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制度の失敗か、組織の失敗か

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お知らせいただいたところによれば拙著『自由とは何か—監視社会と「個人」の消滅』ちくま新書)が『中央公論』誌の特集「新書ベスト30」に入選したとのことであります。めでたい。ご推挙いただいた皆さま、ご購入いただいた皆さまに厚くお礼申し上げます。これから買うという方にも先にお礼申し上げますので是非買ってください

でその、『中央公論』を一生懸命探して確認したわけですが(ちょっと生協に行く暇もなかったので街の書店で探したらなかなか置いてないんだこれが)14位タイで10冊以上並んでるなかの一冊というか掲載中最下位というかいやまあもちろん載っているだけありがたいわけだがなかなかこの微妙なところが素敵。しかも採点方法から推測するに60人中1名の方に1位にしていただいたのか2人の方に2位にしていただいたかの点数でありこのターゲット領域の狭さが我ながら自分らしいというか何というか。いや私自身としては知的な高校生であれば理解できるくらいのレベルで書いたつもりであり、それは売れる本を書いて埼玉ゴズニーランドに行きたかったからですが、なんか根本的に生き方が間違っているのではないかと反省することしきり。にもかかわらずご評価いただいた方には深くお礼申し上げます。

さて、法科大学院修了者を対象とした新司法試験は先頃第2回の合格者が決まり、すでに司法修習に入っているところ、今年は昨年と違って前期修習(司法研修所で全員を対象に行われる修習)なしに直接実務修習入りしたそうで、それは怖いということなのか愛知県弁護士会が自主的に事前研修を組織したという話について。

まあ廃止した側の目論見としては(私は修習に行ったこともないしそもそも公法畑の出身なので話半分程度に聞いてほしいのだが)、従来の前期修習というのは要件事実論など実務の基礎になっている考え方とか、訴状その他の書類起案の方法とか、事件記録の読み方とか、まあつまり(旧)司法試験までで問われている講学的な法律学と法曹実務のギャップを埋めるための教育を行なうものであるところ、法科大学院では実務に進むことを前提にこれらの内容についても教育が行なわれているはずであるので直接に実務修習に進んで問題なかろうということであるらしい。

しかしまあもちろんほんまかいなという声は従前から囁かれていたわけだが、上述の通り愛知県弁護士会がギャップを埋めるための研修を企画したというのはつまりその点に不足があると多くの実務家が感じているということなのであって、それは結局十分な能力を持った学生を送り出せない法科大学院制度の問題なのだという意見が見られる。またその傍証として、同じ愛知県弁護士会が法科大学院でチューターを務めた弁護士たちから聞き取り調査した結果で学生の実力に関する多くの問題点が指摘されていることが挙げられている。

さて、それは本当かしらんというのが今回の趣旨。いやこれらの弁護士さんが嘘を言っているとは思わないし、他の情報源からもLS生やLS教員の現状についてはいろいろと問題を聞くのですべての法科大学院のすべての教員の教育に・すべての学生の実力に問題がありません、という気はこれっぽっちもない。のだが、次のようなことは考えておく必要があろうかと思う。某会議において、実務家教員の先生から某LS(幸い本学ではなかった)の学生の過半がごく初歩的な構成要件の誤解に陥っていたという話を聞いたときの話。特定を避けるために詳細は伏せるが、そうさな、「公道上の殺人現場に事件発生後数時間を経過してから偶然通りがかった男が、死体の背広から財布を抜き取って逃げた場合の罪責は?」と聞かれて「窃盗」と答えるレベル以下の間違いだったと思って欲しいのだが、こんな学生が修習に行って弁護士になってやっていけるのかとその先生が懸念していたのに対する私の感想。「そういう連中は新司法試験に受からないから大丈夫じゃないですか?」

