確信的誤読犯対応(2・完)

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実はしかし、法華狼氏が自己評価を(さらに)こじらせたかなあと思う点が一つあり、それは氏自身が(今回の)私に対する言及の前提として参照している別のエントリにある。

まず私自身の主観的証言を述べる(読めばわかるように「見ていない」という趣旨なので証拠により裏付けることはできない)。本年8月中旬に法華狼氏は複数回私のtweetを踏まえてエントリを書き、ある意味非常に誠実だと認めるところであるが、はてなIDコールを通じてmentionを飛ばしてこられた。まあしかし正直に言うとその内容とかレベルはごく低いもので、以前にblogでやりとりした際の印象からもまともな対話にはならないと思ったのでごくダメな点のみを適当に指摘し、途中からは見るのも止めてしまった。なので上掲8月18日付のエントリも読んでおらず、昨日初めて目を通した。

というわけで「馬鹿らしいから相手しなかった」が私の本音であるところ、あるいは法華狼氏はおおやがぐうの音も出ないので沈黙してしまったと思ったかもしれず、そのために自分が書いたことは正しかったのだという確信と自己評価を高めてしまったかもしれない(いや彼むかしからそうですよと言う人もいるかもしれない)。なんかそのままにしておいては悪いので、ついでに同エントリの内容をもとにして法華狼氏の読解能力と対話能力に大きな問題があることを指摘し、相手しなかった私の判断が正しかったことについて疏明しておきたい。ポイントは大きく二つ。

第一は私の上記tweetについて、法華狼氏が以下のように述べている点。

ついでに、たとえ話で不思議なのは、わざわざ「仮に現存」したという仮定で語っていること。/生物の分類がサイズで決定されるとはかぎらない以上、それぞれ「現存」したと仮定した時のサイズも決定できない。同じ生物種でも年代によってサイズが変わることは、よくあることだ。/同じように、現実に存在しない記者というならば、「就職したのは本人の選択」*2という大屋教授の主張も確定できない。

(1) 「仮に......だとすれば」というモノの言い方を反実仮想と言うが、その場合そこで言及されていない状況についてはすべて変化のないものと想定するのが(日本語だけでなく言語理解一般に)当然のお作法である。「もし私が鳥であったなら、この空を自由に飛べたのに」(If I were a bird, I can fly this sky freely.)という表現に対し、「おまえが鳥であるという状況は現実になっていないので、それが現実化した際に鳥が飛べるかどうかはわからない」と反論する人間というのは端的に反実仮想が(そしてそれを含む言語表現体系が)理解できていないのである。

(2) そもそもここでのポイントは対象の実在・非実在を問わず概念の相互関係は分析可能であるというところである。たとえば、幅がなく一定の長さだけを持つ図形が線分であり、3本の線分によって構成される図形が三角形なので、「2本の線分だけからなる三角形」は存在しないという結論に異論のある人は(常識的な範囲では)いないだろう。法華狼氏の上記反論はここで「我々の世界に『幅を持たない図形』などは実在しないので『2本の線分だけからなる三角形』の存在可能性は確定できない」と主張しているのと同じことであり、それはアノマロカリスとティラノサウルスの推定サイズを問題にしてもここでのポイント(概念の相互関係の分析可能性)に対する反論になっていないことを理解できていないか、「2本の線分だけからなる三角形」の存在可能性を本気で信じているレベルかのいずれかということになる。

(3) いやまあ別に両生物のサイズが実質的に推定できないと「仮に現存していたとすれば、アノマロカリスよりティラノサウルスの方が大きい」という言明の真偽も推定できないという相当に特殊な存在論を採用していただいても他人事なので構わないのではあるが、しかしバージェス動物群で最大とはいえおそらくは外骨格で巨大化にも限界があっただろう体長2m級のアノマロカリスと、内骨格の肉食恐竜で12m級のティラノサウルスでサイズの逆転が起き得るものか、そのあたりを全部横に置いておいたとしても記者が「就職したのは本人の選択」かどうか確定できないって君がたの世界では生まれながらの身分門地で新聞記者になったりならなかったりするの? という感じであり、要するに法華狼氏の「反論」はまったく生き残る部分がない。これだけ一から十まで間違ったことを書いて自信満々なんだから、やっぱり、なあ、という話。

