong>し、第二に内閣＝行政権とは独立に国会が立法権を行使するという<strong>議会制民主政の原則からはむしろ当然の事態</strong>であるし、第三にたまたま同じ法律に関する内閣提出の改正法案があったから修正案として盛り込むことになったがなければ独立の著作権法改正案として提出すればいいだけのことであり、自民・公明の議員数から提出が可能なのは自明なので、効果においてなにか特別のことがあるわけでもない。あえて言えばバラバラに修正法案が二件可決されるよりマージされて一件になったほうが改正経過などを記載する際に簡便だという程度のことである。</p>

<p>というわけで、<strong>内容についてはともかく今回の改正方法について怒っている人が何を怒っているのかわかりません</strong>という話であった。なお内容について個人的には<strong>「誰得」</strong>の一語であって、そもそも違法化の際に(1) 処罰範囲の不当な拡大を避けるためには「違法であるという認識」を要求せざるを得ないが、(2) その立証は相当困難なので結局実効性は見込めないよねえという議論があったところ、<strong>犯罪化してもその状況が何ら変わるわけではない</strong>というか民事の損害賠償請求より高い立証水準を要求されるので<strong>無理</strong>という感じがする。警察が喜ぶのではと言う人もいるが本当にそうだったら内閣提出法案でまとめているというか、そんなに警察も暇じゃねえよもっと法益侵害の重大な犯罪類型いくらでもあるんだからというか、とにかく立証の手間と成功確率を考えると<strong>非常にスジが悪いのに「被害者」から捜査を急き立てられて涙目</strong>という展開が予想されて同情に耐えない。逆に言うとこれ導入したからどうこうなるものでもないというか、権利者団体はどうにかしたいと思って運動したんだろうけど<strong>民事違法化が活用できてないんだから同じ展開だよね</strong>と予想され、先ほど書いた通り「誰得」でくだらない話だなあと思う一方血相変えて騒ぐことでもねえと思うわけである。なお犯罪化が実現した場合、別の案件で目を付けている相手にガサを入れたら何やら出てきましたというようなケースではもちろん警察がさまざまな活用方法をお考えになると思うので、その対象になる心当たりのある人などは十分に警戒したほうが良いという点について否定するつもりはない。<br />
</p>]]>
    </content>
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    <title>背景</title>
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    <published>2012-04-03T09:22:10Z</published>
    <updated>2012-04-03T09:24:23Z</updated>

    <summary>ちょっと気になったので「米の大学で銃乱射、７人死亡　容疑の４３歳男を拘束」(as...</summary>
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        <name>おおや</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/">
        <![CDATA[<p>ちょっと気になったので「米の大学で銃乱射、７人死亡　容疑の４３歳男を拘束」(<a href="http://www.asahi.com/international/update/0403/TKY201204030133.html">asahi.com</a>)という事件について。</p>]]>
        <![CDATA[<p>よく読むと結構事実関係は正確に書かれているのだが、<br />
<ul><br />
	<li>容疑者は韓国系。</li><br />
	<li>事件の起きたOikos University(<a href="http://www.oikosuniversity.org/">公式ウェブサイト</a>)は2004年設立とのことだが、<strong>全国規模・地域規模いずれの認証機関からもアクレディテーションを受けていない</strong>(なのでウェブサイトが.eduではなく.orgになっている)。学生数は100名以下。</li><br />
	<li>学位課程としてはCalifornia Bureau of Private Postsecondary Education (カリフォルニア州私立高等教育局)から認証されており、看護課程についてはBoard of Vocational Nursing and Psychiatric Technicians (カリフォルニア州職業看護・精神医学技術者委員会)の認証を受けている。逆に言うと、<strong>州を超えたレベルでは認証されていない</strong>。</li><br />
	<li>理事長はYoungkyo Choi氏、学長はJongin Kim氏。設立母体はthe Praise God Korean Presbyterian Church in Oakland (オークランド「神を讃えよ」韓国長老派教会)。</li><br />
</ul><br />
というわけで、アメリカの銃社会が云々というよりは<strong>アメリカにおける韓国系コミュニティが云々という事件</strong>だと理解して良いように思われる(もちろん銃規制の問題と無縁ではないが)。</p>

<p>少し補足すると、アメリカには日本のような大学の公的な設立認可制度がない。大学を名乗る場合であっても各州で消費者問題を管轄している機関に申請し、一定の条件を満たせば自由に設立することができる。一方、それが「まともな」大学と認められるためには民間の認証機関により評価され、アクレディテーションと呼ばれる認証を受ける必要がある。たとえばLaw Schoolを名乗るものを設立するのは勝手だが、ABA (アメリカ弁護士会連合)の認証を受けないと修了しても弁護士試験の受験資格が認められないとか、連邦教育省と高等教育認証評議会から認められた認証機関のアクレディテーションを受けた大学の単位でないと他の大学で単位互換や編入が認められないとか、そういうシステム。</p>

<p>Oikos Universityについては、州レベルの設立認証は受けているし、留学ビザも取得できるようなので詐欺とか完全なディプロマ・ミルというわけではない。他方、<strong>まともなアクレディテーションを受けていない以上それは「大学モドキ」</strong>であり、設立の背景を見ればアメリカの韓国系コミュニティが・その内部の人間と韓国からの留学生を当て込んで作った専門学校の如きものと見るのが正しいように思われる。</p>

<p>従ってそこで起きたできごとについても、そのような背景を越えてアメリカの大学あるいはアメリカ社会一般の問題と見るわけにはいかないよなという話なのであった。<br />
</p>]]>
    </content>
</entry>

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    <title>暴力とナショナリズム</title>
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    <published>2012-03-17T09:20:22Z</published>
    <updated>2012-04-03T09:21:07Z</updated>

    <summary>というわけで帰国早々ですが小さいシンポジウムでパネリストやってきました。「徹底討...</summary>
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        <name>おおや</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/">
        <![CDATA[<p>というわけで帰国早々ですが小さいシンポジウムでパネリストやってきました。「徹底討論　「暴力とナショナリズム──国家・暴力・自由」第2回」(ばいぶん社)ということで、パネルは宮崎学氏・萱野稔人氏と私であります。いや自分でもわりと酔狂な人生を送っているような気はするわけですが、お仕事の依頼は基本的に断らない方針にしているのです。</p>

<p>内容的にはいろいろなことをお話ししたのですが、特に刑事政策に関する対抗関係の不在と、自己決定・自己責任という論理抜きに・当事者以外の立場からの感情的な介入が増えていることを指摘しました。後者への危機感というのはパネリストに共通するものだったのではないでしょうかな。基本的な構図としても、国家に支配への欲望があってそれに迎合してしまう市民がいるというものよりは、むしろ市民の側に安全・安心確保への強い欲望があって、むしろ国家が自己の利害を超えてそれに引きずり回されている側面が強いのではないかと、そう思っているわけです。<br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>帰国しました。</title>
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    <published>2012-03-12T09:18:16Z</published>
    <updated>2012-04-03T09:19:05Z</updated>

