読書: 2007年アーカイブ

翻訳について

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引っ越しても相変わらずダイニングの机で仕事をしているのだが、旧居は台所が食堂から横に突きだしたような形になっていたのに対して新居はLDKがひとつながりの大きな部屋になっていて食卓のちょうど脇にシステムキッチンがある。おかげで仕事中に茶を入れたり本だの雑誌だのレシピノートだのを見ながら炊事をするのは非常に楽になったのだが、最大の欠点は仕事に少し詰まるとたちまちガス台が綺麗になり始めることである。さて。

また「パイプのけむり」みたいな事態に(挨拶)。さて「週刊オブイェクト」において「林信吾」を名乗る人物により予告されていた対談が掲載されたというので、週刊朝日4月13日号の「なぜいま「軍事学」の時代なのか」を見てきましたよ。もちろん立ち読み。全体的な印象としては林信吾氏がいろいろと質問〜批判したのに対して潮匡人氏が応答している傾向が強く、つまり林信吾氏の主張の方が正しいという積極的な議論がほとんどされていないのが気になった。が、これはまず潮氏が林信吾氏の『反戦軍事学』に対して批判的な書評をしたという経緯の影響かもしれない。ところでもちろんすでに述べている通り私は軍事に詳しいわけではないが、その範囲で気付いたことを述べる。

ラオスの奥地の山岳民族を近代国民国家に編入するために警察官僚がひどい目にあった話なぞを懇親会でしていたところそういう途上国の現状とか社会のイメージというのがなかなか日本にいるとよく見えないというご指摘を受け、その通りだと思ったものの私の前でそういうことを言うとアゴアシマクラ付きでタシケントご招待とかいう案件を嬉々として持ち出すので注意した方が良い件について(挨拶)。ん〜その、楽しいですよ? ホテルの風呂の栓は閉まらんけど。

年頭近くに林信吾『反戦軍事学』(朝日新書、朝日新聞社、2006)について多少書いたところ著者たる「林信吾」氏を名乗ってゆかいなコメントを残す人物が出没したことについて、ここを読んでおられた方があるいはご記憶だろうかと思う。その際、私としては自分の軍事知識が非常に限定的であることは理解しているのでその面での検討は十分にできないと明記しておいたわけだが、JSF氏の『週刊オブイェクト』(「朝日新書「反戦軍事学」を読む〜序章〜」以下)において、主として軍事的な事実に関する検証が行なわれているのでご紹介するとともに、そのあたりの議論も受けて若干の疑問について書いておきたい。

さて林信吾『反戦軍事学』(朝日新書)について、前回は著者の議論の全体的な問題を指摘したのだが、そこで挙げた例は歴史の問題であって軍事ではないと、言えばまだ言えるかもしれない。したがって以下では軍事に関して気付いた問題点を指摘するが、第一に私の専門も別に軍事ではないので兵器に関する位置付けとかデータについては間違っていたとしてもわかっていませんということと(逆に言えばそんなアマチュアにツッコまれてしまう本が「軍事学」を名乗るのはどうかという問題なのだが)、第二にあくまで管見の範囲で、覚えている問題点をいくつか挙げるにとどめるという点を注記しておく。

しばらく前から朝日新聞社はそれでもやはり偉いなあと思うところがあって、というのは逆風が強まっていることを感じつつそれに対抗しようと勝負を挑むところがある。論壇誌で言うと岩波の『世界』がもう誰に向けられた雑誌なのかわからないというかわかりすぎて困るというか、一般書店で売る意味ないですよねえと言いたくなる勢いで自閉してしまっているのに対し、『論座』は議論を起こそうという意欲が感じられ、うちの師匠に原稿頼んじゃったりするのもその現われだと思われる。

最近ではさらに進んで「朝日新書」なるシリーズを刊行し、まあ新書戦争がここまで激化したあとで乗り込んでくるという点は営業戦略的にどうなのかと思うものの、朝日・岩波的な定番ラインナップの資産を活用するだけではなく派手に勝負してやろうという気配が伺える。第一弾には『朝日vs.産経ソウル発—どうするどうなる朝鮮半島』があり、ホットかつ分の悪そうな話題について、しかしあえて敵対者ないし競合者と争おうとするその意気やよし、とは(たとえ朝日記者の発言内容について酷評があるにせよ)言いたくなる。

さらに意気盛んに刊行されたのが、これは第二弾に含まれるかと思うのだが林信吾『反戦軍事学』であり、つまり従来左派が「平和」を旗頭にしてきたことの裏面として「軍事」に関する知と権威が右派に独占されがちであった状況に対して敢然と異を唱え、むしろ軍事についてきちんと知るからこそ左派に至るのだと主張することを試みたものと思われる。逃げずに語ろう、その中で自らの立場を正当化しようとするこのような試み自体は、非常に高く評価したい。

さてしかしその成果やというに、私の印象は極めて悲しみに満ちたものである。それは自分の信じていたことが片端から覆された悲しみなどというものではもちろんなく(そうであればまだ良かったのにと思う)、これだけ力入れてこんなのしか出せないの?という失望の感情である。正直に言うが、以下は冒頭から約1/3を立ち読みした範囲の話であり、読後感と言えるほどのものではない。その範囲でもこの本の絶望的な質の低さは明瞭であったし、また私にはこの本に対してカネを払うどころか、それ以上読み続けることすら苦痛であった。

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