武力と日常(1)

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さて本郷和人先生と武力の話。まず初手から恐縮だが、その後考え直したところ同書の内容について「やはり武力がわからないのか」というのは書きすぎであったかなと思う。説明の便宜や本の性格から簡単に書いてしまっているが多少省略しすぎではないか、という程度の言い方が良かったろうか。

つまり同書の焦点は対立、特に武力対立であるところ、対立する両者の勝利条件というのは必ずしも綺麗に表裏になるわけではない。両者とも勝利条件を満たすとか、逆に両者とも失敗する事例も想定できるので、当事者Xが勝利条件を満たせなかった→反対当事者Yの勝利とは言えないでしょうと、そういうこと。これが「前者」とした「「対立」から中世史を読み解くという視覚から種々の戦争についても論じているが、攻めた側の戦略目標が実現されれば勝ち、そうでなければ負けと単純化している部分があり。攻めさせるということもあれば双方とも戦略目標実現に失敗というケースもあるよねえと。」の内容。

具体例として太平洋戦争(のある時点についての一解釈)を取ると、日本の勝利条件が「一撃を加えて有利な条件で講和」であるのに対し、アメリカは「日本の完全な屈服と体制転換」である。このとき、史実と違って日本の攻勢作戦がある程度成功し、しかしアメリカの日本に対する姿勢を転換させるまでにはいかず、ハルノート程度の条件だが戦争をもう止めるということには合意したとする。これは両者にとって勝利条件を満たさない、勝者なき戦争だったということになろう。

応仁の乱についても、西軍の目的は室町幕府内での主導権奪取、東軍はその阻止という本郷氏の指摘はきわめて説得的だが、最終的には西軍がそれに失敗したから東軍の勝ち、と書かれたあたりであれとなる。西軍の負けはその通りとして、しかしそれと争っているあいだに幕府の政権基盤自体がぐじゃぐじゃになり、存在意義がほぼ失われてしまうわけだ。だとすればこの戦争は、政権維持を勝利条件とする東軍にとっても敗北だったのではないだろうか。

しかし繰り返しになるがこれは簡単に書きすぎではないかという話であり、これをもって「武力がわからない」とは言いすぎではないか、と思われる。言い訳をするとこう書いてしまったには本郷氏の以前のご著書に対する先行的な判断があったわけであり、そこでの印象を引っ張った発言だったということになる。

ではその以前の判断とはどのようなことか、というあたりからつづく。

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