法哲学: 2010年アーカイブ

傍論(5・完)

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もう一点は、いやしかしこれ「平和的生存権」を評価する側からも微妙すぎる判決ではあるまいかということである。本件判決は「控訴人らは、それぞれの重い人生や経験等に裏打ちされた強い平和への信念や心情を有している」と評価し、「そこに込められた切実な思いには、平和憲法かの日本国民として共感すべき部分が多く含まれているということができ、決して、間接民主制下における政治的敗者の個人的な憤慨、不快感又は挫折感等にすぎないなどと評価されるべきものではない」と述べるなど、「平和的生存権」に関する原告側主張を強力にサポートしているわけである。

傍論(4)

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以上からは、名古屋高裁判決において自衛隊イラク派遣を違憲と判示した部分についても、それを簡単に《傍論》なので無視できると片付けるようなわけにはいかないということがわかる。さて、ではそれは「判例」なのだろうか。

傍論(3)

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さて、それでは最後に当の名古屋高裁判決(平成20年4月17日)は、ではどのように理解されるべきなのか。同事件は、イラクへの自衛隊派遣が憲法違反であると主張する原告が、(1)そのような派遣によって「平和的生存権」が侵害されたことに対する損害賠償、(2)そのような派遣をしてはならないことの確認、(3)派遣が憲法違反であることの確認を求めて提訴したものである。結論的には、(2)(3)についてはそのような訴え自体が不適法なので却下、(1)については(1A)当該派遣は憲法違反であり、(1B)それにより原告の「平和的生存権」は侵害されたが、(1C)具体的な損害が生じていないので請求棄却という結果になった。このうち(3)は、日本法が抽象的違憲審査制度を採用していないこと(あくまでも実際に紛争が生じた場合に裁判の対象となること)から不適法、(2)は結局防衛大臣の行政権の行使を求めるものになるので民事事件としての請求は不適法、行政事件と理解した場合でも原告に直接的な効果が及ぶものではないので原告適格性がなく不適法ということになった。そこで問題は(1)の損害賠償請求ということになったわけである。

傍論(2)

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さて第二は、では《判決理由》と《傍論》とはどう違うのかということである。この概念区分の誕生したイングランドにおいては明確に違い、《判決理由》であれば判例として以後の判断を拘束していくのに対し、《傍論》であればそうではない。イギリス法には「先例拘束性の原理」という特有の原則があり(現在は弱まったか廃止されたと言われているが)、伝統的には貴族院(最高裁判所)の判例は貴族院自身も変更できないとされていた。このために拘束力を持つ《判決理由》をできるだけ狭く解し、後続する事件での判断の自由を確保するための技術として「区別」(distinguishing)というものが発展してきたと言われているわけである。

傍論(1)

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自衛隊イラク派遣を違憲と判示した名古屋高裁判決(平成20年4月17日)に関連して、「傍論とは何か」という趣旨のご質問をいただく。前に書いたことなかったかなあと思って検索したがないようなので、あらためて一度書いておくことにしよう。こういうのは裁判官か実定法学者の人に書いてもらう方が本当はいいんだろうけどねと思いつつ。

さて「傍論」およびそれと対をなすものとして使われる「判決理由」とは何かというと、順にobiter dictum (オビタ・ディクトゥム)でありratio decidendi (レイシオ・デシデンダイ)である(以下混同を避けるために、この意味で使う場合はそれぞれ《傍論》《判決理由》と書く)。なにを言っているかというと、これらの語が翻訳に基づく概念だということと、その由来はイングランドであるということだ。言語はご覧の通りラテン語だが、日本におけるラテン語の読み方として一般的な古典式やドイツ式、あるいはイタリア式でも、たとえばratioをレイシオとは読まない。これはイングランドで法律用語として使われていたラテン語の発音が日本に入ったものだという由来を覚えておくことが、あとで重要になる。

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