原稿: 2009年アーカイブ

ええと、シノドスが『現代用語の基礎知識』の巻頭特集の編集を引き受けたそうで、私も呼んでもらいました。大屋雄裕「国民による「立法」」(巻頭特集 2010年代の新・常識、シノドス編)『現代用語の基礎知識』自由国民社、2010、pp. 34-35. 「法律」というくくりで並ぶのが藤井誠二さんだと聞いたので厳罰化とか監視の問題は外してみる空気を読むわたくし。

内容は、7月の九州大学のシンポジウムの問題とも関係してくるのですが「立法の国際化」とでもいうべき傾向が強まっていることを指摘した上で、それが「国民(の代表)が法を作る」という立憲主義のいわばセントラルドグマに抵触すること、それによって「人民の自己統治」という遵法責務の基礎付けが危機にさらされていることを指摘したものです。まあでも実質1ページなので、問題のメモとして受け取ってもらえればなと。

ところで上記のシンポジウムはなんか30分くらい喋ってくれという話だったので気軽に引き受けたらその後「雑誌の特集にしますので原稿にして」と言われてしまい、泡を食うわたくし。いや以前の例を見るに予想しとけよおまえという話なのかもしれませんが私そんな晴れがましい場に慣れておりませんでして、ええ。結構勝手なことばかり喋ったからなあ、ちゃんと原稿になるのかしら。まあこれはまたそのうち。

「知の加工学」

| コメント(1) | トラックバック(0)

RIMG0003.jpgというわけで、九州大学大学院比較社会文化研究院主催シンポジウム「「日本的なもの」の再評価:「知の加工学」の視点から」というのに呼ばれたので喋ってきました。大屋雄裕「法整備支援と日本の経験」(パネルディスカッション)(主催・九州大学大学院比較社会文化研究院「日本研究プロジェクトチーム」、後援・福岡市、福岡市教育委員会、福岡市文化芸術振興財団)。会場は西日本新聞会館の福岡国際ホールというところで、行ってみたら大丸の上なんですな。天神の真ん中にある本当に良い場所なんでちょっとたまげましたが。ちなみにこれは会場の隣ぐらいに新しくできたらしいエルガーラというビル。そうか三人目か(謎)。

なんか自民党が長妻・厚生労働大臣を標的に「質問主意書には大臣が回答するのか、役人が回答するのか」という趣旨の質問主意書を送ったそうで(日刊ゲンダイ)、ゲンダイソース(笑)ながら興味深い。自由民主党・改革クラブ 長勢甚遠君提出「脱官僚政治に関する質問主意書」かなと思ったが、まだ内閣に転送されただけで回答は来ていないので確証はない。いずれにせよ自分がかつてさんざん悪用した手法の標的になるわけでまさに因果はめぐるとしか言いようがなく、かつ会派をともに組んでいる鈴木宗男氏が相変わらず外務省に対する主意書を乱発している点を見るに民主党全体として別にどうにかしようという気もないようである。今後の展開によるところもあるがいずれにせよ厚労省の役人の人が苦しむだけで終わったらかわいそうだなあとの疑念を抱きつつ、長妻氏に対しては「がんばってくださいね」と生暖かい微笑を送っておきたい。いや以前にも書いた通り私自身は質問主意書制度自体は少数政党の参加機会を保障する意味においても重要だと評価しているのだが、その一方馬鹿が濫用するとそのような趣旨も滅却されるので望ましくないと考えており、まあつまりだから長妻氏については極めてネガティブな評価を持っているところなのである。さて。

α-Synodos

| コメント(0) | トラックバック(0)

「「政権交代」は日本に何をもたらすのか!?--「民主党圧勝/自民党惨敗」を分析する」というテーマでシノドスのメイルマガジンに載せるアンケートの依頼が来たので答えました。形式は自由というお話だったので、1200字くらい書いたかな。選挙前にここで書いたのと似た路線ですが、もう少しメタの、というのは民主政理論の観点からの分析を書いたつもりです。ご関心の向きはぜひご参照ください。しかし自分の名前が勝間和代さんと並んで出る日が来るとは思わなかった

CALEサマースクール

| コメント(0) | トラックバック(0)

「法政国際教育協力研究センター」という組織があって、とても一度では名前が覚えきれないので略称のCALE (Center for Asian Legal Exchange)というのが一般的に使われているのですが、そこから法整備支援に関するサマースクールを開くから講義を担当しろと言われたのでしました。タイトルは「制度構築の理論」。「アジアの法と社会 2009」と題された、2日間のコースの一環です。