* * *

第二点はこちらのtweetに対し、法華狼氏が「マスメディアで証言が言及される場面を「証言をもとに事実の存在を伝える」としか想定できなくて、よく大学教授がつとまるなと不思議になる。」と評している点。

一読してわかる通り上記は(A)マスメディア(B)tweetを対比しているものだが、さらに分けて書けば(A1)「証言をもとに事実の存在を伝える」(A2)「有料の」(A)マスメディアと(B1)「事実の有無にかかわらず成立する論理的関係に言及する」(B2)「無料の」(B)tweetを対照しており、かつ(A1)―(B1)・(A2)―(B2)を対比するという構造になっていることがわかる。

ここで(A2)―(A)「有料のマスメディア」・(B2)―(B)「無料のtweet」を取り出すと、前者は概ね必然的(例外はある)、後者は基本的に必然的な関係にあり、対応していると言える。では(B1)「事実の有無にかかわらず成立する論理的関係に言及する」がtweetの必然的な性格かと言えば当然ながらそんなことはなく、ここで前提にされている一連のtweet、すなわち「就職」と「出生」のあいだの帰責可能性の差異を論じたものやアノマロカリスとティラノサウルスの大小に言及したものが偶有的に備えていたに過ぎないということになろう。

である以上、それ(B1)と対応する(A1)「証言をもとに事実の存在を伝える」についても偶有的属性、すなわちマスメディア報道の一部は備えている属性と理解すべきであり、あたかも私がそれをマスメディア一般の属性であり・かつ他のものが存在し得ないと主張したかのように述べる法華狼氏の以下の記述は完全に的外れだということになろう。

現実には、証言者の活動を紹介するだけだったり、未検証の証言をもって調査研究の必要をうったえたり、ひとつの証言をもってひとつの仮説をたてたり、著名な証言を真偽不明と指摘するためとりあげたり。むしろ証言ひとつで事実が確定したかのように報じる記事がどれほどあるだろうか。/こうしたことを知らなくても、マスメディアにおける証言のあつかいがさまざまであることは、朝日検証を読めばわかるはず。無知なのはしかたないが、不誠実なのはいただけない。

......というか、普通はこんな長々した分析をしなくてもこの程度の発言の意味は日常的に了解可能なんだよね。「証言をもとに事実の存在を伝える(略)マスメディア」という表現から「マスメディアの少なくとも一部は、証言をもとに事実の存在を伝えるものであると、発話者は主張したか前提している」と理解するのは当然に正しいんだけど、それだけから「マスメディアのすべては、証言をもとに事実の存在を伝えるものであると、発話者は主張した」と推論するのは異常としか言いようがないし、あえてきちんと言えば全称命題と存在命題の違いが理解できていないということになる。つまりは日常的な水準で言語理解ができていないか、論理的推論の能力が低いかということ。どちらにしても対話できないよねえ、そういうヒトとは。

* * *

というわけで法華狼氏の上掲エントリだが、上記2点を氏の異常な読解・推論能力に起因するものとして除外すると、やはり何も残らなくなってしまう。相手をしなかった私が正しかったのではないだろうかと、そういうわけ。

ついでに宣言しておくけど、ここまで書いたように(故意の有無はともかくとして)法華狼氏については読解力・推論能力・対話能力に巨大な問題があることが明らかになったと考えるので、今後一切相手をしません。法華狼氏において言及するのも(そう望むなら)IDコールを送ってくるのも自由ですが(それを止める権限は私にはない)、最初から読みません。まあせいぜいお仲間がたと楽しくやっていてください。

幸せそうでいいなあと思いつつ、学会報告の原稿直しに戻ります。

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コメント(1)

ああ、先生、惜しい!

 × If I were a bird, I can fly .
 ○ If I were a bird, I could fly.

「もし私が鳥であったなら、この空を自由に飛べたのに」を現状における反実仮想と考えると、canではなくmodal auxiliaryのcouldを使わないとimaginaryの文章にならないですね。

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