読書: 2013年アーカイブ

読むと言ったので読みましたよ。北野幸伯『日本自立のためのプーチン最強講義』(集英社インターナショナル、2013)。「突如、政界引退のプーチンが「隠居場所」に選んだのは日本だった!/相談を持ち込む「矢部首相」らに彼が与えた秘策とは?」(オビ)という趣向の巧拙については私のよく評価するところではないけれど、全体としてはまあその、こういうの読むといいのではないだろうか。

武力と日常(6・完)

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ところでさらに付け加えて細かい話を2点。いやこちらは本編の価値には一向に関わりのないことではあるのだが......

武力と日常(5)

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あるいは東島氏は人々が負担している資源とは何かと反問されるかもしれない。そう思うのは、氏が秋葉原の駅頭に掲げられた「ここは公共の交通広場です。一般歩行者の通行を除き、使用することを固く禁じます。」という掲示について、以下のように述べているからである。

もしこれが当局の「お上の論理」を振りかざすためのものであったとするなら、ただ「一般歩行者の通行を除き使用することを固く禁じます」と言うだけでよかろう。ところがこのスペースは、かつてはストリート・ミュージシャンにとっては格好のパブリックな場所であり、人々はそこに立ち止まり、あるいは座り込んで彼らの芸に耳目をそばだてていた。(......)そこで登場するのが、「ここは公共の交通広場です」という奇妙な論理である。枝葉を落としてもっとシンプルに行こう。「ここは広場です。使用することを禁じます」というのがこの立看板の主文なのだ。私が思わず噴出しそうになった所以である。使用してはいけないのなら、それはもはや「広場」ではあるまい。「公共」性のカテゴリーは、この明らかに矛盾した文面を幾分説得力のあるものにするために導入されている一種のまやかし――否、まやかしというよりは、苦し紛れの思いつきであろう。[2,168-9]

すると、では東島氏は私がその広場に家を建てて住みはじめることも「使用」であり許容されているはずだと言うのだろうか。柵を建てて広場を囲い、他者の進入を排除したなかでお茶会を始めることについては、どうだろうか。

武力と日常(4)

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議論は次の論点、すなわち「無縁」の評価に映る。ここでの直接的な対象はまず本郷氏ではなく、2巻の筆者・東島氏ということになろう。同書の表題にもある通り「自由にしてケシカラン人々」の存在を高く評価する東島氏は、彼らの存在を支える都市の自由が、当の都市民たちの自治によって失われていく過程を告発する。

すなわち、「「かけ落ち」する者にとって、あるいは飢饉の「流民」にとって、都市とは〈生きやすい〉場所のはずであった。だがそれも、戦国時代が進み、京都のように都市民たちが「町」を単位に自治を獲得し始めると、俄然〈生きにくい〉場所へと変貌していく」[2,117]。本来「都市とは、こうした身分的隷属関係を一時的ながらも解除し、関係を組み替え、言い換えれば〈人生をやり直しうるかもしれない〉空間となりえていた」[2,115]ものが、「「町」や「町々」が権力の末端機構化して」[2,117]ことによって失われていくというのである。

16世紀中期の天文年間以降に顕著となる「町」や「町々」の自治とは、結局のところ犯罪捜査や秩序維持の下請けを担うこととと引き換えに与えられるものであった、ということは確認されてよいだろう。京都における町人自治の獲得は、〈生きやすい〉場所を生成するどころか、異分子を排除することで成り立っている、そのことを忘れてはなるまい。[2,118]

武力と日常(3)

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これと関連して、科挙はやらなかったのか、できなかったのかという問題もある。本郷氏は、「文が権力の安定に寄与する」という表題のもとで、こう書く。

東アジア社会では、その[「文」を鍛え直すことによって「武」の侵食を防ぐ]方法として、科挙が導入された。国家的な試験を行い、新しい才能を登用することにより、官僚組織の制度疲労を食い止めたのである。ところが、日本は遣隋使・遣唐使を派遣して科挙を知っていながら、取り入れることをしなかった。[1,137、補足引用者]

