前の記事: フォロー特集 << | >> 次の記事: ドンキホーテの幸福
on rehabilitability
確か落語だったと思うのだが、「一つ目の珍しい人間がいる」と聞き込んだ興業師が捕まえて見せ物にしようとその村に忍び込んで捕まり、村人は全員が一つ目だったので「二つ目の珍しい人間がいる」といって見せ物にされてしまうというのがあった。Apeman氏の新しいエントリを読んで思い出したのは、そういう話。
第一に誤字が問題になるのはそれが誤字であるとわかる人々を対象にしている場合であって、そうでない生活環境とか知識水準の人々を動員しようとしているなら政治的には別に差し支えないわけである。というかむしろ広く一般大衆に話すときに「病膏肓に入る」を「こうこう」と読んだり「遺言」を「いごん」と発音したりすると「え~字も読めないんだプギャー」とか言われてしまう可能性があり、こういうトラブルを避けるためには専門的に権威づけられた知とかそれと同一化している自己の知識水準とかを棚上げして語りかける対象の心性を想像し、それに寄り添う必要があるわけである。
ところでじゃあ民青を「チビ官僚」と表記するというのは誰のどのような知識水準を想定しているのか。知的水準ということで言えば単純な誤字よりこの方が恥ずかしくないようにも思うが、動員対象への訴求可能性という政治運動としての評価基準から見た場合、まだ優れているのは誤字であって「チビ官僚」ではない(誤字は誤字として認識される限り「本当はどう書きたかったのか」が対象に理解されている)。これが理解できないのは結局Apeman氏が自分と異なる他者の存在を想定することができず、従ってそのような人々に訴求する営みとしての政治を理解できないことの現われである。
第二に、前エントリで私が主に批判したのは(たとえば「チビ官僚」のごとき)表現の形式であり、内容としてのエコロジー批判には一定の正当性があり得るかもしれないことを十分に認めている。しかしApeman氏が右翼のレベルが低いことの例として挙げた一つ目は確かに誤字という形式面の問題だが、二つ目は形式としてはむしろ一般人への訴求のためにがんばってみましたという例であって(それが十分に成功しているかは疑問だがまあ「無防備マン」よりはましに見える)、レベルが低いのは表現の内容だろう。これが私への批判として機能し得ると考えるあたりに、Apeman氏が表現の内容(ベタ)と形式(メタ)を区別できないことが示されている。
以上のまとめ。
- Apeman氏にはメタレベルの言説とベタのものの違いが理解できない。
- Apeman氏には自己と他者の違いを認識する能力がない。
つまりあれだけ言われても一歩も前に進めませんでしたというのが、本件の結論であると評価して良かろうと思う。
なおついでに三点ほど軽い補足をしておく。
第一。Apeman氏としては私が稲田朋美氏や『靖国』を問題にしたがっている人々に同情的な歴史修正主義者だとどうしても主張したいようなのだが、その根拠というのはつまり私が彼らに対する明示的な批判をしていない・そのことが彼らに有利に機能しているということに尽きるようである。まあ端的に事実に反していて『靖国』については批判派をむしろ批判した記憶があるがその点は措くとして、すると私はベンガルの人食い虎の恐怖やグリーンピースの反捕鯨「捜査活動」の法的性格やチェチェン紛争を抑圧するロシア軍の問題性やミャンマー軍事政権による人権抑圧についてここで書いたことはないので歴史修正主義者であると同時に人食い虎や環境保護運動やロシア軍や中国政府によるミャンマー軍政支援を支持しているというかなり支離滅裂なパーソナリティの持ち主だということになるような気がするが、そういうことを主張されているのであろうか。おそらくよりシンプルで現実性の高い仮説は私の周囲に人食い虎とかグリーンピースの活動家とかがいないのでそれらについて書く機会が特にはなかったということだと思うのだが。
私が観念右翼や歴史修正主義について(あまり)書かないというのもああ大学にはそういう人いないからねという話ではないかと思う。■●は(書いたとおり)現実にいるわけだし、前に歴史ロマンがどうこういうああまあ極右だねえサークルの張り紙を見たときは言及したはずである。まあ他者の他者としての存在を理解できないApeman氏には私の周囲の生活環境とか知的水準とかを想像することも困難だろうと思うのだが、一般的にインテリには左翼が多いという傾向が反映しているだけだという推定の方が有力ではあるまいかと、当事者としては思うところである。なお例のうち最後のものについては確かに意図的に沈黙しているので(というのは別のどこかでは書いていることにも現れているのだが)おまえは中共のケツをなめているとは言われてもやむを得ない。私は単に、それでもなさなければならないことがあると自分では信じているというだけのことである。
