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アテネ民主政(1)

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教養の講義で「民主主義の歴史と現在」とか担当している関係で、澤田典子『アテネ民主政:命をかけた八人の政治家』(選書メチエ、講談社、2010)を買って読む。全体的に大変に面白く勉強になる良い本であり、ちょうど良いので学生にも授業で推薦したところであるが、本論とほぼ関係のないところで若干気になったことがあるので書く。とはいえ同書の「問題点」ではなく、まあ特に現代との関係でこれは議論の余地があるよなという程度の話。いや最近悪口が続いているからな、予防線を引いておきます。

一つ目は政治におけるアマチュアリズムの評価について。同書は、「できる限り多くの市民たちに政治参加の機会を与える(......)、そうした健全な意味での政治のアマチュアリズムこそが直接民主政の神髄であるとする立場」[260]に基本的に肯定的であり、従って前四世紀を「衰退の時代」と決め付けるような見方に対抗して「一般市民の政治参加のみならず、国政指導の面でもそのアマチュアリズムが実現を見た前四世紀半ばにこそ、民主政は成熟したと言えるだろう」[260]と書いている。ペリクレス期などにはまだ軍事指導者としてのストラテゴの専門性が尊重されていたし、政治指導者になるためには軍事指導の経験がほぼ要求されていたからアマチュアリズムが貫徹されていなかった、それに対して、という評価だろう。著者はそこから「前五世紀、アテネが軍事大国への成長を遂げる過程で完成した民主政が、前四世紀半ば、アテネが軍事大国ではなくなったときにアマチュアリズムというその理念の真の成熟を見る、というのはいささか逆説的である」[260]と述べる。

でまあ私が思ったのは、事実関係はそれは著者の書いている通りなのだろうがそれには別の見方ができるよなということで、つまりアマチュアリズムが進展したから軍事的劣勢に陥ったんじゃねえかとか、もう覇権を喪失して軍事行動の選択肢が事実上限定されたから政治との切り離しに成功したんじゃねえかとか、そういうことである。本書が言うような意味でのアマチュアリズムが被治者の「参加」participationの意識を高め、従って権力の正統性の強化に多くの場合成功することは事実なのだが、しかしそのことと「達成」performanceがあげられるかということはさしあたり別なのであって、いわゆる衆愚政というのは両者が矛盾する典型的な状態である。ペリクレス期なんかも表向きのparticipationと・覇権国家としてのperformanceを両立させるためにストラテゴ制度を活用していたと考えるならば、軍事大国としての失敗とアマチュアリズムの成熟が同時にやってくるのは別に逆説的でもないよな、という気がするわけ。このあたり、政治(の重要な任務)とは稀少財の権威的分配であってその正義にかなった・効率的な実現という「達成」はそれをいかに実現するかという手続的な側面である「参加」と別に観念できるよね、という政治学的な感覚の有無が反映したかなとも思う。つづく。

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gryphon Author Profile Pageさんのコメント (2010年6月13日 08:44):

「専門知識がある人間だけで行うのがいいのだ」「いや、ふつうの市民の常識・経験や判断にこそ期待できる」という議論は多分、最近の検察審査会への評価にも結びつくんでしょうね。


参院改革論でも毎回「学識経験者や功績のあった人だけで構成すればいい」という議論が出てきますね。でも平等の問題とは抵触しますし。

おおや さんのコメント (2010年6月25日 17:27):

>gryphonさん
結局、「プロフェッショナルに任せた方が良い」(公訴権の独占)/「人民の意志に委ねるべき」(民主的統制)という二つの原則の折り合いを「人民の監視をある程度だけ加えることにしよう、最終的な結論は裁判所に委ねられるわけだし」という検察審査会制度で、あれを民意の暴走だ云々言う人はそんなに専門家を信じて任せていただけるのでしょうかじゃあ「事業仕分け」みたいに素人がプロの仕事を査定しようみたいな真似もやめてくださいねとか思うわけです。
まあ「民意」とか「素人の意見」が少なくとも長期的な安定性を欠く・ブレやすいものだというのは事実なわけで、そこを克服するあたりにイギリス貴族院とかアメリカ上院の正当化根拠が求められてきたところはあります。一方で「民意」から乖離したところに大きな権限を与えるのも民主政的には問題になるわけで、そのあたりの設計が難しい。ただ現在の、同じくらいの権限を持った・「民意」で揺れる議院を二つ持つという設計は基本的にアタマワルイので、何とかする必要があるんでしょうけどね、本当は。

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>gryphonさん
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