たしか一旦導入はしたんだけどすぐに廃れたんですよねというような話はご存知の上で簡単のためにこう書かれているのであろうから、措く。問題はつまりやる気があったらそのまま続けられたのかという点で、個人的には完全に無理だと思うわけですよ。だって字が読み書きできる人数が少なすぎるでしょう。

武力と日常(2)

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前回・前々回に述べたような仕儀で本郷和人先生の武力理解について私の意見を弁明すべき状況に立ち至ったので、ずっと前に書きかけてほおってあったエントリを発掘する。以下の二冊に対して言及したもの。

  • 本郷和人『武力による政治の誕生(選書日本中世史1)』選書メチエ、講談社、2010。
  • 東島誠『自由にしてケシカラン人々の世紀(選書日本中世史2)』選書メチエ、講談社、2010。(いただきもの。ありがとうございます。)

「本郷派」と私が冗談で言っている(というのは3人が東大本郷勤務でお二人が本郷姓だからだが)方々によるシリーズの、冒頭2冊を読んだ時点での意見である。思い起こせばこのシリーズの前触れとなった特集が組まれたRATIOには私も(当然ながら別の特集だが)まぎれこんでいたのであった。ちょっと自慢。

まあそれは措いて、上掲2冊を読んで私が抱いた疑問を大きくまとめると、以下の2点になる。すなわち、


  • 暴力の位置付け、暴力を統制するとはどういうことか

  • 無縁の評価、日常を維持するための負担を負わない人々がそこから疎外されるのは当然なのではないか

順に見ていくことにしよう。

武力と日常(1)

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さて本郷和人先生と武力の話。まず初手から恐縮だが、その後考え直したところ同書の内容について「やはり武力がわからないのか」というのは書きすぎであったかなと思う。説明の便宜や本の性格から簡単に書いてしまっているが多少省略しすぎではないか、という程度の言い方が良かったろうか。

またぞろ学内の肩書きが増えることが昨年末あたりにはすでに決まっていたのだが正式に発令もされないうちに準備作業で忙殺されており、先日など教授会に出ているあいだだけで3回本部から携帯電話に呼び出しがかかるという状況になっていた。ちなみに会議室から急いで出ながら私がもしょもしょと応答しているのを聞いて「先生もしかして出先でしたか?」と聞かれたりしたがその日その時間に法学部が教授会をやっているのは予定されたスケジュールであってですな。まあそういう情報も学部間・学部本部間で共有されないのが国立大学という組織ではあるわけです。

ところでその教授会から業績のリストと一式を出せと言われたのでどれこの際と思って研究棟のコピー機に付いているスキャナ機能(きれい)を使って過去に書いたものからひと通りデジタル化してみたり、新聞記事とかウェブ媒体とか広報記事とかいっぱいあって面倒なのでざっくり削ったリストを編集したりしていたのだが、それでもわざわざ「提出済み依頼原稿」欄を作って並べてみた趣旨というのは列席の方々にそれなりにご理解いただけたようであり、まあ楽しんでいただけたようでよかったのではないか。

なお同リストの作成後に同欄掲載5点のうち1点は刊行済み、2点は校正まで終わり、載せていなかった共著が一冊増えている(大屋雄裕「自由と規制:監視、アーキテクチャ、責任から考える」『現代社会再考:これからを生きるための23の視座』公益財団法人たばこ総合研究センター、2012/1、pp. 56-67)。「ざっくり削った」範疇に入ってしまうのだがα-Synodosで「成熟・反復・転換:政権崩壊後の三つのシナリオ」と題する原稿も載せてもらっている。

* * *

というわけで、まとめて何かをブログに書くというのも難しかったので読んだ本の感想などをtwitterでつぶやいてみるという実験をしたところ見事に著者ご本人に捕捉される。むう。以下がそのツイート。

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