第二。なんかジェンダーフリー反対派の稲田先生が「BL系コミック誌編集スタッフ募集」の告知を見たらどうなることかとか書いていていや私はその方のことを存じ上げないのであくまで一般論として言うが政治・思想運動としてのジェンダーフリーと創作・嗜好としてのボーイズラブを直線的につなげるようなモノイイは死ぬほど恥ずかしいのでやめた方がいいと思う。というかそういうのは十年以上前に中島梓がJUNE論としてやって批判され尽くしてるから。そもそもJUNEとやおいとボーイズラブの違いわかって書いてるの? BLは裂けないんだよ? ((C)小島アジコ)
端的に言うとBL好きでもジェンダーフリー運動には関心がないとかむしろ反対であるという人は山のようにいるし、逆にジェンダーフリー活動の観点からBLとかけしからんよねえという人もいる。というかBLだってある種のポルノグラフィなんだから性の商品化を批判するフェミニストなら怒るだろうし、ポルノグラフィの問題点は男性の女性による抑圧なんだからBLはむしろ解放運動として評価するという人もいるだろう。そういう複雑な関係を無視して直結的な反映論を採るというのは「フィギュア萌え族が少女誘拐殺人事件を起こしたに違いない」とか言うのと同じレベルの言説なんだよ。だせえ。
第三。ご紹介いただいたリンク先でなんか毎日新聞報道を批判するプラカードの誤字をみんなして嗤っておられて、まあ誤字は恥ずかしいと私も思うので批判すればよろしかろうと思うが誰一人誤りの内容を正確に指摘できていないというのはどういう二段オチですか。orz
もう何というか、周囲の人々の知的水準がこうなんだと思うとApeman氏がむしろ気の毒になってきたり、その程度なんだということに気付かない幸せってあるよねと思ってみたりである。まあなんだ、がんばってくれ、うん。
Trackback(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: on rehabilitability
本題と全然関係ないところに反応してすまないんだが、やおいとBLは違うものなの?JUNEとボーイズラブの違いについては国文学の人の論文を読んだことがあって(JUNE文庫だかのタイトルのカプを80年代のと最近のと網羅的に調べ上げて属性分析するとかいう奴)、それはわりと説得力があったのだが、対やおいでそれらを論じたものを知らないのです。
あ~というか《放送法3条が適用されない以上高裁判決基準で『靖国』事例の救済可能性を否定するのはベタの議論としてもダメ》ってえのを書いておいた方が良かったのか(正確に言うと、映画についても高裁基準が正しいという論証抜きにはダメ)。Apeman氏はこれがわかっていないので、《自分の言ったことは正しい》という主張と《自分の興味関心を共有しない おおや が憎い》という態度の表出を際限なく繰り返しているわけですね。《おおや を評価する相手も憎い》というくらいまで悪化してきたようなので、ついでに岩波書店とか朝日新聞社とかも憎むといいと思うよ。《世界が憎い》まであと一歩かなあ。
>鰤さん
もちろん理念型なので重なる部分はあるわけですが、(1)起源・流行に時代的な差がある(JUNE→やおい→BL)、(2)直感的には傾向にも差がある……JUNEは精神性が重くて物理的でもあり、BLは軽くて即物的であり、やおいはあまり物理的でない……ので、分けて考えた方がいいだろうと思います。JUNE・BLはオリジナルが多いのに対してやおいはパロディ起源というのもありますかね。
まあ私は詳しくないのでこの程度しか言えないのですが、この程度のこともわからずにsexuality周りをいじろうとするやつとかね、もう本当にダサイですね。
>「病膏肓に入る」を「こうこう」と読んだり[...]すると「え~字も読めないんだプギャー」とか言われてしまう
「こうこう」というのは間違った読みなのでしょうか。「こうもう」の方が間違っていると記憶していましたが...(辞書で調べましたが、そのように書いてありました)
>ktkrさん
「こうこう」が正しいのに、一般大衆は「こうもう」が正しいと誤解(とひとまず言っておく)しているので、《自分が間違っているのに相手が間違っていると誤信して》プギャーしてしまう、という趣旨です。
「いごん」は正しい正しくないではなくて法学系のテクニカルタームなので、大衆が間違っているわけではないですが。