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ダメのひと

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まあおおむねダメのひとというのには二種類おり、昔は良かったのだが途中でダメになってしまった人と、最初からダメだった人である。後者の亜種として期待したほどは伸びなかった人というのがおり、これは別に検討する必要がある。

このうち後者については採用なり何なりの時点でダメさ加減というのが観測可能だったわけであるから、にもかかわらず認めてしまった当事者の責任は免れない。しばらく前から話題になっていた東大工学部助教の学位取り消し問題などはこの伝であって、本人があると主張している業績が本当に存在するのかとか経歴を証明する書類が真正なものかとか関係者がきちんと確認していれば防げたはずの問題ではある。そうできなかったことの責任はあると追及されても、まあやむを得まい。

ただしまあそのこういうのも後知恵ではあって、普通はそんなことしないよねえとかばれたら困るはずだよねえとか油断している隙を突くのがうまいのもこういう人物の特徴ではある。研究者倫理上は大問題なのだが一般社会的にはそう目くじらもたてないかなあということをやらかした大学院生がいたとして、処分してコトを表向きにすればそのあとのキャリア形成も困難になるわけで、まあきつく叱りおいて内々に問題を納めるかねえと関係者一同が恩情をかけたら本人は何が問題にされたのかまったく理解しておらず、しばらくしてから「博士号を取るためには」とか後輩の院生連中が開いたセミナーに堂々と講師として登場してびっくり仰天とか、そういうこともないではない。普通の人を想定して決めた「最善の対応」が普通でない人には通じないと、まあそういう話である。あ〜あくまで一般論なのでそのようにな。

もう一つ、いちいち情報を確認すればわかるはず、とはいえソースをたどるのに必要な資源が潤沢とは言えないのも大学の悲しい実態ではある。だからこの件でも関係者を一方的に責める気にならないところもあるのだが、しかし我々のようにウズベキスタンだのカンボジアだので発行された書類のチェックしているわけでもなし、英語ソースで間に合ったんじゃねえかとも思うところではある。

閑話休題。一方途中でダメになった人というのは対応が難しくて、一般企業であれば左遷するとか子会社に放り出すとかはなはだしくは解雇するとかいろいろと手段があるような気がするが大学の場合は定期人事異動も子会社もないわけで、そういう手段が使えない。人事権を行使できるような「上司」も、実質的に存在しない。かつての医学部教授のような「ボス」的存在にしても、その権力は将来を左右できるところにあるのであって(良いポストを回さない、とかね)、現在の地位で開き直られたらイヤガラセ程度のことしかしようがないのである。

また学問研究の自由というのがあり「おまえの研究業績は質が低すぎる」というような評価を一方的に下すことも難しい。もちろんこれ自体は本来ポジティブな意味を持っていることで、時の政府の気に入らない研究をしている人間が軒並み左遷されるとか大学からクビになるという状態が望ましくないことは言うまでもない。戦前への反省を元にして個々の研究者の独立と自由を保障するシステムにしたところ、それはそれでいいのだが、その自由を濫用する人間への備えがなくなってしまいましたということではあるわけだ。

というわけで経理の不正とか私生活の不品行とか研究と無関係なことでトラブルを起こす人間はともかく、研究の数量品質に問題がある人間を排除することがきわめて難しい、関係者が努力すればいま以上に行かせないことは可能だがいったん上がってしまったものは下げようがありませんというのが、日本の大学の実態である。

じゃあちゃんと大丈夫なことを確認してから上げればいいじゃないかと言われるかもしれないが、第一にダメになる人の全部が全部あらかじめ予測可能なわけではない。第二に、これが後者の亜種に関係するのだが、確認できるまで待っていては競争に負けてしまうという問題もある。

どういうことかというと、特に法学部の場合、研究者として優秀になりそうな人間は他の進路でも評価されそうだという特徴がある。学部の成績が良ければ国家公務員試験とか司法試験にも受かる確率が高いわけだが、あちらはすぐにお金を払ってくれたりそれなりに将来が保障されていたり数年後には留学に行けそうだったりする。これに対して研究者になりたければ授業料を払って大学院に行けとか、博士号を取ったあとも任期付きの採用で、十分に業績を上げて能力識見人格に問題がないことを確認してからじゃないと正教員にはしてやらんぞとか言うとそういう優秀な学生が大学に残るわけはないのであって、私程度のものでも助手制度がなかったら今頃霞ヶ関で働いてるよなと、そういう話。人材を逃がさないためには短期的な待遇を上げるか長期的な保障を付けるかのどちらかしかなく、いろいろな理由で待遇が上げられない日本の大学(特に国立大学)では後者を選択するしかなかったということなのである。私にわかるのは法学系だけだが、期待される能力が活用できる分野の待遇が大学より優れている多くの学問分野において、まあ同じことが起きるよねということ(経済とか工学とかな。他の可能性は中学高校の教師ですという分野なら、待遇で勝てるのかもしれない)。

だからまあ、今後伸びていくことを期待して早い時期に助手なり助教授なりとして採用したところハズレましたというケースが一定数出る。人ごとみたいに言っているが私自身がいまどうか、今後どうなるかというのもわからない話だし、それを予測することはある程度の確率までしかできない。ハズレが出たとしても、そのことだけをもって関係者の過失なり責任なりがあったというわけには行くまいよと、そういう話である。念のために言うと、採用はあくまでバクチであってハズレが出ますというのは、日本型の長期雇用慣行を取っている組織全体に共通のことで、だから霞ヶ関にせよ民間企業にせよ同じこと。ただすでに述べたように、ダメだとわかった人を排除する仕組みが大学の場合にはきわめて弱いので、発生した場合の被害が累積するという点に特徴があるわけ。

***

何の話かというと、というわけで同じ東大である某教授の現状について大学の責任というものがあるかというのは当該教授が最初からダメだったのかダメになってしまったのかという点にかかっており、私はその点に詳しくないのでみんなが各自考えると良いと思うと、それだけのことである。あと私は別に彼のことが嫌いではなくて、一緒の箱に入れてほしくないなあと思ってるだけだからそのようにな。たとえば西原理恵子先生のことを私は研究者として(当然ながら)まったく評価していないが、それと私が彼女の作品の大ファンであることとのあいだに何の矛盾もないよねえと、そういうこと。

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