    <summary>わかったこと：おれヒガシマルのうどんスープあれば大丈夫だわ(挨拶)。 いや元々コ...</summary>
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        <name>おおや</name>
        
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        <category term="移動記" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/">
        <![CDATA[<p>わかったこと：<strong>おれヒガシマルのうどんスープあれば大丈夫だわ</strong>(挨拶)。</p>

<p>いや元々コメの飯に対する強迫観念はあまりなく、食べたくなれば中華デリのチャーハン(たいへんパラパラでうまい)とかで十分なのですが、野菜を一定レベル以上で摂取しないと健康上の問題をきたすことがアメリカ滞在などからもわかっており、しかしサラダを毎日バリバリ食べているのも気が利かないというかいい加減飽きるので醤油とだしの素を持参したりしているのですが、煮物がちょいと食べたい程度であればうどんスープを薄めて・セインズベリで売ってる袋入りのほうれん草を煮れば十分美味しくいただけるということを自覚しました。</p>

<p>粉末なので持っていくのも楽だし、みんな使うとよいよ。ヒガシマル(ステマ)。<br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>自動販売機</title>
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    <published>2012-03-06T18:18:31Z</published>
    <updated>2012-03-06T18:27:22Z</updated>

    <summary>ところで私は留学生教育において「日本に自動販売機が多いのはなぜか」という問題をよ...</summary>
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        <name>おおや</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/">
        <![CDATA[<p>ところで私は留学生教育において「日本に自動販売機が多いのはなぜか」という問題をよく使う。テーマとの関係で想定している回答は「治安が良いから」というものであり、別回答として「労働者の賃金が高いから」というものもあるのだが、第三の回答の可能性について体験してきたのでそのことについて書く。</p>]]>
        <![CDATA[<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="NEC_0012.png" src="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/images/NEC_0012.png" width="240" height="320" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="NEC_0011.png" src="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/images/NEC_0011.png" width="240" height="160" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p><br />
上はロンドン大学の某建物に設置されている飲み物の自動販売機で、商品を選ぶとアルミのパックに自動的に内容が充填されて出てくるという仕組になっている。できあがりは下写真のようになり、飲み終わればくるくると丸めて捨てられるようになって便利である。どの商品が売り切れなのかわかりにくいとか、「返却」ボタンが機能しないので一旦コインを入れたが最後何か買わないといけなくなるとか(それで写真にあるような甘々のフルーツジュースを飲む破目に陥ったのだが)、いちいちボトルに充填するので結構な時間がかかるとか、最後にそれなりの高さから取り出し口までドコンと音を立てて落ちてくるとか、<strong>ちょっと漏れている</strong>とかいろいろ問題点はあるが、ささいなことである。</p>

<p>というのはさらに左(写真外)にあるドリンクの自動販売機と比べての話で、上写真左のものと同じくお金を入れて番号を押すと並んでいるペットボトルとか缶とかが落ちてくるという仕組みのものであるが、</p>

<p><DIV class="quote">(1) まず2ポンド10ペンス投入して商品を選んだら「釣り銭切れです」と主張して返金してきたのはいいとして戻ってきたのが20ペンス硬貨7枚で<strong>1ポンド40しかない</strong>。<BR>(2) 仕方がないのできっちり商品代金の95ペンスをいれてボタンを押したところ、商品が落ちてこない。<BR>(3) ボタンを押す→なんか商品押さえがちょっと動く→落ちてこない を3回繰り返したところで「あ〜なんかもう動かないので返金します」とか言い出す。<BR> (4) <strong>85ペンスしか戻ってこない</strong>。</DIV></p>

<p><strong>なんだこりゃタコ食いの木か</strong>。もちろんどちらがタマゴでニワトリかという問題もあるわけだが、要するに信頼性のある自動販売機が作れないというのが第三の可能性なのであった。どっとはらい。<br />
</p>]]>
    </content>
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    <title>この新書がひどい。(後)</title>
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    <published>2012-03-05T00:54:12Z</published>
    <updated>2012-03-05T00:58:00Z</updated>

    <summary>まあしかし前エントリの展開を見ていやしかし内容は素晴らしいですとはならんだろうと...</summary>
    <author>
        <name>おおや</name>
        
    </author>
    
        <category term="読書" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/">
        <![CDATA[<p>まあしかし前エントリの展開を見て<strong>いやしかし内容は素晴らしいですとはならんだろう</strong>と予測した方も多いであろうところ<strong>その通りです</strong>(挨拶)。というか基礎知識に不安があるのに高い水準の議論がまともに展開できるわけはねえのであってと思うところ、しかしあらためて言うと企画意図はよく理解できるし、狙いはいいなと思うのですよ。だから買ったわけでね。</p>]]>
        <![CDATA[<p>というのは<strong>何故「ヒトラーの側近たち」に焦点を当てるのか</strong>という問題で、著者自身がこういう言葉で表現しているわけではないが私なりに再記述すると、つまり「自分は選ばれた」的な全能感を持っちゃったりユダヤ陰謀論みたいなものに取り憑かれる人間というのはおそらく一定の確率で社会のなかに発生するところ、問題はそういう人間が一国の指導者として選ばれてしまったところにある。周囲にいるのが自立した・まともな・知的な市民ばかりであればおそらくはそういう人間の主張も一顧だにされないはずで、ナチス問題というのは<strong>選ばれたヒトラー個人の性格や能力よりも彼を選び・支えた社会や周囲の人々の性質から生じたと考えるべき</strong>だということになる。</p>

<p>著者はこの視点を、ヒトラー的政治家が選択されているかにも見える日本社会との共通性を探るためにも重要と位置付けており、その現状認識に同意するかはともかくとして十分に理解することはできる。ではヒトラーを支えた「側近たち」はどのような性格・性質・背景などを共有しており、ナチス政権の特徴とどのように結び付いていると著者は主張するのかなあと思って読み進むと、ところがこの問題が一向に出てこずに、政治家ヒトラーの誕生から滅亡に至る過程で順次登場してきた周囲の人々に関する紹介(と往々にして単純かつ場当たり的な分析)がだらだらと続くだけ。結局「こういう悪いやつらがヒトラーを支えたんだね、ところでいまの日本も同じだと思うんだけど、そうなってはいけないよ」というお説教で終わる。<strong>おい</strong>。</p>

