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VCASIおよび余話
すでにお知らせが出ていますが、東京財団で青木昌彦先生が組織された「仮想制度高等研究所」(VCASI)のフェローに就任しました。「制度」について研究しようというプロジェクトの観点から、『法解釈の言語哲学』で展開したような私の反実在論的立場に注目していただいたようですが、たとえば法と市場という制度間の関係や、制度の変化・発展の動因など、法整備支援に関係している立場から関心を抱いているテーマが含まれているとも思っています。なお9月15日に開催されたインフォーマルセミナーの映像が同研究所のサイトで公開されていますので、ご関心のある方はどうぞ。
余談の一。上記のニュースがすでにWikipediaの私の項目に反映されており、どなたか知りませんが仕事の早いことでありがとうございます。ついでと言っては何なのですが私の名大への異動がずっと「2001年3月」と書かれており、これはまあ普通そんな人事はないよねと思われる通り「2001年4月」の誤りでありますので、直していただけるとありがたいなと。これどうもリニューアル前の名大法学部のウェブサイトが誤りの源泉だったらしいのですよね、申し訳ないことに。ずっと気になってたんだけど、やっぱり自分の項目を自分で編集するのは気がとがめるので......
余談ついでに言うと、しばらく前その項目に私の「言動」について記載した人がいて、ふうんと思っていたら「著作権違反」ということで消去されてしまったようである。WikipediaにはWikipediaのルールがあるかもしれないのだが、出所表示・明瞭区分性・附従性など著作権上の適法引用の要件は満たしていたような気がするがなと、一応法律屋としては思った。まあ内容については、親政府と親国家と親(現在の)政権与党の区別が付いてないとか、他者の偽善性を指摘する部分の記述を私自身の主張と取り違えているとか、従ってかなり文脈依存の記述をまったく関係ない別の事実と重ねて印象操作していることになっているとか、まあ有体に言えば批評としてずいぶんとレベルが低いのだが、しかし私は誰かがレベルの低い批評をする自由を抑圧しようとは思わないのですよ。
まあもちろん、Wikipediaのシステム上各項目の表面ではそれぞれの記述の筆者=責任者がわからないので発言主体を考慮に入れた評価が行ないにくい、その意味で何かに対する「批評」を展開するにはそもそも向いていないよね、という気もする。ダメな人に対する「ヲチ」も相手の発言場所とアイデンティティが保障されるから可能になるので、自前のブログとかはてな村の中とかでやっている人の方がその意味では正しいと思う。もちろんそのことと言説のレベルは直接関係ないけどな。
余談の二。VCASIのフェローも一応兼業にあたるので教授会の許可をいただいたわけですが、兼業先を「カソウセイドコウトウケンキュウジョ」と研究科長が読み上げてから私が「virtualです」と補足するまで若干会議室がざわめいていたようです。なんかcostume play説とかcremation説とか出ていたらしくだから私は何の研究者なんだと。
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「下層」という手もありますが、ここは「家相」あたりがなかなか趣深いのではないでしょうか(謎