私の講義は、法整備支援の対象が何なのか(逆に言うと早い時期の法整備支援が成功しなかったのはどこに原因があるのか)という問題について、「我々はなぜ法に従うのか」を考えようという観点から検討したもので、まあ要するにLS「情報と法」では情報化社会論として展開している主観主義的な権力理論を法整備支援の局面に適用するとどうなるかという話ですから、両方聞いている人にとってはあまり新鮮味がなかったんじゃないかとは思うわけですが、あまりそういう人もおらんようですな、ええ。

例年通りセンター設置国からの学生たちがやってきましたので、また講義をしてみる。「日本の社会と安全」というテーマで、去年より統計データの解釈とかの話(ジニ係数とかね)を減らし、高度経済成長期に典型的なような日本社会の、バブル崩壊と国際化による変貌という議論に軸足を置いてみました。まあなんかその方がわかりやすかったみたいでしたな。

このセミナーもたしか4年目になるんですが、今年からモンゴルが本格参加、ベトナムがパイロット参加と3ヶ国構成になり、日本人学生も含めてだいぶ多様感が増したなあという感じ。顔見てなんとなく日本人かなあと思ってたらモンゴル人学生だったり、ウズベクかと思ってたらモンゴルの少数民族だったりしてだんだん混沌としてきたわけですが、まあ別に学生は学生なのであまり気にしない。来年にはベトナムが本格参加になり、カンボジアもパイロット参加すると思うのでさらになんかえらいことになりそうな予感がするわけですが、まあにぎやかでいいのではないだろうか(無責任)。

いや実際、途上国とか(法整備の)支援対象国とか一口に言っても、経済的にも文化的にもかなり大きな差があり、そのことは特に支援される側からは見えにくいことなので、対象国としての共通性と差異みたいなことを将来それぞれの国の司法制度を担っていく若者が感じ取るにはいいきっかけなのではあるまいかとか、自画自賛するわけです。もちろん日本社会を実体験してその(いろいろな意味での)けったいさを知るというのも重要なことで、ホームステイや訪問学習の受入も含めてご尽力いただいている関係者のおかげだと思うとありがたい限りなんですが。

でまあその、そう言ったはしからなんですが上記の通り来年再来年と、まあ予算が続けばではあるわけですがさらに規模が大きくなる見込みなので、ぜひともなお一層のご協力をお願いしたいと、いや関係者の人読んでないと思いますが広く公共にお願いしておくところなのであります。ところで側聞したところ日本法教育研究センターについては未設置のラオスや同じベトナムでもホーチミンシティに拡大していくという計画があるそうで......本気?

というところで喋ってくれと頼まれたので出かけてくる(なおイベントのトップページ)。「オープンソースライセンスと日本の法の精神」というテーマで、基本的には(1) しばしば反権力的なものと捉えられがちなオープンソースが「ライセンス契約」というものを存立根拠にしている時点で国家に依存していること、(2) 同じく反市場的だと考えられがちだが対価の最適化という面で市場原理に依存していること、(3) まあしかしそんなことはたとえばストールマンはわかっていたのであって、しかし自由を守るために戦略的にそれらを活用したという側面があること、(4) というのは自由への最大の敵としてそこで意識されているのが中間団体の専政であること、(5) まあそういう背景が忘れられがちなところに日本的な法の理解があるよね、という展開で『自由とは何か』につながるという話だったのですよ。

まあ私自身がLinuxかいわいのコミュニティ活動からかなり長いこと遠ざかっていたこともあり、というのには組織内の人間としてWordだのExcelだのKeynoteだの(Powerpointだけは可能な限り遠ざけている)を使って仕事せざるを得ないという事情もあるわけですが、対外的には2001年の日本法哲学会以来ひさしぶりにこういう話をしたなという感じです。大学では、学部の特別講義時代から現在の法科大学院科目に至るまで、ずっと話してはいるんですけどね。

なかなか珍しい機会を提供していただいた東海インターネット協議会の皆さまには厚くお礼申し上げます。本来なら報告者でもあるので懇親会まで残った方がいいのですが、さすがに朝イチの報告から懇親会まで一日使ってしまうと仕事の日程に差し支えるような気がしたので、失礼してきてしまいました。