<p>結局<strong>著者自身が自分が書くべきだったことをまったく理解していない</strong>というのが本質的な問題で、というのは狙いがきちんと決まっていたのなら<strong>エヴァ・ブラウンいらんやろ</strong>。もちろん彼女がヒトラーのごく近しいところにいた人物なのは確かだが、著者自身が書いている通り公的な場面からは基本的に疎外されていたわけで、両者の関係は政治家ヒトラーとは基本的に無縁である。あえて言えば彼女が選び・支えたのは家庭を顧みない身勝手な男ヒトラーであり、しかしそんな男もそれを支えてしまう女性も古今東西そこら中にいるわけであってナチスの特異性の解明にまったく役立たない。</p>

<p>女性との関係にしても、初期のスポンサーであったヘルミーネ・ホフマンやエルザ・ブリュックマンなどについて述べる際には「まじめなヒトラーは未亡人ホフマンにきちんと感謝する礼を忘れなかった」[24-25]とか「口数の少ない、控え目で礼儀正しいヒトラー」[26]と書く一方、エヴァ・ブラウンとの関係では「自己中心的で独善、人間的配慮に欠けていた彼は、平気でエヴァを冷遇し、無視してしまった」[99]と書いてあって統一性も整合性もない。先程「場当たり的な分析」と書いたのはこれで、<strong>いろいろな局面で書かれたヒトラー像がまったく焦点を結ばない</strong>。オモテでは丁重だがウラではひどいみたいな話にしたいのかと思うと、そもそも近い領域でヒトラーに接していた女性である秘書たちにはほぼ言及されておらず、前述の通りヒトラーの死までを見ているユンゲの回想録にはまったく触れていない。正直それをもとに映画で描かれた、私的な側面では極めて紳士的だが公的な面では厳格であり、その相克に苦しむというヒトラー像のほうがよほどまっとうだよなと思うわけである。</p>

<p>「彼らはどこで誤ったのか」と題された本書の最後の部分で述べられていることも、要するに不満な若者がいて、個人崇拝がエスカレートして、暴走が止められませんでしたという内容なのだが「ヒトラーの手先となってしまった側近たちは、その問題の中心的存在なのである」[227]というのは研究の出発点であってプロローグで述べるべきことであろうし、「以下にしてこのようなグループの一団《引用者注：頭が頭痛》が政権を握り、戦争を巻き起こして世界を悲劇と破綻のふちに陥れることになったのであろうか。この問いは、数限りなくされてきたし、永遠の疑問といってよかろう」[219]と書かれるに至っては<strong>カネかえせ</strong>と言いたいわけである。</p>

<p><CENTER>＊＊＊</CENTER></p>

<p>最後にドイツから見た日本社会への教訓みたいなものが述べてある部分は3ページのあとがきであってあげつらうのもどうかという気はするが、しかし著者が「日本の政治行政の遅れと停滞」[229]をドイツと比較して嘆くところ、その証拠として挙げられているのは「近年ドイツは消費税を15から19%に引き上げた」[229]、「反対やいろいろな議論もあったが、政権担当の保守党はさっさと議会を通過させ、税の引き上げを実施した」[229]のに対し、「国家予算の6割を借金でまかなっている日本政府は、消費税引き上げの必要性をすでに数年前から課題としながら、今日に至るまでなんらの決定も、実施もできない」[230]ということである。もちろん増税の必要性や時期をめぐる議論は別にあるとして、しかし<strong>税金が素早く引き上げられたから素晴らしい政治だと主張する奴隷乙</strong>、とは言うべきだろう(さすがヒトラーに唯々諾々と屈服したドイツに感化されただけのことはある、とか言うと洒落がきつすぎて本気で怒られる危険性があるので控えたほうがよい)。</p>

<p>何度も書いていることだが、現在の日本政治における「決定力不足」の主原因は<strong>制度的欠陥</strong>であり、政治家の資質の問題ではない(その問題がないと主張する気はない)。良くない制度の内部で、しかし政治家たちが合理的に振る舞っているから問題が起きるので、逆に彼らの頭が悪ければ問題はかなり小さくなるだろう。ここにも示されているように著者は政治についてろくに理解していないのであり、そんな人物に「「現状維持」しかできず、「保身、天下り」のことしか考えないキャリア官僚が日本の行政を握っている限り、日本の停滞は根本的に解決されないであろう」[230]などと御託宣をたれられても、いやもちろん現在の日本はさまざまに問題を抱えているのではあるが、しかし外国人労働力を安易に導入・依存した結果として社会の分断が深刻化した結果貧困若年層が極右運動にツッコんだ某国とか、統一通貨を作って自国の実力より弱い為替水準による輸出競争力を享受していたら組んでいた別の国の財政破綻とか粉飾の影響がダイレクトに飛び火してきて炎上寸前の某国とかに比べてそんなに悪いですかねえとは言いたくなるところである。どっとはらい。</p>

<p><CENTER>＊＊＊</CENTER></p>

<p>なお私は本を処分することに相当の罪悪感を覚えるタイプなのだが、本書については真剣にロンドンに捨てていくことを検討している。受託荷物の重量制限という問題があるところ、どう考えてもこの本に紅茶やビスケットと同じレベルの価値はないよなと。<br />
</p>]]>
    </content>
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    <title>この新書がひどい。(前)</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000853.html" />
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    <published>2012-03-04T14:49:07Z</published>
    <updated>2012-03-05T00:53:10Z</updated>

    <summary>名古屋―フランクフルトが半日かかるので読書に耽溺していたのだがせっかく持ってきた...</summary>
    <author>
        <name>おおや</name>
        
    </author>
    
        <category term="読書" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/">
        <![CDATA[<p>名古屋―フランクフルトが半日かかるので読書に耽溺していたのだが<strong>せっかく持ってきた本がひどかったのでその恨みを述べることとする</strong>(挨拶)。というわけで大澤武男『ヒトラーの側近たち』(ちくま新書、2011)について。</p>]]>
        <![CDATA[<p>まず問題なのは<strong>書籍としての品質が低いこと</strong>で、以下のように平仄のあわない文が見開きに1回くらいの勢いで現れる。</p>

<p><DIV class="quote">特に今後将来における戦争は《引用者注：同語反復》、科学、技術兵器による戦争であることを《引用者注：戦争は......戦争であるが同語反復》、第一次世界大戦の体験を通して痛感していたブロムベルクは、科学技術兵器《引用者注：表記不統一》を生かした軍備に多大な感心《引用者注：誤植》を寄せていた。[86]<BR>ナチ党幹部の多くが第一次大戦で命をかけて戦った名誉ある戦場の勇士であったことは、体格や身体のみすぼらしさから《引用者注：同語反復》、徴兵検査にすら合格できず、戦場へ赴くことができなかったゲッベルスにとって、演劇論の研究で得た博士号のタイトル《引用者注：頭が頭痛》と彼の学識、雄弁が唯一の頼みの綱であった。[110-111]<BR>条約締結後、スターリンとモロトフに囲まれて乾杯をしたリッベントロップは、総統ヒトラーにあくまでも忠実な側近として生涯の大役を果した満足感と内からこみ上げる感動と興奮で、彼の身体は小きざみにふるえていた。[119]</DIV></p>

