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現代と中世の借金(5)
さて、著者が現代社会のモノゴトについても法的な分析枠組についても正確な理解をまったく欠いていることは以上で指摘できたと考えるので、今回はこのような理解不足が著者の本来のフィールドである中世貸借関係の分析にどのような影響をもたらしているかを見てみよう。その前に、小ネタ。
つ 「債権は、十年間行使しないときは、消滅する。」(民法167条1項)。もうね。
著者が中世的な金銭貸借の典型と考えている関係は、たとえば以下のようなものである。
質物が質流れになっても債務者が利子付借金分を返済したならいつになっても何年たっても質物は本主のもとに戻されるという「質地に永領の法なし」の原理が生きていたことを示している。しかも、ここで特に注意してほしいのが、「本子二貫八百文」として返済額が固定化されており、利子が近代債権論のように無限に増殖していないことである。本銭が二貫文、利子分が800文で定額になることについて債務・債権者双方の了解が成立していたのである。
六文子は100文を借りて月額6文の利子であるから、2貫文なら月額120文であり、月30日計算にして一日4文の利子である。6月4日に債務契約を結んで6ヵ月後の12月晦日までの借用期間は206日であるから、利子分は4文×206日分=824文となる。一緡100文は97枚で換算される[文献略]。3×8=24文を差し引くときっかり800文となる。利子分800文は、借用期間6月4日から12月晦日までの日割計算の利子分とみてまちがいない。まさに、年利にして6~7割にも及ぶ高額な利子率であっても、利子を支払うのは返済期日までの期間であって、それ以後は返済日がいつになっても何年たっても利息分は固定され増殖しない。利息は定額となっていた。ここに中世債務史関係において、債務者が破産することなく債権者と共存しえた秘密がある。(162)
つまり著者は、
- 利子自体は高率だが、一定の上限が法定されていた。
- 利子が法定上限に達した場合、担保とした土地は「流質」となって貸主に移転してしまう。
- しかし「質地に永領の法なし」であり、借主はいつでも元本+法定上限利子を支払うことで担保とした土地を貸主から取り戻すことができる。
- 担保とした土地には借主によって取り戻される可能性が付いているので、貸主は勝手にそれを第三者に売却することができない。売却するには借主の同意(取り戻しの断念)が必要である。
というのが、近代的な貸借関係と根本的に異なる中世的な貸借関係のあり方だ、と主張しているのである。
もちろん私は歴史学には素人なので、著者が直接依拠したものを含めたさまざまな史料からそのような事実関係が読み取れるかということについて異論を唱える気はない。しかし上記の事実関係を前提にするならば、それは著者が主張するような近代と異なる貸借関係としてではなく、使用収益権の移転だと理解した方が妥当なのではないか。
こういうことだ。土地(特に農地)は一方において一定の流通価値(典型的には販売価格)を有する財産だが、他方、それを利用(耕作)することによって一定の価値を生み出すことのできる生産財でもある。土地の価値は、従って、それを売却できる権利と、利用できる権利とから生じるものに分割して考えることができる。このうち後者はその土地を占有していない限り行使しようがないが、前者は誰がその土地の真正な所有者なのかを占有とは区別して確定させる方法があれば占有とは別に移転したり行使したりすることができる。たとえば借地(土地を利用する権利だけを持ち主とは別人が享受している状態・借主が所有者のために占有している(民法181条・代理占有))について、土地登記制度のある現代日本法では、土地貸借関係を中断することなくその所有権のみを売買することができる(民法184条・指図による占有移転により、以後新所有者のために占有する)。
非占有担保物権の典型である抵当権の場合、借金のカタとして貸主が抑えるのはあくまでその土地の流通価値である。占有は借主に残るので、借主はその土地を利用して利益をあげることができる(使用収益権)。農家が土地を担保に銀行から借金して農機具を買う場合などを想定してもらうとわかる通り、返済資金を稼ぐための営業を中断することなく借金ができるというのが抵当権のメリットである。その代わり、占有が移転しないのでそのままでは貸主を保護しづらい。このため、抵当権の設定が可能なのは登記・登録制度のあるものに限られている(民法369条1項および各種特別法)。
これに対して占有担保物権である質権の場合、借主は債権に見合うだけの担保(質物)を貸主に引き渡すことになる(民法344条)。貸主は現に質物を押さえているので、債務不履行が生じた場合にはそれを競売にかけ、落札価格から債務を充当することになる。従って貸主は十分に保護されているが、ここで最終的に担保として用いられているのは質物の流通価値であり、使用収益権ではない。一方、上記の通り実際に占有が移転されている以上貸主はそれを使用収益できる状態にあるし、また(やはり農地の例を想定してもらえばわかる通り)使用しなければ流通価値自体も損なわれてしまう場合が考えられるので、それをどうするかという問題が生じるだろう。
そこで民法は、不動産質の場合に債権者が目的物を使用収益できると定める一方(民法356条)、利息を請求できないこととしている(同358条・原則)。当事者の合意に基づいて利息を定めることが可能だが(同359条)、登記される必要がある(不動産登記法116条)。登記という追加的な手続(かつ追加的な費用支払)をしない限り破れないというのは相当に強力な原則であると言ってよい。不動産質においては、使用収益権が利息の機能を果たしているのだ。
要約すると現代日本法の場合、抵当権では使用収益権が借り主に留保されるのでそこから利息を支払うことが期待され、質権では使用収益権が利息代わりに貸し主に移転するのでさらなる利息を払う必要はないと、こう整理することができよう。
さて、そうすると著者が挙げた長島荘の畠の場合も、
- 利息が一定金額に達するまで:貸主は土地の流通価値を担保として押さえる。占有=使用収益権は借主にある。→ 抵当権
- 利息が一定金額を超えてから:貸主は土地の占有=使用収益権を得る。それ以上の利息は発生しない。貸主は土地を第三者に売却することはできず、債権は残っている。→ 質権(不動産質)
- 清算:貸主が質流れとして土地を売却するか(質流れ)、元金+一定の利息を支払う。→ 代物弁済または債務の履行
と整理することができる。利息代わりに使用収益権が取られているので、その分を金額換算すれば実は借主の負担金額(実際に支払った金銭+逸失利益)は順調に年々増加しているのである。
利息が一定金額に達するまでの段階(抵当権類似構成)の利率が高いことも、土地登記制度などが未発達で担保が確実に実行できる保障がないことを考えれば当然であり、一方それ以降の段階(質権類似構成)では占有を押さえている以上最終的には取りはぐれがないために利率が下がっていると整理することができる。もちろんこれも本当かどうかわからないことで、担保として押さえられた領地から上がる年貢収入が債務額に対して大きいときは実質的には高利を払い続けていることになる(もちろん元本に対する単利に留まるとは言える)。
このように考えると、中世的な借金の特徴は最終的な抵当権の実行に債務者の合意が必要なことに限定される。そしてこの点は、(たとえば)比較的安価な土地による代物弁済でも、貸主が納得するような場合(手元資金が逼迫しているとか、理由は考え得よう)でも、それによる債権債務の清算を認めないのであるから、必ずしも常に借主保護として機能するとは言えない。むしろ封建制の基礎である土地所有の流動化・崩壊を防ぐための規制と考えた方が筋が通るだろうと思うのである。
というわけで、次回最終回はこの中世制度の意味について考えよう。
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