つうかですな。現状の法科大学院制度というのは計画値で年間3000人の新司法試験合格者に対して約6500人の学生定員がある状態で、まあ単純化してがじゃっと言うと約半数は修習生になるだけの実力がないわけですよ。さらに言うとその半数が各LSに平均的に分布していると思う人間はいないのであって、低レベルなLSに行くと学生の大半が実力不足に陥っているのはおそらく事実だが、だからといって高レベルなLSでどうなのか、新司法試験に合格できるレベルの学生の平均的な能力が旧司法試験と比較してどうなのかは別問題なのですよ。と私がはっきり書くとあちこちから怒られるんだろうけどな(まあでも私はLS教育にはほとんどタッチしていないですよ?)。

それでもLS在学生の平均的な実力が低下していることが問題だと言われるなら、新司法試験合格者を出せないレベルのLSが潰れればレベルは回復するんじゃないですか? という言い方もできると思うわけである。つうか設置時の事前規制に失敗したんだから、あとは競争を通じた事後の淘汰で調整するしかないじゃんねえ。それで破綻するLSが出るというのはその法科大学院の失敗ではあっても、法科大学院制度の失敗ではないと思うわけですよ。もちろん淘汰に巻き込まれた学生という犠牲者を出した点では規制当局の失敗ではあるんだろうけどね。

というわけで、いろいろと指摘されている問題事例についてはそれが一部LSに集中して発生している当該組織固有の問題なのか、平均的に発生している制度全体の問題なのかの切り分けが重要なので、調査を行なった際には是非そこまでの分析を期待したいってその結果を公表したらいろいろ血まみれになるだろうけどな。ついでに言及しておくと「研修所では修習前の修習予定者に対し『基本書を読みなさい。』という従前では考えられない話がなされた」原因としては、修習生のレベル低下も考えられるがソクラティックメソッドという愚劣な教育方法の影響も想定した方がいい。いや私はソクラティックメソッド全体が愚劣だと言いたいわけではなくて、制定法国で初学者に対する法学教育をソクラティックにやることが愚かだと言いたいんだけど。

要するに、従来はまず基本書で法規範の構造とか要件効果なんかを頭にたたき込み、一行問題や教室設例のように論点の明確な事例にそれらを当てはめる能力を身につけるという順序で、しかしもちろん現実に発生する事件は講学上の論点に配慮してくれたりはしないのでどう自分に有利になるように問題を切り分けていくかというのが実務家教育の勘所だったわけである。これに対し、法科大学院教育では具体的な・複雑な・論点のはっきりしない事例を分析する能力を付けることが目的とされ、教育過程でも論点の発見が重視されているし、新司法試験でもたとえば民法と民事訴訟法の知識を個々に確認するのではなく、一つの事例に総合的に適用する能力が問われたりするわけである。つまり従来とは逆の方向から教育しているわけで、従来の一歩目ができていないと怒ったってそれは新方式では終わりの方なんだから仕方ないよねえという話になる。

もちろん新方式が利口かどうかという点は別の論点としてあって、正直私自身はあまりそうも思わないのだが(分析力は重要だと思うけど制定法国なんだからやっぱり要件効果くらいは叩き込んでから始めた方がいいんじゃない? という気はする)、変わったことを踏まえずにあれができないこれもできない言うてもなんか「戦後教育を受けた生徒は教育勅語の暗誦もできない!」とか怒ってるみたいだよなあという気はする。いや私も別にLS制度を高く評価しているわけではないんだけど不動産の即時取得を論じてしまう修習生を出した旧司法試験と比べてそう悪くもあるまいというか、個々の法科大学院の成功失敗についてはともかく、とりあえず教育なんだから制度全体の評価は5年か10年かしないとわからないよねえと思っている。俺らが育ててんのは野菜じゃねえんだからよ、つうかね。

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Comment(1)

さんのコメント (2008年3月 6日 18:54):

わたしにもわかった(ような気がした)ので、知的な高校生ならきっと分かります。じゃないかな。だといいな。いやあれが分からなかったら、論の立て方として非常に近いところにあって、しかし用語の晦渋さでは日本の哲学用語上で最後から二番目にはじまってすらいないドイツ観念論とか、きっと興味ももってもらえないだろうから、切実にそうおもうのですが。

ところでソクラティックメソッドって何でしょう? 法学教育特殊用語?

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