討議と決定の代表

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「タクシーとマッチポンプ」について けんた さんからコメントいただいた内容について。考えたことというのは、議会の機能を討議と決定という二つの局面に分けて、ウエストミンスター型と大陸型それぞれにおける代表のあり方を描写したらどうかなあという話。

正確に言うと、大陸型議会の場合にはこの二局面をそれほど区別する必要がない。典型的には政府で提出された議案は、比例代表制的な選挙によって社会における勢力比を反映するように構成された議会において各勢力の同意が一定程度得られるように調整され、その結果として決定されるだろう。社会の中に大きな対立があり、一つの勢力だけの意見では押し切れない(押し切ると社会が分裂する)というのがこのタイプの典型的な特徴であり、第一に比例的に代表が構成される結果として、第二に対立が決定的となるのを避けるために、決定の内容はできるだけ広範囲の利害を反映するように・多くの勢力の同意が得られるように調整される。討議の性格が各勢力の利害を議案に反映させるための「変換型」となるのもこのためで、結果的に十分多数の勢力が同意するに至った議案が可決されるわけであるから、討議と決定は一連の手続としてつながっている。この場合、代表の数だけでなく彼らが討議する機会やそこで活用することのできるリソース、たとえば審議時間もまた比例的に分配されるのが――それらが決定に至る過程であるということを考えると――基本的には望ましいということになろう。

他方ウェストミンスター型議会においては、小選挙区制を背景にして政権与党に十分な議席数が確保されているのであるから、議会における討議には別の機能が期待される。それが「アピール型議会」であり、政権与党が政策実現を通じて自らの成果や能力をアピールできるのに対し、その問題点を指摘したりより魅力的な代案を提示することを通じて有権者にアピールし、次回の選挙における政権獲得をねらうわけである。この場合、決定の局面においては実際に社会にある勢力比を拡大した形で反映された議席数がモノを言うわけであるから、少数者は過小に代表されていると言ってよい。それでも(その時々の)多数派に強力なイニシアティブを付与することによって政策提案を実現させることがウェストミンスター型議会の目的であり、多数者・少数者のあいだの平等については政権交代を通じて通時的に実現されればよいと考えるわけだ。もちろんこの手は社会に深刻な分裂が潜在している場合には使えないし(政権交代を待つのではなく社会を分裂させるという選択肢が選ばれてしまう)、政権獲得できない構造的な少数者をどうするのかという問題も指摘されている。実は討議の局面における過大代表というのがその問題に対する一つの回答になるのかもしれないと思った、というのが今回の話である。

そもそも政権与党に質問時間を与える必要があるか、というのはよくわからない。与党見解というのは内閣提案の中に含まれているはずであるし、野党からの攻撃に対しては答弁において反論すればいいのだから、その権利に加えて与党なりの質問をする時間なり機会なりを保障する必要があるのかは疑問である。政策の成果については「実現されたものを見てください」というアピールの仕方も可能だろう。答弁内容が厳格に質問に対する回答の範囲に限られるという規制の下ではありがちな誤解をつぶすなどのために通販番組的な出来レース質問の必要があるかもしれないが、その点が緩和されて実質的な討論がある程度可能な状況下では、与党に討議リソースを割り当てる必要はなさそうな気がする。

他方、野党や構造的少数者にとっては、彼らの政策提案が実現されることは(少なくとも当面)ないのだから、行為によってではなく言論によってその正当性を主張しなくてはならないだろう。アピール型議会においては、討議の局面において少数者がむしろ過大に代表されなくてはならないだろうと思われるのである。だとすれば、選挙制度改革などを通じてアピール型議会に近づいた我が国においても、野党・少数者への討議機会の保障はむしろ強化される必要があると、ひとまずこういう結論になるのではないだろうか。質問主意書についても、議会内の少数者にとってそれが有用であるし、たとえば行政府からより正確な情報を引き出して討議を進める手段になり得るという意味において全体的にも望ましい帰結を導く可能性があるという意味において、けんた さんご指摘の通りその意義は見過ごすことができないと思われる。

ただし。問題は審議リソースの稀少性が少数派の抵抗手段になっているという我が国議会固有の特徴にある。会期不継続の原則によって、審議未了のまま会期末を迎えた議案は(継続審議としない限り)廃案になってしまう。また、我が国の内閣は国際的に比較しても議会における議事進行に対する権限が極度に小さい。この状況下で、野党は審議リソースをとにかく食いつぶすことによって与党に抵抗し、他方で与党はとにかく議案を採決にまで持ち込むために野党に一定の配慮をしてその意見を政策に反映させざるを得ないという「粘着型議会」が慣行となった(これらの点については飯尾『日本の統治構造』・大山『国会学入門』などを参照)。その典型は55年体制下における社会党の行動様式だが、問題となっている案件において政府提案に議会審議で批判を加えるのではなく(あるいはそれだけでなく)、議事日程の設定や、さらには本来与野党が合意していたはずの案件まで巻き込んだ審議拒否によって抵抗するという現民主党の行動も、このような我が国議会の粘着性が前提となっている。この状況で少数者に対する審議リソースの割り当てを強化すれば、それは結局アピール型議会なのに多数者の意志に基づく政策が実現できないという奇怪な状況を現出させることになるのではないだろうか。