とかいうのを開催するので講演してくれとかCALE(法政国際教育協力研究センター)に言われてしかしまめだなあんたらも(挨拶)。

というわけで「アジアの法と社会について考えよう」とかいうテーマで午後いっぱいセミナーをやっていたので、最初に「アジアの法と社会」というタイトルで30分くらいと、最後に参加した生徒さんたちの発表に対する講評で少しお話ししてきました。まあ何で私かというとセンター長の先生が出張だからなんだけど、せっかくなので名古屋大学というのが中部地方の基幹大学という一般的なイメージとは違う実像も持っていること、法学研究科への留学生だけで途上国を中心に100人以上という数字が示しているように、その国際的な姿への需要が高まっていることなどをお話ししてきました。

まあその、ウチの大学には愛知から出たくない人向けトップクラス大学という印象が強いかと思いますが、なんでかはともかく最近上記のように国際的な色彩を強めておりますので、法整備とか開発支援とか国際関係とか、特に途上国を視野に入れた勉強がしたい人も進路としてお考えいただくと良いのではないかと思います。いまなら公費による留学の機会もかなりあります(なんで自分が行ってないのに人の世話ばかりしているのか個人的には釈然としていないけど)。どうにかこういうのもアピールの方法考えていかんとな、とは思っているのですが。

Shinjuku.jpgというわけで、第3回 科学研究費補助金「日本法の透明化」領域シンポジウム「日本法の特性とその分析:透明化によって見えてくること」というシンポジウムに呼んでいただいたので「透明化と事前統制/事後評価」というタイトルでお話ししてまいりました。九州大学が中心で取っている特定領域研究のシンポジウムというので「やった博多出張だ」と思ったら会場が新宿の京王プラザホテルと知ってがっかり、というのはとっても秘密です。しかしまあ、写真のような景色の見える上層階の綺麗な会場だったので大変に緊張したわけですが(貧乏性)。

現代フォーラム

| コメント(0) | トラックバック(0)

というのを岐阜県立の吉城高校というところがやるからお前行って立ち会ってこいと山の上の偉い人に言われたので行きます(挨拶)。でその高校はどこにあるんですか?......飛騨古川? 私その翌日朝から大学で仕事しないといけないんですけど。

というわけで、また今年も全学のインターンシップ事前研修会でお話ししてきました。「守秘義務・個人情報保護法について」。まあポイントとしては従来の「秘密の保護としてのプライバシ」という考え方から「とにかく個人を特定できる情報すべての利用目的特定」という考え方に変化してきていて、そこではもはや「秘密」とか「悪用」とか自然な悪に関係する事柄が問題になっているのではなく、わりと個人の直観に反する規制が(その善悪当否はさておくとして)実現されていること、従って自分なりの感覚とかに従って行動するのは危険なので余計な情報は見ない・持ち出さない・持ち歩かないという原則を徹底して守るべきだと、そんな感じですかね。しかし何で私がこんな話してるんだろう

ところで名古屋大学オープンカレッジ「自由奔放! サイエンス」(主催・名古屋大学経済学研究科エクステンションサービス、後援・社団法人キタン会)というのがあり、何が自由奔放なのかはよくわかりませんが今年は私も喋ることになりました。2009年10月31日(土)に、「何が秘密なのか?:個人情報とプライバシーをめぐる変化」というテーマでお話ししますが、まあ基本的には上記で述べたような話から展開させるつもりです。参加無料だそうですので、ご興味ご関心の向きは上記リンクから参加申込みについてご検討いただければと思います。

なおこの間に

| コメント(0) | トラックバック(0)

書評原稿が一件掲載されております。大屋雄裕「〈私づくり〉のプライバシー:データに依存した自己イメージ形成はどこへ行くのか(阪本俊生『ポスト・プライバシー』(青弓社2009)書評)」『図書新聞』2923号(2009年6月27日)、5面。

ちょうど裏表に橋本先生の書評が載っていて(というか忙しかったので置いておいたら橋本先生からそのことを指摘されて)たまげたことであったなあ(詠嘆)。

日本映像学会

| コメント(0) | トラックバック(0)

というところで全国大会のシンポジウムに呼んでいただきました。なんで私(挨拶)。まああの、会場校が名古屋大学ということで交通費が要らないというのが一因だったのではないかと。

