法哲学: 2008年アーカイブ

討議と決定の代表

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「タクシーとマッチポンプ」について けんた さんからコメントいただいた内容について。考えたことというのは、議会の機能を討議と決定という二つの局面に分けて、ウエストミンスター型と大陸型それぞれにおける代表のあり方を描写したらどうかなあという話。

「神戸レクチャー」というのがあり、1987年に法哲学・社会哲学国際学会連合(IVR)の世界大会が神戸で開催されたことを記念して(そのときに頂いた浄財を活用して)海外からえらい学者を日本に呼んできて講演をしてもらうという行事である。日本法哲学会とIVR日本支部の共催でやってきたのだが、今回は京都大学の獲得した学術創成研究「ポスト構造改革における市場と社会の新たな秩序形成:自由と共同性の法システム」に主催に加わっていただけたおかげで大物を呼ぶことに成功したらしい。つまりシカゴ大学のキャス・サンスティーン教授である。ネット界隈では『インターネットは民主主義の敵か』(Republic.com)で有名だと思うが、今回は憲法学者としての立場である司法最小主義(Judicial Minimalism)や政治思想的なリバタリアニズムの話がテーマなので、そのあたりの情報社会論的な話はあまり扱われなかった、と思う。

しかし実は街宣行為の評価は主論点に無関係である。それは、今回の事件で問われたのが市民には問題に立ち向かう義務があるのかという点だからだ。いま、右翼による街宣の危険性は実際にあり、それを受けると世間からのホテルの評価が低下すると仮定しよう。裁判所の命令が出た以上ホテルは開催を受け入れるべきだったと言う人は、その負担をホテルが甘受すべきだということを含意している。だが、悪いのは(という視点に立つならば)そもそも街宣をかける右翼であり、「うるさいから」という理由でその騒音の発生に誰が責任を負っているのかということを考えずにホテルの評価を低下させる世間のはずである。なぜそのツケをホテルが支払わなくてはならないのだろうか。もちろん自由かつ自発的に契約関係に入ったのだからという説明はできる(そのリスクを考慮しても引き合うと思ったんだろう?)。だが、であればその計算が間違っていた(と思った)際に、適切な代償の支払いによってその契約から退出する自由も認めないと筋が通るまいと思うのである。なお、このリスク発生源に対するコントロール能力があるかというのもひろゆき氏の事例と今回の違い。

いや私は結果的に意見の違う相手より整合性とか統一性とかのない人間の方がキライなんだよ(挨拶)。川人先生からご本をいただいたときにも少し書いたけど、統一性のある人は同意しなくても尊敬してますよ。共産党は結構好きで時々一票入れてるとかね。「右とか左とかはいい。上か下かだ」とか学生にも言うわけですが、だって立場が違っても統一性のある相手の行動は予測できるけど馬鹿はそうじゃないからねえ。私個人としては根元的他者の接遇とかぜんぜん好まないので(というかそれが本当に根元的な他者だったら私はその訪れを認識できないのではないかとか理論的には思うところであるし)、右だろうが左だろうがわけわかんないのがキライなんです、少なくとも私の自意識としてはね。それはおまえの実存的脆弱さに由来するのだろうとか言われたらそうだねえというか、実存の強固な人間が根元的規約主義とか主張しないよねえという気がする。いや心弱い生き物なのですよ。ええ。

神は必要か

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というわけで東京法哲学研究会で行なわれた安藤馨『統治と功利』の合評会に行ってまいりました。全体的には、同書の特に理論的な検討の部分に焦点の当てられたコメントが加えられ、著者のリプライ・フロアとの議論にわたってその雰囲気が維持されたので、テンションの高い良い研究会だったのではないかと思います。というか私はメタ倫理回りについては門外漢なので(その一つの理由は私には存在が見えないからですが(だって認識しかないじゃんねえ))、しっかり勉強するつもりで聞きに行って勉強して帰ってきたという有意義なイベントでした。はい。

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