<p>引用した「多大な感心」[86]だけでなく「主事医」[198]のような誤植、「死報」[198]のような日本語ではない表現(「死の知らせ」か「訃報」であろうな)も相当にある。</p>

<p>用語の不統一もあちらこちらで見受けられ、たとえばヒトラーも受けた勲章については「一級鉄十字章」というよく使われている表記と「鉄一級十字章」というのが混在している。著者は長くドイツ滞在を続けていて現在フランクフルト日本人国際学校理事ということであり、<strong>そろそろ日本語の文章を忘れてきているのかもしれない</strong>のだが、これまで同著者の作品を他の新書シリーズなどで数点読んだ限りではここまでひどかった印象がない。あるいは元々はそういうダメ文章を書く人であるところ他の出版社はきちんと直してきたということであれば、筑摩書房の品質管理の問題ということになろう。</p>

<p>個々の事実についてもどこまでわかって書いているのかわからないところが散見される。一例はヒトラー自殺後に大統領職を一時引き継いだ海軍軍人カール・デーニッツを「大元帥」と繰り返し表記しているところで、(1) そもそも「大元帥」というのは全軍のトップに付されることもあるレベルのレアな呼称で、日本の場合には天皇がそう位置付けられていたようなものである。それを海軍のトップに過ぎないデーニッツに使うことには常識的に引っかかりを覚えるよねえと思うところ、(2) 調べれば彼の階級はGroßadmiral (大提督)であって海軍の司令官を意味すること、(3) 陸軍のGeneralfeldmarschall (元帥)と同格であり、ということはReichsmarschall (帝国元帥; ゲーリングのみ)より下位であって「大元帥」とするのは二重にふさわしくないこと、が簡単にわかるはず。</p>

<p>あるいは、特に大戦末期のヒトラーの健康状態が非常に悪かったことを「衰弱により歩行すら不自由になりつつあった」[178]、「老衰化」[194]と説明しているが、これは<strong>パーキンソン病との関連がかなり早い段階で指摘されている</strong>。さらに、しばしば夜に会議を開く昼夜逆転に近い生活についても「自然の光がまったくない地下壕での毎日は、ヒトラーの時間的感覚を狂わせ」[182]たとか、「地下壕で夜と昼を取りちがえて生活するようになっていた」[195]としているが、これは<strong>もっと早い段階からそうだった</strong>ことが知られている。典型的には1944年6月のノルマンディー上陸作戦の際、ヒトラーが寝ていたために作戦会議が昼まで遅れ、迎撃が遅れたことが指摘される(ヒトラーが総統地下壕で生活したのは45年1月から4月末まで)。</p>

<p>人名表記については独善的で、たとえばAlbert Speerを「シュペー」と一貫して書いている。Erwin Rommelを「ロムメル」としていることなどとあわせ、おそらく原音に近い表記を心がけたということなのだとは思うが、現代ドイツ語で語尾のrが完全に消えるかはあやしいと思うし、類書はほぼ「シュペーア」「ロンメル」としていることを考えれば不便で仕方ない。じゃあドイツ語準拠でバリバリやっているのかと思うと、国防軍最高司令部総長という重職にありながらヒトラーに追従してばかりいるヴィルヘルム・カイテルWilhelm Keitelが「ラカイテル」と陰で呼ばれていた話を「カライテル」とか書いてしまっている。これドイツ語の「Lakai」(取り巻き・従僕)との洒落なので、それがわかっていたらあり得ない誤植なんだけど。</p>

<p>レーム以下のSAを粛清した「長いナイフの夜」事件(Nacht der langen Messer)についても「血の粛清事件」という表記を繰り返し用いており、というか「長いナイフの夜」が一切出てこないので戸惑う。このあたり、要するに類書で何がどう論じられてきたかということが踏まえられていないのであろうなあと思って巻末の参考文献リストを見たところ、和書で挙げられている11点のうち7点が新書(うち4点が著者自身の著作)で、3点が文庫。<strong>なんじゃこりゃ</strong>。ドイツ語文献のリスト29点も見たが、たとえばJoachim FestのHitler, Eine Biographieは入っているがSpeer, Eine BiographieもDer Untergangも入っていないとか(「ヒトラーの側近」がテーマのはずなのに)、最後の総統地下壕まで付き合った面子で見るとRochus Misch (通信係)のDer letzte Zeugeは入ってるけどTraudl Junge (秘書)のBis zur letzten Stunde (『ヒトラー：最期の12日間』の種本ね)もErnst-Günther Schenck (軍医)のPatient Hitler. Eine medizinische BiographieやSterben ohne Würdeも、あるいは当のシュペーアのErinnerungen von Albert SpeerやSpandauer Tagebücher、ヒャルマール・シャハトのAbrechnung mit Hitlerや76 Jahre meines Lebensが入っていない。</p>

<p>もちろん読んだ本を全部参考文献リストに並べるものでもなかろうが、しかし前述したようにいくつかの重要なポイントがすっぽり抜けているところを見ると<strong>本当に読んでないんじゃないかという気もしてくる</strong>。いったいなに読んで書いたんだというか、新書読んで新書書くのどうなのかねえというか、そりゃ日本の学術水準とは無関係な著作になるわなと思ったことであった。</p>

<center>＊＊＊</center>

<p>というわけで、まずは<strong>書籍としての品質的な問題でまったくお薦めできない</strong>というのが第一の結論。内容的に関心のある方も、出るかどうかは知らないが問題の修正された新版を待つのがよろしい。しかしてでは内容の水準は、というのが次の話になる。<br />
</p>]]>
    </content>
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    <title>天下り疑惑。</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000852.html" />
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    <published>2012-03-01T11:54:16Z</published>
    <updated>2012-03-01T11:56:07Z</updated>

    <summary>注意：以下は完全に冗談なので、決して本気にして騒いだりしないように。 (1) 2...</summary>
    <author>
        <name>おおや</name>
        
    </author>
    
        <category term="時事" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/">
        <![CDATA[<p><strong>注意：以下は完全に冗談なので、決して本気にして騒いだりしないように。</strong></p>

