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もと首相・補足

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なんかアイスランドの噴火で飛行機が飛ばないので江田五月・参院議長の派遣は見送りだそうで、うんまあその方がいいんじゃない。みんな納得する理由だし。というわけで前のエントリに多少補足を。

まず他に候補者はいなかったのかという点。非=自民の総理大臣経験者というと存命なのは細川護煕・羽田孜・村山富市の三氏、微妙なのは海部俊樹氏かな。このうち海部氏は首相時も政界引退時点も自民党で、そのあいだに小沢氏に担がれて新進党を結成し、自由党まで付き合ったあと袂を分かって保守党・保守新党から自民党復党という経緯なので、まあ現自民党の元総理と同じくらい頼みにくいんだろうな。

羽田氏についてはその種の問題はなさそうだけど、とにかく脳梗塞の後遺症があるという話で、首班指名投票の時も演壇に登れなかったくらいだからこれは体調の問題でしょう。細川・村山両氏については特段そういう話もなさそうなので、純粋に高齢で体力面の懸念があるということか、これは海部氏とも共通するけどすでに完全に政界を引退した一私人だからということではないですかな。

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次に、まあこの点に言及している人がいたので述べておくと、エリツィン国葬時の日本の対応(斎藤泰雄・駐ロシア大使の出席)について。まずもって何でもかんでも書きゃあいいってもんじゃねえんだよ幸田露伴じゃあるめいしという話であって、前エントリでは政府特使を派遣する場合の人選について書いたんだから派遣しない場合には言及しなかったまでのことである(大使は当該国に「いる」んだからあらためて「送る」必要はないんだよ、ということは説明しなくても大丈夫だよね)。

そのうえで、じゃああらためてあの事例はどうだったかというと得点は稼ぎそこねたが失策ではないということになろうか。つまりその、大使というのは駐箚国において自国を代表するべき人なので、たとえば「日本代表」として葬儀に参列するのは不思議なことではない。そりゃもちろんもっと偉い人が代表でくれば相手を尊重していることにはなるが、外交儀礼的に失礼でも異常でもない。だいたいエリツィン国葬の時だって、中国の代表を務めたのはやっぱり駐ロ大使で、しかも弔問の記帳はしたけど出席はしなかったってえ話(「衆議院議員鈴木宗男君提出エリツィン前ロシア大統領の国葬への日本からの出席者に関する質問に対する答弁書」内閣衆質166第204号、平成19年5月11日)。それで間違いではないのですよ。

ただ、チャンスを見逃したとか、もっと良い手段があったという評価は可能かもしれない。その「良い手段」を選択できなかったことをして失策と呼ぶなら失策ではある。理想主義者にとって満足できる選択でなかったことはそのとおりだが、ルール違反や非礼ではないなあと、そういうこと。

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それに対し今回の事例は、なんだよね。「格」で言えば参院議長は総理と(三権の長としては)同格なのでダメではないけど、不思議。この感覚の背景には、国家間の慣習として三権はそれぞれのカウンターパートと付き合うのが基本という事情があるかなとは思う。たとえば日本の議員連盟が交流するのは韓国の議員連盟であって、行政府と直接ではない。最高裁長官が他国の大臣と会談して直接何かを申込まれたとなれば内政干渉かという騒ぎになる。今回も、三権の長なので「竹崎最高裁長官を派遣します」とか言えばさすがにおかしいと思うだろう。司法権・立法権は行政権から独立しているので、その長を行政府が使い立てしていいものかという話でもあるわけだ。

でまあもちろん日本は議院内閣制なので立法権と行政権は必然的に癒合するわけではあるが、しかし一応その筋は通しているわけであって、内閣総理大臣と最高裁長官が天皇に任命されるのに対し、衆参両院議長は両院における選出を通じて当該機関独自の権威によって就任する。国民代表として君主権に対立するという構図は一応残してあるわけで、だからそちら側の人間が「政府同士の付き合い」としての外交に出てくるのは筋違いの印象が強いと、こういうわけ。「『議長』の例はなくても『大使だけ』の例はある、新聞報道はミスリードだ」とか書いている人も見つけたが、これはつまり地位の上下というタテ軸と三権の分離というヨコ軸があることがわかっていない恥ずかしい話なのである。

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「でも元総理も現在は一野党議員でさ」という意見もあり、それは当然そうなので弔問外交における実用性ということでは与党側の元総理や現外相より下、というのはその通りである。しかし儀礼上はそういうことでもなく、前官の礼遇を受けるのでいちど大臣になれば一生「閣下」が付くものであるらしい。このあたり日本では戦後にぜんぜんやらなくなったことであるし、私自身も別にこれが専門ではないので断言はしかねるが、しかしたとえばカンボジアのように今でもちゃんとやる国に行くと一定の官職に就いた人は「His Excellency」(閣下)であり、それは辞職してもそのままである。でまあその大臣や次官が閣下なのはいいとして先方の学長にも付いており、じゃあカウンターパートであるウチの総長には付けたらいいのかいかんのか帝大総長って宮中席次第何位だっけとか、騒ぎになるわけだ(勅任官だから第19位か第24位で「閣下」付き、いや戦前ならな)。

