法理学研究会
オレ......いまの仕事が終わったらCore i7でBlu-rayの見られるデスクトップ組むんだ......(死亡フラグ)。というわけでようやくいま抱えている仕事団子の先が見えてきたわけですが(まあお代わりが確実に待っているわけだが)、先週に続いて京都まででかけて法理学研究会で報告してきました。しかしこう、なんで私が出かけるとこういうことになるのか。関ヶ原真っ白です。なんかイベントでもあるのかホテルが取れず、最終の新幹線で帰る日程にしていたので気が気ではないわけですが。
タイトルは「近代はどこへ行くか:監視の正義論的検討」としたのですが、まあ『自由とは何か』の最後で自由と主体性の問題を提示したことについて、一応の結論は示してあるものの根拠が十分でないとかご指摘をいただいており、続編として自由と幸福の関係を中心に考える必要があるなと思っていたわけです。その際には我々が19世紀に夢みた「近代」とはなんであったのかという問題を整理する必要があると――先日の『思想地図』座談会などでも――思ったので、Query CruiseやSynodosといういただいたお仕事の機会を通じて考えてきたわけです。そのあたりのことをacademiaに対してもそろそろ一度出しておくかという趣旨で、「正義論的」とか銘打っていますがその面での新しい議論をしているわけではなく、むしろ伝統的・古典的な議論を確認して監視問題への適用を論じたというものです。
最近、具体的な問題系としては犯罪とか治安のことが気になってきているのですが、アーキテクチャ論とこの方面の議論の関係というあたりについては私より若い世代できちんと勉強している人が出てきており、実に将来が楽しみと無責任なことを言い出してみたり。本当は私ももっとちゃんと勉強しないといけないんですが、当面アウトプットで忙しそうでねえ......
あまり忙しい忙しいと言っていても心を亡くしてしまうので、自分をいたわるべくイノダでコーヒーだけは飲んできましたよと。まあその直後に今出川の駅で「災害対応自販機」を見つけた瞬間に喜んで写真を撮り始めたりして、自分でもどれだけ休んでるのかよくわからないわけですが(先日は偶然豊橋・岩田運動公園の「お助け自販機」の前を通りがかって撮影。コレクション充実中)。
あ、上述の通り最終で帰ってきたわけですがそれでも京都学界のホスピタリティは今回も堪能させていただきました。ひとつの教訓としては、あれですね京阪「七条」から新幹線の京都駅は結構遠い。いやあ......出町柳から乗ったのが急行で東福寺に止まらないし、奈良線を待つよりは早いかなと思ったんだけど。酔ってたからなあ。(2月15日公開)
Trackback(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 法理学研究会
いまだと京阪三条から地下鉄が一番あるかなくていいのかな、でも乗り換えが2回になりますね。酔っているとつらいのかも。
>19世紀に夢みた「近代」
これ重要な視点ですよねえ、と思っていて。とりわけ19世紀前半の Neuzeit って同時代と、まだ来ぬ/招来されるべき近い未来が二重化されているような、いわば教会が天国の先取りであって未来が先駆的にかつ漸進的に現在に浸透しているという時間意識と、終末論との世俗化であるということはもっときちんと意識されたほうがいいと思ってたり。
この意識が明瞭にでてくる初期の著述家はレッシングかなと思っていて(きちんと調べたことはない)、そうだとするとそれは18世紀まで繰り下げるほうが妥当なのかなとも思います。
>鰤さん
東福寺乗換で奈良線、というのが正解らしいのですが。同じ歩くのなら最初から今出川まで戻ればよかったのにという話もあり。京都のこの新幹線アクセスの悪さだけはどうにかならんかなと、よそ者としては思うわけです。
近代についていうと、おそらく先駆的にはより早い段階で構想されているのですよね。それがさまざまな社会運動に結びついたり制度に結実したりするのが主に19世紀で、実現とともに崩壊しはじめる20世紀という夢も希望もない話を最近あちこちでしています。