東京法哲学研究会
というわけでたまには会員としての責任を果たすべく発表してみるわけだが、ここを読んでいる方々はお気づきの通り私あちらこちらに呼んでいただいてはお話ししているので正直タネ切れ気味であり、もう一人の報告者であるY村君がむつかしいことを喋ることが容易に予測できたこともあっておおざっぱに肌理の大きな話をすることにする。で、「法整備支援は何が面白いか:法哲学の観点から」。
まあその、最近学会の途中からいなくなってカンボジア出張とか正直法哲学会には不義理が続いているので、なんでそんなことになっているかという釈明も兼ねたわけであります。内容は、法整備支援の現状がどうなっているかということと、その理論的なバックグラウンドが実は貧弱であること(たとえばそこで頻発されている「法の支配」という言葉が何を意味しているのかさえ十分に共有されたイメージがないこと)、実はそのあたりって法哲学とか法社会学とか、つまり一国のすでに確立された実定法を相手にしている限りはあまり目立たない学問がメインフィールドにしてきたところですよ、という感じ。途上国の現状分析とか理論構築とか、やっぱりこういう理論知が役に立つと思うし、逆にそこを見ることで法哲学の理論に対してもインパクトがあると思うのですよねと、まあそういうお話でした。
ところで何でそういう事態に至ったのか今一つ釈然としないが質疑の際に政権交代に関する話になって、そのときに言ったのだが私はまあ今年に入ったくらいから穏健な政権交代支持者になりつつあり、つまりそれはそのこれをいまになって言うのもどうかとは思うのだが一回やらしてみりゃどんな有様になんのかわかんだろ、と。外から能書きたれてる人間の格好良さってえものを信用したらどんな目に遭うのか、まあ思い出せばまた15年くらいは持つんじゃないかと、そういうことである。
まあこう言うと新政権が確立して崩壊するまでのあいだに何されるかわかりませんと、たいがい外国人参政権問題とかそのあたりを例に怒る人がいるわけだが、まあしかし私らのご先祖は戦後の焼け跡から現在の社会を蘇らせたわけで、それに比べりゃあなんてことはあるまいよ。維持とか修繕にかかる費用を覚悟することなしに遺産を誇るのは、まあフリーライダーですわな。積極的に壊そうとする連中への対応はまた別の話としてな。
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1995年に阪神間にすんで自社さ政権の無力さ(と社会党の無残な交代)を身体受けした私としてはやめてくれよこういうときこそ組織的記憶と理論の出番だろ社会科学の人々は世の木鐸としてだなとおもうのでありますが、しかしその2年後の神戸児童連続殺傷事件が多くの非関西人の記憶からは消えているという事実を最近目の当たりにして記憶とはそういう儚いものなのか個人の恐怖と辛苦は多少集合的なものになったとしてもきちんと語られなければ覚えられないのかなにという諦観に至りつつあります。嗚呼。
60年代アメリカのLaw & Development movementに限界を感じた人々が現代的Law & Societyへと流入していった…そして今大御所になっていることを想起しました。
「一回やらしてみて民主党がぶっ壊れたらどうすんだよ。」
とか
「政権担当不能政党の烙印を押されて社会党化したらどうすんの。」
といった不安を私は持っております。
非自民勢力(特に社会党)がこれでもかというほど無様をさらしてくれたおかげで、どんだけ自民党がだめでも国民は自民党に期待せざるをえなかった一時期を私は一生忘れません。
森さんの次の自民党総裁が総理大臣になった時の支持率が80%近いとか(笑)
ここは普通政権交代でしょ?
当時の野党がどれだけだめだったのかこれでわかるというものです。
>鰤さん
ええまあその従って私は非力ながらがんがん音を立てようと努力しておるわけですが、一応は近代主義者であり民主政論者なので人民がそれを選択したらどうしようもないわけですよ。ええ。
>izw134さん
まあ典型的にはTrubek先生とかですね、個人的にはCLS運動の後始末もきちんとしていただきたいとかいろいろ思うわけですが。先に本学にお見えになった際、アメリカ法学界の現状には大変ご不満のようだったのですが、そうしたのあんた(ら)やろ、と思わぬでもなく。
>蜃気楼さん
いや壊れるだろうと思ってますけどね、普通に考えたら。安保政策ひとつとってもまとまりようがない。ただその、普通の考え(と私には信じられるもの)を超越される方々なんでね……
ただ《批判を受けない長期連続政権》というのも腐敗とか無能化とかの懸念が当然ながらあるわけで、政権交代に期待できないのだと仮にすれば、我々としてはそれ以外の・国家権力の品質確保ができる仕組みを考える必要はありますわね。
逆に言うと、それがきちんと確保できるのであれば政権交代というのはいわばgood governanceへの手段に過ぎないわけで、それに拘泥するのは視野が狭めえなと、そう思うところですが。
「政権交代可能な野党」というのが有効な処方箋だと思います。>政権党の腐敗、無能化。
「政権交代可能な野党」の存在は政権党の腐敗、無能化を抑止します。
しっかりしなければ政権の座を追われるという危機感は政権党に対する圧力として機能するでしょう。
もし、政権政党がだめになっても最悪、政権交代すればいい話ですし。
「政権交代可能な野党」は予防と対策を兼ね備えた有効な手です。
予防が対策に勝るのは言うまでもありませんが。
そんなわけで私は、「政権交代可能(と思われている)野党」の存在は不可欠と考える”艦隊保全主義者”です。
決戦(政権担当)を行えばあっという間に壊滅するような艦隊(政党)でも存在することそれ自体に意味があると思うのです。