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淘汰
なんか家を出たら近所の工事現場が池みたいになってるんだけど大丈夫なのかあれは(挨拶)。まあ調整池の埋め込み工事なので必要性がよくわかりましたという意味では良かったのかもしれないけど。
さて民主党の小沢幹事長が「キリスト教もイスラム教も排他的だ」という趣旨の発言をしたという件(「「キリスト教は排他的」民主・小沢氏、仏教会会長に」Yomiuri Online)。いやもうあかんやろ完全に。
森喜朗・元総理の「神の国」発言というのも思い起こされるわけであるが、あれは第一に「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞ」とは言っているが別にアウグスティヌス的な「神の国」De Civitate Deiではないと言っているわけではないので、キリスト教関係者に招かれたら「日本はキリスト教における神の国も目指します」と言って言えないことはない。もちろんそれで言われた側が納得するかと聞かれれば難しいのでこんなこと最初から言わないに越したことはないのだが、しかしあくまでもある特定宗教を賞賛した反射的効果として他宗教を相対的におとしめた可能性があるということであり、直接的に批判したわけではない(これは発言全文を見てもそう)。もちろん戦前における国家神道の問題などを想起させるので不適切さが上がるところはあるが、それでもあくまで直接的な批判に及んだものでないことは注意しておくべきだろう。これに対して今回の小沢発言は明確に直接的な批判を行なっている。しかもその対象は、国際的には多数派なので政治家としての行動の合理性という観点から問題があるだろうし(世界の半分以上を怒らせるのってどうなの? という話)、国内的にはごくごく少数派なのでマイノリティに対する差別発言ですよねという疑念なしとしない。どちらにせよシンプルにあかんやろという話である。
第二に、森元総理発言は「神道政治連盟国会議員懇談会結成三十周年記念祝賀会」というのにおける挨拶であり、第一義的にはその出席者に向けられたものである。当然ながらそれは神道と政治の関わりというものにポジティブな見解を持っている人が中心であるはずで、その人たちは先の発言に必ずしも抵抗感を持たないミウチの存在だと言うことができる。もちろん今時そのようなミウチとソトの区別が簡単に維持できるわけもなく、現にマスメディアなどを通じてソトに知らされることによって批判を招いてしまったわけで、やはり言わないに越したことはない話ではあるのだが、だが一応はそのように境界線の内側で行なわれた発言だということを指摘しておこう。これに対し小沢幹事長は全日本仏教会会長との会談後に記者団に対して上記のような趣旨の発言をしたものであって、完全にパブリックな・発言が報道されることが当然の場面であったということになる。ミウチに対するリップサービスを試みて境界線のコントロールに失敗しましたというのが前者、そもそも最初からそのようなコントロールの必要性も意識していないのが後者。あかんやろ。
もちろん民主党の政治家といってもいろいろな人がいるわけで、一番期待できるのが自民党から立候補できなかった若い世代。中選挙区制の時代には、自民党からの公認は得られなくても「保守系無所属」で立候補し、「勝てば、自民党」(S. Reed)で党加入を認められ、落選した旧現職を引退に追い込むという形での世代交代ルートというのがあり、政治を志した若い世代を吸収する道になっていたわけである。ところが小選挙区制になってそのような無所属での立候補が困難になり、政党候補としての公認も公開された競争(たとえば予備選挙)ではなく現職優先ルールが強いということになると、そういう人々は現職の所属する自民党ではなく民主党に流れざるを得なかったわけで、もちろん政治家としての教育・訓練が不足している可能性はあるものの「ダメ」の烙印を押されたわけではないということになるだろう。
一方、最初から野党政治家として成長してきた人たちというのもおり、こちらも与党・政府の側での経験が不足していることはもちろんあり得るが、政治家一般としての、あるいはたとえばより具体的に国会運営といった領域における能力は十分に育てていることが期待できる。うんまあその「菅直人が?」とか「福島瑞穂が?」とか言いたい人はいろいろいるだろうが特に後者が場面と問題によっては相当まともな発言をしていることは特に民主党政権発足以来目立つようになってきているし、そもそも少数野党という支持してもなんの利益もなさそうな地位で組織を維持し続けるというのは結構な腕前ですよ? というのは幸福実現党の出現によって逆説的ながら明確に示されたわけである。
もう一つのグループが旧自民党政治家ということになり、鳩山・小沢・岡田といった現民主党の中心的な人々がここに属することになる。でまあそのもちろん個別的にはさまざまな事情のある人もいると思うのであるが、しかし我々が念頭に置いておかなくてはならないのはこの人たち自民党内での権力獲得に失敗したから出てきたんじゃないかということと、なぜそうなったかというと能力・資質的に問題があったからじゃねえのかという可能性である。
もちろんここで言う「能力・資質」にはポジティブなもの(たとえば政策の構想力・実現力、説明力・理解力、統率力や人的な魅力といったもの)だけでなく、ネガティブなもの(典型的には金銭的・人間関係的なスキャンダル)が少ないことも考慮しなくてはならないし、そもそも自民党の内的な人材選抜システムが公正かつ適切に機能していたのかといえばそれなりの疑問があるわけだが、しかし総理・外相に関する問題と今回の小沢幹事長発言をさまざまに鑑みるに、やっぱりそれなりに問題があったから出て行くハメになったんじゃないかねえという気分のほうが強くなってくるところではある。まあ直接に内部を観測できないときには帰結から推測してみるしかないわけでね。
この点、実は私は検察という組織についてもごくごく間接的な観測結果に基づく印象というのを持っているわけではあるが、まあこれは余計ごとなのでここでやめる。(11/17公開)
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