<p><DIV class="quote">(1) 2月27日に退官した宮川光治・最高裁判所判事が、朝日新聞社「報道と人権」委員会の委員に就任。(<a href="http://www.asahi.com/national/update/0301/TKY201202290889.html">asahi.com</a>)<BR>(2) 同判事が所属していた第一小法廷は、2011年4月にいわゆる「沖縄ノート」訴訟で原告敗訴の判決を出している。被告は著者である大江健三郎氏と、岩波書店。(<a href="http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011042201000491.html">47news</a>)<BR>(3) 宮川判事は2008年9月就任なので、同判決に関与していたことは間違いない。また、サヨク勢力における岩波書店と朝日新聞社の親密な関係、あるいは大江健三郎氏との密接な関係については周知。<BR>(4) 「これは判決の代償としての天下りなんだよ！」「ナ、ナンダッテー!!」</DIV></p>

<p>念のために言っておきますが上記はもちろん<strong>原発関連訴訟に関与しただけの味村治・元最高裁判事が定年退官の4年後に東芝の社外監査役を務めたことを天下りとか騒いだ人々がいたことに対する皮肉</strong>であります(<a href="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000794.html">なお参照</a>)。もちろん実際にはこんなもん天下りでも何でもなく(いやそもそも宮川判事は弁護士出身だしな)、そのとき書いたように<strong>元最高裁判事というのは頼む側として安全パイである</strong>と、そういうことなのですよ。どっとはらい。<br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>続・あるべき姿とその実現(後)</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000851.html" />
    <id>tag:www.axis-cafe.net,2012:/weblog/t-ohya//1.851</id>

    <published>2012-02-29T14:50:56Z</published>
    <updated>2012-02-29T15:55:07Z</updated>

    <summary>どこに泊まっているかと聞かれてパディントンと答えたら「結構離れてないか？」と聞か...</summary>
    <author>
        <name>おおや</name>
        
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        <category term="時事" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/">
        <![CDATA[<p>どこに泊まっているかと聞かれてパディントンと答えたら「結構離れてないか？」と聞かれ、前回はどうだったかと聞かれたので答えたら<strong>「なんでそんなroughなところに」</strong>と呆れられました。<strong>みんなビンボが悪いんや</strong>(挨拶)。あ〜でもそうかextremely rough areaなのか。昨年8月の暴動でも燃えてたし、なんか変だとは思ったんだよな。念のために言うと私自身が身の危険を感じたことはまったくなく、皆さん親切な方ばかりでしたが、まあそのあたりはイギリス社会内部でええとこにおられる方とのんきな東洋人との違いかもしれん。</p>

<p>さて前回の続き。こういう観点から見たとき、特に福祉関係のものごとに時折覚える違和感というのがあるところ、竹端氏の議論にも共通のものが感じ取られた、というのは「感情論」に対置して「現在でも暮らしに多大な制約を受けている人が現に存在している」ことを<strong>現実</strong>と考えておられるところである。しかし「暮らしに制約を受けている人」というのは世の中いくらでもいるわけであって、たとえば年俸3500万円だが代替要員がいないので勤務地を一切離れられない産科医の暮らしも制約されているだろうし、校務に動員されるので在外研究の経費を確保したのに実際には行けないというどこかの某N大学教員の暮らしも制約されているわけだ。当然ながら私は私の生活が自立支援制度の対象になるような障害者の人たちに比較してより制約されているとはこれっぽっちも思っていないが(*)、重要なのは<strong>それは程度問題だ</strong>ということだ。もちろん世界に問題解決のための資源が無限にあるのであれば、優先順位などを考えることなく目についたところから「暮らしに制約を受けている人」を救済していけばいいだろうが、当然ながら現実はそうではない。<br />
</p>]]>
        <![CDATA[<p>消費税を5％上げれば10兆円になるのに対して「国と地方の障害福祉・自立支援医療予算が各々1兆円ずつ「倍増」」しても2兆円だという、まるで<strong>消費増税によって使途の決まっていないお金が湧いて出るかのようなコメント</strong>も別の方からいただいたが、税率を10％にした場合には現行制度・民主党提案の新制度のいずれにせよ年金財源が不足するという試算が出てたんじゃなかったっけ。そこから2兆円引っ張れば年金制度はさらに窮乏するわけで、障害者は助かるが年金生活者から新たな「暮らしに制約を受けている人」を生み出すことになりかねない。税率をさらに上げるという選択肢もあるが、当然ながら税金自体が納税者の生活を圧迫し、「暮らしに制約を受けている人」を新たに作る可能性がある(消費税は逆進性が強いと批判されていることも参照)。</p>

<p>結局<strong>ある人々の待遇を改善しようという提案は他の人々のそれを改悪しようということを含意している</strong>ので、それでもそうする必要がある、改善の優先順位が高いということを証明する必要があるはずだ。それ抜きに<strong>ここに苦しんでいる人がいますとだけ言うことこそ「感情論」に他ならない</strong>。繰り返して言うと、私自身も日本の障害者ケア制度の現状についてはよく知らないながら問題があるとは思っているし、竹端氏が指摘する問題についてもできれば改善すべきだとは一応思っている。だが第一に、すでに医療というケアを提供する必要がほぼなくなっていたのに施設入所を強いられていたハンセン病患者の問題と、継続的なケアを提供する必要があるのでその効率性ということが問題にならざるを得ない障害者の問題を単純に同一視はできない。第二に、これを書くと人非人扱いされるのを覚悟で言えば、そこで供給者の観点からの効率性を犠牲にして享受者の福利とか満足度の向上を達成しても、いやその視点の転換を実現して真に享受者のためになる福祉を考える方が素敵だとは思っているが、<strong>でも日本のGDPがそう増えるわけではないよねえ</strong>。</p>

<p>つまり不況がずっと続いたのに既存の正規雇用を守った結果として若者世代は不正規雇用に追いやられていたり職自体がなかったりするところ、たとえばそういう人々の暮らしをさらに圧迫することによっても障害者の待遇改善を行なうべきなのだろうか。若者世代の雇用を拡大したり技能を養成したりする施策にカネを使うと、いやうまく行けばの話ではあるが経済が膨らんで納税額も増えて障害者に使うための予算も出てくる可能性がある。それに対し、障害者の待遇は改善されたが若者世代が不正規雇用・単純労働のまま行き詰まるとそのうち納税額もギリギリ下がって財政破綻して結局改善されたはずの制度も維持できなくなるおそれがある。それでもなお障害者なのか、と問う人を説得する根拠というのが必要であり、それには「現に苦しんでいる」というだけでは不十分である。</p>

<p>福祉関係の方には、まあ現に非常に苦しんでいる人に直面しているからという事情はあるのだろうが、このあたりの問題をすっとばして<strong>とにかく当該対象領域は極めて優先順位の高いもので救済すべき人を多く抱えているということを前提にしてしまう人</strong>が散見され、しかしそれでは、特に分配のパイが縮小している状況において(つまり財源の行き先に皆がセンシティブになっている状況で)理解のない「正常人」の群れには勝てないんじゃないかなあと思う。<strong>だって結局そっちの方が圧倒的に大多数なんだからさ</strong>。</p>

