混乱の先について(1)

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一学期の後始末を終えたら夏が終わりかけている(慨嘆)。というかここ2週間で4回ほど東京との往復を繰り返しており、なんか移動だけで疲れ果てているわけですが。

さて先日元官僚の人と話す機会があって、「政権交代で混乱するだろうから現役の連中はかわいそうだ」と言われたのでそういうことではないのではないかと反論した件について。

「交代」というのは、それが水平的に別の組織に入れ替わる政権交代であれ、同一組織内での世代交代であれ、結局は経験者をいままでやったことのない人へと取っ替えるのであるから、短期的には技能の低下が発生し、それが混乱の原因になるということは事実だろう。しかしじゃあ「交代」などしない方がいいかというと、第一には長いあいだ同じ人が同一の地位・職務に留まり続けることの弊害というのがあるわけだし(典型的には腐敗・癒着の可能性が増大することだが、問題処理が硬直化する可能性も考慮する必要があろう)、第二にその人が死んだらどうするのか問題というのがあるわけである。本人の選択による辞職や転職の場合には仕事の引き継ぎもある程度可能だろうが技能をそのまま後継者へと移転できるわけではないし、引き継ぎすらできないような状況で不慮の死を迎える可能性も常にある。どちらにせよそこで急に発生する技能水準の低下は極めて大きく、従って混乱も大きくなると予想される。そのように突然・予想不能な形で技能低下と混乱が発生するのを防止するために、たとえば定期的な人事異動によって予想可能な時期に小規模の混乱を発生させるというのが日本の組織で一般的な人事ローテーションの意味だということができるだろう。

となると結局、同一組織内のタテの交代によって小規模な混乱を頻繁に経験するのと、政権交代という「組織総取り替え」による大混乱を、しかし平均すれば十年前後に一回くらい経験するのと、どちらが良いかというのは趣味の問題である。後者を抑制したところで前者による混乱は起こり続けるわけだし、場合によってはタテの世代交代が失敗したり硬直化したりで技能水準が低下したところで外部からの大トラブルに襲われてカタストロフとかいうシナリオも想定できるわけである。結局この「交代」に伴う混乱というのは、変化し続ける世界の状況に・永続しない技能を持つ存在である人間の集団によって対処しなくてはならないという理由から生じる必然的なものであって、今回ヨコ変動が起きることによって規模的には大きな混乱が生じるとしてもそれ自体は民主政の必然的なコストとして甘受すべきものだと、そう思うわけである。

だから問題は「政権交代すること」にあるわけではなく、交代するだろうと言われている先がもっとなにか訳のわからない異常なことをするだろうという点にあるわけである。というか実際「故人献金」党首と「国家公務員法を知りませんでした」幹事長という、どう考えても「法の支配」とか尊重も理解もしていないよねという組み合わせなわけで(いやそれは私自身「法の支配」はone-size-fits-all的に使われているので止めたがいいと主張しているわけだが代替的に「法治国理念」の重要性は指摘しているわけでね)、法律による行政という近代国家の根幹自体が揺るがされるのではないかということを考えると、それに付き合わされる現役官僚の皆さまはえらいことやなあと(大学行政の末端にいるものとしては完全な他人事でもないのであるが)思うわけである。やっぱりその、小沢さんの方が一応法律の正当性を認めつつその裏をかこうとしている点において、まともだったんだなあと。

***

というわけで、そろそろそのあとのことを考えた方がいいのだろうなあと、個人的には思っている。おそらく一年もたたないうちに「政権交代」への幻滅感というのが世間を覆うのだろうが、しかしじゃあ自民党一党長期支配に戻りましょうというのも望ましい選択肢ではない。正確に言えば、55年体制下では中選挙区制を通じた新陳代謝の可能性が開かれていたのに対し(スティーブン・リード先生が指摘している通り、新人は党の公認が得られなくても保守系無所属で立候補することができ、「勝てば、自民党」なので落選した元現職を引退に追い込むことが可能だった)、小選挙区制導入後は党公認の影響力が非常に強くなっているのでそのルートは封じられる傾向にあり、政権交代なしにすると上述したような硬直化の弊害が55年体制より非常に強く現れるだろうと想定される。制度の根幹がすでにいじられているので、我々は単に元の場所に戻ることはできないのだ。

だとすると一つの可能性は、タテの新陳代謝で硬直化が防げる民主政とその正当化理論を構想することにあるだろう。別の言い方をすれば、n+1ではなくnに収束することを前提として、その弊害を防止する制度を考えることである。実際には55年体制というのがある程度はそのようなものであり、もちろん弊害は多々あったのであれでいいと言うつもりは毛頭ないが、「政権交代がないから異常だ」というのはタテの制度が弱くてヨコの交代に依存し、かつ実際には多党連立政権に近いという自民党の内実をきちんと見ていない欧米中心的な批判に過ぎないわけである。それに対抗できるだけの理論的蓄積がなかったのが問題だというならば、その部分は本来研究者の仕事なんだろうなと、そういう話になるわけだ。つづく。

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