『靖国』騒動

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うんまあ、公表された言論について批判するのと公開前に批判を加えてそれを制約しようとするのとではやはり違うし、「そもそもあんたら見てから批判してるのかね」と言いたくなるところもあるので、もちろん気にくわないわな今回の騒動は。『プライド・真実の瞬間』のときになんかいろいろした人たちがいなかったっけとか言いたくなるところはあるし、そのときうごめいたなかで実際に見た人たちがどれだけいたのかねとは思うけどな。いや私自身も見てないし、どちらか片方タダで見せてやると言われたら『靖国』にするけど

今回の騒動で読み取るべきことはおそらく三点くらいある。第一に、まあ配給と映画館の契約関係が厳密にどうなっているのか私は知らないが、やはり契約締結以前の段階で断られたら法律的にはどうにもならないよねということ。映画館も公的施設ではないし、契約締結義務はないわな。裁判に訴えて、勝って、損害賠償なりを受け取って、それでそのあとのご商売がどうなるのかという話をご商売であれば考える必要があるわけでまあ古くはポンジュースの話とかも聞くわな。もちろんカネ勘定より大切なことがあると考えるのは自由だし、影響力をアピールすることの方が政治的資源の調達という観点からは重要であるという判断もあり得ようから、日教組をその意味で批判するつもりはないんだけど、プリンスホテルだけを批判して済ませている人には問題になるだろうね(それにしても案外読者が重なっていないのかなとは思った)。

第二に、『プライド』は置いておいてもっと反社会的団体の圧力ということで言えば伊丹十三監督が『ミンボーの女』から『大病人』にかけて本人も映画館も襲撃されたという事例があったわけだが、あのとき上映中止って広がったかと言えばどうもあまり記憶がない。仮にそれほどでもなかったとすれば何で今回と対応が違うのかについて考えることは有益だろう。現在の右翼と当時のヤクザと、社会的影響力は明らかに後者のほうが強かったと思うんだけどね。

私の考えは要するにご商売だからだろということであって、まあ想定される興行収入に照らして懸念される妨害のコストが引き合わなかったということだろうなと思う。で、それは別に『靖国』売れないからプギャーとかいう話ではなく、だっていまどき映画見たいときに映画館に行くかね?

いやもちろんあの大スクリーンでないと映画とは呼べないというコアな人がいるのはわかっているが、そんなん人口の何パーセントなのさ。最初に「タダで見せてやると言われたら」と書いたのは、カネ払えと言われたらどちらも見に行かないから。それはカネが惜しいという話ではあまりなくて、つまり入場料もさることながら上映時間にあわせて劇場に物理的に行き、上映時間のあいだ拘束されていないといけないわけで、その機会コストがあまりにも高い。中身が見たいだけならDVDを借りるなり買うなりするわなと、そういう話。

じゃあ劇場に行くのはどんなときかというに、つまりコミュニケーションメディアとしての映画を求める人というか、映画館に行きたい人だよねと。家族みんなで一つの作品を見たという体験を共有したいとか、お出かけしたということで子供も満足するし暗いところで静かにしてるから連れてくほうも気が休まるしなとか、あるいは二人で暗いところで並んで座ってどきどきしたいとか、そういう用途が中心だとすると、さて『靖国』ってそういう用途に向いてますかね。どうも私は——もちろんまだ見てないけど——そういう気がしないんだが。

これが第三の話で、つまりたとえば戦前から戦後すぐにおいては、映画が唯一の映像メディアだったわけで、ニュースも映画として伝えられていたし、だからこそ上映の可否がただちに表現を伝達する可能性に直結していた。しかし情報化を経た現代において、動画と音声の結合した《作品としての映画》を流通させる方法は《手段としての映画》ないし物理的なフィルムの上映に限られない。DVDのレンタルや販売、データでのストリーミングやダウンロード、さらに言えば映画館で現に上映されていても媒体はフィルムではなくハードディスクである可能性もある。このあたり、両者が一致した時代に作られ、「映画」に特別な保護を与えている著作権法の現代における妥当性が云々という中古ゲーム販売事件に関する問題があるわけだがそれはまあ置いておいて、要するに情報流通のチャネルが多様化している現代において映画館というチャネルを封じたところで情報自体が封印されるわけではない、もちろん一部であれ封じるような干渉を(特に政治的に)許容すべきかと言われれは否定的だが、それがただちに検閲だの言論の自由への危機だのという話になるかというと、そう思うのは映画が娯楽の王様であり最大の映像媒体だった時代へのノスタルジーなんじゃねえのと、それだけの話である。

逆に言うと、ご商売として一つの作品からどれだけの収入が上げられるかという観点に立てば、仮に劇場上映に圧力がかかったと報道され・社会の注目を集めた結果としてDVDの売り上げが増えるというようなことがあれば最終的な実入りはかえって増えるかもしれないわけで、『靖国』の配給側がわりとあっさりしているように見える(だけかもしれないけどね)背景には、映画館との継続的関係を大切にしなければいけないという事情もあるだろうし、まあこういう事情もあるのかもしれないと思う。

でまあ、単にそういうご商売としての冷静な計算が上映館減少の原因だとすれば、それに対して上映を支えたい人がすべきことは映画館を声高に批判することではなくて、彼らのご商売としての計算が成り立つようにするか(つまりたとえばこれだけの需要があるからリスクを考えても儲かりますよ、と説得するか)、ご商売ではないところで上映を実現するかだろう。というわけで、まあ実現したらではあるのだけれど、珍しく福島瑞穂えらいなあと思いましたと、そういうオチです。なお参照、「社民・福島氏、「靖国」自主上映を検討」(asahi.com)。

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Comment(3)

IZW134 さんのコメント (2008年4月 5日 07:17):

私も直接の契約関係はもちろん、映画業界の慣習も知りませんが;
> 契約締結以前の段階で断られたら
> 契約締結義務はない
既に具体的な公開の予定に入っていた→それがキャンセルされたという流れなので、契約が未締結だったとは考え難く、むしろ契約中に解除条項が入っていてそれが行使されたということか、と推測しています(逆の情報があればご教示下さい)。

さんのコメント (2008年4月 6日 23:42):

>そういう用途が中心だとすると
いやそうでもないよー。って私がそうだから力説するわけじゃないけども。結婚してたときでも一人でいくのと二人でいくのと半々くらいだったような。単館上映のインディーズぽい映画だと一人で来てるひととカップルと比率は半々くらいじゃないかなあ。そして、これってむしろそういう映画なのでは? って知らないでいってますが。

封切りロードショーでやるような映画はご指摘のとおりなのかもしれませんね。

kozawa さんのコメント (2008年4月 8日 01:08):

単館系映画の場合は、そもそもDVDも出なければTV放送もされないという場合も多々ありますからねぇ。そういうのを劇場で見る習慣なマイナー族はスクリーン上映を大事にしますよ。私の経験から推定するに、「靖国」の場合は一人で行く客が大半なんじゃないですかねぇ。『プライド・真実の瞬間』や伊丹十三映画と比べても一層その傾向が強いんじゃないかと。

まぁ、「靖国」の場合の正確な情報は私は持っていませんが、他のメディアでの公開を期待していいでしょうし、逆に宣伝になって配給的にはプラスもあったのではというのには同意です。

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kozawa on 『靖国』騒動:
単館系映画の場合は、
鰤 on 『靖国』騒動:
>そういう用途が中心
IZW134 on 『靖国』騒動:
私も直接の契約関係は

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