岡崎市中央図書館事件

| コメント(12) | トラックバック(0)

呼ばれたので行ってきました。パネル討論会「「岡崎市中央図書館ウェブサーバ事件」から情報化社会を考える」(主催:ESD21(持続可能なモノづくり・人づくり支援協会))。会場は中京大学の八事キャンパスなので、あまり普段と代わり映えがしないな。パネリストは4名で、他はまあ図書館系と情報系の方だったので、法律系としての機能を期待されているのかなあと思ってみたり。いや実定法学者でもないので多分に不安が残るところなのですが。

でまあ述べた内容ですが、この件で図書館側・ベンダー側・警察側に問題があったというのは多くの人が言っていることだし、まあベンダーの問題点って否定できないよねえと素人ながらに思うのでそのあたりは他に任せて、逮捕されてしまった開発者の行動にも「問題」(ベストプラクティスではないという意味でのね)はなかったかという点と、警察・図書館の行動にも「問題」はあったがその背景にある事情というものがあるという話です。前者について言うと、刑法上の因果関係というのは被害側に未知・予測不能の欠陥があったことが結果発生に寄与した場合でも切断されないという話があり、つまり誰にも問題のない・完全な状態でいる義務などというものはないので図書館のソフトウェアに問題がないことを軽信したことは「問題」と言えるということ。またそのことを前提とすれば被害と因果関係という客観的な構成要件は揃っており、もちろんあとからわかったさまざまな事情を斟酌するとどうもまあ故意はなかったということでいいと思うのだが、捜査時点では(IPアドレスのブロック後も別アドレスからアクセスを再開するなど)故意の妨害であることを疑わせる事情というのもあったわけで、最終的に逮捕から起訴猶予という結論になっても仕方がないのかなということが挙げられる。

もちろん図書館・警察側にもベンダーの主張する内容をどうも軽信したのではないかという「問題」が指摘できるわけだが、その原因というのも大きくは別のところに想定できるよねという話もあり、つまり被害が発生する以前の・早期の段階で積極的に介入せよというのはストーカーなどの事例で国民自身が警察に対して要求し続けてきたことであるし、分権化などで下の方に下の方に権限を移動させながら問題解決のために必要な(主として人的)資源を与えなかったために権限と能力のギャップを拡大させてきたという問題もあるわけである。そういう「地方分権」というのも国民自身が望んできたことなわけで、結局ベストプラクティスを実現できるだけの資源というのを与えていない状況でそれらのアクターに完璧なふるまいを求めても無理です、自分たちの選択の結果を国民自身が引き受けてくださいとしか言いようがないところはある。

結局まあある種「ポテンヒット」というか、ご本人も含めて理想的ではないふるまいをみんながしてしまったことが事件の発生原因で、だから再発を防止するというならどこかに十分なリソースを割り当てるという選択を社会全体としてする必要があるよねと、そういうことかな。それもイヤだと国民が言うのなら、悪いけど確率的に「誤認逮捕」が出ることは覚悟してもらわないとなということなのである。

***

でまあ帰ってきて思うことというのは、しばらく前から研究会がustreamで生中継されてtwitterでのコメントがリアルタイムで返ってくるとかいう状況がありおそろしいことだとか思っていたところ、実はその方がマシなのだなという感じ。どうも参加者の中にtwitterで実況を試みていた方がいたらしく、いやその方はがんばっていると思ったのだがしかし本質的にいろいろと限界があるわけで(私の喋りというのはかなり早いのでそれをまとめるだけで大変というのもあろうし、速度の如何を問わずはじめて聞く・知らない内容の適切な要約なんて不可能に近いだろというのもあるし)、それでもまあ世界に情報を増やすのは有益だと思うのだがそれをもとに論評しはじめる方々というのはなんだかなあと思った。つうかそれ、音楽のライブに参加している人が「こんな曲」「今度はこんな感じの歌詞」と言っているのを聞いてそのライブの評価するようなもんだよねえ。もちろんそれでも会場の雰囲気をつかむ役には立つかもしれないわけだが、そこで展開された主張の当否や正確性を論じることが可能であり有益だと思ってやってるのかしらみんな。

個人的にはtwitterって気分の共有メディアだと思っており、そういうものとして使う分には楽しいんじゃないのいいんじゃないのと思ってもいるのだが、所詮そこまでという限界をわきまえない人がぞろぞろ出てくるようだとまたそのうち問題になるのだろうなあと思うところあり。なお私が政治家のtwitter利用にきわめて否定的なのは、(1)そういう限界を理解しないで主張・議論のメディアたることを期待しているとすればあほおであり、(2)わかった上で国民の感情動員のための道具として活用するなら邪悪だから、です。リベラル(古典的な意味での)だからね、気分の共有に基づく政治が何よりも嫌いなのですよ。

