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草原へ(2)
先に出てきた凌陞(リンション)というのは興安北省の省長という地位にあった人で、「満洲国建国の元勲貴福の長男」「ダグール族統合の頂点に立つ人」という位置付けである[111]。もともと日本・関東軍はモンゴル人民共和国と満洲国の「国境を越えたモンゴル人同士の交流」が進む可能性に「ずっと疑いの目を注ぎ続けて」おり、「それへの最初の対処が、ホロンボイル統治の最高の地位にあった、凌陞の突然の逮捕と処刑となってあらわれた」[109]ということになっている。
ところでその凌陞の罪状というのは、関東軍発表によれば「日満軍の状況及び兵力、装備、活動を[モンゴル側に]通報し、爾後機を得るごとに日満軍の国境警備の企図をソ蒙軍に知らしめ、彼らに先制的体制を与え、日満軍に多数の犠牲者を出さしめた」[111-2、補足引用者]ということなのだが、田中先生曰く、
(д ) ゜゜
え〜っと、嫌疑を裏付ける事実が確かに存在したのだとすればそれは「一応は正当な」(prima facie just)処罰であって、ソ連のモンゴル支配と同列に並べてはいけないもののような気がするわけですが、どうか。
後者について。たとえばモンゴルの首相であった「ゲンデンは激しい拷問を加えられた末、自分が日本にやとわれてスパイになったと自白し、その組織に加わった人物として、あらかじめ準備されていた115人(......)の名をあげたリストに同意した。この名簿は前もってソ連内務人民委員部(NKVD)(......)が準備したものであった。ゲンデンの証言はロシア語で30枚に達したというが、ゲンデンはロシア語にあまり堪能ではなかった」[124]。
あるいはやはり首相であったダンバドルジの場合は以下の通り。
このように当時のモンゴル政府の中心的人物は(後述するチョイバルサンを除いて)、療養→死去、怪死、架空のスパイ容疑での銃殺などといったスターリン時代に広く用いられた手段によってほぼ完全に葬り去られたし、より下位の政府・軍関係者を含めるとノモンハン事件の犠牲者の数十倍にのぼる人数が粛清されたと見積もられているわけである。
でまあここでの特徴は、その嫌疑もでっち上げなら取り調べから裁判、さらには制裁の執行に至る過程のどこをとっても手続的正義が考慮されていないということであって、一応当時のソ連にも刑法とか裁判とか制度的には存在していたのだが、そのような彼ら自身がその存在をアピールしていた制度すら遵守されなかったというのがスターリン時代の実相だったわけだ。そしてこのような権力の行使は、当時のソ連政府の正統性をまるごと否定するような立場(たとえば白系ロシア人政権)からだけではなく、それが存在しており、少なくともある領域を実効的に支配しているので一応は正当なものとして認め得るということを受け入れる立場の人間、さらにはより積極的にソ連政府の掲げる統治ルールたる法体系の正統性を信じる立場からも、批判せざるを得ないものだということになろう。
これに対して日本による凌陞処刑事件は、少なくともこの事件に限れば、一定の嫌疑事実を踏まえて一応は適法な手続を経て行なわれたものであって、この妥当性を批判できる立場は当時の満洲国や関東軍による実質的支配の正統性をまるごと受け入れない立場に限られる。もちろんそういう立場を取る人は相当数いるわけだが(典型的には現中国政府とかな)、概念的範囲としてそれはスターリン批判を可能にする立脚点より狭いわけであるし、体制の本来的な正統性とかをまるまる問題にすると「神々の争い」が発生して始末に負えなくなるのでとりあえず現存する体制の一応の正統性(prima facie legitimacy)は承認しましょう(だからたとえば北朝鮮についても領土支配に関するかぎり政府と同等の存在として取り扱いますよ)という現在の国際法体制においてまあスタンダードかなと思うような立場からは、両者の評価が180度変わってくることになるわけである。
でまあ、グダグダやなと思ったのは第一にそのあたりの区別がきちんとできてなくて要するに殺されたんだからひどいというだけの話になっているからであるし、第二に日本の満洲支配においてソ連と同じように手続的正義を完全に無視する形で「粛清」された人がいなかったとも思えないので、そういう例をちゃんと挙げればいいのになあとそう思ったことであった。さらに続く。
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