このあたり、戦前の宮中席次の場合は特に前官の礼遇を賜らない限りは辞職すると下がるはずだが敬称はそれと運用が違うようだとか、まあいろいろと難しい。ついでにこれに関して言うと「大使だったから失礼だ」としばしば主張されるように大使ってえのをたいしたことのない役人だと思っている人も多いようで、いやそれはもちろん民主的正統性という点からはその通りで国民から選ばれていないから所詮は役人、政治家とは元からして違いますということになろうが、しかし戦前で言えば親任官で宮中席次11位と12位の両院議長より上だったわけだし、現在でも認証官で天皇陛下から官記をいただくという意味では大臣や検事総長に同じい。敬称的にも当然に「His Excellency」であり、さらに「いちど大使になればそのあと一生呼び掛けは『大使』だ」と主張する人は、現在の日本でもいる(「そんなんバカバカしい」と言っている人も、当然いる。どちらにしても明確なルールが典拠になっている話ではない)。これもまた国内政治とは別の話ですよというのを前置きした上で言うと外交的には結構偉いんだよ

もちろん前述した通り民主的正統性の問題もあるし、戦前のように連絡も思うままにはできない状況で一国を代表して行動する必要があった頃と、現代のように本国の意図をいちいち確認できる状況では違うよねというのも事実。国家の数も相当に増えたので同じように「大使」と言っても幅も広がり、上は外務次官より格上だけど下は課長級程度のもんだよねという話もある。でもまあ儀礼的な位置ではね、という話としては理解しておいた方がいい。

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ところでここまで何度か宮中席次に言及したが、これは戦前においては皇室儀制令(大正15年皇室令7号)によって制度化されていたところ、なにぶん上記のように国民代表たる議会を軽視したけしからん代物だということで廃止された。されたがしかしそのあとも宮中では儀式をやっているわけで、その際の席次をどうやって決めているかというと一応は宮内庁に暫定規程があるらしいがあくまでも内規であり、公的にオーソライズされたものではない(たとえば法令データベースでも出てこない)。要はそれまでの慣習に調整を加えてやっていますと、そういうことである。

この例でもわかるように儀礼などというのはたいてい慣習によるのであって、それは規則によってあらゆる事態を規定しつくすことが実務的にも理論的にも不可能だからでもあるし、別に国民の権利義務に関わる問題でもないのでそれで問題が処理できれば構わないからでもある。先に「参院議長は総理と同格」と書いたがこのこと自体別に明文の根拠はなく、現に公的な儀式等においてそのように扱われているとか、そのように認識していることを当事者(たとえば宮内庁の官僚)が明言しているとか、その程度のことで要は慣習の問題にすぎない。

国際的な外交儀礼についてはなおのことそうであって、なんとなればそこには国内と同じような統一的立法機関が存在しないからである。条約は基本的に加盟当事国に対してのみ規範的拘束力を有するものであるし、国連で何かしたところで非加盟国に直接の効果があり得ようはずもない。従って一般国際法たり得るのは慣習法のみだというのがむしろ通説である。文書化され、明文の典拠が上げられるのは(たとえば外交官の名称は大使・公使・代理公使くらいにしときましょうや(「外交使節の階級に関する規則」1815)というように)最低限統一を取らないと混乱するような形式的な事項が中心なのである。

もちろんこれは現在となってはやや言い過ぎであって、「世界人権宣言」(1948)のように実体的な内容についても成文規範を作っていく動きが積み重ねられてきている。しかしその人権宣言からして法的規範性には争いのあるところで、結局はどのようなものに国際法的な効力を認めてきたか・認めているかという慣習の問題に帰着せざるを得ない。国内法における憲法のように、構成員を自動的に拘束しそれに基づいて制定された法律に規範性を与えるような規則が存在していないのだから、構成員による受容というナマの事実が、最終的には重要になる。それは成文の典拠ではなく事実をもって語るよりしかないと、そういうことである。

なのでまあ実際の先例などを挙げて慣習を裏付けるように前のエントリでは試みたわけであるが、それに対して「普段「法律がどうとか」言って、他人をdisる奴が根拠もあげずに「元首相じゃなきゃダメ」ですか。」とか書いている人がおり、ああつまり国際法と国内法のシステム的な違いがわかっていないダメな人なのだなあ誰だろうと思って名前を見たら残念な人だったので大変に納得した。そもそも私は参院議長というのは変だということと、別に対立党派の元総理でも問題ないということを述べたのであって、「元首相じゃなきゃダメ」などとはまったく書いていないのである。上に述べたように、たとえば駐ポーランド大使の参列でも(得点は稼げないが)失策ではない。元首の葬儀なんだから元首級の人間を送らないと失礼なんだと主張している人がいるようなのだが私はそんなことは書いていないし、上を読んでいただければその主張も間違いだということがわかるだろう(それも理解できないくらい読解力が不足している可能性もあるか)。問題は格の高低というタテ軸の方にではなく、三権の混同というヨコ軸と、民主政における対立の理解という点にあるのである。

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Polyhedron Author Profile Pageさんのコメント (2010年4月19日 22:59):

はじめまして。
「幸田露伴じゃあるめいし」で高島俊男さんの文章を思い出しました。露伴はものすごい博覧強記で,抑制がきかず書けば知識をたれながすだけのスランプ期があったそうですね。「露伴『運命』と建文出亡伝説」にありましたが,もしかして典拠はこれでしょうか?

おおや さんのコメント (2010年4月26日 01:48):

>Polyhedronさん
ご炯眼。たまたまちょうど読み返していたところだったのです。

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