二点だけ、あまりうまく伝わらなかったのかなあと思っていることを補足しておきます。第一に、ベンダーの問題や、警察・図書館の行動の「悪かったところ」(繰り返すがベストではないという意味でな)にあまり言及しなかったのは、最初にも書いたけどそこはまあみんな言っているし他のパネルの人が指摘するよねえと思ったから。「だから人のあまり言っていないことを言う」とは前置きしたのですがね。ベストではなかったという意味での「問題」はベンダー・図書館・警察にもあったし、なかでもベンダーの「問題」はとてもとても大きいし、図書館の対応も恥ずかしいものだったと、個人的には思っています。警察についてももうちょっとがんばってくれてもよかったんじゃねえかとは思うねえ。

第二に、今日私が喋った内容は「私個人の主張」というよりは「警察・検察がそれに沿って動くようなこの国の通り相場」の話です。それはまあ私刑事法学者じゃないから特に刑法的な評価について独自の見解とかねえんだよという話がひとつ。もうひとつはだってその方が有益だしそういう内容を参加者も期待するでしょうということで、たとえば交通事故の被害者遺族が「損害賠償はいくらくらいになるのか、それを前提に今後みんなでどう生きていけばいいのか」と心配しているところに西原先生連れてきて「人の命を差別するな」とか「生命は交換価値を持たないので金銭的な評価は不能」とか「いやむしろ無限、どれだけ払っても十分ではない」とか大演説してもらっても困るわけですよ。知りたいのは先生ご自身の意見ではなくて法廷がどのように判断するだろうかという予測であり、その予測をもとにした他のアクター(この事例だと弁護士とか保険会社とか、今回の事件では警察とか検察とか)のふるまいの予測なわけで、それを十分に伝えるために自分の意見とか主張とかを抑制できない人間は法律家になる資格ないです。「良心を棚上げできる」というのは法律家にとって非常に重要な素養で、それって人間としてどうなのと聞かれたら苦笑いしますが(まあだから「良き法律家は悪しき隣人」とか昔から言われているわけです)、でもそういう思考法が社会を支えてきたんだよね。ヤだなと思う人は(「苦笑い」という表現に示されているように私自身はそのような感情に必ずしも否定的ではないですが)オルタナティブを考えてから来てくださいなと。そうも思うな。

まあ全体としては面白かったというか、他のパネルの方々のご発言も勉強になったのでよかったなあという感じ。twitterの使われ方を体感したというのも収穫かなあ。まあ藪を踏みにいってヘビと遊ぶの好きだからな私。いいかげん諸方面から怒られるような気もしているわけですが、ええ。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.axis-cafe.net/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/732

コメント(12)

>悪いけど確率的に「誤認逮捕」が出ることは覚悟してもらわないとな

警察も図書館も誤認逮捕であったと認めていないではないか。
誤認が会っても詳細がわかってから謝罪と名誉回復の処置があればいい。
再発防止に必要なのは誤認逮捕であったことを認める事ではないか。
リソースが足らないというより、IT技術者に対する偏見とITを学ぶ姿勢の足らない怠慢と自己保身の問題だと感じる。

