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独自の見解(2)

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さて以上のように、少なくとも両面の危険性があることを踏まえれば指揮権行使の是非は具体的な場面ごとにその行使がもたらし得る危険性によって判断すべきだということになるのではないか。もちろんここで郷原氏は、(1)衆議院総選挙の迫った時期において(従って捜査の帰趨が政治プロセスに与える影響が強まっている時期において、(2)不十分な嫌疑に基づく捜査が行なわれることには具体的な危険性が高いと主張するのだろう。

だが第一に、衆議院総選挙は理論上直前の総選挙から任期切れまでのどの時点でも発生し得るのであって、客観的に「選挙が迫っている」と言い得るのは任期切れ直前の2~3ヶ月といったところであろう。そのように限定しない限り、内閣が基本的には任意の時点でその解散権を行使し得ることを考えた場合、総選挙は常時迫っているので政権交代を狙える野党の党首は事実上の治外法権だということになってしまうのではないか。もちろん、政府の側から「まもなく総選挙」という意志表明がなされていたのであれば、その権限を持つものによる発言を信頼することには一定の正当性が与えられるだろう。だが今回の事例で「総選挙は迫っている」と言い続けていたのはほぼ一方的に民主党関係者のみであり、結局はその「独自の見解」だと言わざるを得ないだろう。

第二に、しかし総選挙の「接近度」は任期切れに向かって次第に高まっていくのであるから、それに応じて捜査が差し控えられるべき程度も高まると考えても良い。つまり、たとえば総選挙直後であれば比較的軽い「一応の」(prima facie)嫌疑があれば捜査は認められるべきだが、強制捜査着手に必要となる嫌疑の「もっともらしさ」(plausibility)は徐々に高まっていく。たとえば任期切れ直前であればよほど高度の証明がない限りは強制捜査に訴えることは許されないと考えてみるわけである。

このような比較衡量にはなかなかもっともなところがあると思うが、しかしでは検察当局の証拠および違法性に関する判断に一応は正当性が感じられるとして(ここは留保して後述する)、しかも捜査を先送りすれば(たとえば政治への影響が極小化するだろう総選挙直後まで待つとすれば)嫌疑の一部が時効にかかってしまうという場合において、なお指揮権の発動を必要とするという判断になるだろうか。

私自身はこの点に否定的である。というのは、繰り返して言うが法令上総選挙が切迫しているとまでは言えない状況において、強制捜査が政治プロセスに及ぼし得る影響を抑えるべきだという高度の政治的判断をする場合、前述のように捜査当局の独立を侵害する危険や時効による訴追不能をもたらすだろう指揮権の発動よりはるかに侵害的でない選択肢があり得るだろうと思うからである。なに難しいことではなく、現政権がその解散権の行使を当面差し控えれば良い(その旨を言明すればなお良い)。強制捜査による短期的な世論の変動がおさまるまで政治プロセスの方が待つというこのような選択肢は、第一に捜査当局に対して介入しないのでその独立性に関する問題を生じさせないし、第二に政治的判断を担うべき内閣が担うのにまさにふさわしい手段だということになろう。

と、ここまで書けば明らかな通り、これが麻生内閣がほぼ実際にとった手段である。捜査に着手されたことそれ自体による民主党の世評へのダメージがあったとしても(あったと思うが)、その反射たる麻生内閣の支持率上昇も3ヶ月もすれば消えているわけだから、それまで「解散しない」という消極的な態度をとるだけで十分だったのではないか、なぜ「指揮権の行使」という濫用の危険性が高い手段をわざわざ追求しなくてはならなかったのか、その理由を「第三者」という中立的な視点から説明できるのかといったような点には、率直に言って疑念を禁じ得ない。この項さらに続く。(6/23公開)

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