読書: 2009年アーカイブ

草原へ(3・完)

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さてグダグダの第三点は対象との距離とでもいうべき話になろうか。チョイバルサンという人物の評価をめぐる問題である。

草原へ(2)

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先に出てきた凌陞(リンション)というのは興安北省の省長という地位にあった人で、「満洲国建国の元勲貴福の長男」「ダグール族統合の頂点に立つ人」という位置付けである[111]。もともと日本・関東軍はモンゴル人民共和国と満洲国の「国境を越えたモンゴル人同士の交流」が進む可能性に「ずっと疑いの目を注ぎ続けて」おり、「それへの最初の対処が、ホロンボイル統治の最高の地位にあった、凌陞の突然の逮捕と処刑となってあらわれた」[109]ということになっている。

草原へ(1)

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なんか勢いが付いて田中克彦『ノモンハン戦争:モンゴルと満洲国』(岩波新書新赤版、岩波書店、2009)を読んでいた。加藤陽子『満州事変から日中戦争へ (シリーズ日本近現代史(5))』(岩波新書新赤版、岩波書店、2007)からの流れなんだけど、まあウチの支援対象国でも北の方の話をちょっとまとめて勉強しようかなあと思ったので。でまあその、結論的に言うと、題材は面白いし読む価値は十分にあると思うけどグダグダですと、そういうことになろうか。

話はいきなり飛ぶ。

イングランド法の特徴の一つが不動産法にあることはよく知られている。たとえば、土地に対する権利の典型である「自由土地所有」(freehold)を教会や大学のような団体に移転することは禁止されていた(mortmain(死手)の禁止)。あるいは、土地そのものに対する取り戻しを要求する基礎たり得る権利(seisin)は土地の現実の占有(possession)と区別されていたのであるが、曖昧になったり複雑化することを認められていなかった。その設定・譲渡は厳密な形式を守る必要があり、土地自体の引き渡しも必要であった(要物性・要式性)。あるいは、seisinの第一番目の権利者は必ず現に存在する必要があり、未確定の後順位権利は消滅することになっていた(destructivity of contingent reminder)。seisinの中断も禁止されていた。

現代と中世の借金(5)

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さて、著者が現代社会のモノゴトについても法的な分析枠組についても正確な理解をまったく欠いていることは以上で指摘できたと考えるので、今回はこのような理解不足が著者の本来のフィールドである中世貸借関係の分析にどのような影響をもたらしているかを見てみよう。その前に、小ネタ。

現代社会での貸借契約は、時効によって債務不履行が公認されることはない。自由契約と私有財産制を市場原理とする近代債権論では、借りたものの返済義務はどんなことをしても履行すべきもので、借用書の効力が時効によって消滅することはありえない。近代刑法では、殺人においてすら時効がみとめられているにもかかわらず、近代の貸借契約には時効がないという非常識が現代の常識になっている。(194)

つ 「債権は、十年間行使しないときは、消滅する。」(民法167条1項)。もうね

現代と中世の借金(4)

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さて、前回引用した著者の文章は以下のようなものであった。

近代の自由市場原理では、「売買は賃貸借を破る」として質流れの物権は債務者の同意なしに自動的に債権者のものになった。債務者の質物に対する債権は質流れとともになくなってしまうのが近代人の社会常識である。(140)

問題は、ここで引用されている「売買は賃貸借を破る」(Kauf bricht Miete)という原則の理解にある。

現代と中世の借金(3)

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すでに序文において、現代社会や法制度に関する著者の知識水準には深刻な疑念が呈されたところであると思う。著者は、中世文書から利息や質に関する法令、そしてその背景にある法理念を読み解いていったうえで、それが現代のものとまったく異なっていると主張しているのだが、比較対象である現代の姿を見失っている比較に何の意味があるのかという問題があるだろう。以下では、著者が現代の法制度を正確に捉えていない箇所をさらに指摘していく。

さて前回の続きだが、まだ序文の冒頭だということに絶望しないでもらいたい。闇はまだまだ深いのである。今回は、主に法律をめぐる問題について。

というわけで、以前に予告した歴史関係の本をめぐる問題である(だいぶ遅くなった)。私が読んで愕然としたのは、井原今朝男『中世の借金事情』歴史文化ライブラリー、吉川弘文館、2009.1 であった。最初にはっきり書いておくが、これは買ったり読んだりする価値のまったくない本である。それはもっとも問題が濃縮されている序文だけでなくほぼ全体についてそうで、あえて言うとメディアリテラシーの教材としては意味があるかもしれんと、そういう代物であった。そこまで明確に批判する理由は、第一に現代の法制度に関する理解が(日本・外国問わず)誤っていること、第二に(現代だけでなく)一般的に土地やそれに対する所有権という制度が何を意味しているのかが理解できていないこと、第三に、従って(私自身はそれを判断する能力を持たないが、おそらく歴史史料・文書類の読解は正確であろうにもかかわらず)基礎となっている文書類やその背景にある制度の理解が極めて不適切な恐れがあることである。

もちろん、私が単にこう言うだけでは信用できないと思うので、以下具体的なポイントを上げて指摘していきたい。まず、上述した序文について。おおむね1ページに1回以上の頻度でトンデモ記述が出てくるというすごい文章なのだが、順を追って検討していこう。以下、引用文末尾に括弧書きされた数字は同書のページ番号である。

シノドスフェア

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ええとなんか以前の記事で書いたのとは別のシノドスフェアが池袋のジュンク堂書店で開催されていて、「現代社会を読み解く「知」」と題されているそちらの方が大がかりなものだったようです。忙しいなシノドス。ご指摘ありがとうございました。>関係筋

で、そちらにはSynodos blogでも紹介されている通り「12人の論者たちが、それぞれの分野でいま読むべき10冊の本を推薦する」という企画があって、まあ私も微力ながらお手伝いしたわけです。「ブックリスト法学編」ということで公開されておりますので、ご参照ください。

RATIO 06

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ダメ論文ばかり読んでいると魂が汚れる(挨拶)。なおここでいう「ダメ」とは分析の視角が違うとか結論に同意できないということではなく、学術論文に通常要求されている形式が満たせていない種類のもののことを言います。もちろん形式はダメでも内容の面白い文章というのはあり得るわけだが、そういうのは学位審査とか大学院入試とかではなくて論壇誌とかに出すべきだと思うわけですよ。そしてそれがわかってないレベルの人が読んで面白いものを書けるわけはなくてですね orz。自分が指導している学生なら直すのは職業上の義務だからあきらめもつくんだけど、そういう義務のないケースでアウトプットたるダメ論文だけを強制的に読まされるというのはほぼ拷問だと思うわけです。学問は作法だからさあ、きちんとシツケされてない子を野放しにされても困るんだよね(タメイキ)。

傷ついた魂を癒そうと歴史関係の本を手に取ったら(私に専門的な判断能力がないのでアラがあっても気付かない可能性が高い)これがまた地雷で。いや中世日本に関する本論部分については前述の通り私には十分な正否の判断能力がないし(とはいえ通説・類書とかなり違う理解をしている部分が早速気になってしまったところはあるが)、まだ十分読んでもいないのだけど、現代の状況に言及しているイントロ部分が何一つ正しいことが書いていないくらい間違っていてね orz。そのうち書く。

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