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労組ぐるみ

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なんか民主党議員が北海道教職員組合から選挙資金を提供されていた件で産経新聞が「北教組事件で問われる民主の体質 「労組ぐるみ選挙」が常態化」(MSN産経ニュース)とか書いているわけだがいや別にそこは構わないんじゃないかな

というのは、労働組合というのも構成員の利益増進を第一義的な任務とする利益集団であって、その利益獲得のために貢献してくれる政治家を(得票・資金・精神的その他の面において)応援しようとすること自体は当然というか、むしろ民主政の活性化という観点からも望ましいことのはずである。民主党が「労組ぐるみ」なら自民党は「財界ぐるみ」じゃねえかという批判だってあり得るわけでね(最近はそうでもないと言われるかもしれないけど)。

ポイントはおそらく、「財界」や医師会と同様に利益集団である労働組合について、しかしその構成母体である「労働者」の数が多いために「公益」(私の場合これは社会の構成員の利益の総計ですが)との距離が近く見える、時によっては同一視されるという点にある。この点、「財界」などは人数も少ないし普通の人から見て構成員との距離が遠いから違うような気がする、と。しかしそれは誤解であって、いくら近くても労働者の集団利益と公益には距離がありますよ、というのは近年の非正規雇用労働者の問題で「労組は派遣労働者を守ってくれない」などと批判されていることでもわかるわけである。しかしそれ当たり前だよねえという話であって、私の払った組合費で運営されている労働組合なんだからまず私の利益のことを考えてくれとなるのが自然。じゃあたとえば派遣労働者は誰が守ってくれるんだという話になればそれは自分たちで団体を作りなさいよというのが、まあ原則論である。なお第一義的にはそうであってもそれに差し支えない範囲で公益の追求も行なっていますと言う人がいるかもしれず、それはその通りであるが「私の経営理念は公益の増進です」とか堂々と本に書いたりする経営者ってのもいるよねえという話であって労働側だけが特別だという話にはならない。まあ少なくとも我々(というのはちょいと特殊な大学の法学部界隈というくらいのことだが)に見える範囲で言うとさまざまな企業さんには大変お世話になっており、それは直接的な資金提供から学生のインターンシップ受け入れからさまざまな分野に及んでいるのであるが、労働組合とか見たこともねえな。もちろん日本弁護士会のような職能団体やNGOにはお世話になっているし、たまたま労組とはこれまで縁がありませんでしたというだけのことかもしれないのでその点には留意されたいが、少なくとも公益性を労働側だけが独占主張するというのは無理だなと思うわけである。

さて。というわけで労働組合も利益集団であるというごく自然の議論から始めれば、先にも述べたようにそれが選挙に関与するのは理の当然、批判する方が誤った前提に立っていますということになる。右も左も利益集団。もちろんその代表する利益と公益の距離の差には違いがあり、だから別の言い方をすれば「良い利益集団」と「悪い利益集団」があります、とは言ってもいいわけだが、こういう風に統一的に考えた方がまっとうな議論になる。

だから、今回の北教組問題のポイントは民主党の選挙が労組ぐるみかどうかという点にあるのではなく、その教職員組合の構成員の大半が政治活動の禁止されている公務員でしょ? という点にあるわけですよ。トヨタ労組が古本伸一郎議員を応援するのはご自由ご勝手、でも公務員が特定議員の選挙活動を支援しちゃいけないと、そういう話にしないと焦点がぼけると思うわけです。(3月4日公開)

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ダメ法学徒 さんのコメント (2010年3月 5日 11:58):

初めてコメントさせていただきます。

>「公益」(私の場合これは社会の構成員の利益の総計ですが)

権利の本質を「意思力」とする説と「利益」とする説があると聞いたことがあります。
大屋先生の書かれた本を読むと、「意思力」を重視する説に近いのかなと思っていたのですが、そうではないのでしょうか?
教えていただけると幸いです。

横槍を入れる さんのコメント (2010年3月 5日 18:41):

>> ダメ法学徒さん

私はおおや先生ではありませんが「『公益』は社会の構成員の利益の総計である」という主張と権利の意志説・利益説との間には基本的には何の関係もないと思いますよ。おおやさんはここでそもそも「権利」についてなにも主張していないですから。

しかしなぜそのような問いが出てきてしまうのかということを――「ダメ法学徒」というお名前から――忖度するに、もしかしてここでの「公益」と憲法上の「公共の福祉」と同一視された上で更に 「 内在制約説からいえば『公共の福祉』の中身は人権なはずだ。だが、そうだとすると公共の福祉が個々人の利益の総計だとする以上は権利の利益説を取っているはずだ 」 という推論をされたということでしょうか。

しかし、もしそうだとすると「公共の福祉」は解釈論的に「福祉 welfare」とは切り離された独特の意味を与えられてしまっている憲法(学)特有のジャーゴンなのであって、普通に使われる意味での「福祉 welfare」とも「公益 public interest」とも関係はありませんから、上のような推論は成り立たないでしょう。

おおや@新幹線 さんのコメント (2010年3月15日 13:23):

>ダメ法学徒さん
ども。まずご指摘の通り、私は権利について意思説を取っているということで結構です。そこで「公益」との関係ですが、それは国家なり社会なりが全体として増進したり最大化したりすることを試みるもので、それを「社会の構成員の利益の総計」とすることの意味は《国家独自の利益の存在を認めないこと》にあります。つまり、国家実在説ではなく擬制説に立つことを明確にすると。まあその、時折「国家の威信を守れ」とか吹き上がる人がいるわけですが、私はそれに対して「国家は実在しないのでその威信になど配慮する余地はない」と言うのではなく、それは人々が大切だ・守ってほしいと思っている程度に応じて守るべきもので、人民が「どうでもいいよ」と言っていれば無視して構わないし、「重要だ」と思うなら配慮しなければならないと主張しているわけです。
問題はこの「公益」と「権利」の関係ですが、衝突します。衝突したときに、しかし「権利」は「意思」ですから、その権利を無視した方が公益が増進するといって強行することは原則として許されない(それが自由にできるなら「権利」などという概念を「公益」から独立して想定する必要もないわけで)。「権利」とはside restraint(「横槍」)だ、とドゥウォーキンも言っているわけです。その衝突をどうするかは基本的に統治者の仕事であって、個人の側としては自らの意思によって自由に決めて良いのだ、それが「権利」なのだという形でつながります。

というわけで、「横槍を入れる」さんご指摘の通りです。ここで出てくる「公益」が憲法学上の「公共の福祉」(中身は他者の権利)とは別のものだ、というのもその通り。フォローありがとうございました。

横槍を入れるさんが

ダメ法学徒 さんのコメント (2010年3月16日 19:02):

横槍を入れるさん、大屋先生、丁寧にお答えいただいてありがとうございます。

確かに、私は公益の一部又は全部を権利が構成するものと考えていたために、誤解していたようです。「意思」の契機をもつ権利が、公益とは区別されてあるということですね。納得しました。

ところで、本件では、その権利が侵害されていないかを公益性の検討に先行して、あるいはそれと並行して検討しておく必要はないのでしょうか?(「政治活動の禁止されている公務員」だから、ということでその点はクリアされているのかもしれませんが。)そういう手順を踏まないと、公益一本で議論がされている、という私みたいな誤解を生じやすいかも、と思いました。

自分のこと棚に上げてすみません。
とにかくありがとうございました!

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