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法は守るべきか(補足)

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P1000571.jpg起きたらえらい雪だったので帰れるかどうか心配しましたが新幹線は無事5分遅れ程度で運行しておりました(挨拶)。というわけで雪の豊川稲荷ですが、しかし引きがいいな我ながら相変わらず。

さて前のエントリにちょっと補足。

日教組のケースの場合、騒ぐのは本人ではなくて街宣右翼なんだからアナロジーが成立しない、ということはない。ホームレスのケースで、実際にホームレス本人は静かにコーヒーを飲んで帰ろうと思っていたとしても、ホームレスになったことについて本人に過失が一切ないようなケースだったとしても、さらに言うと実はホームレスではなくてそういう扮装をする趣味のある大金持ちの老人でにおいもしなければ座った場所に汚れもつかないですよ? という場合でもホテルは彼を追い出すだろう。何故ならホテルが気にするのは彼に関する《真実》などではなくて周囲の客の彼に対する《印象》、さらに言えば「ホームレスのいる場所にいる自分」という周囲の客の自意識だから。

なので、今回のホテル側の対応を「反社会的」と形容することには違和感がある――だって、社会ってそういうものでしょう? 現実に社会を構成している我々の選好には人種差別とか性差別とかいうものが入り込んでおり、その我々の持つ印象を守らなくてはならないホテルのような私企業はほおっておくとそういう正当化できない選好に適応してしまうから、「法」によって社会の自然な成り行きに反する振る舞いを強制する必要があるわけだろう。だからホテルの決断は「反法的」であり、法的なものの価値を信じる私個人は怒っているけれども、実は「社会的」だよなと思う。ホテル側だって、つまり「反法的」な決断について表ではみんないろいろ言うだろうけど本音の「社会的」な部分では肯定するよな、と思ったからこうしたんじゃないのかと。

市民的不服従と同じ構造を持っている、というのもそういう話で、「法的に」批判されても「社会的に」肯定されることを期待している、それに賭けているのだという点は同じ。もちろん背景に期待されている社会像というか、そこに込められた志というか、そういうものを非常に個人的な価値基準で判断すればすごい高低の差がある。今回のようなのは「俗情との結託」であるとか(これ小林よしのり批判で使われた表現でしたっけね)、たとえば徴兵忌避のケースで呼びかけられているのは「社会」であって今回のようなのは「世間」であるとか言うとちょっといい人のふりができるのではないかと思うんだけど個人的にはくだらねえというか、そういうべったりした社会のどうしようもなさを正面から見ないできれいごとにしちゃってもねえ、と思うところあり。

もちろんそういう「社会」の視点から見ても今回のホテル側の対応は二流だよねえと思うのだが、それは何故かというに「快適さ」を成り立たせるために振るわれている権力の存在を見せちゃったからでしょ。現地人が棍棒で追い払われているところがビーチから見えてしまうリゾートは所詮まがいものなのであって、最初から近寄らせないのが一流だよね。もちろん私自身は最初からそういう権力を振るおうと思わない三流ホテルが好きなんだけど、まあそれは余談。ともあれそういうわけで、今回のケースを「反法的」とか「法の権威をないがしろにするもの」とか怒るのはよくわかるし私もそう思うんだけど、「反社会的」とかヒートアップする人は何なんだろう、ひょっとしたら自分の享受している「快適さ」が排除の権力に依存しているという事実を認めたくないとか、認められないとかいう人なのかなあと疑ってみるわけである。

***

もう一つ、今回のケースに日本人的な契約意識が反映しているとか言い出している人がいて激しく笑う。すごいなあアメリカ人は日本人だったんだ。前エントリで「契約を破る自由」とか書いているがこれは(知っている人にはすぐわかる通り)アメリカ法の話を前提にしているので、たとえば樋口範雄『アメリカ契約法』(弘文堂、1994)第3章のタイトルはまさに「契約を破る自由――契約違反に対する救済」である。引用すると、

[アメリカ法においては]契約の履行の強制(……)は、例外的な場合にのみ認められる。(……)法律上、強制履行の命令を出す場合は『売買の目的物が独特のものであるか、またはその他の適切な場合』に限られ、それに代わる損害賠償がアメリカ契約法上の原則的な救済だというのである(これに対し、わが国において、債務不履行に対する第1次的な救済が損害賠償ではなく、強制履行にあるとすれば、アメリカ法とは基本的な態度が異なることになる)。(p. 49)

つまり、損害賠償さえ払えば「もっとよい取引のチャンス」を追求して契約を解除していい、「効率的契約違反の法理」(doctrine of efficient breach)だということになる。もちろん今回のケースが効率性の追求と言えるかには疑義があるし、前エントリで述べた通り市場からの代替的な調達に限界があるので「目的物が独特のもの」と認められる=強制履行が認められるべき場合にあたるのではないかとは考えているが、しかしそういう特別の事情がない限り「契約は破ってよい」のがアメリカ的考え方で、「契約は守られるべし」(pacta sunt servanda)というのは大陸法的な考え方だということになろう。で、もちろん日本は大陸法国であるわけだが。なお前掲引用文末尾も参照。

