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読書まとめ
渡辺将人『見えないアメリカ:保守とリベラルのあいだ』(現代新書2008)を読んだら面白かったので勢いに乗り、研究室の山から鈴木透『性と暴力のアメリカ:理念先行国家の矛盾と苦悶』(中公新書2006)を取り出す。で、ぐにゃり。
いや基本的には良い本で、「性と暴力の特異国」としてのアメリカの特徴とその背景について興味深くまとめている。しかしその、部分部分でどうもおかしい。
たとえば1984年のアラン・バーグ射殺事件について「1分間に100発も連射できるフル・オートマチックの拳銃が使用されていた」と書かれていてどんなんやと思い調べたらどうもIngram MAC-10らしい。ふつう「サブマシンガン」と言うように思うのだが。まあ(自衛隊的に)「機関拳銃」と呼ぶのもいいが単に「拳銃」と書くのはミスリーディングに過ぎるだろうし、発射能力は800~1000発/分であって一桁違っている。もちろんマガジンには30発くらいしか入らないのでこれは計算上の数値なのだが、そういう注記もない。
あるいはアメリカの暴力性の一つの現われとして「軍歴が評価される社会」だということを指摘し、「米軍兵士のなかで、士官学校出身の職業軍人はごく一部にすぎず、大多数は民間出身で、しかも、彼らは軍役を一時の仕事と考えている。それは、巨大な民兵組織と言えなくもない」だからそれは「アメリカにおける民間武装の伝統が極度に進化した姿」だと言うのだが、いやあの日本の自衛隊だって総員25万人程度のうち幹部自衛官が4万5千人程度、防衛大学校卒業者はさらにその一部に過ぎないわけですが。つうか職業軍人である下士官はどこに行ったの?
何故こんなことになるかというと、一つの答はおそらく、著者の専門が「アメリカ文化研究」だからということになろう。いやその分野が問題だというのではなく、比較の視野が対象たるアメリカ社会と著者の背負った日本社会に限定されているので、観察されたアメリカ社会の相対的暴力性という事象がアメリカの絶対的暴力性に由来するのか、日本の非暴力性(暴力性の欠如)に由来するのかが意識されていないということを言いたい。実際には、たとえば人口あたりの殺人事件数に関する国際統計あたりを参照すると、他の先進国に比してアメリカは突出して件数が多く、日本は逆に低いという傾向があったりする(これがどの程度まで・いつまでの実態を反映しているかは議論の余地がある)。日本からアメリカ社会が暴力的に見えるのは、実は我々の社会がそれを成り立たせている暴力を忘却しすぎているから、かもしれないのだ。
でまあ、著者が「ごく最近まで犯罪を犯した段階で未成年だった者にも死刑が執行されてきた。先進国で未成年者への死刑執行を容認してきたのは、アメリカだけである」などと書いているのを見ると、あれ永山事件って何だっけ(念のために言うと問題になっているのは後段も含めて「犯行時」で「死刑執行時」ではない)というか、日本における「暴力」(ここでは国家による暴力)の問題についてあまりにも無自覚・無知ではないかという疑念がわいてくる。で、最終的に議論は次のような方向に行ってしまう――
ええっと典型的な国益のための制限戦争観と聖戦論の違いとかまるっと無視するわけですか。カール・シュミットがかつて『パルチザンの理論』で描いたように、「正義」を無視することによって(少なくとも理屈上はそれなりに)制限的であり得た「戦争」が大義名分と結合することによって逆説的にその制約から解放され、結果的に「聖戦」に至るという認識の元に、その「聖戦」とリンチの類似性について論じるとかであれば議論として理解も同意もできるんだけど、それ抜きにいきなり両者を結合させてしまうというのはあまりにも慎みがなさ過ぎるんじゃない? とまあこれは結局、著者がその「暴力性」を批判するアメリカ社会とはまさに逆の方向に、日本の大学とか知の世界において戦争と暴力をめぐる知識とか理論が無視されてきたことの帰結なのだろうな、とは思うわけだが。
でまあついでにそういう「慎みのなさ」が気になったもう一冊が、文庫に落ちたので読んだ長山靖生『人はなぜ歴史を偽造するのか』(知恵の森文庫2008)で、実際の歴史偽造の例とかその背後にある欲望を読み解いていく部分は面白いし丹念なのだが、それと現代社会の問題を結びつけるあたりでとたんに手つきが危なっかしくなるというか、まあとりあえず私は長尾龍一を憲法学者と呼んでいるあたりでひっくり返ったが。つうか憲法解釈がどうのこうの意見を言いたいなら新書で参考文献済ませるなよというか、いつぞや林信吾氏も似たようなことやったなと思い出すのだが長谷川正安『日本の憲法』(岩波新書)好きだねえというか、いやつらつら鑑みて長谷川説を支持するというならそれはそれで良いがあんたら私の何分の一も長谷川先生の本読んでないよねというか、そんな感じである。同著者の『貧乏するにも程がある:芸術とお金の"不幸"な関係』(光文社新書2008)も同様の「慎みのなさ」と危なっかしさだけが目についたのだが、何となくそういうわけで原因がつかめたので今後はこの著者は歴史物だけだなあと思った次第。
