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虎ノ門の桜
ちょっと用事で虎ノ門に行ったら神社の境内で桜が咲いてました。これはホンモノ。しかし金比羅さんがこんなところにあるとは知らなんだ。
ところでなぜ珍しくそんなところに行ったかというに公開鼎談というものをしたからです。まあ「公開」といってもごく限定的な範囲だったようですが、「幸福とパターナリズム:自由・責任・アーキテクチャ」というテーマでお話ししてまいりました。『自由とは何か』の最後のところで安藤馨説に弱々しい反論をしてみたところに結構関心を持っていただけているようで、ありがたいことです。当日はもう少し具体的なというか、制度的なことに話がまとまったようにも思いますが、これもそのうち公開されるはずなのでそのときにでもご確認ください。
報告のあとの質疑応答とか、パネルディスカッションとかいうのはもちろんすでに何度もやったことがあるわけですが、こういう形式で何かするのは初めてなので結構緊張しましたね。私としてはいろいろ興味深いお話が聞けたので(そのうえおアシがいただけるという大変ありがたいことだったので)大変に楽しんだわけですが、対談相手の方と聴衆の皆さんが楽しんでいただけたのかどうか、まあそれは私本人にはわからないことではあります。
もう一つ、まあこれは以前からわかっていたことではあるのだけれど、法学者のモノイイには基本的に二層性がある。つまり特定の問題について(1)現行法の権威的な解釈を前提にする限りどのような結論が導かれるかという予言的な作業と、(2)それに対して当の法学者がどのように評価するかに関する主張と。後者では場合によって現行法の正当性を否認して法改正を主張することもあり得べしだが、それでも前者において現行法の正統性は否定できない(特殊な場合は例外としてあり得るかもしれない)。井上達夫「規範と法命題」において指摘されている通り、「私はそのような規制は不当だと思うが、そこに車をとめると駐車違反になる」という言説は法学者にとって矛盾でも何でもない。
で、法哲学者というのはおそらくこの二層性のただなかにいると言えば聞こえが多少いいが、まあ実定法学者より両がけ天秤の度合いが高いかな、と思った。というのは警察政策フォーラムと今回の鼎談での私自身のふるまいを比較すると、実定法学者・実務家と同席した前者では暴論を振るというか、「現行法がどうだろうが理屈はこうである」というモノイイが多く、社会学者の方々と話した後者では「現行法ではどうなのか?」という話題が振られることが数回あったし、私としても現在の法規制・法システムの考え方ではどういうことになるかというのを踏まえて話すように注意していた。まあそれが期待されているだろうなとも思ったしね。どちらにせよ暴論に至る点では変わらないんだけど、そのあたりの態度を比較すると面白いかもしれない。
安藤説については「もっとちゃんと反論しろ」というリクエストを他方面から頂戴しているのでやらんといかんのだろうなあ(タメイキ)。でも(1)前提条件を揃えないと何を議論しているのかよくわからなくなるし、(2)揃えたときにどういう違いが出てくるかは結構難しいと思うんだけどね。一例を挙げると存在論について、安藤は強固な実在論を採り私は反実在論に立つわけですが、どちらでも実在と認識の一致如何という問題は消失するのね、これ。案外単純な問題ではないですよ、と思うわけですが。
で、せっかく虎ノ門まで行ったのでやまけんさんご推薦の「出羽香庵」で蕎麦を食べて帰ってきました。いやこう実に何と言うか線の太い、がしがしした蕎麦で、これはこれでうまい。しっかり噛まないととても食べられないので、呑み込むがごとき江戸前蕎麦の対極にありますけどね。でまあこのお店の入っている山形県のアンテナショップみたいなのがあって、見て回ったら蕎麦だの豆だの私の好物がいろいろ置いてあってですな、いろいろ買い込んでしまったわけですが重くて仕方ないよ。名古屋にもできんかな、こういう店。できんか。
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