ポイントは、アピール型議会における少数者の審議リソースは多数党の政策実現を妨害しない範囲で・その評価についての討議を活発化させるために認められるべきものだという点にあるように思われる。従って、飯尾提案のように会期不継続の原則を廃止するとか、大山提案のように議事進行に関する内閣権限を認めるなどの方策によって政権与党の政策実現能力が保障されるということを前提として、議会内における質問時間の割り当てや質問主意書による内閣見解確認の機会は野党に手厚く、あるいはさらに進んで野党のみに保障すべきだと、こういうことになろう(「のみ」と言い切っていいのかどうかはあまり自信がないが)。

現在の質問主意書制度にしてもそれがそもそも悪いというのではなく、乱発されたり不明瞭・広範な質問が野放しになることによって行政府による政策実現を妨害しかねない状態になっていることが問題だと考える。本来は議長が承認する必要がある以上そこが濫用に対するストッパとして機能しなくてはならないはずなのだが、現実にはそうなっていない。少数党に手厚く配分することを前提として量的な制限を導入するか、それはやはり少数者の言論を制約する可能性があるし長妻質問(情報の質問対回答比が異常に高い)に対する対抗手段にならないよねえと思うと、回答期間に対する制限を緩和したり、期間を延長するための手続を簡易化するという方向での対策を考えるべきだろうか、つまりは けんた さんのご指摘にほぼ同意見であるというだけの話なのではあるが。

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コメント(2)

補足:これは当面の政治的情勢を離れて長期的に日本の意思決定システムをどうしていくかというレベルの話だと思ってください。全体としてウェストミンスター型に移行していくということについては、私自身はいくつかの理由から肯定的ですが、それ自体を否定するという選択肢はあろうかと思います。ただその、ヨーロッパ的な変換型議会というのはある意味で静的な利権分配構造を確立させる社会であり(だからそこから疎外された人々がハイダーのような極右に流れていってしまうという問題が発生する)、以前の日本のような「官僚内閣制」に戻るのももうあまり気が利いていないよねえと飯尾先生のご本に説得されかけている私としては、そっちしかないかと考えているわけです。それでじゃあ当面についてはどうしたらいいかというと、わかんないねえ。うん。

私のコメントが発端とのことですので、僭越ながら再度コメントさせて頂きます。

ウェストミンスター型議会と大陸型議会の話、仰るとおりだと思います。議会制度をイジル際には、少なくともこの2つの類型を念頭に置いて制度設計ほしいものだなぁと思います。因みに、ウェストミンスター型に移行するとすれば、少なくとも現行の参院は邪魔者以外の何物でもないということになるわけで、参議院の存在意義の辺りから根本的に考え直さなければいけない気がします。(参院の存在が、日本での政権交代を非常に困難なものにしていると感じているもので…)

アピール型議会と少数派の審議リソースの確保の話も大変興味深く拝読しました。なかでも面白かったのが、与党の質問不要論で、今まで考えもしない発想でしたが、理論的には確かに要らないかも…と思いました。ただ、与党質問不要論は、政府と与党(あるいは与党会派)が一心同体であるということが前提にされていると思うのですが、直感として、それは理論的に少々まずいのではないかとも思えるのですが、では具体的に何がまずいのかと考えると、案外まずいことはないのではないか、とも思ったりします(特に、少数派のアピールの場として議会を位置づけるなら、少数者に審議リソースを振り分けることは何よりも奨励されるべきことになる)。
また、現状の与党の質問で多く見られるのは、(お手盛り質問を除くと)法案中の文言の解釈について有権解釈を引き出したり、法案成立後の運用や政省令の内容について政府に注文を付けたりというパターンが多いと思います。これは法実務的に意義がないことではないと思うのですが、別に野党質問がこのような機能を担っても悪くない訳で、与党から質問権を取り上げるべし、という立論の反論としては今一つ説得力がないように思ったりします。
ということで、グダグダな結論なのですが、与党の質問を禁じ、野党に振り分けるという議論は、直感的に否定したくなるのですが、今のところ決定的な反論をすることもできないのであります。(もう少し修行します。)
なお、現状でも、議員さんにとってどうでもよい技術的・専門的な法案の場合、与党が質問時間を放棄することは(私が現役だった頃は)よくありました。ただし、放棄した時間を野党に振り向けていたかは記憶が定かではありません。

質問主意書については、他の手段とうまく住み分けが必要ではないか、と感じています。長妻氏のように大会派に属している議員の場合、むしろ積極的に活用すべきツールは委員会等での審議であって、質問主意書をツール使用し濫発するのは不穏当だと思います。逆に、議会での質問すら滅多にできない小会派所属議員や無所属議員にとっては、質問主意書がほぼ唯一のツールになると思います。このため、質問主意書制度を改善する際は、この点に留意して、(鈴木宗男氏に粘着されている某省職員には気の毒ですが)小会派や無所属議員の活動を阻害することにならないようにする必要があるのかな、と思っています。質問主意書を出す権限を議員個人ではなく会派(無所属の場合は議員個人)に与える、というのも一つの方策かもしれません。(最大野党にそれなりの見識があれば、長妻質問みたいなのは野党内で抑制される……ことを期待して。無理かなぁ)

以上、思いつきレベルで稚拙なことを長々と書いてしまいました。
ご寛恕頂ければ幸いです。

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