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今日も今日とて
なんかまた霞ヶ関からえらい人が来るので日本法教育研究センターに関するご説明とテレビ会議システムの実演をするようにと命が下り観光ツアーガイドか私は(挨拶)。まあもう慣れたものなので構わないといえば構わない。
さてその間にどうやら民主党が首相の問責決議案を参議院に提出し、野党の賛成で可決したようである。まあご自由にどうぞ、というのは別に馬鹿にしているわけではなくて、問責決議というものにはそもそも法的根拠が存在しないので(法的強制力がないどころの話ではなく、そもそも根拠規定が存在しない)、それは法的な次元の問題ではないねえと思うからである。もちろん法的根拠がないからやっていけないということではなく(禁止規定だってないわけである)、しかし一定の要件に効果を結びつけるという法的規範がない以上その効果が法律に基づいて決まるわけではない、というか何が起こるかよくわからないわけであって、それを予測したり評価したりするのは政治学者や政治評論家という種族の人たちの仕事だろうと思うわけである。
というわけで私が言い得るのは、問責決議を受けたら衆院を解散総選挙すべきであるという主張には法的には根拠がない、という程度のことだろう(繰り返すが、政治的にそうせざるを得なくなるとかそうすることが賢明であるという事態は十分に発生し得る)。内閣は両院の支持を受けて成立する必要がある(従って参院の支持を失ったら辞職すべき)という考え方はとりあえずあり得るが、首相指名が両院で異なった場合について憲法が明確に衆院の優位を定めていることに照らすと妥当ではないだろう(憲法は参院の支持のない内閣の発足を予定している)。「解散総選挙で民意を問え」という主張にしたところで、憲法の規定に基づき衆院の指名を優先して内閣が発足した直後に参院が問責決議を可決したら衆院がただちに再選挙を行なわなくてはならないのか、だとすれば結局参院が肯定する内閣が成立するような勢力比の衆院が成立するまで解散総選挙が繰り返されることになり、衆院の優位を定めた憲法の規定を没却することになるだろうと思われる。憲法63条前段が「内閣総理大臣その他の国務大臣は、両議院の一に議席を有すると有しないとにかかはらず、何時でも議案について発言するため議院に出席することができる。」と規定している以上、参院が信任していようがどうだろうが現内閣が審議を進めることに問題があるわけでもない。憲法69条の規定する通り内閣の死命を制することができるのは衆議院だけであって、政権の行方を左右するという権能において参院は明確に衆院に劣後するのである。
この点に関して一つだけ留保するとすれば、現在の衆院の勢力比は郵政選挙によって・小泉内閣下で得られたものであり、その後の安倍政権・福田政権に対して国民の直接的な信任が与えられているものではないという点にあろう。飯尾『日本の統治構造』が提示するように衆議院を明確な政権選択の場として・参議院をそれとは異なる熟議や監視の場として捉える立場からは、もともと与えられている信任が不確実である以上参院からの「否」を真剣に考慮すべきだという意見もあり得るかと思われる。だが、政権選択選挙だったかどうかというのがやはり政治的な問題であって法的な判断になじまないことを考えると、その点も含めて政治的な(国民の支持の行方によって判断されるべき)問題かなあと考えている。
まあ私自身は今回の問責決議案の理由に何一つ賛同するところはないわけだが、それよりも気になるのは洞爺湖サミットを約1ヶ月後に控えたこの時期に解散総選挙を求めて問責決議を可決したということが報道されたら諸外国が民主党を見る目がさらに厳しいものになるのではないかなあということである。間に合うかあ? そりゃ公職選挙法上は投票日の12日前までに公示すればいいのかもしれんけど現実には準備がかなり必要になるわけで、それで選挙して特別国会を召集して衆参両院議長を選出して総理指名選挙やって両院の議決が異なったら両院協議会開いてようやく新内閣発足なわけで。
年金問題・租税暫定措置問題・後期高齢者医療問題に共通する点だと思うのだが、どうも民主党は日程とかスケジュールとか一定の仕事をするために通常必要となる期間というものに無頓着すぎるのではあるまいか。ちょっと宍戸・世界論文の最後を思い出すよね。
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今回の事ほど、憲法学者の無力さを痛感しないではいられません。
憲法訴訟での違憲審査基準もいいんだけど、統治機構がこんなにガタガタしている状況に、憲法学者が何もしていない(ように見える)のは、なんなんでしょうか?
LSや法学部の憲法の教授達は、今回の騒動、どのように考えているのでしょうか?(それにしても、第2次世界大戦の反省から、西欧諸国が、行政府の安定性をどのように確保するのか?を真剣に考えて統治機構を構築しているのに、今の日本は、(野党が率先して)、いかにして行政府を不安定するのか、に血道を上げている、というのは比較憲法上、どのように評価できるのでしょうか?私的には、ある意味、行政機構(官僚機構)が行政府(内閣)から、相当程度独立し、だれが行政府(内閣)の主人になっても「関係ない」という状況と、行政機構(官僚機構)に対する国民の信任があるから、行政府が不安定でも国民は何にも言わない、ということなのかな?と思っていますが、民主党が政権を取った時、自分に跳ね返ってくると考えないのかな?と不安になったりします)。
法哲学でも、アメリカに即した議論ではなく、日本の統治機構(憲法条文)に即した、国家意思決定論を議論すべき時期が来たのではないでしょうか?(正義論の主軸である、分配論は、国家意思決定機構とは無関係ではない、と思うのですが)。
>TKさん
憲法学者もいろいろと考えたり書いたりはしています――RATIOの4号に論文書いてくれた宍戸君なんかもそうですし、いわゆる憲法附属法の研究とか、高橋和之先生の国民内閣制論などもどういう傾向ではないでしょうか。学術的に検討や提言はしているのだけれど特に一般向けのマスメディアという舞台にはまだ出てきていないという感じなのかなと。まあそのあたり、アカデミックにきちんとした研究よりも人々ないしメディアがすでに持っている先入見を強化する論者が重宝されるのはいつものことなのですが。
法哲学では、私の師匠の井上達夫は(理論的な話が中心ではあれ)政体論というか国家の意思決定のシステムについて論じてきていますし、私自身もRATIO論文などで少しそういう議論をしてみました。以前にご紹介した「立法学」研究への取り組みというのには、まあ《法》哲学なので立法面に焦点を絞ってはいますが、おっしゃるような国家の意思決定のあり方を論じるという側面があろうかと思います。
政治学・行政学ではあとのエントリでもお名前を出した飯尾潤先生がこのあたりの問題に実践的にもかなりコミットしておられます。先日機会があってお話をお聞きすることができたのですが、強く同意する部分とそれなりに反発する部分とがあり、私も法学者の端くれだったのだなあと自覚することしきりです。はい。