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人権の衝突
なにやら沖縄返還の際に密約は存在したと外務省の元局長の人が証言したそうで(「沖縄密約「文書に署名した」 元外務省局長、法廷で証言」asahi.com)、テレビが西山太吉氏をえらいことフィーチャーしていたのだが密約の有無にかかわらず西山氏は「当初から秘密文書を入手するための手段として利用する意図で女性の公務員と肉体関係を持」つというジャーナリズム倫理上最低最悪に近いことをした人物であって(最高裁判決)、いや「密約が存在したんじゃないか」という当時の判断とか「こいつを落とせば情報が手に入るんじゃないか」という嗅覚については正しかったものとして評価することができるだろうけれども表に出して表現の自由だの語らせていい人間じゃねえだろう。もうみんな忘れたと思ってんのかな。それとも本人もマスコミの人も本気で覚えてないんだったりして。
話は変わるが、前にも書いたビラまき裁判については、最高裁でも控訴審判決が維持されて有罪になったとのこと(「葛飾ビラ配り事件、罰金5万円確定へ 最高裁が上告棄却」asahi.com)。個人的にはまあそうやねという感想なのだが、若干フォローしておく。
まず判決は最高裁第二小法廷で、裁判官4人の全員一致。4人なのは、現長官の竹崎氏が第二小法廷の所属ということになっているからで、長官は小法廷での審議には加わらない慣例なのである(忙しいからということだと思う)。なお4裁判官の出身母体は裁判官、検察官、弁護士、外交官。まあ正直、弁護士出身の方は反対意見や補足意見をお書きになることが多いという印象はあるわけだが、本件に関してはそういったものも一切なかったことには一応注意しておこう。まあだから、当初から指摘している通り、そもそも法律的な論点で争えるようなケースじゃねえよなこれ、ということで良かったのだろうと思われる。繰り返すが、無罪になった第一審ですら被告側の法的な主張はすべて退けられている。第一審・控訴審の結論を分けたのは入口ホールの貼紙が立入禁止の意思表示として十分かという事実認定の問題であり、かつ最高裁が事実認定をやり直さないことを考えれば結果は見えとったよな、ということになろう。
ただその、最高裁判決でも多少問題やなと思うのは、本件では管理組合の理事会が「チラシ,ビラ,パンフレット類の配布のための立入りに関し,葛飾区の公報に限って集合ポストへの投かんを認める一方,その余については集合ポストへの投かんを含めて禁止する旨決定していた」そうで、この決定の有効性を完全に認めると表現の自由を過度に制約することになるのではないかという点である。表現の自由と私的な生活空間の平穏としてのプライバシは双方ともに重要な価値なのであって、ただ個々での問題はその両者がしばしば衝突する場合に、どちらを・どのような基準に基づいて・どの程度優先すべきかということであったはずだ。そのときに、個別ポストへの投函(住居前通路への立ち入り)を認めるとセキュリティ上の問題が無視できなくなるというのは特に犯罪被害者としても声を大にして言いたいことであるが、一方で集合ポストへの投函も禁止し、たとえば街頭での配布に限定するというようなことにするとそれはそれでマイノリティの運動が抑圧される危険が高くなるのではないかという危惧も持つ。
となると、その中間を探るための基準としてはLRA(less restrictive alternative)が良いのではないかというのが私見であって、つまり人権への制約は、より制約の少ない選択肢が他に存在しない場合にのみ許されるというもの。各住居にまんべんなくビラを配りたいという表現の手法を保護する限りにおいて、プライバシの侵害がもっとも少ないのは集合ポストへの投函である。一般的に集合ポストは住人のプライバシに大きくかかわる場所には設置されないので受忍すべき限度内にあると言いやすいし、他方ビラを配る側としても各戸あて配布という目的は達成できるのでそれ以上他者の権利を侵害する手法を選ぶべきではないと、そういうことである(念のために言うと、本来の憲法学での用法は国家が個人の人権を制約する場面についてで人権間の衝突の問題ではないし、LRAは(芦部説では)経済的自由に適用されるべき基準であることに注意)。この点、本件最高裁判決も「たとえ思想を外部に発表するための手段であっても,その手段が他人の権利を不当に害するようなものは許されない」としているところ、単に「害する」ではなく「不当に害する」としている点から正当に害する限りにおいてはやむを得ないとしているものと読むことはできよう。