<p>政治家の自尊心をくすぐるための「メッセージ」とやらではなくて、理想を実現するための制度構想と・その導入が社会的に承認されるための正当化根拠の構築という地道な作業が、障害者が本当は必要としているものではないかと思うわけではあります。</p>

<p><DIV class="note">(*) 一応私にも生得の肉体的な問題の一つや二つはあるのだが、これらは「通常人の身体構造と異なっており一定のケアを必要とする」という障害の医療モデルには該当しているものの「そのために行為可能性に制約が生じている」という社会モデルには(少なくとも今のところ)該当していないので、私はそれに対する特別の処置を社会的に要求しようとは思っていない。わざわざこれを書くのは「結局健常者だから人ごととして傲慢にこんなこと言うんだよね」式の<strong>実はなんの反論にもなっていない批判</strong>にあらかじめある程度対処しておこうという功利的な動機に出る。</DIV><br />
</p>]]>
    </content>
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    <title>続・あるべき姿とその実現(前)</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000850.html" />
    <id>tag:www.axis-cafe.net,2012:/weblog/t-ohya//1.850</id>

    <published>2012-02-28T14:44:02Z</published>
    <updated>2012-02-29T15:50:22Z</updated>

    <summary>ある研究会で、想定していた内容が大きく切り詰められた法改正案が省庁で作られてしま...</summary>
    <author>
        <name>おおや</name>
        
    </author>
    
        <category term="時事" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/">
        <![CDATA[<p>ある研究会で、想定していた内容が大きく切り詰められた法改正案が省庁で作られてしまい、がっかりだがないよりはましなのかなあという話をされたので、<strong>「いやしかしその法案、通常国会を通過しますか？」とか聞いてしまいましたのこと</strong>(挨拶)。なお今回の案件とはまったく関係のない分野の話な。</p>

<p>さて前のエントリで障害者自立支援制度改革の問題を扱った竹端寛氏の論考を扱ったところ、同氏のブログで言及されていた(<a href="http://www.surume.org/2012/02/post-552.html">「悪い冗談であってほしい・・・」</a>)。結論としてはしかし、こちらとしては「誤読」と評価したいところが二点あるほか、当方の言及に対する評価からより大きな問題が明らかになったなあと考えるところであるので、以下に述べたい。<br />
</p>]]>
        <![CDATA[<p>まず「誤読」だと思う第一点は、同氏の言うように私が<strong>竹端氏の主張を「所詮理想論」と評価したわけではない</strong>ということである。エントリ冒頭において私は、「この分野の現実的な問題に関する知見も知識も十分にはなく、従って具体的な制度改正の方向性の次元でどちらに理があるかという点は判断不能である」ということを明確にしている。つまり竹端氏の支持する改革は非現実的だと言ったのではなく、<strong>現実化可能性に関する議論が欠けていること</strong>(かつ端々からその議論が必要だという意識が欠けているように伺われること)<strong>が問題だ</strong>と指摘したつもりなのである。</p>

<p>第二点は、まあこれはどうでもええと思われるかもしれないが「後者の方のように、ドラえもんの空想だ、とまで批判されるのもどうかと思うが」と書かれている点で、つまり<strong>「そらをじゆうにとびたいな」と空想するのはドラえもんではなくのび太くんとかの方である</strong>(作品としての『ドラえもん』だと反論するなら二重カギ括弧が必要である)。そして仮にドラえもんがいればタケコプターを出して実現してくれるので、この希望は実現するだろう。要するにこの時点でそれは<strong>実現可能性を問題にしていない美しい理想だというにとどまり、実現不能な空想だということまでを含意しているのではない</strong>。私は自分がドラえもんではないと知っているので「できねえよ」と答えるに至ったが、竹端氏はいや人間の力でもできると答えてもよいし、ドラえもんはいるよと答えてもよい。しかし結局出てきたのは制度改正がいかに必要であり重要かという反論で、現実化可能性についての応答がなされなかったということは、結局<strong>竹端氏はこの二つの次元の違いを理解ないし認識していなかったのではないか</strong>という私の疑念をさらに強化するものであった。</p>

<center>＊＊＊</center>

<p>そこで「より大きな問題」に移ると、それは同氏が私の<strong>「できねえよ」「制度改正ナメてるだろ」</strong>という表現を感情の吐露とか「感情論」と評価する一方、「現在でも暮らしに多大な制約を受けている人が現に存在している」ことをそれに対する現実と位置付けておられる点に示されている。</p>

<p>まず指摘すると、制度改正が大変だというのは<strong>多大な資源が必要になるという現実の問題であり、感情の問題ではない</strong>。法令のように紙に書かれた制度を変更するまでについても、(1) まず誰かが相応の時間と労力を費やして改正原案を作る必要があり(法令の場合には大概所管省庁の官僚)、(2) 法律・政令の改正であれば内閣法制局の審査を受ける必要があり、(3) 国会提出後に十分な審議日程を確保して可決・成立に持ち込む必要がある。このうち従来かなりハードルが高かったのは(2)で<strong>「1条3時間」と吹聴されており</strong>、千数百条の改正法案となった年金制度改革の際に本当に数千時間かかったかは確認していないが、それでも担当の官僚が内閣法制局に朝から晩まで相当日数詰めて審査を受けるハメになったと聞いている。さらに現在は冒頭でも書いた通り(3)が問題で、内閣提出法案の成立率が90％水準だった自民党政権時代とは違い、現在では30とか50とかいう数字なわけである。どちらが規範的に望ましいかという話はさておき、<strong>きちんと与野党で合意形成できるような内容にして会期冒頭に出しておいても成立が見込めるかわからないという状況で、パラダイムシフトにつながるような大きな内容を盛り込んだものを成立させる余裕があるのか</strong>、いやそこは政治的意思決定としてやるのだという話になったとして、そのために費やす審議日数、あるいは野党から合意を得る代償として差し出すつもりの政治的リソースのあてはあるのかという問題になる。</p>

<p>さらに言えば、これは前のエントリでも書いたことだが現実というのは紙の上の文章を書き換えれば変わるというものではなくて、その制度の運用に関与する人々の行動様式を変える必要がある。そのためには規定改正の内容を告知・広報し(ここで広告・宣伝・パンフレット作成・印刷・ウェブサイト構築......の予算と行動時間が必要)、現在その分野で働いている人々の知識・能力水準を変化させるか(ここで研修などの開催経費や人々がそこに出席するための日程的な余裕が必要)、人数が足りない場合には新規に確保し(ここで短期的な給与から社会保障経費から長期には退職金の目当てまでが必要、もちろん一定の待遇で来てくれる人数が本当にいるかという点も問題になる)、利用者側にも制度変更の内容を周知して新しい行動様式を持ってもらうことが望ましい。</p>