>だってその方が有益だしそういう内容を参加者も期待するでしょう

まあね。ていうか実定法の専門家を呼びたい気はするけど、ないものねだりかもしれないのであんまり声高にいうのはよしておいて。

3点疑問があるのですが
一、逮捕したことは妥当、起訴しなかったことも妥当、というロジックがあるようで、これはどれだけ一般的なのでしょうか。またこのロジックは系として(嫌疑不十分ではなく)起訴猶予が妥当という判断を含むものなのか、それとも、それはまた別の問題なのか。あと、不起訴だった場合には嫌疑不十分であれ起訴猶予であれ賞罰には当たらないと考えていいのかしらん。
二、「ベストプラクティスを実現できるだけの資源というのを与えていない状況でそれらのアクターに完璧なふるまいを求めても無理です」そのとおりだよねえ。で、それは逮捕されちゃった方にもいえて、図書館の中のシステムについて十分な情報がない個人にベストプラクティスを求めるのは無理なんじゃないだろうか。またこれをおしすすめて、やっぱその状況で逮捕ってむごいんじゃね? 妥当とはいえないんじゃね? ていうかそれ必要だったの? とぼくの素朴な感情はいうんだが、そこはどうなんだろう。いや犯意を最初から最後まで認めてなかったら警察の論理としては逮捕が妥当なのですとか云われそうな予感はしてるんですけどね。
三、強い個人を特に断らずに仮定しているようなのが気になります。ていうか裁判制度における個人てそういうものなのかもしれなくてだから自明なのかなあともおもうのですが(そうなの?)。個人的には、個人、図書館、ベンダー、警察と並べられて、個人にも問題があったから逮捕は避けがたいよね、っていうのは、なんかひっかかるんですよね。それがロジックの地平においてなのか、たんに現行の司法制度なり日本文化の隠れた伝統なり(逮捕と起訴と判決確定の区別が意識の上で存在しないような)、ってのはわだかまっているわたくしにもわからんのですが。

なんだか眠れないのでだらだら書いてみました。まあ気が向いたらご応答いただければ、幸い。

>(2)わかった上で国民の感情動員のための道具として活用するなら邪悪だから

最近のメディアや政治家の邪悪さを考えた場合、状況によっては、わかった上で活用することもときにはやむを得ないと思います。私がリベラルでないだけかもしれませんが。

ところで、本日小沢元幹事長の強制起訴が決定したことにはさすがに心底仰天しました。以前から申し上げている通り、最近の政局についてはことごとく予想を外しているのですが、まさか、強制起訴されるとは全く予想だにしていませんでした。最高裁で有罪が確定するまでは推定無罪であることを前提に、おおや先生はこの制度及び今回の決定についてどのようにお考えなのか、お聞かせください。

はじめまして。
ブログやtwitter等を見て疑問点が出たので質問させてもらいます。
LibraHack氏の行動に「問題」が指摘できるのは分かりました。
しかし、LibraHack氏の「問題」は
ソフト納入業者や図書館側の「問題」と比べて極めて小さい物だと思うのですが。
その2者の問題の度合いやその「責任」の取らせ方などは討論の場で話されていたのでしょうか?

もし、話されていたり、話していなくてもそれに対して何かしら思っているのでしたら、別にエントリーを作られてその内容を書いたほうがいいと思います。
この記事のままでは先生が「ソフト納入業者」や「図書館」の責任がLibraHack氏の問題と比べて無視できるほど非常小さいと思っているように取れます。

先生はそれぞれの責任を、比率で言うとどの位だとお考えでしょうか?

回答よろしくお願いいたします。

「人のあまり言っていないことを言う」に期待しましたが、Yahooニュースのコメントに書かれていたレベルで終わっており残念。

ひとまず最後まで行きましたので、必要なものにご返事。

>メロンさん
「誤認逮捕」と書いたのは、当事者や関係者としてはそう言いたいだろうが法的には誤認逮捕(カギ括弧なし)と言えないケースを想定したもので、本件もその事例だと思います(当事者たちが「誤認だ」と言いたい気持は大変に良くわかります)。
謝罪と名誉回復は望ましいと思いますが、その主体は図書館とベンダーではないですかね。警察からすると、当事者が「被害を受けた」と主張したので捜査したらその被害が幻だったという事例だと思うのですが(そしてその検証を警察自身が行なうことには相応の困難が)。

>鰤さん
ほとんどについては以降のエントリでお答えしていると思います。最初の点についてだけ書くと、逮捕については「違法では明確にない。理解はできる=不適切とまでは言えない。適切とは言い切れない」、起訴しなかったことについては「当然であり、適切」でしょうか。強制捜査に踏み切らないとわからない部分に終局的な責任を左右する要素があった場合には起き得ることではありますが、やはり事前の捜査に「問題」があったのではないかという思いは残ります。高木浩光氏のおっしゃっていることのうち、当事者であるベンダーを信用するなという趣旨のことにはまったく同感です。本件を踏まえて、警察内部の・よりスキルの高い部署に委ねるなり、外部の第三者(JPCERT/CCだようという声があるわけですが)にコンサルするという対応を警察が一般化できるか、というのがポイントだとは思います。

