大学の人事とスケジュール(2)

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さて、これを踏まえて新設の話。なんかこう、11月にもなって翌4月からの新設に関する認可手続きをしているのがおかしいとか、認可が出てから建物や教員の算段をするのが正しいとか言っている方もいるようだが、できない。何故かといえばどちらも認可の前提条件として審査対象になっているからである。

まず「これこれの建物を揃えます」とか「こんな教員を採用します」とか、計画だけならいくらでも夢のような話を書くことができるわけであってまともに信用できない。「それが可能になるだけのカネはあります」という点について証拠を出させることは可能だろうが、カネがあっても建物が現実に開校までに買えるかどうかはわからないし、教員についてはもっとそうだろう。ごく非現実的な例を挙げれば、「法哲学の専門大学を作って日本人法哲学者300人を教員として招聘します」というのはカネがいくらあっても実現不能であり、何故かというに日本の法哲学者は多めに見積もっても200人弱しかいないからである。

さらに本来はその教員の質が問題になる。人を何人雇う能力があるかではなく、教育目的・課程に照らしてふさわしい研究・教育能力を持っている教員(候補)が現実に何人揃うかというのが問題である以上、抽象的な資源の量ではなく、どれだけの・どういう人が「大学ができるなら教員になります」と約束しているかという具体的な情報を見る必要がある。

というわけで、設置審(大学設置・学校法人審議会)に申請する段階で教員候補者から「就任承諾書」というのを取り、履歴書や教育研究業績書、さらには印鑑証明書とともに差し入れるという手続きになっている。設置審の側ではこれらによって当人が大学教員(場合によっては大学院教員)として十分な実力を持っているかをチェックしたり、別に提出させた各科目のシラバスとも見比べて科目適合性を判断したりしているわけ。なおキャンパスについても地図・建物配置図・校舎平面図などを申請段階で出させているので、実際の建設作業は多少遅れることが許されるとしても購入・借用ないし少なくともその合意は事前にできていないといけないことになる。

* * *

つまり今回の例で言うと、2012年3月には教員候補の全員から「2013年4月に大学ができたら行きます」と一筆を取っている。ところでその時期は就任予定の教員にとって・現職の辞職予定の一年前でもあるので、おそらく現職を持っている教員は勤務先に「新設に伴って移籍します」という連絡をしただろうし、現勤務先としては当該教員が辞職する前提での補充人事を始めているケースがほとんどだろうと思われる。このように正式の審査に入った時点で多くの人事的な動きが始まってしまうので、その前に行なわれる事前相談が実のところは重要であり、そこでまあ大丈夫そうだという話になっていなければ申請しないあるいは事実上させないという仕組みになっているわけ。

いやだって、設置審で「不認可」という答申が出た話って、聞いたことありますかね。私の記憶の限りでは昨年度の「統合医療大学院大学」くらいで、これは校舎や設備が不適格とされていたところからしても(いやそれ以外にも山のように問題が指摘されていたわけだが)そもそも「指導」を聞き入れずに申請を強行したパターンではないかと。もちろん事前相談段階では行けそうだという話だったのが審査が進むにつれ指摘事項が出てくるとか、申請側が追加や修正でなんとか乗り切ろうとするとか、ついに万策尽きて申請の「自主的な取り下げ」に至るというケースもあり、関係者の体験談などを見るにつけ大変な話なのではあるが、しかし全体としてはできるだけ早い段階で実質的な結論を確定させる方向にある。それは何故かといえば、繰り返して言うがもう人事が動いてしまっているからと、そういうことになる。

さて設置審としての結論が出て一段落、認可が正式に降りないと学生募集などが始められないところすでに開学まで半年を切っているので、書類が出さえすれば即座にポスターだのパンフだのを出せるよう印刷や発送準備にかかっている......というのが今回ひっくり返った時点。法的にこれがどうかというのは議論の余地があるが(*)、現実問題として大迷惑というのは疑いない。

特に問題なのは就任予定だった教員で、(1) 新設がぼしゃりましたので辞職を撤回したいですと勤務先に言っても「もう後任の採用が決まってるので出ていってください」と言われるであろうし、(2) 勤務先は辞めざるをえないので面倒を見てくださいと新大学の設置母体に言っても「しかし仕事もありませんし授業料収入もありませんし」と言われてしまうわけである。まあこのあたり、正直出ていく人間の面倒をなんで見てやらんといかんのかと現勤務先は思うであろうし、新設校の側にはお願いして来ていただいたものなのにという思いもあるしで新設校側で面倒見ることになるというか引き受けるケースが多いのかなとは思うが(某大学のLS設置申請がコケたときに似たような話を聞いたような聞かないような)、学部増設とかならともかく新大学設立がコケたケースだと「大学」がないわけで、来てもらっても「◯◯大学設立準備室勤務」とかになって経歴に恥ずかしい一行が残ることになるし(「あなた教員じゃないですよねえ」とかいって研究会から閉め出しをくらう、という可能性だってないではない)、ポスドクからの新規採用とかで新設校側の方が立場が上だと「というわけでごめんね」で放り出すという可能性もある。

要するに一大学につき数十人かそれ以上かの人生がこれで大きく傷付けられてしまうわけ。で、今回の決定の背景にある政策目標というのは、そうしないと実現できないことなの?

(*) もちろん認可は文部科学大臣によってなされるものであり、設置審は大臣から「諮問」(学校教育法(昭和22年法律26号) 95条)されているという関係にある。ここから、finalvent氏のように「大学設置・学校法人審議会は審議の機関で、経営の決定機関ではなく、権限がないようなので、法的には問題なさそう。」(finalventの日記)とするのがひとつの考え方(設置審の結論はあくまで意見であり、大臣の判断を拘束しない)。一方、設置審への諮問が学校教育法95条により大臣に義務付けられているところ、審議会の結論を無視して大臣が自由に意思決定できるのであればこのような義務付けの意義は没却されるであろうから、合理的な理由が提示できない限り大臣は審議会の結論を尊重する義務を負う(設置審の結論は、大臣の裁量権を一定程度拘束する)という考え方もできる。大臣自身の意思により・その意思決定の参考に供することを目的として組織されるような研究会・調査会のたぐいとは異なり、設置審は法律=議会の意思により文科相に義務付けられた制度的枠組だという性質を重視するわけ。ただ、前者の立場を取るとしても大学設置は「認可」なので要件を満たしている限り文科相は認可を与える義務がある。設置審と異なる結論を取ることはできるとしても、各認可申請が大学設置基準等に抵触している点を大臣が指摘できない限り裁量権の濫用になるとは言えるだろう。

* * *

もちろん「現在783校ある4年制大学について「競争が激化していて、質や運営に問題があるところがある」とも指摘」(同asahi.com)するのは理解できるし同意するところもあるが、そういうのはまず審議会の構成とか審査基準を変えるところから手を付けて結果的に実現すべきことで、これまで正統とされてきたプロセスを経て出た結果だけを潰してやるべきことではない。八ッ場ダム問題と同じで、およそ民主党の政治家というのは行政から政治への意思決定プロセスを理解できていないから結果だけをいじって失敗するのだなあとか、そう思ったことである。

まあ「同審議会のあり方を抜本的に見直す方針を示した」(同asahi.com)と言われても来年の審議結果が出る頃あなたそこにいないよねえとか、そういう話もあるのだが。どっとはらい。

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