前の記事: 政治的中立性(1) << | >> 次の記事: ひさびさに

政治的中立性(2・完)

| | コメント(0) | トラックバック(0)

さて、補足を二点。

第一は、しかし立法論として高級官僚を(何らかの基準により)下級公務員と区別し、政治的行為の制限について両者の基準を変えることは十分考え得るだろうということである。いま白いか黒いかという問いであれば、上記のような通説的見解に立っても、私のように弱者の政治的主張可能性を守るためにこそ「政治的目的」は厳格に解されるべきという立場に立てばなおさら、「白」と言わざるを得ないことになる。しかし、たとえば政治的行為禁止の目的を「中立性の維持」「中立性に対する国民の信頼の維持」と置いてみたとして、そのために課すべき制限が事務次官から用務員のおっさんまで同一かと問われれば、違うかもしれんとは思うわけである。

ただしこの場合の問題点は、どうやって「高級官僚」を定義するかという点に、一応ある。というのは戦前のように高等官・判任官(あるいはさらに雇員・傭人などその外部にいる存在)が身分的に截然と区分され、見習いであっても高等文官試験に合格していれば高等官食堂を利用するという時代とは違い、戦後におけるキャリア官僚制はあくまで採用・人事上の慣行に過ぎず、たとえば「誰がキャリア官僚か」という問いに対する回答は各官庁・採用区分に依存した複雑怪奇なものにならざるを得ない。菅直人氏が一方でキャリア官僚による政策批判を封殺し、しかし支持団体のために一般公務員の政治活動を許容したいとすると、その境界線をどのように定めるかがなかなか困難な問題になるだろうとは思われる。

ただし、たとえば現行の国家公務員倫理法(平成11年法律129号)のように現在の職および俸給表上の位置によって定義することは可能なので、それほど大きな問題ではないかもしれない。もちろん問題として、たとえば係長級のキャリアが「高級官僚」に入らない一方、数十年の努力を重ねたノンキャリ課長補佐が「高級官僚」になってしまうという点が考えつくが、どうせそういう優秀なノンキャリが自治労とか支持してるわけないじゃんと思えばそうたいしたことはないのかもしれん。

第二に、上記のようにぐだぐだと論じなくてはならないのは新憲法において公務員もまた等しく国民であり従って基本的人権を享有すると考えてしまっているからである。戦前日本のように「天皇の官吏」は特別権力関係に入るので一般人民と同列ではなく従って基本的人権とか制約されても構いませんとか、イギリスのようにcivil serviceの構成員はCrown (個々の国王ではなく王権の象徴としての「王冠」)に雇われているので統治される側ではなく統治する側であり、従って当然統治される国民のための権利とか保障されるわけないんだぞという制度設計にすれば政治的行為を禁止することに何の憲法上の問題もないわけである。おおそうか菅直人氏は戦前の「天皇の官吏」へと歴史を巻き戻そうとしているのかぐんくつのおとがきこえるぞおおおお。

まあ冗談はさておき、そういう次第もありそもそもイギリスの国制は歴史的経緯からきわめて特殊なのであんまり学んだり比較したりする対象にしない方がいいというのはいろんな人がもう指摘していることだと思うし、そこにおける「公務員の政治的中立性」というのは彼らが基本的に民主的正統性から超然としているから成立してきたことで、その象徴的な現れとして新任の外務大臣が「金庫の中の秘密条約を見せろ」と要求したらお前みたいにころころ変わる人間に陛下の秘密が明かせるかと外交官に拒否されたみたいな伝説があるわけであるし、一方で官僚を沈黙させて政治家たちが対外的発言を独占していたらその裏でお手盛りの手当だの不正請求だのが蔓延していたのが明るみに出てブラウン政権えらいこっちゃというのがイギリス政治の現状なのであるから、そんなものを当然の理想視して振り回されてもなあと、そう思ったことであった。

Trackback(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 政治的中立性(2・完)

Write Your Comment

July 2009

Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

Recent Comments

Monthly Archives