integrity

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なんか「名大の研究」の冊子体ができましたということで本部から10部送ってきたわけですがいやそのモノを貰って悪態をつくのもどうかと思うがこんなもん私がもらってどうしろというのかてめえの顔なんか鏡で見飽きてるし親戚にでも配れっちゅう話なのかね出来上がりの確認はそりゃしなきゃいかんけど一部か二部かあればいい話でそれ以上あっても研究室の場所ふさぎなんだが(挨拶)。ちなみに写真も「わかりやすいから」とかいう理由で模擬法廷で撮られましてこれもまあ半分捏造だよね私の研究法廷と関係ないもの。ちゃんと笑顔で写っていますが目が笑っていないのはそのあたりが理由です。さて。

障害者権利条約をめぐる動きについて紹介した記事(「障害者の権利条約知って 公定訳文案冊子で紹介」Yomiuri Online)のなかで、「integrity」という用語の翻訳が話題になっている。

同条約17条表題の「Protecting the integrity of the person」で見ると、記事でも紹介されている外務省の訳文案(2009年3月3日)では「個人をそのままの状態で保護すること」(民主党・谷博之参院議員のウェブサイトで公開されているもの)、現在外務省のウェブサイトで公開されている仮訳文では「個人が健全であることの保護」(「外交政策>条約」の内部)。 日本障害フォーラムの公開している仮訳では「個人のインテグリティ〔不可侵性〕の保護」(川島聡=長瀬修仮訳・2008年5月30日)という文言が使われており、外務省訳文案に異論を唱えている小笠氏の訳では「あるがままの自分の保護」と、まあようするに大混乱である。確かにこれは結構訳しにくい概念で、法哲学でも人によっては「純一性」と訳したり、もう「インテグリティ」で済ませたり、私は(多少こなれていない表現なのを承知で)「首尾一貫性」としたりしている。どういうことか。

integrityというのは、ひとつのものとしての統一性があるということ、分裂していたり、本来の状態から傷付けられたりしていないということを意味する概念である。だから、physical integrityの保護といえば端的には暴力によって傷付けられないことを意味し、本人の自己決定の帰結ではない肉体損傷(たとえば女子割礼)やドメスティック・バイオレンスを排除することを意味する。障害者との関連で言えば、障害があるからといって不当な暴力の対象にされたり、本人の意に沿わない医療措置を強制したりしてはならないということになろう。

一方これを人間の行動について言うときは、ある人の言動に一貫性があるとか、きちんとしたポリシーが感じられるということ、矛盾や言行の不一致がないということを意味することになる。だから、たとえばクエーカーとしての信仰がきちんとある人に靖国神社への礼拝を強制すると本人のそれまでの行動との矛盾を生じさせることになるから、当人のintegrityを尊重していないことになるだろう。言動の一貫性がある個人を対象にする場合、従って、integrityの保護はおおむね本人の自己決定を尊重することと重なると言ってよい。その意味で、通常の場合にそれは「不可侵性」であると言っても誤りではないし、「そのままの状態」の保護でないわけでもない。たとえば「コーヒーを淹れよう」と言いながらカップにティーバッグを入れてお湯を注ぐような人を我々は健全な精神状態にあると看做さないであろうから、integrityの欠如している人は不健全であると言ってもよい。その意味で、integrityの保護は個人が健全であることの保護だと言えば話が通じなくはないが、まあ相当の説明が必要なのではないかという気もする。上掲したそれぞれの訳が誤りとは言えないが適切だとも言いにくい、その理由はintegrityという概念自体の訳しにくさにあると思う所以である。

さて問題は、しかし言動に一貫性がない人間を相手にした場合はどういうことになるかという点にある。たとえば、商品は欲しいが代金は払いたくないという要求にはintegrityがないと言ってよく、従って近代社会の基礎たる規範的な個人はそのような希望を持たないと想定してよいだろう。しかし現実に存在する人々の中にはそういう要求を抱いたり実際に主張するものがいるというのも否定し難い事実である。このとき我々は、代金を払って商品を得るか・代金を払わずに商品を断念するかのどちらかにしなさいと要求することが許されるだろうし(integrityの強制)、当人が代金を払うことなく商品を抱えて逃げようとした場合にはそれを阻止するために最低限度の実力を行使することが許されるだろう。これらはいずれも、当人が現に抱いている欲求やそのありのままの状態を否定していることになるが、integrityを侵犯していることにはならない。当人の行動にもともとintegrityが欠けていることが問題の起源だからである。

