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漢方薬と事業仕分け(補足)
少し前に書いたことについて、周辺の議論を見ていて多少補足した方がいいだろうと思ったことが三点ほどあるので、書く。いずれも私自身としては賛成半分反対半分といった気分なので難しいところであり、ただこの「難しい」という気分を理解してもらいたいと思うところはある。
第一点は、混合診療の是非について。すでに書いた通り、漢方薬を保険適用から外した場合の問題点というのは現在の混合診療禁止原則に依存しているので、そこを外せば少なくともこの問題は解決される。その方向を考えよう、というのは一つの方向性であるだろう。
他方、この点に危惧を覚える人がいることもよくわかるわけであって、この問題を起点に混合診療の範囲がなし崩しに拡大され、先進的・先端的=おおむね金のかかる医療が保険適用から外されてしまうのではないか、貧乏人は最善の治療を受けられなくなってしまうのではないかということがあろう。ただこの点、もちろんそうなのだが、一方で医療資源の投入を社会からの投資と見た場合(もちろんこういう見方をしてよろしいかということは議論されるべきことだが)どう考えても採算が合いませんという医療もあるわけであって、七十過ぎの末期がん患者の余命をそれなりの期間延ばすために大学の予算から一日あたり私の年間基盤研究費を超える額が投入されているのを目にしたりすると、正直ある種の感慨なしとしないのである(おまえんとこの研究費が少なすぎるんじゃというご批判もあろうし、正直それは事実なのだが、まあこの点にはいろいろな経緯があるのである)。
また、現在は保険適用外の治療をすることに非常に高いハードルが――少なくとも一般の医療機関であれば――あるわけだが、それが消えてしまうとたとえば代替医療のようなものが医療現場に非常に入ってきやすくなるのではないかという危惧もあるだろう。もちろん代替医療といってもピンキリなので、高価でなく・害がなく・近代医学を妨害しないものであればプラシーボ効果程度でも期待してもう少し活用しても良いのではないかとも思われるが、一方でこの三条件を満たす代替医療をあまり見かけないというのも本当のところであり、きちんとコントロールしないとまずいといわれればそうかなとも思う。
この点、しかしではコントロールされた混合診療であれば良いのではないかという考えもある。つまり、現在でも「先進医療」(Wikipedia)のように例外的に混合診療が認められる場合というのがあり、たとえばこの場合は保険診療から外れた「特別料金部分」についてのみ患者全額負担、それ以外の診察・入院・投薬などの費用は保険適用ということができるわけである。漢方薬についてもこのように、限定的な混合診療として患者自費負担にできるのであれば、問題はある程度解消されるだろう(直接的には経済的負担の上昇に限定される)。
もちろん、この「先進医療」は将来の保険適用を目指して安全性・有効性の評価を進めているような先端的医療について特定の医療と実施医療機関の組み合わせで認められる制度であり、あくまで例外を処理するための制度ととらえた方が良い。つまり、現在の漢方薬のように非常に多くの医療機関で定型的に行なわれているような医療を扱うための制度ではないので、仮に漢方薬についても類似の措置を考えるなら別の枠組を整備する必要があるだろう。その整備を行ない、維持するための経費を考えたときに(つまりたとえば医療情報処理とか保険請求のシステムも相当作り直す必要が出てくるわけであるから)現状とどちらが効率がよいのかは、また別の問題である。
第二点は漢方薬の有効性についてであって、通常の近代医学における薬剤と同様の二重盲検法によるエビデンスが不足していると批判されているのを見かける。これについては第一に、かなりの程度その通りだが一部の薬剤についてはきちんとエビデンスが集積されていることが注意させるべきだろう。だがこれはもちろん、じゃあそういうのに限って保険適用を認めればいいんじゃないかという主張を退けるものではない。
第二はいやでも二重盲検試験をやってない治験、それなりにありますけどという点であり、それは結局患者さんを実験材料にできないための制約だと、そういうことである。つまり、たとえば抗がん剤の二重盲検法による治験をシンプルに考えるとその抗がん剤を使う群と無治療群を比較して効果を見るということになるわけであるが、当然ながら後者ではがんが大きくなってお亡くなりになる可能性が非常に高いわけである。本当に無治療だと副作用も出ないのでブラインドにならないとかいう問題は無視して、さすがにそれは非人道的で許されまいと、多くの人がそう考えるのではないかと思う。
そこで次に、従来の標準的治療と新しい抗がん剤による治療を比較して効果を見るという可能性を考えるわけだが、ここで従来のものが点滴で新しい薬が経口(飲み薬)だったりするとやはりブラインドのしようがない。いやもちろん従来治療群にはプラシボの経口薬を飲んでもらい、新治療群にはプラシボの点滴を受けてもらえば患者さんに対するブラインドは確保できるわけであるが、なんの意味もないのに入院点滴を続けてもらうことになるのはひどくねえかという話が出てくる。結局、純粋に科学的な成果を出すことを考えたらもちろん二重盲検法によるチェックが理想的なのであるが、患者さんの幸福と権利に配慮するとできません、科学的にはやや疑念がありますがブラインドを諦めたり明確な対比のできないデザインにして「それなりのエビデンス」を積むことにしますという例は想定することができ、というか実際にそれなりの数ある。二重盲検法というのはだから、金科玉条ではないよなというのが私の言いたいことである。もちろん、それでもそれなりに科学性の高い治験デザインを考えることはできるよねとか、その水準のことも漢方薬はやっていませんという批判を退けよう、ということではない。繰り返すが、そこんとこは具体的な状況に応じていろいろ難しいこともあるという点だけをわかってもらいたいと思っている。