テーマは 「動画サイトは『教育の場』となるか?」ということで、もう一人のパネリストは濱野智史さん。会場の無線LANの調子が理由で実際には逆になりましたが、濱野さんが動画サイトのアーキテクチャも一定の条件下では教育的な意味を持ちうるのではないかという問題提起を実例なども紹介しつつ行なうことによりアーキテクチャの条件的な分析を進める必要性を指摘し、私が「Can or Must?: 新しいメディアをいかに統制するか」という表題でいやだから教育で何とかしてくれないとほかに統制の方法があんまりないんで困るんだよなとぶちまけるという構成になっていたかと思います。統制手段としての法のそもそも的な必要性とか、実際の教育利用に対する法の影響とかも議論としては出て、それなりに面白い展開になったのではないかと思います。というかそうであってほしい。濱野さんは学会の報告内容に映画を扱ったものが多いので「やべえアウェイだ」とか言っておられたわけですが、私に至っては普段扱っている対象と次元が二つか三つか違うわけで面白く思っていただける話ができたかと思うとびくびくです。まあでも、こういう経験はいろんな意味を持つだろうと個人的には思うので、だいたいどこでも呼ばれれば行く。

これとは別に一般の方々向けにお話しする仕事とかもいただいているので(大学にやらされてるだけという話もなくはない)、また告知します。はい。(6/9公開)

ねじれ

| コメント(1) | トラックバック(0)

RIMG0005.jpg所用で国立駅前を通過。あの駅舎がなくなっているなあと若干の感慨を持つ。いや国立駅には教科書を買いに来るときくらいしか用事はなかったので、あまり通ったこともないんですけどね。

なおこの間に

| コメント(0) | トラックバック(0)

論文が一本公刊されております。Takehiro OHYA, "Twisted Diet: A Failure in Legislating Politics in Japan", Legisprudence: International Journal for the Study of Legislation, vol. 2, no. 3, Hart Publishing, 2008, pp. 253-269. 2008年の3号なんだけど出たのは4月らしい。一応査読誌だし、英語もほとんど直されなかったので「英語で論文を書く能力がある」と自称してももういいかなと思う今日この頃。留学経験なしでもここまで行けます。

東京法哲学研究会

| コメント(5) | トラックバック(0)

というわけでたまには会員としての責任を果たすべく発表してみるわけだが、ここを読んでいる方々はお気づきの通り私あちらこちらに呼んでいただいてはお話ししているので正直タネ切れ気味であり、もう一人の報告者であるY村君がむつかしいことを喋ることが容易に予測できたこともあっておおざっぱに肌理の大きな話をすることにする。で、「法整備支援は何が面白いか:法哲学の観点から」

まあその、最近学会の途中からいなくなってカンボジア出張とか正直法哲学会には不義理が続いているので、なんでそんなことになっているかという釈明も兼ねたわけであります。内容は、法整備支援の現状がどうなっているかということと、その理論的なバックグラウンドが実は貧弱であること(たとえばそこで頻発されている「法の支配」という言葉が何を意味しているのかさえ十分に共有されたイメージがないこと)、実はそのあたりって法哲学とか法社会学とか、つまり一国のすでに確立された実定法を相手にしている限りはあまり目立たない学問がメインフィールドにしてきたところですよ、という感じ。途上国の現状分析とか理論構築とか、やっぱりこういう理論知が役に立つと思うし、逆にそこを見ることで法哲学の理論に対してもインパクトがあると思うのですよねと、まあそういうお話でした。

脱稿

| コメント(1) | トラックバック(0)

2ヶ月で英語論文を一本書く生活は体に悪いような気がする。なんとなくだけど(挨拶)。というわけで前回の論文について「出せました」と某所にご報告したところ「おかわり」という宣告を受けこうそのなんというか死ぬわ

まあでもちょっとこれは本当にacceptされるかどうかという話なので、通らなかったら法政論集にでも載せようかなと。もう疲れたから日本語書くの次は。

***

ところで明日の病院の会議までに目を通さないといけない書類が1000ページくらいあるわけだが(*1)。なんで自分の病気で医者に行く暇もないのにこんな目に(*2)。(ネタを書き忘れたので3月23日追記)

(*1) 省令改正で4月から完全オープンになるので書いてしまいますが、医学部附属病院の臨床受託研究審査委員を務めております。GCP省令のコンメンタールとか読んでます。何でこんな目に
(*2) いや花粉症ですが。薬なしで乗り切ろうとしたところ皮膚症状(皮膚描画症みたいなの)がひどくなり、やむを得ず売薬に頼ったところすげえ眠気が襲ってきてぐにゃぐにゃです。お医者さんで出してもらうジルテックだと(私の場合)眠気は出ないので、来年はおとなしくさっさと病院に行こうと思います。ううううう。