と、ここまで書いてきたのは、外務省仮訳を批判する小笠氏の「あるがままの自分の保護」という訳がむしろポイントを逸していることを指摘するためである。もちろん個々人の現に抱いている希望がintegrityのあるものである場合には、「あるがままの自分の保護」がその保障につながると言ってよい。しかしそうでない場合には逆に「あるがまま」を否定し、制限し、矯正することがintegrityの確保につながることになるのだ。

そしてこの問題が露呈するのが、まさに小笠氏の言及している「みんなと一緒に勉強したいのに普通学級に通わせてもらえない」という事例である。私自身はこの点について、精神障害・知的障害と身体障害を明確に区別するべきだと考えているのだが、後者について・適切な知的能力がある場合に・過度の負担とならない補助措置を講じることにより普通学級での教育が提供できる場合についてはそうすべきだと思うし、そうしたいという要求にintegrityを欠くところはないと考える。一方前者について、普通学級に適した知的能力がないにもかかわらずそれを要求するというのは上記した代金を払わずに商品を得たいという欲求そのものなのであり、それを正当化することはまさにintegrityの否定につながると考えるわけである。

同条約内部の話としても、24条1項(b)は「障害者が、その人格、才能及び創造力並びに精神的及び身体的な能力をその可能な最大限度まで発達させること」をその教育の目的として掲げている(外務省訳文案)。特に知的障害者の場合、この目的を達するための教育と・健常者ととにかく一緒に普通学級にいることは矛盾する場合が多いだろう。その問題を無視して・本人の希望があるからといってそれを実現することが、その希望自体にintegrityがない場合に正しいことなのか。もちろん我々はそもそもそれが本人の希望なのか保護者の欲望なのかを切り分ける必要もあるだろうし、間違いなく完全に本人の意思であったとしても、学齢期の子供である以上は本人にまだ十分な自己決定能力がないので無条件でそれを認めるわけにいかないということになるだろう(逆に言えばそれこそが子供たちが我々の配慮を要求できる理由でもある)。条約内部の問題としてもその外側の文脈とつなげて考えても、integrityを根拠として無条件での普通学級への受け入れを正当化することはできないのだ。

条約17条を、当事者の希望のみを根拠として普通学級での教育を受けさせる根拠として使おうとする小笠氏の主張は、以上のように、規範的な「個人」と現実の個人の混同に基づいている。そして私としては、特に障害者というその両者のずれがクリティカルな問題につながる局面に携わっている人間がこのような認識を振りかざしていることについて、暗然としたわけではあった。(4月17日公開)

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コメント(5)

大変勉強になります。ありがとうございます。
「翻訳」というのは厄介なものなのだ、
とあらためて感じた次第です。
 ちなみに、私、英「right」、仏「Droit」、独「Recht」を「権利」という言葉で明治以降訳してきていることがどうも気になるのです。
「権」という字にも、「利」という字にも、
「正当」、「正しい」という意味がないだけに、
「権利」という翻訳語は西欧法体系の輸入にあたって
大きな誤解を日本人に広めた誤訳なのではないか、
などと、法律にくわしくない私は思うのですが、
これ、私の取り越し苦労なのでしょうか?

>MUTIさん
ども。たしか柳父章『翻訳語成立事情』(岩波新書)だったかに、明治維新当初rightをどう訳すか苦労したなかに「権理」という案もあったのだが次第に「権利」に統一されていったというような話がありました。まあ権利の本質は意思か利益かという話もあるくらいでそれが「利益」に関連しているという理解ももちろんあり得るのですが、しかし「理」的な意義が見えなくなったという点はご指摘のとおりです。
この点、しかしDroitやRechtは「法」でもあるわけで、「権理」と訳せば問題が解決するわけでもない。所詮符丁であると割り切った上でその意義を形作っている文脈を丹念に踏まえていくしかないというのが私の意見です。といって法思想史の講義をRecht(法=権利)とGesetz(法律)の違いを確認するあたりから初めたりするので時間が足りなくなるわけですが orz。

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