法哲学: 2009年アーカイブ

というわけで、名古屋大学大学院法学研究科・大学院教育改革支援プログラムの主催による「法の支配」セミナーと銘打って、アメリカ・セントジョンズ大学ロースクールのブライアン・タマナハ教授をお呼びしたわけですよ。会場には、遠方からお越しいただいた方も含め80名を越える参加者にお集まりいただきました。なんか地味なテーマのわりに大盛況という感じで、関係者一同恐縮しております。お越しいただいた方々には改めてお礼を申し上げます。

なぜしかし「法の支配」かというと、趣旨説明のところで私自身申し上げたことですが、法整備支援領域を典型として、世界中でこの言葉が濫用されている。世界銀行単独で90年代以降300以上の「法の支配」樹立プロジェクトがあったとか、これはウィスコンシン大学のトゥルーベック教授が書いておられることですが、そうやって構築を目指したり賞賛したりしているわりにはその内実がまったく明らかではない。この点はタマナハ教授がまさにOn Rule of Lawの中で指摘されているわけですが、ブッシュ(子)とムガウェと江沢民が一致して賞賛している「法の支配」てえのは何なのかと。まあそういう問題意識があって、私自身先日英語の論文を一本書いたわけですが(未発表)、ここはひとつご本人も呼んでお話を聞こうという趣旨だったわけです。

この点、セミナー前日に名古屋大学で学生を対象に行っていただいたゼミなどの内容も勘案して言うと、タマナハ教授ご自身は----On Rule of Lawの中で行なった----「薄い」法の支配と「厚い」法の支配のあいだでは前者を取る、それは形式的な内容に「法の支配」をとどめることによって「善」をめぐる議論を避けたいという理由があるからであると。その上で、現在までの法整備支援がそのような意味での「法の支配」の確立にも成功していないことを指摘し、その原因としてinterconnectivity principle、つまりそもそも法は社会を運営する仕組みのうちの一つであるに過ぎず、他のさまざまな仕組み----たとえば宗教や市場や伝統的秩序や----と相互に関連して存在しているので、同一の法が異なる社会で同一の機能を果たすとは考えられない。「社会の法に対する優越性」を承認し、それぞれの社会の中で所期の目的を果たす手段の一つとして法改革を位置付けなくてはならないと主張された、ということになるのではないでしょうか。

でまあ、率直に言うとこれは多分日本の支援関係者などからは「そうですよね」という話であって、そういう話のできる人がアメリカでも評価されてきているのは素晴らしいですと書くと若干聞こえがいいが、まあイースタリー・サックス論争を見る日本の経済学者、みたいな感慨なきにしもあらず。もう一つは、これは松浦教授の総括でも指摘されたことだが、interconnectivityがありますという点で意見が一致したとして、では次に何をするか、何をどう研究したり支援したりすればいいのかということが課題として確認されたよね、ということでもあるだろう。まあそのあたりが次のプロジェクトの課題になるのかなと、誰が申請書書くんだとボヤきつつ、思うわけである。

東京法哲学研究会

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というわけでたまには会員としての責任を果たすべく発表してみるわけだが、ここを読んでいる方々はお気づきの通り私あちらこちらに呼んでいただいてはお話ししているので正直タネ切れ気味であり、もう一人の報告者であるY村君がむつかしいことを喋ることが容易に予測できたこともあっておおざっぱに肌理の大きな話をすることにする。で、「法整備支援は何が面白いか:法哲学の観点から」

まあその、最近学会の途中からいなくなってカンボジア出張とか正直法哲学会には不義理が続いているので、なんでそんなことになっているかという釈明も兼ねたわけであります。内容は、法整備支援の現状がどうなっているかということと、その理論的なバックグラウンドが実は貧弱であること(たとえばそこで頻発されている「法の支配」という言葉が何を意味しているのかさえ十分に共有されたイメージがないこと)、実はそのあたりって法哲学とか法社会学とか、つまり一国のすでに確立された実定法を相手にしている限りはあまり目立たない学問がメインフィールドにしてきたところですよ、という感じ。途上国の現状分析とか理論構築とか、やっぱりこういう理論知が役に立つと思うし、逆にそこを見ることで法哲学の理論に対してもインパクトがあると思うのですよねと、まあそういうお話でした。

誰か直して

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Wikipedia日本語版の「合衆国最高裁判所」の項目なんですが、「退官した判事」の欄に「存命中に退官した判事は、これまでサンドラ・デイ・オコナーだけである。」とあるのは明確に間違いだと思うのですよね。たとえばOliver Wendell Holmes, Jr.は1841年生まれで1935年に93歳で死んでいるのですが、合衆国最高裁判事として勤めたのは1902年から32年まで。存命中に退官して3年後くらいに死去した計算になりますか。あるいは連邦最高裁判事の一覧を見ても、Died(死去)とActive Service(就任時期)の終わりが一致していないケース(たとえばJohn Jay, 1795年退官・1829年死去)、Senior Statusといって「半退官」状態(俸給は全額もらえるが勤務は非常勤で、後任の判事が任命される)が数年あるケース(たとえばL.D. Brandeis(1916年から39年まで判事、それから41年の死去までSenior Status))があるのがわかると思います。後者を「退官」と言うかどうかは微妙ですが、定員が後任のために空けられることを考えればやはり「退官」であって、人員異動を促進するための「天下り」的措置だと考えた方がいいでしょうな。

法理学研究会

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P1000703.jpgオレ......いまの仕事が終わったらCore i7でBlu-rayの見られるデスクトップ組むんだ......(死亡フラグ)。というわけでようやくいま抱えている仕事団子の先が見えてきたわけですが(まあお代わりが確実に待っているわけだが)、先週に続いて京都まででかけて法理学研究会で報告してきました。しかしこう、なんで私が出かけるとこういうことになるのか。関ヶ原真っ白です。なんかイベントでもあるのかホテルが取れず、最終の新幹線で帰る日程にしていたので気が気ではないわけですが。

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