おわり

| コメント(1) | トラックバック(0)

というわけで5回に渡ってお話ししてきたQuery Cruiseも今回が最終回。『自由とは何か』の議論をたどってからその先を見通そうという目論見で、まあそれなりに(対照すべき軸というのも見当がついたような気がして)何とかなったのかなあと、自分としては思っています。というわけで議論がどういう展開になったのか、一応目次をご紹介。

よく喋る

| コメント(2) | トラックバック(0)

というわけでまた喋った記録が出ました。大屋雄裕・北田暁大・堀内進之介「〈鼎談〉幸福とパターナリズム:自由、責任、アーキテクチャ」『談』no. 83(特集・パターナリズムと公共性)、たばこ総合研究センター、2009、pp. 59-83。え〜「地方小出版流通センター扱い」だそうですので一般の書店では取り寄せになるかと思います。名古屋だとパルコブックセンターやちくさ正文堂、東京ならジュンク堂の新宿・池袋、新宿の紀伊国屋や八重洲ブックセンターには置かれているそうですので直接ご覧になりたい方はどうぞ。取扱店などの情報も含めて掲載誌の情報はこちら。ちょっと宣伝のために引用してみる(私の発言)。

監視と配慮の行き届いたホテルに住みたいという気持ちはわかるけれども、他方、そういうホテルを運営したがるやつがいるだろうかということをそろそろ真剣に考えた方がいい。(......)支配への欲望があるから放っておくと誰かがきっと支配者になる、だからわれわれは支配されないためにどうすればいいかを常に考えておかなければならないと、ずっと長いこと想定してきました。とはいえ現状を見るとどうだろうか。霞が関の官僚たちなんかは、むしろ支配することに疲れているんじゃないだろうか。医者だってそうで、患者に配慮してパターナリズムで接してきて、患者たちから文句が出ることはなかった。ところがその構造は崩れて、何かにつけて患者から文句が出てくる。にもかかわらず、配慮は徹底するように求められる。(......)先ほどリスクの影にすら怯えると言いましたが、リスクだけではなくて、リスクの可能性自体も排除するような振る舞いが増えてきているというのは、これに対応している事態でもある。結局、サービスを受ける側に何か不都合があった時に、リスクの影を見逃したことが責められるんです。だとするならば、支配する側は、自己防衛のためにリスクの影自体も放逐しないといけない。リスクの影すらなくしておかないと支配者として安全ではいられない。セキュリティが徹底されていく背景にはこういう問題があるんですね。支配者自体が被支配者の欲望に操られていて、結果的に、社会それ自体が被支配者の可能性とか希望を縮減する方向へ向かっていく。/これを止めるためにはどうすればいいか。簡単に言うと、配慮への欲望を捨てることです。

法理学研究会

| コメント(2) | トラックバック(0)

P1000703.jpgオレ......いまの仕事が終わったらCore i7でBlu-rayの見られるデスクトップ組むんだ......(死亡フラグ)。というわけでようやくいま抱えている仕事団子の先が見えてきたわけですが(まあお代わりが確実に待っているわけだが)、先週に続いて京都まででかけて法理学研究会で報告してきました。しかしこう、なんで私が出かけるとこういうことになるのか。関ヶ原真っ白です。なんかイベントでもあるのかホテルが取れず、最終の新幹線で帰る日程にしていたので気が気ではないわけですが。

新年

| コメント(0) | トラックバック(0)

皆さま、新年のお祝いを申し上げます。わたくし昨夜「年内に」と言われていた論文の脱稿に成功し、12月37日を最後に旧年を閉じることができました。Takehiro OHYA, "Twisted Diet: A Japanese Failure in Legislating Politics"、詳細はまた掲載されたら書きますが、A4で15ページだかあるから日本語だと400字50枚くらいの見当かなあ。いや1週間くらい両方の年の仕事が重なっててつらかった(いや一応ちゃんと事前に「deadlineは6日に伸びた」という連絡はいただいていたのですが)。

これから12月の内容を若干補足するのです。ちょっと二三日モノ書きたくないし。

2012年10月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

Monthly Archive

Webpages

Powered by Movable Type 5.14-ja