続・あるべき姿とその実現(後)

| コメント(0) | トラックバック(0)

どこに泊まっているかと聞かれてパディントンと答えたら「結構離れてないか?」と聞かれ、前回はどうだったかと聞かれたので答えたら「なんでそんなroughなところに」と呆れられました。みんなビンボが悪いんや(挨拶)。あ〜でもそうかextremely rough areaなのか。昨年8月の暴動でも燃えてたし、なんか変だとは思ったんだよな。念のために言うと私自身が身の危険を感じたことはまったくなく、皆さん親切な方ばかりでしたが、まあそのあたりはイギリス社会内部でええとこにおられる方とのんきな東洋人との違いかもしれん。

さて前回の続き。こういう観点から見たとき、特に福祉関係のものごとに時折覚える違和感というのがあるところ、竹端氏の議論にも共通のものが感じ取られた、というのは「感情論」に対置して「現在でも暮らしに多大な制約を受けている人が現に存在している」ことを現実と考えておられるところである。しかし「暮らしに制約を受けている人」というのは世の中いくらでもいるわけであって、たとえば年俸3500万円だが代替要員がいないので勤務地を一切離れられない産科医の暮らしも制約されているだろうし、校務に動員されるので在外研究の経費を確保したのに実際には行けないというどこかの某N大学教員の暮らしも制約されているわけだ。当然ながら私は私の生活が自立支援制度の対象になるような障害者の人たちに比較してより制約されているとはこれっぽっちも思っていないが(*)、重要なのはそれは程度問題だということだ。もちろん世界に問題解決のための資源が無限にあるのであれば、優先順位などを考えることなく目についたところから「暮らしに制約を受けている人」を救済していけばいいだろうが、当然ながら現実はそうではない。

消費税を5%上げれば10兆円になるのに対して「国と地方の障害福祉・自立支援医療予算が各々1兆円ずつ「倍増」」しても2兆円だという、まるで消費増税によって使途の決まっていないお金が湧いて出るかのようなコメントも別の方からいただいたが、税率を10%にした場合には現行制度・民主党提案の新制度のいずれにせよ年金財源が不足するという試算が出てたんじゃなかったっけ。そこから2兆円引っ張れば年金制度はさらに窮乏するわけで、障害者は助かるが年金生活者から新たな「暮らしに制約を受けている人」を生み出すことになりかねない。税率をさらに上げるという選択肢もあるが、当然ながら税金自体が納税者の生活を圧迫し、「暮らしに制約を受けている人」を新たに作る可能性がある(消費税は逆進性が強いと批判されていることも参照)。

結局ある人々の待遇を改善しようという提案は他の人々のそれを改悪しようということを含意しているので、それでもそうする必要がある、改善の優先順位が高いということを証明する必要があるはずだ。それ抜きにここに苦しんでいる人がいますとだけ言うことこそ「感情論」に他ならない。繰り返して言うと、私自身も日本の障害者ケア制度の現状についてはよく知らないながら問題があるとは思っているし、竹端氏が指摘する問題についてもできれば改善すべきだとは一応思っている。だが第一に、すでに医療というケアを提供する必要がほぼなくなっていたのに施設入所を強いられていたハンセン病患者の問題と、継続的なケアを提供する必要があるのでその効率性ということが問題にならざるを得ない障害者の問題を単純に同一視はできない。第二に、これを書くと人非人扱いされるのを覚悟で言えば、そこで供給者の観点からの効率性を犠牲にして享受者の福利とか満足度の向上を達成しても、いやその視点の転換を実現して真に享受者のためになる福祉を考える方が素敵だとは思っているが、でも日本のGDPがそう増えるわけではないよねえ

つまり不況がずっと続いたのに既存の正規雇用を守った結果として若者世代は不正規雇用に追いやられていたり職自体がなかったりするところ、たとえばそういう人々の暮らしをさらに圧迫することによっても障害者の待遇改善を行なうべきなのだろうか。若者世代の雇用を拡大したり技能を養成したりする施策にカネを使うと、いやうまく行けばの話ではあるが経済が膨らんで納税額も増えて障害者に使うための予算も出てくる可能性がある。それに対し、障害者の待遇は改善されたが若者世代が不正規雇用・単純労働のまま行き詰まるとそのうち納税額もギリギリ下がって財政破綻して結局改善されたはずの制度も維持できなくなるおそれがある。それでもなお障害者なのか、と問う人を説得する根拠というのが必要であり、それには「現に苦しんでいる」というだけでは不十分である。

福祉関係の方には、まあ現に非常に苦しんでいる人に直面しているからという事情はあるのだろうが、このあたりの問題をすっとばしてとにかく当該対象領域は極めて優先順位の高いもので救済すべき人を多く抱えているということを前提にしてしまう人が散見され、しかしそれでは、特に分配のパイが縮小している状況において(つまり財源の行き先に皆がセンシティブになっている状況で)理解のない「正常人」の群れには勝てないんじゃないかなあと思う。だって結局そっちの方が圧倒的に大多数なんだからさ

政治家の自尊心をくすぐるための「メッセージ」とやらではなくて、理想を実現するための制度構想と・その導入が社会的に承認されるための正当化根拠の構築という地道な作業が、障害者が本当は必要としているものではないかと思うわけではあります。

(*) 一応私にも生得の肉体的な問題の一つや二つはあるのだが、これらは「通常人の身体構造と異なっており一定のケアを必要とする」という障害の医療モデルには該当しているものの「そのために行為可能性に制約が生じている」という社会モデルには(少なくとも今のところ)該当していないので、私はそれに対する特別の処置を社会的に要求しようとは思っていない。わざわざこれを書くのは「結局健常者だから人ごととして傲慢にこんなこと言うんだよね」式の実はなんの反論にもなっていない批判にあらかじめある程度対処しておこうという功利的な動機に出る。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.axis-cafe.net/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/848

コメントする

2012年10月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

Monthly Archive

Webpages

Powered by Movable Type 5.14-ja