もちろん本当はそう単純ではなく、アメリカ法でも「独特のもの」が拡大しているのではとか日本法も「契約を破る自由」を認めているに近いのではという議論があるのでご興味ご関心の向きは前掲書などを読まれたいが、しかしとりあえず通説を真っ向無視して何か言われてもなあとは思う。そもそも日本的契約意識とか言われる場合には、契約内容についておおざっぱな規定しか置かないとか、トラブルに対しても「信義誠実条項」による話し合い解決を目指すというように、両当事者の合意を通じて契約内容を弾力的に形成・変更していこうとする点が特徴として注目されていたわけだから、一方的な解除の通告によって契約関係を終了させることを企て、相手方から異論が出ても断固として司法の場でその正当性を主張するという今回のホテル側の対応は(いやそこに本当に正当性があるかどうかとかは別にして)まさにその対極にあるというかアメリカ的だと通説的には言うんじゃない?

さらに言うと、通説的に言うアメリカ的契約(「書式の戦い」みたいな)に対する否定的評価というのは当然に強いし、逆に日本的契約について実は合理的なんじゃないかという見解も(私が見たところでは経済倫理学なんかで)あるわけで、いまさら日本的契約意識の後進性みたいな話されてもなあ、川島先生のイタコか何かですか? みたいな気もする。あああだからハンガリー報告の原稿直さないといけないんだってば。

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Gryphon さんのコメント (2008年2月 6日 04:21):

以前から気になっていたんですが、この論理を敷衍して「刺青のひとはサウナ、プールお断り」も合法的に成り立つんですかね?


他者危害の原則に立てば、●●組のひとが「おう、ここはこんなまずい茶あ飲ませんのかい」「アンちゃん、われ誰にガンつけとんじゃ」というと迷惑だから店や施設に入れない、というのは明確だと思いますが、刺青というのはそれだけでは全く他人には危害を加えないし、アートである以上、表現の自由(笑)に含まれるんじゃないか?

どういう理屈で刺青だけで断れるんだ?と前から疑問でしたので便乗させてもらいます。

ちなみに刺青というのはけっこう海外では受け取り方が違っていて、かたぎの人でも入れている国(日本も徐々にそうなってきたか?)の人がサウナで断られ、やっぱり差別だ排外主義だとトラブルになりかける例もあるそうですね。

winnie-the-pxx さんのコメント (2008年2月 7日 00:09):

カキコさせていただきます。
私のポイントは、第1にやはり日教組の例とホームレスのアナロジーで語ることは適切でないということ(主張1)です。以下その理由を2点ほど。それと、関連性のない雑感を2つカキコいたします。乱筆乱文すいません。
主張1の理由2と、雑感のその1点目は、大屋さんの再反論済みの点について、それ以前の議論の水準で語るのでやや蒸し返しにはなりますが、確認的に述べさせていただきます。

まず、日教組の例とホームレスのアナロジーで語ることは適切でないはずです。その理由の第1。ホテルがホームレスを追い出そうとする理由は、他の客の視線を気にする点に尽きてはいないのではないでしょうか。本人の属性と想像される事情をホテルは考慮しているはずです。たとえば、典型的な(?)ホームレスの方(運が悪ければ、自分もいつかそうなるかもしれないなーと思う)なら衣類に悪臭がありそれがホテルの備品に付着する恐れがあるし、健康状態が不良で何かの病気、たとえば結核菌を保菌している危険性も高いし、犯罪(主に万引きなど)を犯す可能性も否定は出来ません。以上のポイントは、私のもつ偏見を投影しているきらいもありますが、通常のホテルの判断と比べても、そう乖離はしていないかと思います。
いっぽう日教組の方々は(彼らに私は別段何の共感もないけれど)少なくともそんなに臭かったりするとは思えません。

その理由の2つ目。ホームレスも日教組も「他の顧客に何らかの害を及ぼすことに因果関係がある」という点を大屋さんは指摘されます。因果関係が存在するという大ざっぱなレベルでは確かにその通りです。だけど、その後の媒介項の性質に両者は大きな違いがあり、これを捨象することは妥当ではないように思われます。先の展開は見え見えだからややくどくなるけど、前者は「相当因果関係」の範囲内の出来事だけど、後者は第三者による異常な介入の帰結、つまり直接には街宣右翼のせいですよね。
(ここで大屋さんは、ホテル側から見ればどちらも厄介なことに違いないよねーという観点に徹して、あえてその大ざっぱなレベルでの共通性を指摘することでよしとして、話を打ち切られるわけです)
アナロジーとして100パーセント間違いじゃないとしても、果たして妥当なのかと私なんかは思うわけです。大屋さんの目線はホテルの側の都合に寄り過ぎかなーと。


