神は必要か

| コメント(0) | トラックバック(0)

というわけで東京法哲学研究会で行なわれた安藤馨『統治と功利』の合評会に行ってまいりました。全体的には、同書の特に理論的な検討の部分に焦点の当てられたコメントが加えられ、著者のリプライ・フロアとの議論にわたってその雰囲気が維持されたので、テンションの高い良い研究会だったのではないかと思います。というか私はメタ倫理回りについては門外漢なので(その一つの理由は私には存在が見えないからですが(だって認識しかないじゃんねえ))、しっかり勉強するつもりで聞きに行って勉強して帰ってきたという有意義なイベントでした。はい。

ところで私から安藤氏に向けられた質問について若干補足しておくと、まず評者である江口先生から安藤本にはなぜ功利主義を取るべきかという説明・説得がほとんどないという指摘があったわけです。功利主義の中で取り得るヴァージョンはこれだ、という議論はきちんとなされているが、何故そもそも人々が功利主義を採用すべきなのかがわからないという批判だと理解しました。

でまあそれは確かにそうなんだけど安藤説にとってそういう「説得」が必要なのかなあというのが私の質問の趣旨で、つまり第一に安藤説は「統治功利主義」つまり統治者の従うべき準則は功利主義だという立場なので、被治者たる我々には功利主義的に思考したり、統治功利主義に基づいて定められて命令を遵守したりする義務はないわけである。なので、安藤氏にはおそらく個々の被治者に「ああ功利主義すばらしいねえ」と思ってもらいたいという動機はない。

じゃあ統治者は説得する必要があるかというと、これも明記してあったと思うのだが安藤氏は「動機」をまったく問題にしていない。つまり求められるのは統治者の出す命令が統治功利主義の基準に結果的にかなっていることであって、統治者自身が功利主義的に思考したりそれに同意したりしていることは、やはり必要ではない。だとすれば安藤氏には結局統治者を説得すべき理由もないのであって、仮にそうすべき相手がいるとすれば「えいや」と思うとこの世界のリアリティをぐにゃりと変えることのできる神様なのではないか、と指摘したわけである。

安藤氏にはとても正しい読解だと言っていただいたのでまあたぶんそれであっているわけだが、ポイントは「仮に……いるとすれば」という仮言部分であって、別にそもそも誰かを説得しようとは考えていないという解釈も可能なのだろうと思う。おそらく功利主義は世界の記述の問題だという安藤氏自身の発言はそちらを支持しているのだと、個人的には考えている。有神論に対する批判と安藤説は必ずしも矛盾しないというか、つまり安藤氏は「神」という主体の要請すらも拒絶するのであろうなと、まあそういう話。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.axis-cafe.net/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/486

コメントする

2012年10月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

Monthly Archive

Webpages

Powered by Movable Type 5.14-ja