不在届(2)

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おなじく若干の補足。

池田信夫先生からの問いに関して。まず非常に端的にお答えすれば「そんなもんなくて済めばそれに越したことないと思います」ということであって、ただ官僚とか国家のパターナリズムが問題だというのはおっしゃる通りだけれど親のパターナリズムや教育放棄も問題だし、市場にも一定の場合に「市場の失敗」があることを考えると、まあ結局弊害のもっとも少ないようになんとかやっていくしか(総論としては)ないんじゃないですかということになろうかと(なので私はリバタリアンでなくリベラルなのですね)。

従って私個人としては今回の「法案」のようなものにネガティブなのだが、前回のエントリではそのことをあえてほとんど出さずに書いた(つもり)。それは何故かというと(1) 立法技術上の問題と立法政策の問題が違う議論の次元になるということを示すことと、(2) 立法技術上の問題は立法政策上の主張とかなり独立にできる、その意味でテクニカルなものだということを示したかったから。おそらく前エントリの内容には規制への賛否その他の立場を問わず一定の教育を受けた法律家なら(いや細かい問題点はあり得るだろうが)同意してもらえると思うので、あれくらい理解していればたとえば役所のひとを相手に議論するときに土俵くらいには載せてもらえると思う。

なお付言すると、前エントリのコメント欄でも言及したが「立法技術的に問題がない」という判断は合憲性の面でも大きな問題はないということを含んでいる。今回の「法案」については、あくまで私の印象だけからのモノイイだが、これはプロの仕事だと思う。示唆されているように警察官僚が背景にいるのか、別の省庁に協力者がいるのか、あるいは衆議院法制局あたりが頑張ったか、それは知らない(あまり知られていないかもしれないが内閣以外に衆参両院にも法制局があり、議員立法の支援などもしてくれるので事前に時間をかけて十分な相談をしておけば議員立法でもちゃんと整った条文案ができるはずなのである(内閣法制局のレベルから見てどうなのか、というのはひとまず措く))。いずれにせよ、「法案」水準でただちに文面違憲の危険性が生じるとは、私は思わない。すでに述べた通り、「委員会」規則によっては過度に広汎かつ曖昧ということで違憲性が生じる可能性があるが、この規則についてはそれこそ官僚のなかのひとが起草するのでそんなものは出してこないんじゃないかな。

というわけで、池田先生の問いはまさにその違いを前提にしてのものなので、筆者としては我が意を得たりということになる。bewaad氏に推測していただいた通り、問うとすればそこだというのが私からのメッセージだ、ということになる。

いやそれはいいとしておまえどう思うんだと聞かれたら、まあ大前提はすでに述べた通りネガティブだが今回については立法事実についてさして専門的な知見があるわけでもなくあまりちゃんとした意見はない。ただ、規制対象ごとに分けて考えた方がいいのではないかなと思っており、つまり携帯事業者については池田先生もお書きの通り自主規制による取り組みが進んでいるのでいまあえて規制する必要があるかは疑問。ただ自主規制でばらつくと説明が面倒なんで規制してくださいと民間事業者が言い出すというような、つまりパターナリズムが被保護者から求められるようなケースもあるので、その点には留意する必要があるかも(「そういう主体の『弱さ』がパターナリズムを蔓延させるのだ」と言われたらその通りであって結局「悪いのは誰か」以上の意味はない)。

一方ネットカフェについては、自主的な規制に取り組まない方が儲かるという構造があり、事業者が多すぎて自主規制が機能するか不安であることを考えると、規制の必要性は相対的に高いと考える(ただし現行の他の規制で十分である可能性については考慮していない)。前に『公共性の法哲学』所収論文で書いた通り、「抜け駆け御免」型の問題を自主的に解決しようという考え方には無理があるような、ということ。もちろん事業者が多いことは同時に、十分に見張るのが難しく・たまたま発見されたり密告されたりした違反者が「見せしめ」的に摘発されることになる可能性が高い、ということをも意味しているが、しかし行政法規の目的はおそらく一切の不正をこの世から消失せしめることではなく生じうる問題の件数・深刻さを社会的に許容可能な一定水準以下に抑えることなので、「一罰百戒」でもいいんじゃないかなあと思ったり。ああまた怒る人いそうだなあ。

でも「完全な規制ができないならやめてしまえ」というと我々はたとえば、殺人を法で禁ずることも諦めなくてはならなくなる。あるいは個々人の肉体的接触可能性を完全に排除したアーキテクチャのなかで住むかね。「100%の実現を目指すな」というのは実は行政学の教科書にも書いてあることで、それはその代償として必要となる経費や生じる我々の自由への制約がバカにならないから。少なくとも規制対象の恣意性は規制水準の恣意性より問題は少ない、と言いたい。あとは結局、意図された規制が本当に人々の問題行動を減らすのに役立っているかどうかというところで、そこを経済学的に実証すると面白い話になりそうなんだけどなあと無責任に言ってみる。