>匿名希望さん
もともと精密司法の下で検察が立証の難しい事件の起訴に消極的になるという批判があって改善された制度ですから、まさにその改正意図通りに作用したということではないでしょうか。匿名・無作為抽出の市民などに任せていいかと言っている政治家の方々もいるようですが、そもそも彼らの地位に正統性を与えている選挙自体が匿名・無責任の市民による意思表示なので、まさに自爆という気がします。もちろん刑事司法は専門家のものであるべきという信念を堅持し、明石歩道橋事件も小澤事件もおかしい、と主張する人は一貫性があるので尊敬に値すると思います。
この事件自体の先行きについてはさっぱりわかりませんが、検察が二度も不起訴にしたということは難しいは難しいのでしょう。無罪になる可能性があっても裁判の場できちんと説明させるというのが(説明責任から逃げ続けてきた)小澤氏に対する国民の意思だというなら了解できる気はします。あとは私としては、だとすれば起訴と有罪(さらには逮捕と起訴)を必然的につながっているものとして考えないように、「逮捕」「起訴」されたこと=悪いことと短絡しないように国民が変化してくれることを望むと、その程度でしょうか。

>Wilfremさん
あとのエントリで触れています。比率でお答えするのは難しいですが、librahack氏については「完璧ではなかった」とのみ言える程度なのに対し、図書館は「恥ずかしい」、ベンダーは……まあ私は技術者ではないので正確に判断できるわけではないと思いますが、「ダメ」でしょうかね。もっと悪いのかもしれない。もちろんベンダー内部のリソース配分の問題について弁明したい人はいると思います。当日は多少触れたのですが、私自身も某大学側の人間として大手ベンダー(今回のとは違います)との紛争に関与したことがあるので、そのあたりの問題も踏まえて実際にはお話をしました。
ベンダー・図書館に対して刑事・民事の責任追及をすることはまあ無理なのですが、経過・実態の究明と公表をする道義的な責任がある、くらいは言ってもいいかと思っています(逆に、それを前提としないと警察としては何とも言いにくいですよね。ベンダーが否定している製品の「問題」を指摘することになってしまうので、それこそ下手すれば民事で訴えられてしまいます)。

丁寧なお返事をありがとう。ほとんどの点について後のエントリで答えていただいたことにも同意します。ほとんど、と留保を付けていただいたことに感謝しつつ、いくつか残されているいる問いのうち、とりわけ個人の自由の可能の条件と国家ならびに諸団体による制約ということについては、今後のお仕事のなかでお返事いただけることを希望します。

>謝罪と名誉回復は望ましいと思いますが、その主体は図書館とベンダーではないですかね。警察からすると、当事者が「被害を受けた」と主張したので捜査したらその被害が幻だったという事例だと思うのですが(そしてその検証を警察自身が行なうことには相応の困難が)。

すみません、もう一点うかがっても良いでしょうか。
どうして警察からは謝罪と名誉回復処置が取れないものなのかがわかりません。警察にも「問題」があったとされるなら事実関係がわかった以上は詫びるべきだと思うのですが。

操作手順に「問題」があったのに、法的に問題が無いのに詫びることは出来ないという事なのでしょうか。
図書館とベンダが認めてからならば、警察も起訴猶予処分を無かったことにするなど出来ないものなのでしょうか。

お忙しいところすみません。

当事者間には少なくとも「図書館を良くしたい」という共通認識があるので不必要に相手を叩かないというインセンティブがありますが、第三者にはそれがない。
そのため必要以上に図書館側を責めてしまい、当事者は誰も得をしない状況が発生しています。
最初の第三者は警察だったと思うので発端はそこにあるような気がしますが、そもそもは図書館側に妨害行為と認識されてしまったlibrahack氏の行動が原因でもあるわけですしね。
傍観者はいくら批難しても自分に害が及ばないからいいですよね。最終的にはさまざまなサービスの制限が厳しくなって自分たちも不利益をこうむる事になるんじゃないかと思いますけど。

