リアリズムと陰謀論(2)

| コメント(3) | トラックバック(0)

さてところでそのような陰謀論の見本がこちらになります。法華狼氏の「[ネット][身辺雑記]もはや人間の言葉が通じない」(12/9)。同氏(12月7日)の「[ネット][陰謀論者]陰謀論を認めさせたい人たち」で紹介されている私のtweetが、強行採決による野党の抵抗増大や支持率低下という代償にもかかわらず政府与党が法案可決を急いでいるのは何故かという問題に対して当事者が合理的に意思決定していると想定するならばこのような可能性があると述べたものであるのに対し、後者エントリのコメント欄で法華狼氏が述べていることはまさに示唆的である......「政党が常に合理性がある行動をとるという前提が間違いですよ」。

まあ要するに《自己と同等だが異なる他者》の存在を想定することのできない陰謀論者の観点からすると自分の信じる結論を共有しない人間は敵なのであり、敵は愚かであるか悪辣な陰謀の駒なのだと推論が展開し、その観点からすべてを説明することになるという典型的なケースだということができるだろう。なおその際、発言を文脈から切り離して「独自の意義」を付与したり客観的な数字を認識することを拒否する、というのも典型的な症例である。

前者、法華狼氏の引用する私の上のtweetは、生活保護受給者ないしそれに近い層という「立場の悪化している弱者」は社会において相対的に少数であり、その支持を重視すると政治力が小さくなることになるのではないか、という趣旨のbn2氏(@bn2islander)に対し、現在の生活保護受給者はたしかに少数だとしても生活保護を含む社会保障・所得再分配政策という観点で見ればその恩恵を実際に受けたり将来的に受けるかもしれないと考える層は多いだろう、だから大政党の基盤にすることができるのではないか、という趣旨を述べたものである。

ところがこれについて法華狼氏は「誰もが受給資格者になるという想定もできず、他人事のように語る。」と完全に逆さまに読解するわけだ。もちろんそうしないと私が左派が立脚し得る基盤について真面目に述べていることになり、法華狼氏の敵でなければならない人間のイメージに合致しないからである。

後者は、私の上のtweetについて。これは(書いてある通り)治安維持法による逮捕者起訴者(12/12修正)が20年間で約7000人という数字の解釈をめぐるものだが、「普通に多いな」という元tweetに対してその数字が他と比較してどの程度のものかということを客観的に述べたものである。つまりならせば(この点についての留保は下のtweetでしているわけだが)それは年350件水準で現代における殺人事件(概ね年800件水準)の約半数、公務執行妨害・売春防止法違反・銃刀法違反といった事件の件数と同じくらいというのは統計上明らかになっている数字の問題に過ぎない(ちなみに当時の殺人件数は現代の倍程度なので、さらに当時の視点からのインパクトは小さくなる)。

ここで私の統計の読み方が違っているとかいう話なら健全な批判なのだが、もちろん法華狼氏の解釈は左斜め上に飛んでいくことになる......「あくまで起訴率が意外に少ないというだけの感想から、国家権力の影響が起訴にとどまらない範囲へひろがることを想定せず、犠牲が社会内部でかたよっていたと主張......」。

まず見ればわかる通り、元tweetの人は《起訴率は低いが、件数は多い》という内容を述べている。だから私が後者について否定的に書いたわけであり、ちなみに前者を否定したりはまったくしていないのだが(書いていない、というのは正しい)、法華狼氏は《件数は多い》という元tweetからの文脈を完全に読み落としてしまうわけだ。

さらに言うと私が「インパクトは社会内部で片寄っていた」と書いた点について「治安維持法の犠牲者の過小評価」としている点についても非常にあたまがわるい。というのは社会全体として一定の件数があるものの分布を偏らせるとどうなるかというと当然ながら薄い部分と濃い部分が発生するわけで、統計上の数字ほどのインパクトを感じない人たちと数字以上に感じる人たちが現われることになるだろう。

で、まあこのあたりは戦前なり社会主義の歴史なりを一応勉強したことがあれば常識的な見解だと思うが当時において社会主義に触れたり染まったりする機会があったのは要するにインテリと都市の工業労働者であり、そして農村部を中心とする当時の日本においてそれは社会のごく一部に過ぎなかったわけである。もちろんその狭い領域に治安維持法の犠牲者は濃く集まっていたわけだから、多数派の農村・非インテリ層からすれば全然インパクトが感じられず・それによってなんとなく支持されてしまうような状態が成立しても不思議ではない(現に、最高刑を死刑とし目的遂行行為を処罰対象に加えた昭和3年改正自体は緊急勅令で行なわれたが帝国議会で次の会期に覆されておらず、昭和16年改正も翼賛選挙以前の・野党勝利によって林銑十郎内閣を打倒した選挙で組織された議会で可決されているわけだ)。逆にターゲットとされたインテリや労働者層にとっては数字以上に実際のインパクトがあっただろうし、万人恐怖による萎縮状態が生じても不思議ではない。