***

あと一点、bewaad氏に指摘されたグレーゾーンの問題について、正直に言うと私自身はそこで不安になる人々というのにあまり同情的ではない。それは第一に、グレーと黒の境界より白との境界のほうがはっきりしているので、危険を回避したい人が安全地帯にとどまるのは比較的簡単であると思っているからであり(たとえば占有離脱物横領のケースであればいくらだろうが届けるないし拾わないという安全な選択肢がある)、第二にそのレベルを超えて踏み込むならそれによって何を得ることができてその代償が何なのかを予測して判断するのは表現者の責任だ、と私が思っているからである。

このあたり、私には表現する人・される人から独立な第三者(という地位を標榜する)としての法律家という側面と、現に表現でお金をもらっている人(しかも実は結構その歴史が長い)という側面があるので厄介なのだが、特に後者の観点からは、表現というのは必然的に人を傷つけるものであって、にもかかわらず「社会的に」とか「自分にとって」とかとにかくその表現をすることが必要だと思うからやるんだろう、そこで傷ついた人たちから批判されたり反発されたりする可能性を引き受ける覚悟がないなら表現などやめちまえと思うわけである。どうもオヤジしばき主義っぽくて良くない。

ともあれ私としては、まず重要なのは上で述べた「白との境界」が十分に明確かどうかで、この点について「法案」はかなり「有害情報」の要件を明示する努力をしているので(刑法の「猥褻物」は戦前の規定だから論外として、現にそれに基づいて規制が行なわれている青少年保護条例・青少年健全育成条例類と比較しても)合格水準に達していると思う。繰り返すが「規制するなら」ということであって本当にそういう規制が必要か・有効かは別問題にしているし、前回言及できなかったが民主党案はこの観点から問題が非常に多い。「規制しようとしている点では同じ穴のむじな」ではなくて、要件のゆるさ・抽象度の高さからすると民主党案のほうが悪用できる度が格段に高いことをきちんと認識すべきだと思う。

たとえば猥褻関係について、「法案」では「人の性交等の行為又は性器等の卑わいな描写その他の性欲を興奮させ又は刺激する内容の情報」としているので、とりあえず気を付けるべき領域の中心は二点だということがはっきりしている。もちろん性交描写・性器描写がない場合でも「その他」に該当する可能性はあるが、それは前二者と同程度に「性欲を興奮させ又は刺激」しないと対象にならない。ところが民主党案は(これは骨子だそうなので表現が明確を欠くのはある程度やむを得ないとしても)「性又は暴力に関する情報であって人の尊厳を著しく害するもの」という程度の規定である。とするとたとえば小説の登場人物が前近代的性意識の持ち主であって「妻には夫による性交の要求に応える義務がある」と(実践するのでなく)大真面目に主張するような場合、性交描写も性器描写もなくとも上記の要件に該当してしまうのではないかという懸念が出てこよう。もう少し露骨に言うと、「何が『性交等の行為』」かについてももちろん境界線の曖昧さはあり、まあその入れる場所が違うのは「等」に入るだろうけどボンデージ姉ちゃんが鞭をふるってるのはにしおかすみこの舞台かもしれんからグレイだなとか議論はあり、しかし「何が『尊厳を著しく害する』行為か」よりは明確だろと、そういう話である。念のために言うと曖昧さを避けるために客観的基準に頼るという方法も考えられるのだが、かつての毛が見えなければOK基準のようにとにかくそれだけ避けて悪いことしようとするから規制として機能しないだろ? というのが一つ、結局それは毛か影か論争とか不毛な議論が始まるので同じというのがもう一つ。曖昧さを避けることはできないのだが、「白との境界」ができるだけクリアになるように要件を厳格化するというのが利口な解決策だと私が考える所以である。

話を戻すが、その「白との境界」の向こう側については従ってリスクはなくせないし、それでもリスクを取って利益を狙うかというのは結局その結果を引き受けざるを得ない当事者が決めるべきことだし、それでも専門家のアドバイスが欲しいなら金払えと、まあ私は正直そう思ってしまう。最後の点については、結局そのレベルになるとかなり具体的な事実関係を踏まえないと何も言えないし、それにはそれなりの時間も労力もかかるという背景がある。まあ実際に診察もせずに確定的なことを言うお医者さんはいないでしょ、言えるのは「まあその可能性はない」という側のことだけですよと、そういうことである。

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