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ドンキホーテの幸福
経済学に関する本を出版社から頂いたので(ありがとうございます)読み始めたところ「近代経済学は相対性理論と熱力学の第二法則に反している」とか書いてあって何のことかと思えば需要曲線と供給曲線の交点として価格と供給の水準が決定されるというモデルは爆発的な量の計算が無時間的に行えることを前提にしているからおかしいという批判だったので静かに本を閉じて書棚に放り込んだ件について(挨拶)。というかそれでも第一章は通読した私を誰か誉めてほしい。
問題は大きく二つある。第一に、現実の我々が・有限時間内に価格水準決定のための計算ができるだろうかと聞かれて肯定する近代経済学者というのはおそらくいないのであって、それが(たとえば)「もし全知の神さまがいたらどうなるか」という想定に立ったモデル、その意味で現実からある程度乖離したものだというのは当然の前提だということ。著者が「これは今まで誰も指摘していないよねえ」と得意げに述べたことは、実のところみんなわかっているから特段に語らないことであるに過ぎない。というか現実から乖離しているから悪いとか役に立たないとかいうことであれば「理想気体」なるものを想定してその挙動を考える高校化学とか摩擦のない世界を想定して物体の挙動を分析する初等物理学とか二重売買については登記の先後で所有権の有無を決着させるという民法177条において単一の物体を二回以上譲渡し得ることを認めている日本民法学とかすべて熱力学第二法則に反していてダメなのだということになりそうである。実際にはもちろん、これらはとりあえず抽象的なモデルでメタレベルの分析を進めるために置かれた前提であって、現実(ベタ)にどれだけ適合的かについては別途考えなくてはいけないとメタレベルの研究者は皆わかっているわけだ(考えるのは自分の仕事でない、とは思っているかもしれないが)。著者一人が、メタレベルの行為をベタの分析であるかのように誤認して、あるいはそこに存在するメタとベタのレベルの差を理解することができずに、自分だけは本当のことがわかっていると笑っているわけである。イタイ。
第二の問題は、しかし「そんなの実際には計算できないじゃん」と書いただけであれば我々が感じなかっただろうようなイタさであって、つうかなんでそこで相対性理論とか持ち出してくる必要があるの? 結局それは、常識ないし真理とされている物理学の知見を権威として動員し、それと近代経済学とのあいだに(幻の)対抗関係を作り出すことによって自らを物理学の権威と同一視させ、近代経済学と対抗し得るような権威的地位の持ち主として演出するための記述なんだろうと、そう書けばおわかりの通りこれはトンデモ科学に一般的な叙述の形式である。彼らは素粒子物理学や宇宙科学のような社会的に承認された権威を否定することによってあたかも自らがそれに値するような・そこで否定されているものに相当するような権威の持ち主であるかのように自ら信じまたそう演出するわけだし、その対抗関係に信憑性を持たせるために「常識」であるとか「聖書の記述」であるとか、あるいは誤解した物理学の知見のような外部の権威に頼ることもまた一般的である。だがそれらは結局彼らの肥大化した自我を正当化するために持ち出された意匠であるに過ぎず、正当化根拠として言及しているからにはそれを熟知しているのであろうというような普通は成立するかもしれない想定は、このような人々には通用しないわけである。というか理解していたら自分の立場を正当化しないことがわかってしまうので「常識」のように操作的に確認しようのないものとか自分にとって理解できる範囲での通俗的理解とかに頼ってみるわけやね。
まあもちろん名前を売るためには大物相手に喧嘩を売るのが戦術的に有効であるという点については、必ずしも否定しない。しかしそれでも批判としてそれなりの水準に達していないと議論の中身がわかる観衆からは失笑されるだけだし、今回のケースのようにどこの誰というわけでもない・自分の頭の中だけに存在する相手と勝負して勝ち誇っているというのはさらにそのなんと言うか、ドンキホーテ的痛々しさだけが漂うわけである。それでもドンキホーテなら風車に突撃して負けてくるわけだがこの論者のような人が突っ込む先には誰もいない以上一敗地にまみれたことを認める可能性も失われている。我々はこの「永遠の勝者」に対してどうすべきなのか、と考えるにまあ別に彼の自己顕示欲に付き合う必要もないので本を閉じればいいと、今回は結論しておきたい。まあツッコみたくない芸風の人っているよねというか、「私はかつて、配偶者からモラル・ハラスメントを受け、鉛色の空の下で十二年間も暮らした」とか経済学の本で書かれちゃうと「そうですか、それは大変でしたね、では」とにこやかにその場を去りたいよねという感じなのである。
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補足:この本は著者献呈(ふつう刊行前後に来る)ではなく、編集者さんのお名刺代わりだと思うけど出版社から送られたものなので、実際にいただいたのは刊行のたしか数ヶ月後。さらに私が研究室の山から手に取るのに時間がかかっています。いやもう申し訳ないことなのですがいただいた本を順調に読む時間も取れていないのです最近。職業的義務に従ってラオス司法制度だのモンゴル憲法裁判所だのに関する論文を読んでるのが一因だと思うわけですが(でも結構面白い)。