この観点からは、上記理事会決定も集合ポストへの投函を禁じている部分については不当であり、その限りにおいて保護されないとすべきだったということになろう。残念なことに本件判決はその点については沈黙しているし、「管理組合の管理権を侵害する」ことが問題なのか、「私生活の平穏を害する」ことが問題なのかについても両論併記であいまいな形になっている。この点はより明確になった方が良かったのにな、とは思うところなのである。
なお付言すると、立川事件の時だったか、上記のように各住居にビラを配るという目的は戸別ポストへの配布でも集合ポストへの配布でも同様に達成できるという前提に立った私の議論に対して、仮に誰かが集合ポストを監視しており、共産党のビラだったら即座に捨てるような行動を取らない限りチェックされてしまうような状況だったらどうかという趣旨のコメントが、はてなブックマークだったかで付けられた記憶がある。仮にそのような状況があれば、確かに表現の自由を実現する上で戸別配布と集合ポスト配布のあいだで違いが生じることになるから、LRAに基づいても戸別配布を保護する=通路への立ち入りを住居侵入罪に問うべきではない、と私も主張することになろう。いや自衛隊もそんなに暇じゃねえだろうと、個人的には思うのだが。
ところで、少なくとも上記のような理解に立つ限り、一連の判決は別にビラを配る権利を否定するものではなく、その行使の方法を他の権利を侵害しない形に制限しただけのものである。従って、被告人が記者会見において「今後もビラを配り、受け取る権利を守っていきたい」(「「今後もビラを配り受け取る権利守る」 上告棄却の被告」asahi.com)と述べているのはまったく言われたことを理解してないことを示しているだけであるし、それは「今回の判決に従えば、ビラを配るために集合住宅に入ることは多くの場合、犯罪と認定されるだろう。」とする朝日新聞記者の解説にしても同様である。結局、自分たちの権利や自由と衝突する他者の権利や自由が存在することを理解せず、とにかく自分の望む通りにできることが自由だと勘違いしている点において、西山事件と同じ構図が連綿と続いているということなのかなと思ったわけである。
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>>表に出して表現の自由だの語らせていい人間じゃねえだろう
それを言うなら、かつて政治部記者として取材中に接触した
国会議員秘書の女性器にバナナを挿入していた人物を
講師として今現在斡旋している新聞社はどうなるのでしょうか。
http://www.asahi.com/shimbun/kouen/koushi/cate01.html#lec05
いやこちらももしかしたら
「本人もマスコミの人も本気で覚えていない」のかもしれませんが。
書いてある内容に異論はないが、
言葉遣いが幼稚すぎて情けないね。
他者に対する配慮に欠けた傲慢な人間なんだろうね。
>西山氏はジャーナリズム倫理上最低最悪に近いことをした人物
いや、ジャーナリズムという職業倫理自体が、どんな手を使ってでも「真実」を暴き、伝えることこそが「正義」だという、ある種ヤクザな、イエローなものなのでは?少なくとも政治報道や経済(相場)報道以外の、「社会面」的な警察報道は大衆娯楽でしかなく、労働者階級にも「『市民』的価値観」(リスペクタビリティ)、予防的監視の視線を内面化させるという効果しかなかったという意見もありますし。
http://mltr.ganriki.net/faq08j04.html#02216にもあるように、安定した職業ではない、文士崩れや政治運動崩れの吹き溜まりだったからこそジャーナリズムが国家権力に対抗できたというのも真実でしょうし。