リアリズムと陰謀論(3・完)

| コメント(2) | トラックバック(0)

ただまあ、こういう陰謀論者をほっておいても構わないだろうと思う理由もあり、つまりリアリズムと陰謀論の違いについて述べた箇所で繰り返し説明したが陰謀論者の世界には本当の意味での他者がいないので、観点や価値観や考え方の違う相手を説得したり納得させたりするための議論というのをこの人たちが生み出すことはできない。あらかじめ結論を共有し・モノの感じ方において「共鳴」してしまっている人たちが寄り集まってくるということは考えられるのだが、閉じたクラスタを作って内部で反響しているだけなので基本的に無害である(アメリカの民兵集団みたいにそこに武器を足すと危険が生じると思うが、この人たち多分、そういう指向も能力も持ってない)。

なんか反響が耳障りだなあと思ったときに音の届かないあたりまで蹴飛ばしておくというのが個人的に必要なことのすべてであり、なんか若い人がうっかり共鳴してしまってクラスタから出てこれなくなったりしないようにその性質について分析しておくというのが教育者としてやっておくべきことかなと、その程度の話である。しかしその、あれだね、「IDcallとかしてもらわないと気が付かないよ」と言うたら律儀に飛ばしてくるあたり、「トラックバックかなんか送ってくれないと気付かないよ」と言われても陰でもしょもしょ動いてた生き物に比べると法華狼氏には愛嬌があるね。単に《そうするとどうなるか》がわからんだけ、という可能性もあるけど。

* * *

というわけで個人的には分析終わりという感じなのだが、絶叫デモとテロの関係について何を言われたかということが法華狼氏はまだ一向にわかっていないらしいので、その点のみ一言する。要するに、「すべてのカラスは黒い」という全称命題を否定するためには黒くないカラスをとにかく一羽見つけてくればよい。それが少なくとも一羽いるということが示された場合、問題は「黒い」と「黒くない」の差は何か、その判定をどのように行なうかといった次元に移らざるをえない。

在特会の例にせよ、議会の物理的封鎖や多数派議員に対する暴力という設例にせよ、要するに「デモと自称していてもテロであって社会的に許容できない例」を少なくとも一つ示すことによってデモとテロはまったく相容れないという全称命題を否定し、テロと区別できるデモの条件を示す議論に移行せよというのが私の議論の意味だが、12月10日付「[ネット][報道][身辺雑記]言葉にできない抗議のかたち」を読むとわかる通り、法華狼氏はそのことがまったく理解できていない。テロと到底言えないデモが存在することなどは当然であって、良いものであれ注目すべきものであれその実例を挙げても全称命題の否定を覆すためには何の意味もない。

法華狼氏が選ぶことのできた一つの対応は、まず「自称デモ」でも有形力の行使を伴うなどテロと言わざるをえないものがあることを認めつつ、その境界線として物理的な暴力を提案し、絶叫であれ単純な繰り返しであれ音声はその「物理的な暴力」に当たらないので石破氏の発言は誤っている、と主張することであっただろう。もちろんただちに私からは耳元で大声を上げたことが刑法上の暴行とされた事例が紹介されることになっただろうが、なおそこにはレベルの差があるとか、現に刑事取締りに至っていない今回の法案反対デモはやはりテロと呼べない、などと反論する余地があっただろう。

だが上記のような議論の構造が理解できない法華狼氏は見当違いな「反論」を繰り広げ、かつそれを受け入れない存在を「敵」認定するだけであり、まあつまり知的でも生産的でも政治的に賢明でもない。ほおっておいていい存在なんだよと、つまり結論はさきほどの繰り返しになるのであった。どっとはらい。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.axis-cafe.net/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/924

コメント(2)

今さらながら一点だけ。

>ほおっておいていい存在なんだよと、つまり結論はさきほどの繰り返しになるのであった。

デマを広めたツイートを前提として論を展開し、その過ちを指摘されたら大屋教授は下記のように自らを位置づけましたよね?

https://twitter.com/takehiroohya/status/500868467881304064
>事実の有無にかかわらず成立する論理的関係に言及する無料のtweet

つまり大屋教授こそが、WEBにおける自身を「知的でも生産的でも政治的に賢明でもない。ほおっておいていい存在」と自認したわけであり、それをもってデマを広めたことや、論理的に物事が考えられないことへの批判に対して開き直ったわけです。
そうした自認をこのブログやツイッターに断り書きすることが先でしょう。相手を「ほおっておいていい存在」と評することができるのは、その後ですよ。

念のため、これは私と大屋教授が同等であるという話ではありません。
大屋教授は自らの責任と選択によって、誠実さの装いを捨て去ったのです。

※大屋教授がデマゴギストであることはわかりましたから、カンボジア大虐殺についてのデマの訂正は希望しますが期待はしません。

>ほっけ さん
すいません、スパムフィルタに引っかかっていたのでさきほど気付きました。言及されている点については、11月4日付エントリで議論しておりますのでご参照ください。全称命題と存在命題の違いはついに理解できなかったんだなあというのが私の感想です。
ついでに一点だけ指摘しておくと、デマゴギー(demagogy / Demagogie)を述べる人(行為者)はデマゴーグ(demagogue / Demagog)。不思議な名詞を勝手に発明しないようにね。

コメントする

2014年11月

            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

Monthly Archive

Webpages

Powered by Movable Type 5.14-ja