第三点は治験をやらないのは悪いことかという問題であり、いやもちろんやった方がいいに決まっているのだが治験もタダではない。というかすごいカネがかかる。治験対象の薬剤、プラシボは当然のこと、検査費用や検査材料の費用、記録を付けるならその帳面、投与に使う注射器から希釈に使う蒸留水から用意しないと医療機関は治験依頼を引き受けてくれない。さらに、協力してくれる患者さんには入院する場合にはその費用、通院でも「来院費用の弁償」として一回7千円見当を支払わなくてはならない。もちろん健康被害が生じたら補償金を覚悟する必要もある。さらに、医療機関に対しても治験費用として相当の報酬を払う必要がある。正直に言えば審査委員会で扱うのにだってそれなりの額の審査料を頂戴しているわけである(なお私個人には一銭も支払われないが)。そういうものを全部負担してようやく一個の治験が可能になるのであり、開発経費の総額は(近代医療における新薬の場合だが)100億円以上とも言われている。
で。典型的な新薬の場合、その費用は(開発に成功すれば)市販後の薬価から回収することになるだろう。前に高い抗がん剤が1本20万円という話を書いた。もちろん材料が高いとか合成に経費がかかるという背景もあるわけだが、それに加えてこのような多額の開発経費が反映されているからというところもあるわけである。逆に言うと、だから治験費用を負担しなくていいジェネリック医薬品は安く売れるということにもなる。
さてそれで漢方薬の場合だが、まあ伝統的に使われてきて安全性などについてはそれなりに既存の情報もあろうし典型的な新薬の場合ほど多額の経費はかからないとして、しかしおそらくは処方ごとに少なくとも数億か十数億円のケタでは経費がかかるだろうと思うわけである。それをツムラなりどこかなりが払えるかというのもあるだろうけれども、それ以上にその経費を反映させて漢方薬が値上がりするというのを社会が受け入れるんですか? という点が問題になるだろう。もしその覚悟がないなら私企業に負担を強制する正当性根拠もないだろうと、そういう話。
この点、実は想起される前例がある。長年にわたって血管内で使用され、学界的にも標準的治療の一部とされていた医用材料が、ある日突然血管内使用禁忌に指定されてしまったという事例。問題は、確かに稀に副作用を起こす可能性があったところ、なにせ昔から使われてきたので治験が行なわれておらず、危険性より必要性の方が高いという科学的エビデンスが示しにくいという点にあった。じゃあ今から治験やればいいじゃないかと言われるだろうがなにせ昔から使われているのでもはや一回分の価格が数十円だそうで、そんなもののために治験組めませんと営利企業である製薬会社に言われてしまえばどうしようもない。じゃあ価格への反映を認めればよいかというとより新しくて治験が済んでいて製薬会社の売りたい材料がもうあり、価格を上げたらそれとの競争に負けてしまう。じゃあ新しい方の材料使えばいいかというとそっちは保険適用のある病名が限定されていて......というあたりで詰んだわけである。このとき、しかしこの製薬会社悪いかと言われると悪くないよねえ、営利企業なんだから自分の利益を考えて行動するのは当然であって、悪いのはシステムとか何とかそういうものだよね、とも思うわけである。
念のために言うとじゃあ医師主導治験でやればいいじゃないかと言う人がいるかもしれないが経費は同じようにかかるのであって、数億円だかをどこかが支援してくれないととてもできるもんじゃねえぞという話にはなる。漢方薬問題というのは結局、認可後の独占利潤をニンジンにして製薬会社に医薬品の安全性検証をやらせてきたシステムは、既存薬剤に対しては適切なインセンティブ構造を設定できないというより大きな問題の現われなのである。
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天皇陛下と中国国家副主席との特例会見が問題化していますが、
いやそれはもちろんとんでもない話なのでしょうが、
何がとんでもないかと問われると、
劣等生としては返答に窮します。
建前としては宮内庁のいわゆる一か月ルールを破ることになるからだとされていますが、
では一か月を切っていなければ問題ないのかといえば、
そういう問題でもないだろうという気もするのですが、
どうも問題を整理できません。
師走ですので、おおや先生も走り回っておられるかもしれませんが、
正月休みで暇なときにでも、ご教授願いますでしょうか。
横レスですが
>では一か月を切っていなければ問題ないのかといえば、
>そういう問題でもないだろうという気もするのですが、
与党幹事長の発言問題とかはさておき
一カ月ルールを守っていれば問題の生じる余地はないのでは。
今回問題になってるのは宮内庁の内規で、
これが内閣に対して拘束力があるのかは私は明らかにしないですが
ある場合は政治主導かっこわらいの名の元に
手続きレスに規則を無視したことになりますし
ないにしても慣習的にこれまで守られてきたものを
軽くスルーしてセッティングしたことになります。
(なお本当に守ってきたのか今現在与党が調べてるらしいですが、
自民党の中の人は「歴代の内閣で守ってきた」旨発言している)
他にも与党から野党に慣例的に渡されている国会の委員長ポストを
交換してくれという話が出したりしているので
慣習法とかいう繰り返すことによって拘束力が確認されるものを
そういう空気を理解しない人間が「だって慣習でしょ?」と
スルーする事態に現在なっているんではないでしょうか。
などと岩波講座所収のおおや先生の論文を思い起こしつつ。