このあたり、逆に「慎み」がはっきりしているのが谷崎光『北京大学てなもんや留学記』(文春文庫2008)だなあと、タイトルからはそう思えないだろうが、思う。デビュー作の『中国てなもんや商社』から一貫してそうなのだが、この著者の姿勢は自分の見て聞いて体験したことを書くという限定がはっきりしていて、それ故の限界がどこかにあるのかもしれないのだが上述のような危なっかしさや不愉快さを感じさせるところがない。その著者が以下のように述べていることには感じ入るところがあったので写す(丸数字を括弧内算用数字に改めた)。
(1) 大陸の中国人からすれば今は中国の「有史以来、庶民が一番食えている時代」で、生活は昔より良くなっている――と多くの庶民自身が思っている。つい最近まで本当に食えなかったのである。
(2) 庶民も勝ち組と負け組に分裂している。革命できるような人材もそうでない人も、お金儲けに、もしくは生きるために必死。(中略)
(4) 若者ほど男女ともに仕事の意欲があり、人間的にもまともな人が増えている。
まあこの話を、ちょいと舐める舐めないの話になっているのとの関係で書いておきたかったのですよ。ただちょっと注記しておくと、私自身は中国政府の現体制がどうのこうのという関心では基本的に動いていなくて、ただ中国(なりその周辺国なり)の人々がどういう体制を選択するにせよしないにせよ有益であるはずの法律専門家の養成というのを自分の仕事だと考えている。それは現に存在する抑圧的体制を強化するという帰結をもしかしたら短期的には導くのかもしれないし、根本でダメな体制における人々の生活を改善することによってその延命に力を貸してしまうのかもしれないのだが、それを恐れて何もしなければむき出しの・無制限な暴力がのさばり続けるだけ、かもしれない。肯定であれ否定であれ大文字の正義とか政治的意義に関する語りを封印し、専門家としての態度に沈潜することによって途上国への貢献とか働きかけということを続けていこうというのが私なりのケツの舐め方である。常に政治的に正しい言説を展開せよとか、言論の自由のある国でぷうぷう吹いてるやつの寝言ですよ寝言と、実際に途上国でひどい目に遭っている度に関して「ミクロ山形」くらいは名乗っても許されるのではないかと思っている私としては(いや私は基本的に「先生」なのでそうえらい目にも遭わないのだが)思う次第である。
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>米軍兵士のなかで、士官学校出身の職業軍人はごく一部にすぎず、大多数は民間出身で、しかも、彼らは軍役を一時の仕事と考えている。
というか志願制だろうが徴兵制だろうが軍隊なんてどこも民間出身で軍役を一時の仕事と考えてる連中ばっかだと思いますが.陸上自衛隊の任期制隊員で3曹に昇進できるのなんて一割くらいしかいないはずですし.
もしかしたら米軍兵士ではなくて米軍将校/士官,民間ではなくて一般大学って言いたかったんですかね.確かに最近はROTC出身の将校は多いみたいですが.しかしそこまで意図を深読みしてやらなきゃならんのか...
え?
自衛隊は非任期制の方が圧倒的に多いのですけど。
防衛省・自衛隊の人員構成
http://www.mod.go.jp/j/defense/mod-sdf/kousei/index.html
三曹でも定年は50歳を超えてますよね?
自衛隊ってのは、そんなに中途退職が多いのですか?
誤解を招きやすい,というか普通に読んだら明らかに間違った表現をしてしまって申し訳ありません.
おそらく米軍「兵士」というところで頭の中で士官や下士官を除外して考えてしまったものと思います.兵士って日本語だとこれらを含まないような気がしますので.自衛隊でも兵隊つまり士だと任期制なので2-6年程度で別の仕事に付く人が多いです.
英語で兵士というとSoldierですがこれは士官は含まないけど下士官は含むのかな.ただ読み返してみると著者の意図的には「士官学校出身」と書いているからには士官や下士官も「兵士」に含んでいるみたいですが.
>名無し予備自衛官さん、まるゆさん
ども。まず著者の意図は、「兵士」と言いつつ「士官学校出身」者を含むものと考えている以上、「兵」「下士官」「将校」すべてを含めていると思います。なので《いや下士官はどこに行った》と思ったわけですが。
「兵」に限定すると、名無し予備自衛官さんがお書きの通り、日本を含めた多くの国で「軍役を一時の仕事と考えている」人が中心だろうと思います。従って著者の対比は成り立たない。
次にさきほどの推測のように全軍人が比較対象だとすると、日本は(「士官学校出身」者に限定しなければ)「職業軍人」の割合が米軍に比べて高いとは思います(きちんと統計は見てませんが)。しかしそれは平時の常備兵力に大きな制限のある日本の特殊事情に由来するもので、世界的に見て日本が標準に近くアメリカが異常だと言えるかというと、かなり疑問です。
というわけで、どちらにせよ著者は軍事に関する認識がかなり不十分であるという結論でいいのではないか、とは思ったのですが。