以下、雑感ですが、その1。
私企業として経済合理的な行動だったとしても、それってやっぱり非難に値するのではないかと。
もし「べったりした社会のどうしようもなさ」が存在するとしても、今回の件でホテルを批判している方々は、別にみんなが「を正面から見ないできれいごとにしちゃって」るわけでもないでしょう。その「どうしようもなさ」が存在するとしても、それを現在の状態としてギヴンとして、やっぱりそれでは問題だと主張するのは、ちゃんと建設的な態度だと思われます。それにしても大屋さんは、あんまり外部性の問題なんかは考えられない主義なんでしょうか。いや、私は不勉強で、大屋さんのお立場をあんまりよく知らないんですけど。

雑感の2つ目。
大屋さんは自説の帰結として、達観した態度でぺダンティックに「「快適さ」を成り立たせるために振るわれている権力の存在を見せちゃったから」「ホテル側の対応は二流」と仰います。ですが、だけどそれは大屋さんの視点であって、閉じちゃってますよね。勿論全然不正解ではない(私もその側面があるのは認めます)けど、大屋さん以外の方から見て今回の件の問題がそれに尽きてるわけではなくて。少なくともホテル側の対応を問題視する理由がそれ以外にもある、とお考えの向き(とかいうと、敬語の用法がまずいですね。私自身もその中に含まれるので)には、なにもアピールしないよな、と。
まあ、アピールされる意欲も別にないのかもしれません。ブログの概括的な印象としてもあるわけですが、大屋さんの拘られている某大新聞のレベルにあえて降りていかれて、皮肉として意図的にその態度を合わせ鏡的に再現されておられるのかな、とか思ったり。しかしこの点、やっぱり私にはよくわかりませんと言っておくのが誠実な選択でしょう。大屋さんの語られない点まで、大屋さんのことを知っているなどと主張するのは図々しいものですし。

本橋牛乳 さんのコメント (2008年2月15日 10:26):

 すいません、どうしても気になることだけ、コメントさせてください。
 この問題に関しては、やはり「正当な組合活動が阻害されている」というところが問題なのかと思うのです。それが、法的にどうかはさておいて、それが「暴力に屈してしまう」というのはどうなのか、と。
 ひとえにホテルの非ということではなく、そうしたことに対応できない行政の問題でもあるし、そこが語られないからどうも腑に落ちないということではないでしょうか。

 ホームレスのアナロジーで言えば、やはり同じで、ホームレスがいるということが、行政が行き届かないという問題なのだと思うのです。
 好きで刺青を入れている人であればともかく、ホームレスはなりたくてなっているわけではないですし、清潔な生活にアクセスできないという根本的な問題があるわけです。
 これは、健康で文化的な最低限度の生活すらできていないわけです。
 ホームレスを拒否することに、ホテルの非はないと思いますが。

おおや さんのコメント (2008年3月 4日 14:52):

>Gryphonさん
刺青の有無を《暴力団構成員か否か》の代理変数として使っていたわけですが、まず「暴力団に入っていること自体が『他者への危害』あるいはそれと同一視できる程度の危険性と言える」かどうかが論点であるところ、この点については暴力団対策法がだいたいそれを肯定する態度に立っている(従って違憲であるとの意見もあるが支配的になっていない)と。なので次は刺青が代理変数として適当かどうかという問題に移り、昔はまあそうだったのかもしれませんがおしゃれ系のタトゥーが一般化してくると問題だとは思います。実際には運用で刺青とタトゥーを区別しているところもありそうですけどね。

>winnie-the-pxxさん
ども。アナロジーについて、第一に本人にも帰責事由があるという点は通常その通りですが、そうでない場合でもホテル側の態度は同様であろうという点は上に述べた通りです。第二に外部からの介入の問題であるという点はその通りなのですが、そこに違いを見いだす人というのは「責任思考」をしています。つまり現状が不快であるとしてその原因がどこにあり誰に責任があるのかを考えるわけですが、それは同時に「誰にも責任がないのであれば仕方がない」(不可抗力の受忍)を含んでいます。私が指摘したのは、高級ホテルというのはそのような思考を顧客にさせないことをウリにしているのではないか、「配慮される快適」を保障することを約束もし、顧客も期待しているのではないか、自分も顧客としてはその快適を期待するのに今回巻き込まれる(ことになったはずの)顧客には責任思考を要求するというのは偽善ではないかということです。
雑感については、「補足の補足」がお答えになっているのではないかと思います。はい。

>本橋牛乳さん
ども。基本的におっしゃる通りであって、社会(ないし「世間」)の問題、ホテルに信頼してもらえるような執行力を提供できない司法の問題をきちんと指摘しているか認識している人がさらにホテルを批判することは正当だと思います。私が問題だと思うのは、日教組にせよ朝日新聞にせよそれらの問題解決に反することを常々主張してきたのに今回の問題の責任をすべてホテル側にひっかぶせようとしていることであって、ホテルを批判することそれ自体ではありません。

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