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支度料

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前にも書いたことがあるような気がするが私の家には冬のモンゴルでだけ着る上着というのがあり、何かと言うとセントラルヒーティングが効いて暖かい室内ではスーツ姿でいる必要があり、しかし屋外はマイナス30度である。車に乗るまでのせいぜい15分であるが何を着たらいいだろうかとアウトドアショップに相談したら普通は防寒対策というのは重ね着で対応するのだがそういう事情なら仕方がないのでこれが一枚で暖かいからいいのではないだろうかと言われた新素材のワタ入りモコモコを素直に買ってきた。なるほどその通り大変に暖かくて無事に過ごせたのだが何分そういうものなので国内で着ると暖かすぎて往生する。今に至るまで、モンゴルから成田経由で直接行ったアメリカ北東部で一度着た以外はウランバートル以外の場所で着たことがない(モンゴルでは三、四回は着た)。

何の話かというと、独立行政法人が海外出張に定額の「支度料」を払っているのがけしからんという報道があり(「独立行政法人:17独法で海外出張に「支度料」支給」(毎日jp))、そこでああ私もあのモコモコは支度料で買ったのだなあというのを思い出したのである。もちろん私程度の下っ端がもらえる支度料ではそういう高機能なモコモコの代金には足らずに足が出たのだが、それでも貧乏な時期にありがたかったのは言うまでもない。「海外渡航が増えて必要性が薄れた」(同記事)と言うのだが、誰も彼もがそんなモコモコを持っているとでも言いたいのかねと、そういう話。

もちろん繰り返し支給するのはいかがなものかとか、偉い人だと高額になるのはどうかといった問題性の指摘は正当なものである。しかし前者について言えば一定期間内だと減額・不支給の規定が(少なくともJICA関係だと)あったはずであるし、後者はそうだねというところと、しかし我が国はあまり気にしないが海外だと偉い人には一定の偉そうな格好をすることが求められる場合というのがあり、たとえばホワイトタイでの晩餐会ですと言われたときに必要な格好をあらかじめ持っている偉い人というのも少ないのではないか、それが職務上いきなり必要になるのであれば費用をある程度は負担すべきではないかとも思う。

じゃあ領収書取って実費にしたらどうかと言われるかもしれないが、第一に支度料の金額は実際に必要になる金額より高くない事例も多いので実費制にしたら必要額増えますけどというのがあり(もちろん定額支給の場合と比較して支出を抑えようというインセンティブが働きにくいことも考慮すべきである)、第二に領収書の出る相手ばかりならいいですけどねというのがある。たとえば冬のモンゴルである程度の時間屋外に出るなら内側に本物の毛皮が貼ってあるブーツが必須であるとは現地駐在の人からも注意されることなのだがそんなもん国内ではほとんど売っていないか非常に高価であって、他方モンゴルに行けばリーズナブルに入手できるが市場で領収書書いてくれるわけないよねえと、そういうことである。

これはちょいと別の話にはなるが、ベトナム・ハノイのノイバイ国際空港から市内まで、エアポートタクシーを頼むと定額で11ドルか12ドルか、まあそんなもの。しかし日本から人が行くときにはしばしば旅行業者による送迎を依頼しており、これが40ドルか50ドルかかかる。無駄遣いだと目の形を三角にする人間にはじゃあ手前でやってみろと言いたくなるわけで、つまり第一に途中で別のホテルに寄ってくれとか、荷物を降ろすからどこそこを回ってくれとかいう融通が効きやすい。第二に何かトラブルがあったときにベトナム語と片言の英語しか通じないタクシーと、英語と日本語が(単語程度であれ)通じる旅行業者とでは解決に必要な時間的・金銭的コストが違う。第三が結構大きいのだが、ようするに事務方から文句の出ない領収書を持ってきてくれる。こういった細かいリスクを回避できる能力的・時間的な余裕がある場合には別にタクシーで差し支えないが(だから私が一人で出張するときにはタクシー拾って乗って行ってしまうわけだが)、そうでなければ無駄に思えて無駄でないと、そういうことになる。

いつぞやの「健康管理休暇」のときにも思ったことだが、こういうことを言う人ってのは世界には日本と欧米先進国しか存在しないと思ってるんじゃないか、まあ普通の人ならそれもやむを得ないところがあるが新聞記者がそれじゃあ存在意義が問われるよねと、そう思ったことであった。というのは多分に修辞疑問であって、だからそろそろいらないよねと、まあそういう話なのだが。

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koge Author Profile Pageさんのコメント (2010年4月27日 21:46):

>新聞記者がそれじゃあ存在意義が問われるよねと、そう思ったことであった。というのは多分に修辞疑問であって、だからそろそろいらないよねと、まあそういう話
2つ先のエントリを読むと、どうもそういう状況にあるのは日本のマスコミだけではなく、世界的にジャーナリズムの存在意義が問われているような気がするのですが。

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