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傍論(2)
さて第二は、では《判決理由》と《傍論》とはどう違うのかということである。この概念区分の誕生したイングランドにおいては明確に違い、《判決理由》であれば判例として以後の判断を拘束していくのに対し、《傍論》であればそうではない。イギリス法には「先例拘束性の原理」という特有の原則があり(現在は弱まったか廃止されたと言われているが)、伝統的には貴族院(最高裁判所)の判例は貴族院自身も変更できないとされていた。このために拘束力を持つ《判決理由》をできるだけ狭く解し、後続する事件での判断の自由を確保するための技術として「区別」(distinguishing)というものが発展してきたと言われているわけである。
ところで日本法ではどうかというと、判例は「事実上の拘束力」を持つに過ぎないと言われるのが一般的である。つまり、法律上は下級審も過去の判例と異なる判断を自由になし得るのだが、それで負けた側の当事者は不満を抱くのでおそらく控訴・上告されて最高裁まで行き、そして一般的には最高裁は過去の自らの判断を維持するであろうから原審は覆されることになる。それでは下級審の裁判官の人事評価に差し障るのでげふんげふん いやどうせ同じ結果になるのであれば不経済であるし法的安定性に関する信頼も損ねるので、普通は過去の判例と同様の判決を出そうとするであろう。つまりすべては確率の問題であり、絶対的な、あるいは法律上の効果ではない。従って、「より正確にいえば、裁判官は「最高裁判所のするであろう判断」に拘束されるのであって、判例はこれを予測するための――重要な――資料として意味をもつのであり、判例が直接裁判官を拘束するのではないということが明らかになる。ただ、一見判例そのものが拘束するようにみえるため、一般に「判例の拘束力」と呼ばれているにすぎない」(中野他前掲、22頁)と、裁判官経験者も語るということになるわけだ。
かつ、現実にはそうも言えないとも指摘されている。つまり第一に、上級審で覆されるような判決を出した裁判官がその後人事的に冷遇されているかというとそうでもないという研究もある。というかまあ「迷うのも仕方ねえな」という事例と「なんでこれそうなるか」というパターンでは違うという話らしく、まあそうやなと思わなくもない。第二に、最高裁判所が過去の判例を変更した事例を調査すると、多くでは下級審がすでに過去の最高裁判例と異なる判断を示しており、それを最高裁が追認する形になっていると指摘されている(西野喜一)。つまり、実際には日本の下級審裁判官はある程度判例から自由であり、かつ先例を覆した勇気ある判断が少なくともある程度評価されているということもわかる。もちろん、イングランド法の「先例拘束性の原理」は日本にはないので、最高裁は最高裁自身の判例を(大法廷審理を経る必要があるにせよ)自由に変更することができる。日本ではそもそも、《判決理由》が拘束力を持っているとも言いにくいのである。
それどころか、実は《傍論》の方が重要なケースすらあり得る。典型は上掲の朝日訴訟判決であり、判決を導く最低限の根拠としては不要であるにも関わらずなぜ《傍論》として生活保護給付水準に関する憲法判断を付け加えたかと言うならば――前掲中野他はこの点に関する言及をあえて避けているけれども――「次はこうするぞ」というメッセージという理解が、おそらくもっとも適切であろう。最高裁自身の判断を示すことによって下級審裁判官に将来の判決を予測する根拠を与えるとともに、立法府に対して法改正を促すような意味をこのような《傍論》が持っていたとすれば、実はむしろ最高裁の最終的な判断を予測するための資料としては、凡百の事件の《判決理由》よりもこのような《傍論》の方が重要かもしれないのである。
というわけで、そもそも《判決理由》と《傍論》の区別を自明なものであるかのように看做したり、その両者の間で法的効果に大きな差があるかのように言うことが間違いである。日本法においては、両者を厳密に区別する実質的意義はそれほどないというのが、一応のお答えになろう(正確に言えば、もちろん上告の根拠たる「判例違反」になるのかなどの問題があるので意義がないわけではないし、従って特に重要事件の《判決理由》がどの部分に限られるかということは学術的にも実務的にも関心や議論の対象になるのであるが、イングランド法のようには、あるいは巷間しばしば言われているようには、重要ではないよという話である)。この稿さらに続く。
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判決理由と傍論の議論の中で私が感じるのは、
主文で勝訴なのだが、理由中で(勝訴判決を導くのに不必要な)勝訴側に不利な判断(理由)が示されている場合をどのように評価するのかが問われているのではないでしょうか?
この判決理由に疑問(不服)があっても、勝訴側からは上訴ができない訳ですが、裁判所の法律解釈ということで、勝訴側に不利な法律解釈が裁判所のお墨付きを得た、という形で一人歩きするようなことはアンフェアのように思えます(素直に判決を出すと、一方当事者の態度が硬化して、判決では紛争が解決できないと思われるとき、紛争を長引かせない様、勝訴判決を書くけど、(勝訴側が受忍できると思われる範囲内で)、理由中に敗訴側に花を持たせる判断を示す、というテクニックがないわけではないですが)。
あと、判決を導くのに必要でない判断は、当事者にとってみると、「そんな争点は判決には関係ないから真剣に取り合わなかったのに(そして、現に、判決を導くのに不必要だった)、判決理由の中で取り上げるのは、不意打ちではないのか?」との不満がでるのでは?と思います。もし、このようなことが許されるのなら、訴訟当事者は、相手方が提示した争点全てについて全力を挙げて対応しないといけなくなると思います(し、裁判所もまた、当事者が主張する争点全てについて(それが事件解決に不必要であっても)全力で対応しないといけなくなります)。少なくとも、判決理由で事件解決に不必要な判断を示す場合、裁判所は訴訟指揮の中で、当該争点に裁判所が関心を持ち、(一方当事者が事件解決に不必要だ、と言っていたとしても)争点として扱う(従って、それを踏まえて主張立証を真剣に行うように)という事を示す必要があると思います。
とりとめのないことを書きましたが、私の率直な感想です。