これは一面で全体の数字だけで当事者の印象を「間違い」とか「誤解」と決め付けるべきではないという話だが、その反面ある当事者が受けた印象に正当な根拠があったとしてもそれが社会全体に適用できるわけではないという話でもある。そしてまた、そういったムラの存在を踏まえて《仮に全体的には小さな被害でも一部のセクターには致命的になり得る》と主張しないと今回の特定秘密保護法案の批判などが大変やりにくいことになるはずなのだが、もちろん私が敵だという前提から出発する法華狼氏はそんなところまで頭が回らないわけだ。

* * *

正直に言って、上記のように典型的な陰謀論に立って「そこから導き出される結論は......!」と聞かれても「そこまでの議論を組み立てた人間の頭脳の程度が残念です」という程度にしかならないであろうし、「もはや人間の言葉が通じない」と言われてもなるほど法華狼氏と愉快な仲間たちが「人間の言葉」だと思っているものは私には通じないだろうと思う。なんか似たようなことを以前にも書いた気がするのだが、「まああとは皆さんで楽しくやってください」と、そういうことになろう。もうすこしつづく。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.axis-cafe.net/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/923

コメント(3)

ナマポや福祉・再分配を増やせばいいというのはこの21世紀にあっては却って無責任では。

働いて稼いだ人から取ってバラマキします、弱者を助けますというのがまともな労働者大衆の支持を得られるとは思えないし(むしろ税金で食うやつの特権を減らして減税しろと言ったほうが庶民にも支持される)、現にわが党の政策でも財政健全化・小さな政府は称賛され、バラマキ給付や弱者利権は轟々たる非難を受けた。

はっきり言って「弱者救済」「競争否定」「金持ち叩き」が絶対善であった時代は過ぎ去りました。弱者を救済せよというのはむしろ道徳的に劣位となった。無責任な悪平等主義、反能力主義、弱者優遇は今では憎悪の的となっています。

左派的な心情をもつ方でさえ、ナマポ増額や扶養義務廃止やナマポ人口増加を許さないだろうし、「生活保護増やします」と言った時点で、中道リベラル改革政党としては「オシマイ」です。

平等や生活の安定を標ぼうした、高福祉を含む「大きな政府」・ケインズ主義が、結果の格差よりも深刻な「権利の格差=税金や規制で手厚く保護される者と税を搾取される者との格差」と経済衰退を生んでしまった。

まっとうに働く中間層へ多大な損害を与えた官僚既得権益と弱者利権をスルーした失敗した・間違った・論破された福祉バラマキを主張するなら、とうてい有権者の支持を得られない
(共産党・左派・大きな政府派・学者・弁護士・自称専門家等の「中の人」が弱者優遇しろと叫べぶほど、普通の国民は嫌悪感を抱く。

悪平等とか利権とか克服しようともせず「保護しろ!」「助けろ!」と言ってるだけなら、反発くらうのは当たり前。

筆者は左翼ではなく右翼のようだが、そんなにナマパーが気になるなら新たな福祉バラマキ運動でも始めたらどうか。

バラマキや弱者利権が左翼の政策と限定されてるわけではないのだから。

>「生活保護受給者」だと確かに絶対少数とされてしまう可能性はあるのですが、本来は社会福祉と再分配重視という枠組で自由競争派と対立すべきであり、であれば二大政党の基盤になるはずだ

無理でしょ。
そもそも自民党自体が「(やり方が特異ではあれど)再分配・大きな政府」のサイドなのだから。一部で、「土建や弱体産業を保護することでではなく、直接に弱者個人を救済すれば利権やムダや債務増大は起きない」とする人々も居るが、私は懐疑的だ。国家が税を収奪して配る以上、如何なる再分配も利権・既得権益・ムダ・レントシーキングを生まざるを得ない。

むしろ日本に欠けているのは小さな政府の党で、これを責任ある勢力にするには旧みんなの党のような八方美人ではなく、国家にできないことはできないと言い、弱者や既得権者に我慢を強いるべき。

また、現在の日本では弱者優遇や再分配はほとんど人気のない主張だ。自力で稼がない者にバラマキをすると言うのは、個人であれ企業であれ、世論は拒否するだろう。バラマキは悪しき社会主義、悪平等主義であり、エセ弱者利権者の跋扈という結果になった近現代福祉の終末を学べば、今さら反省なしで「大きな政府」党を二大政党にすべき、左派はバラマキや弱者利権などの「オールド左翼」に戻れというのは、現実を見ない机上の空論で、橋下流に言えば「バカ学者、実務を知らない税金生活者の戯言」だ

国家権力や統制経済、全体主義、高福祉、バラマキ、政府主導経済、社会主義、規制、悪平等を懐疑する「リベラル」が必要なのであり、画一的な全体主義をその根源とする「再分配サヨク」はそれとはまったく逆だ。ゆえに秘密保護法などの国家権力統制を懐疑し、国家主導の計画経済(再分配・バラマキ・高福祉を含む)を批判する勢力こそ「小さな政府」を主導できる。

コメントする

2014年11月

            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

Monthly Archive

Webpages

Powered by Movable Type 5.14-ja