<p>そしてこれらはすべて<strong>現実的に一定の人数・日数・金額が必要だという話であって、感情とは関係がない</strong>。さらに言えば制度改正とは一般的にこういうものであって、元の制度が「継ぎ足し継ぎ足ししてきた老舗の醤油」かということとも関係ない(付言すれば継ぎ足ししながら使うのは普通タレとかツメとかカエシであって醤油ではない、という気もする)。いや将来に希望が持てるような改革であれば現場は混乱しても熱意によってがんばりますという話もあったが、<strong>熱意があっても補給のない軍隊は負けるのだというのが前回の教訓であったかに思う</strong>。いい加減にそういうの卒業しようよというのが一つ。</p>

<p><DIV class="note">ここで余計なことを言うと、外部経費を獲得したところで私が召集されるというのはつまりこのあたりの算段をつけろということで、「こういうことがしたい」とえらいひとが語った内容を具体的な規程改正案に変換し、法規係が難色を示せば問題を回避できるような限定なり解釈なり説明文なりを用意し、「やりたいこと」が可能な限りできるように予算編成を組み、というような作業をしている。その限りにおいて私は官僚制の末端に組み込まれているのであって、いや肯定的にそう書いてくれたのだとは思うが<strong>「官僚制の逆機能と闘いながら」とか評されるのは大きなお世話</strong>である。私としては、その位置で努力しないと現実なんか変わるわけないじゃんとは、かなり思っている。</DIV></p>

<center>＊＊＊</center>

<p>もう片方の<strong>「できねえよ」</strong>についても話は同じで、障害者制度についても竹端氏がお書きの通り大きな政治的決断はあったのだろうが、しかし<strong>現実に資源制約の範囲で実現できない政治的決断については、それが確実に存在したとしてもやはり現実化しない</strong>わけである。疑うものは普天間基地移転問題を見よ。「最低でも県外」とぶちあげた(当時の)鳩山総理の政治的決断は間違いなくあったが<strong>だからどうなったわけでもない</strong>、というか率直に評価すれば政治的決断によって現実的に実現可能な範囲でまずまず妥当だった案(理想的というつもりは毛頭ない)を潰してしまい、さらに政治的決断の結果が実現するという虚しい希望を振りまいた結果として、社会全体の利益を考えるとなんか最悪に近いところに落ち着きそうと、そういう気配であろう(念のために言うと、「一部の人を犠牲にして社会全体の利益が増える案」というのは、その犠牲が補償可能な範囲に収まる限りにおいては、増えた利益から犠牲になった人々への補償を確保するという処理が可能なので、「社会全体の利益が減少する案」より基本的にはマシである。本当にその補償が行われるかとか、犠牲に引き合っているかというのはまた別の話)。</p>

<p>別の言い方をすると、いやこれが極めて冷酷に響くだろうことは承知の上でしかしそういうところを改善してがんばる方向に行ってくれたほうがいいと思っているから書くのだが、<strong>政治的決断があったところで喜んで帰っちゃったところでもう負け</strong>なんだよね。しかも厚労省側が「「政治セクター」の判断を全く反故にするような工作を、総合福祉部会の最初からとり続けてきた」と認識していたのであれば(その認識が正しいかはさておいて)、それに対抗して「あるべき姿」を現実化するための努力を続けるべきだったんじゃないかという話。もちろん法令の文言を起こすようなことは専門の官僚でないと難しいということもあるのだが、そのもとになる改正要綱や制度設計の絵図面のレベルではがんばったのだろうか。骨格提言に対応する「厚生労働省案」がひどいというなら、その代わりになるべき制度整備案はまとめたのかな。</p>

<p>私の感覚では、官僚をはじめとする「役所のひと」が重視しているのは<strong>何よりも現実化可能性と説明可能性</strong>であり、言い換えれば「本当にそれはできるのか」ということと、「政治家とかマスコミとかにツッコまれたときに納得させられるか」ということである。そして以下は個人的な経験と詳細を書けない「人から聞いた話」をもとにした記述なので証拠を出せと言われても出せないし、信じるか信じないかは読む人の自由だが、役所のまとめた文書なり原案なりに不満があったときに修正してもらう一番確実な方法は、この二点を満たす代案を自分で作って持っていくことだ。もちろんそのためには代案が作成できる程度の知見や能力がこちら側にも必要になるし、世の中一般的には文書なりを出す締め切りというのがあるところ役所の原案というのはそのちょっと前にまとまるものであって、締め切りに間に合うように代案を作って持っていくには相応の苦労が必要になる。でも<strong>自分たちが希望するものを実現しようとするセクターって、その程度の苦労はしてるんだよね</strong>。つづく。<br />
</p>]]>
    </content>
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    <title>というわけで</title>
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    <published>2012-02-26T14:47:07Z</published>
    <updated>2012-02-27T15:52:01Z</updated>

    <summary>約2週間ロンドンに逃亡中です。さがさないでください(挨拶)。 いやまあ前にも書い...</summary>
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        <name>おおや</name>
        
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        <![CDATA[<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="P1020157.png" src="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/images/P1020157.png" width="320" height="240" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>約2週間ロンドンに逃亡中です。<strong>さがさないでください</strong>(挨拶)。</p>

<p>いやまあ前にも書いた頭脳循環なんとかでの滞在なので研究専念を許されているはずなのですが経費獲得したプロジェクトに動員された関係で結局2週間しか来られないし来るのに物理的にほぼ丸一日かかってそのあいだに溜まったメールだの何だのの処理に丸一日かかるし余裕のあるあいだにプロジェクトのウェブサイトとか作らないといけないしで<strong>なにしにきてるんだろう私</strong>。</p>

<p>なお今日もプロジェクトの関係でえらいさんとアポを取ったので、これから出かけてきます。「研究専念期間」ってどこの言葉だったっけよくわかんないや。<BR clear="all"></p>]]>
        <![CDATA[<p><CENTER>＊＊＊</CENTER></p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="P1020158.png" src="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/images/P1020158.png" width="320" height="240" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span>なお今回はホテルをパディントン駅近くに取ったのですが、前回同様「イギリスめし」と聞いただけで腰が引けてキッチン付きであるところ前回とは大違いで(1) ちゃんと建物内にフロントがあって設備の質問をするとすぐに係員が来るし、(2) キッチンには鍋・フライパンからお玉・フライ返しからコップ・皿からナイフ・フォーク・スプーンまで一式揃ってるし、(3) 「無線LANはロビーで使えます(客室では使えません)」と書いてあったわりにはしっかり部屋からつながるし(まあこれは客室の位置にも依存する)で、なんかもう天国のようです。これでパディントン駅から徒歩5分以内、平均1万円以下(付加価値税を入れてちょっとはみ出る)。</p>

