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草原へ(3・完)

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さてグダグダの第三点は対象との距離とでもいうべき話になろうか。チョイバルサンという人物の評価をめぐる問題である。

まず客観的なことから言えば、彼はモンゴル独立を実現した革命家の一人であり、モンゴル人民党の結成期からの中心人物であった。革命中から軍の指導者でもあり、1937年には全軍総司令官に就任している。一方、政治指導者としても国家小会議議長、人民委員会主席、内相などとしてキャリアを進め、1939年から52年に死去するまで首相兼外相を務めた。この間にモンゴルの近代化は(たとえばキリル文字の導入による識字率向上などを含めて)大きく進み、またノモンハン事件・第二次世界大戦への参戦と勝利を通じてモンゴルの独立と国際的承認への基礎が築かれたというのも事実であり、この面を高く評価する論者も多い。他方、彼とともに革命を担った政治家たち----ダンバドルジ、ゲンデン、アマルといった人々、さらにそれに伴って3万人ともそれ以上とも言われる国民が粛清されていったなかでただ一人生き残り、長期の独裁的政権を運営していたことも間違いなく、たとえその粛清自体はソ連の強い圧力に由来するものだとしても彼がそれを容認し、あるいは積極的に助長したことを批判する意見も強い。まさに毀誉褒貶の激しい人物だと、そういうことになろうか。

ところで著者はこのチョイバルサンについて肯定的な評価を試みるわけだが、その根拠は以下のようなものである。

私自身は、チョイバルサンによって引き起こされたという数々の惨劇を知っているにもかかわらず、チョイバルサンに悪い印象をもっていない。むしろ、心のどこかに、かれを弁護したい気持ちがあるのはなぜだろうか。それはモンゴル人たちから、かれについての心温まるような数々の評判を聞いているからである。/とりわけ心を打つのは、かれが何人もの孤児を引き取って育てたという話である。[208-9]

いやそんなもんヒトラーだって秘書とか料理人とかには優しくて紳士的だったっつう話なわけでなんの証拠にもなれせんがや(たとえば映画『ヒトラー:最期の12日間』およびその原作:ヨアヒム・フェスト『ヒトラー 最期の12日間』(鈴木直訳、岩波書店、2005)を参照)。もちろんそういう「心温まる」側面と、ベルリン攻防戦のさなかに総統地下壕から脱出して酔いつぶれていたヘルマン・フェーゲライン(エヴァ・ブラウンの義弟)の処刑を命じた冷酷な側面というのが彼のなかで同居しているわけで、それがトラウドル・ユンゲ(先の映画の情報源になったヒトラーの元秘書)による「怪物」という表現にもつながっているわけですよ。

しかも「もちろんかれ自身が手塩にかけて育てたのではなく、育児係をあてがったのである」[214]って、その、あたしにはよくわかりませんがたとえば旧ソ連の周辺的な共和国では孤児に徹底したロシア風の教育をして次世代の指導者層に育て上げていくという事例が見られるようで(たとえばトルクメニスタンのニヤゾフ元大統領)、つまり現地のローカルな共同体や伝統から切り離された部分を統治のために活用していくということなのだと思いますが、それと同じことなんじゃないでしょうかね。モンゴルの場合には「孤児院」のように大がかりなシステムではなく指導者の個人的な取り組みという位置付けで十分な規模だったというだけで。

仮にそういう読み筋が可能だったとすると、以下のようにソ連と距離を置こうとするチョイバルサンの内心なるものの根拠も一層あやしくなってくるのではないかと思う。つまり、

しかしチョイバルサンには、外からはうかがい知ることのできない深謀遠慮があったと考えてみよう。かれは45年の日本の敗退後は、モンゴル諸族の悲願の待ちに待った実現として、内外モンゴルの合体という夢があったかもしれない。少なくともそのような夢を実現しようと思うならばこの機を逃したら、二度とあり得ないことである。そのために多くの同志や仲間を目をつぶって死に追いやり、そうした代償を払って内モンゴルとの合体に夢をかけていたのかもしれない。[206]

と言われても第一にそう推測する根拠は極めて乏しいと言わざるを得ないし、第二にいやでも結局失敗したんですよねという話でもある。著者は、少なくともノモンハン事件当時においては旧満洲国の対モンゴル人政策の方がモンゴル人民共和国のそれよりも良かったということを指摘しているのだが(後者がひどすぎるとも言う)、しかしだからといって旧満洲国と日本に希望を抱いた人たちは間違っていた、そのことは歴史の帰結から明白だと言うわけである。しかし、だとすれば、仮に内心にはモンゴル民族統一と独立への夢を抱いていたかもしれないにせよその実現に失敗したチョイバルサンも失敗者であろうし、その失敗が産み出した犠牲については断罪されなくてはならないはずである。もちろん彼がモンゴルのソ連への併合を阻止することに成功したという可能性は十分にあり、それが現代モンゴルにおける彼への評価が今なお必ずしも否定的でない理由なのだが、しかしそのために3万人以上の犠牲が引き合うものだったか、という問題は問われなくてはなるまい(個人的にはやむを得なかったという結論になることも十分あり得るとは思うわけだが)。

結局のところ、たとえば日本の軍人でありながら凌陞に同情的だったり関係者の助命に奔走したりした、「関東軍の専横からモンゴル諸族を可能なかぎり庇護したいという気持ちにあふれていた」[115]人というのもいるわけだが、そういう「草原の人たちのメンタリティーに共感を抱いていた日本人」のことを著者は「その心情は個人の利害を超えている。それは『国益』すらも超えた、あえて言えば、『趣味』の域に達してさえいる」[116]と肯定的に評価するわけだ。だがそれは逆に言えば「国益」(その定義と内容が問題であるにせよ)を実現すべき立場にある軍人としては失格ということでもあるし、「趣味」のために正義を(再びその内容と名宛人が問題になるにせよ)歪めてよろしいか、ということが問題になるだろう。

で、これは結局著者自身の問題でもあって、モンゴルへの熱情とか心情は理解できるのだが、それが「趣味」の域に達することによって研究の科学性とか客観性とかに影響を及ぼしているのではないかということが注意されてよい。それが対象との距離の問題ということになろうかと思うわけである。

***

ただまあその、いろいろ書いたけどすでに述べたとおり題材的には極めて面白い本であるし、著者の情熱というのも人を不愉快にさせる類のものでは決してないので、このあたりのグダグダ加減を承知した上で付き合うというのなら良い本ではないかなあとは思う。まああとあれだ、70歳過ぎたらもう何書いてもいいんじゃねえかと思わなくもないしな。

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Gryphon さんのコメント (2009年11月28日 05:27):

ルーマニアでも孤児院が、秘密警察(ほとんどチャウシェスクの親衛隊のような軍隊レベルの武装集団ですが)の戦闘員の供給源でしたね。
http://blogs.yahoo.co.jp/grande_ac_milan/53203002.html


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テーマとは別ですみません。
これもアーキテクチャ的な安全確保、自由制限の話かなと思ったので、いつか感想を書いていただけばと

http://www.excite.co.jp/News/society/20091127/20091128M40.111.html
<ネットカフェ>本人確認義務付け 警視庁が条例提出へ

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