>メロンさん
警察の「問題」のうち、遠因である《詳しい部署へのコンサルが不十分だったこと》については、しかしそうしなければならない義務や必然性があるわけではないので、《その結果としてこの事例では良くない結果が起きた》ということを前提にしなければ追求できません。
《今回、良くない結果が起きた》ことを認めるためには、《逮捕時に、結果への寄与度を見誤っていた》ことを認めなくてはなりません。そのことを認めるためには《結果発生に大きく寄与したのはベンダーのシステムの「不具合」である》ことを認める必要があります。
しかし民間事業者が「問題ない」と主張して販売しているものについて、国家機関が「問題あり」と指摘し、公表することにはかなり高いハードルがあります。かつて大阪府堺市で発生したO-157騒動(1996)の際、厚生省が《カイワレ大根が原因ではないか》と発表したことによって生産業者に多大な影響が発生し、救済のために当時の大臣(現総理ですが)がテレビカメラの前にカイワレを食べるはめになったことを思い出してください。その件では生産業者が国賠訴訟を起こし、国が負けています(平成15年最高裁判決)。
それでも消費者に直接影響するもの・食品など生命に直接関わるものについては積極的な問題の指摘と改善要求を制度的にも基礎づけるようになってきていますが(そしてコンニャクゼリーに積極的に関与しようとして批判を浴びたりしているわけですが)、今回の製品はどちらの条件も満たしていません。
警察にできることがあるとすれば、図書館・ベンダーに対して不具合の存在を認めるよう非公式に促すことくらいであり、それが実現したとすれば、「逮捕は違法ではなかったが、適切でもなかった(あるいは、不適切な点があった)」というように「問題」を認めることも可能になるのではないかと思います。しかし順番を逆にすることは、議論の依存関係から見て非常に難しいだろうというのが、上掲コメントの趣旨です。

後段、いずれにせよ処分を行なったのは検察なので、取消しその他をするとすれば検察庁の判断になります。ただし、法的に行なわれたのはいずれにせよ「不起訴処分」だけで、「嫌疑なし」「嫌疑不十分」「起訴猶予」というのはその理由として主文で書かれるものに留まります。効果は同じなので、「起訴猶予という判断は違法ではなかったが、裁量判断を誤ったので不当であった」という理由での職権取消しは可能だと思いますがそれなりにハードルは高いと思いますし、裁判等で要求し得るかについては否定的です(争いの利益なしとされるような)。起訴猶予だと前歴が残るという話もありますが、前歴はいずれにせよ警察・検察の内部資料の問題で、「嫌疑なし」の場合でも記録自体は残してあるのではないかと思います。将来同種の事件で訴追された場合などに起訴猶予だと前歴が不利な情状証拠として出されるという話はありますが、「嫌疑なし」の情報もあるのだが別に有利にならないので検察が出してこないだけのような気もします。統計などでは起訴猶予となったものだけを「前歴者」として計上している例があるので、分けて管理はしているのでしょうが。
個人的には、行為者の名誉回復ということを考えた場合に法的に可能な手段というのはかなり限定されており、それよりは関係者の情報公開・声明などによる社会的な手段の方が有望であろうと思います。またそうすれば、仮に上記のように同種の事件で将来訴追され・検察が「起訴猶予」の前歴を提出した場合でも、《その事件は実はこういうものだ》として弁護側から反駁できるでしょう(情状証拠をどのように判断するかは結局裁判官に委ねられているので、「前歴があれば不利」というように機械的に決まっているものではありません)。

先生、ご返答どうもありがとうございます。
詳細な解説で理屈は良くわかりました。

心情的には、警察は自らの良心に従って氏に詫びればよいのにと思ってしまいます。カイワレの件のように図書館もベンダも訴えては来ないでしょうし、警察が誤れば図書館とベンダも非を認めるのではないかと思います。

「お上である警察がLibrahack氏が悪いと言っている」から、図書館もベンダも非を認めないでいられるのでしょうし。

社会的な名誉回復としてはとにかくLibrahack氏に問題は無かったということを強調しておきたいのですが、先生が「問題」と言った一部分だけうけとり、犯人にも問題があったと受け止める人も出てきているようなので、先生からもLibrahack氏の名誉のために一般用語において問題は無かったと言ってやってくれませんでしょうか。
ほんの一言ですが大きな一言だと思います。

>メロンさん
関係者がみな問題を認識しつつ、どこから解決に踏み出すかでチキンレースというか三すくみになっている可能性は否定できないと思います。私個人としては、上述の依存関係の点、また図書館―ベンダー間には契約関係があるので製品の品質等について発言しやすい点、さらに警察と同じく公的機関であることから、踏み出すとすれば図書館からというのが比較的通りやすいスジだろうとは思っています。
最後の点についてですが、もちろん私自身が把握している情報の限りでということではありますが、普通の人に期待される注意水準は満たしていたと思います。その意味で、日常用語における問題があったとは思いません。ただし、普通の人の普通の注意水準だと往々にして事故を起こして刑事責任を追求されているというのも事実ですし、普通の人と違うことをする場合にはその限りでより高度な注意義務が発生することもあります。特に、自分たちが注意義務の発生するようなことをしているという自覚のない人が結構いるのだなということを発見したのは興味深かったですね。

コメントする

2012年10月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

Monthly Archive

Webpages

Powered by Movable Type 5.14-ja