<p>......というか前回がひどかっただけなんだろうか。なんだこの違いは。</p>

<p><CENTER>＊＊＊</CENTER></p>

<p>なお右写真はパディントンのパディントンです。<BR clear="all"><br />
</p>]]>
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    <title>不適切な出題</title>
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    <published>2012-02-23T15:34:58Z</published>
    <updated>2012-02-27T15:46:08Z</updated>

    <summary>右か左かではなく上か下かが重要だという話をしばしば学生にしているのだが、つまり政...</summary>
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        <name>おおや</name>
        
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        <![CDATA[<p><strong>右か左かではなく上か下かが重要だ</strong>という話をしばしば学生にしているのだが、つまり政治的その他の志向preferenceと議論のレベルの高低は別の問題である。読んで学ぶならいずれにせよレベルの高いものにするべきで、というのは結論を肯定するにせよ否定するにせよ論旨の展開を批判的に検討することがアカデミックな議論には(従ってその作法の訓練としての大学教育においても)必要であるところ、<strong>レベルの低い議論というのはツッコミどころだらけで話が進まないし訓練にもならないから</strong>である。</p>

<p>何かというと<strong>また産経がどうしようもない</strong>ということであって、早稲田大学の法学部が国歌斉唱時の起立強制は教育現場に相応しくないという趣旨の文章を入試で出題したのは不適切だという論旨で報道している(「早大入試で偏向的出題　国旗国歌「教育にふさわしくない」」<a href="http://sankei.jp.msn.com/life/news/120221/edc12022102080000-n1.htm">MSN産経ニュース</a>)。以下は同記事より。</p>

<p><DIV class="quote">問題文は「日の丸・君が代が戦前の日本の軍国主義下でのシンボルと考える人々にとっては、君が代に敬意を払えという命令は自己の思想に反すると感じられる」と指摘。「教育には強制はふさわしくないのではなかろうか」と結論づけた。<BR>また「学校の式典で日の丸を掲揚し君が代を斉唱することは、それを通じて国家への敬愛の念を抱かせようとするものであり、教育には似つかわしくない」と記述し、入学・卒業式での国旗掲揚、国歌斉唱の指導を義務付けた文部科学省の学習指導要領に明確に反する主張を展開した。</DIV></p>]]>
        <![CDATA[<p>ここでのツッコミどころは三段階くらいあり、まずは<strong>入試とは何か</strong>という点である。いやもちろん私は当該の入試問題も(これはそのうち出てくる)その採点基準も(これは絶対出さない)見ていないので一般論として言うが、<strong>試験の題材として利用するのはその見解を出題者が支持しているからでは、まったくない</strong>。</p>

<p>学部の試験で私が好んで用いる出題形式として、10行以下くらいの文章を引用し、「筆者の見解について論ぜよ」とするものがある。この場合、題材選定の基準になるのは<strong>短い範囲で筆者の見解が明快になっていること</strong>と<strong>学生でもツッコめる論理展開があること</strong>で、結論がどうだろうが文章がだらだら続いて論旨がはっきりしないものは使えないし、完全すぎる文章もそれに対する学生の論評に差がつかなくなってしまうので、困る。いずれも主張に対する賛否とは無関係な基準だ。</p>

<p>あるいは、題材について「批判する立場から論評せよ」という問題のあとに「その論評に反論せよ」という設問を出したりもするわけで、出題が一定の政治的志向を反映するとしたら私はどんな政治的立場に立っていることになるのか。正直<strong>お前ら本当に大学教育受けたのか</strong>と聞きたくなるレベルの報道だよね、これ(こういう「さまざまな立場からの主張を展開せよ」的な出題は法匪養成目的だと言われたら、否定する気はない(にこにこ))。</p>

<p>第二に、上記のような設問形式がなぜ可能か・許されるかといえば<strong>事実と主張は別のものだから</strong>ということになろう。虚偽の事実を前提とする文章を出題するのは問題かもしれないが(それにしたって設例問題とか小説を考えれば仮想的な事実ならよさそうでもある)、一定の事実を前提として形成される意見は多様なものであるのが当たり前で、それは最高裁が判決を下すことにより特定の意見が社会的に「権威あるもの」として扱われるようになったあとも変わらない。</p>

<p>最高裁判例に反する見解を個人として支持することも、それを公言することも自由である(<strong>でなければ大学の実定法教員など大方捕まってしまう</strong>)。独自の見解に基づいて訴訟を闘うこともまた自由であり、ときにはそれが下級審に受け入れられたり、最高裁自身を説得するのに成功して判例が変更されたりする。逆に言えば、「最高裁がどう言おうが自分はこう信じるのだ」という人がいないとそのような見直しや修正は進まないのであって、<strong>多様な意見の主張を抑圧しようとするものは法の敵である</strong>。</p>

<p>それでは最高裁の意見が「権威あるもの」とされる意味はどこにあるかといえば、それは<strong>公務員</strong>(裁判官などを含む広義の)<strong>にはそれを尊重することが求められ、基本的にそれに準拠した行動を取るので、その意見の求めるものが実現するだろうと社会的にも信頼することができる</strong>という意味である。日本国憲法99条の定める「憲法を尊重し擁護する義務」の一部でもあるだろうし、統治者に求められる不偏性の帰結でもあるだろう。国家というのは多様な価値観から基本的に中立でなくてはならないから(完全に中立たり得るか・たるべきかには議論がある)、独自の見解を社会に強制するようなことは<strong>公務員には</strong>許されないのである。</p>

<p>これを逆にすると最後の指摘が出てくるわけで、つまり<strong>早稲田は私学だから何を言おうが構わないんだよ</strong>。もちろん本当に何を主張してもいいのかに議論はあるが(たとえば「男性は女性より劣る種族であって高等教育に値しない」という信念に基づく女子大学の設立は認められるか)、一定程度の合理性があって社会的に存在を承認されている価値観に基づくのであれば、それが社会全体に公認されたものである必要はない。たとえば東京神学大学は受験者にプロテスタントの洗礼を受けて教会生活を送っていることを求めているがこれは国立大学では許されない宗教による差別であるし、高野山大学が弘法大師の思想に基づく教育理念を掲げていることも特定の価値観へのコミットメントである。これらが問題ないものとされているのは、つまり<strong>公務員とは関係がない民間の事業だから</strong>だ。</p>

<p>結局、産経新聞は試験というのが何のために何をするものなのかということも、中立義務・憲法擁護義務を負っているのは誰なのかという問題をまったく理解していないということであろう。私立大学であっても公認されていない特定の価値観にコミットするのがけしからんと主張するのなら国学院と皇學館の神職養成課程を廃止してからにしようねと、まあそういう話なのであった。(2/27公開)<br />
</p>]]>
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