前文の意義と法(1)

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体調不良でぼんやりしながら書店に行ったら週刊文春を立ち読みしてしまい、さらに具合が悪くなった件について(挨拶)。いや別に立っていたことが問題なのではなく職業柄2時間程度であればびくともしないわけであるが、森功「紛争解決のプロが断言『新テロ特措法はデタラメだ!』」を読んで伊勢崎賢治氏が何を言っているかを再確認してしまったわけ。

さて惹句にもある通り氏は現在日本の行なっている洋上給油とその根拠となっている「新テロ特措法」は無益であり、現在のアフガン情勢を考えれば有害ですらあると主張しているのだが、その主たる根拠は私の見るところ以下の三点である。


  • 洋上給油は民間でも行える作業で、自衛隊があえて実施する必要がない。
  • 国連安保理決議において、洋上給油を含む「不朽の自由」作戦が評価されたという主張には意味がない。
  • 現在のアフガン政治は、タリバンと和解する方向に向かっている。

このうち第一点は、すでにJSF氏が「週刊オブイェクト」においてその問題点を指摘している。私自身は双方の主張をきちんと評価する能力を持たないが、要するにガソリンスタンドと同じ程度の活動だからという程度の根拠に帰着する伊勢崎氏に対してJSF氏は活動の特殊性やそのような対処が必要となる理由についても明確に説明しており、私自身としては後者の議論にはるかに大きな説得力を感じるところではある。他方第三点については私自身とうてい検証できないことであるし、そもそも水面下の動きだと伊勢崎氏自身が位置づけているので(もちろんアメリカの現行方針に反するので表沙汰にできないから、というそれなりに理解できる理由が付けられているけれども)、最初から検証不能である。ここで言及したいのは残された第二点についてであり、まあ私の専門的能力が最低限は及ぶかなと思うところだからである(ただ念のために言うと国際法というのは後述するように法の領域としてもかなり特殊な面を含んでおり、国内法を基本的に学修した私が本当に正しいことを言えているという自信はないのである。あり得べきミスについてはご叱正を請いたい)。

さて第二点に関する伊勢崎氏の議論には、大きく分けて二面の根拠がある。問題の「評価」は国連安全保障理事会決議1776(2007年9月19日。英語による原文はこちら外務省による公定日本語訳はこちらから、いずれもPDFで参照できる)に含まれるのだが、第一にそれは日本の熱心なロビーイングによって挿入された文言であり、国際社会全体あるいは安全保障理事会全体の意思を反映していないというもの。だがこれは典型的な発生論的誤謬であるし(仮にそれが正しいとしても、理事国の多数と各常任理事国が最低でも許容しない限り決議として通過するはずがないので、一定以上negativeでないことの証拠にはなる。誰がどういう動機で言いだしたかということと、その言明の正当性は無関係である)、国際政治的な問題であって国際法上の効力といった問題にはあまり関係ない。この似て非なる問題系を混同するところに問題の源泉(の一つ)があると思うのだが、詳しくは後述する。

さて第二は、その部分が決議全体の「前文」(preamble)であり法的効力がない「挨拶程度」の「決議の前振り」なので、そんなものをありがたがるのはおかしいというものである。このうち当該部分が「前文」であるというのはおおむね正しい。「おおむね」というのは、国連決議は基本的に全体が一つの文なので(全体を通じてピリオドが一つしかない)「前文」と「本文」の文単位の差が存在するはずはなく、全体の主語(安保理決議の場合は冒頭の"The Security Council,")、preambulatory clauses(訳せば「前文的な諸節」)、そしてoperative clauses(同じく「実効的な諸節」)に分けることができるだけだからであるが、まあ説明するのも面倒だろうから「前文」= preambulatory clausesということにしよう。確かに、「不朽の自由」作戦を評価する部分(外務省訳では以下の通り)は「前文」22節中の第19節にあたる部分で、「本文」7項目には含まれていない。

北大西洋条約機構(NATO)により提供される指導力並びにISAF及び海上阻止の要素を含むOEF連合軍への多くの国の貢献に対する理事会の評価を表明し、

と書いたところでおやと思っていただけるとありがたいのだが、上に書いた通り同決議は「前文」22節に対し「本文」7項目と、「前文」が圧倒的な分量を占めている。文章の量でも(英文で)「前文」が約2ページに対し「本文」は1/2ページほどである。「前文」などに意味はないのであれば、なぜこんなに長々と書くのだろうか。ずいぶん長い「挨拶」もあるものだと思うわけだが。

その理由は「本文」7項目を見ればわかる。いずれもdecides, authorizes, recognizesというように直説法三人称現在形の動詞であり、つまりここは「安全保障理事会として何を為すか」という結論のみを述べた部分なのである。どのような認識に立って・どのような理由でその結論に至ったかという理由については、「前文」で述べるよりない。わかりやすいように国内法との対応関係で説明すれば、つまり「本文」とは判決主文であり、「前文」が判決理由にあたる。さて、では判決理由は主文ではないので法的効力はない、そんなものをありがたがるのはおかしいと主張したら同意する法律家はどの程度いるだろうか。

もちろん、たとえば執行可能であるという意味においての「法的効力」があるのは判決主文に限られるのだが、しかしその内容は結局特定の事件の特定の事実関係に縛られたものであって普遍的な意義を持たない。重要なのはその事実関係に当てはめられるべき規範のあり方について当該裁判所の判断を過不足なく明記した「判決理由」の方だというのがおそらくは大多数の意見であり、いや裁判所は「目の前の事件で判決を導くのに必要な最小限」という基準を超えてより積極的に規範に関する判断と言及をするべきだというのが少数有力説、裁判所の権能は個々の事件を判断するところに限定されるので普遍的な規範のあり方について判断・言及すべきでないというのは私の知る限り一人説である。よりによってそういう極めて例外的な人の・しかも学問的著作でもない新書なぞを読んで(その方がそもそもアカデミックな著作を書いておられるのか・その能力がそもそもあるのかを私は知らないのだが)法律家の考え方が理解できた気になるというのも奇跡的なまでの鼻の利かなさだと思うのだが、これはことのついでに別方面に弾を飛ばしてみただけの余談であって伊勢崎氏のことではない。さて本題に戻って続く。。

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