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出版とそのリスクについて
たいしたことでもないが、「自費出版大手「新風舎」、再生法申請へ」(asahi.com)という話について、これが出版不況とか自費出版の売れ行きがどうこうという問題とは無関係だということをメモしておこうと思う。というか本当の「自費出版」なら出版費用は作者がすでに全額出しているので売れようが売れまいが出版社の経営にはまったく影響がないはずだろうと。
つまり簡単に言うと出版には二つのビジネスモデルがあり、(1) 版元がコストを負担するかわりに利益も受けるので著者には一定の割り前(印税・原稿料)が回るものと、(2) 著者サイドでコストを負担するので利益も帰属し、出版社は一定の作業に対する対価を受け取るものとということになる。もちろんこの二つは理念型であって、原稿作成・組版・印刷製本・流通・販売・宣伝広告といった一連の作業を著者と出版社でどう分担するかに応じてその中間形態がいろいろ考えられるわけだが、典型的には前者が広く売れる小説や文庫新書などの本であり、同人誌が後者の例ということになろう。
なので、本来の自費出版における出版社なら一定の経費と交換に製品たる書籍を著者に渡すというご商売で、もちろん流通販売も代行する場合など書籍現物は出版社の倉庫から直接配本されることになるかもしれないが、リスク管理という面では著者からの取りっぱぐっれがなければ問題ないはずである。もちろん印刷所と同じで設備投資に見合う一定の受注を継続的に確保できなければ経営難が待っているだろうが、自費出版を望む人のある程度は自伝を作って社員に配りたい社長とか一生の記念に句集を編んで配りたい人とかであって売れ行きなど最初から気にしていない、というか金もらって売ろうとも思っていない。というわけでそういう人の数が出版不況=本が売れなくなることで左右されるわけでもないということになろう。というか出版不況は唱えられて長いはずであるが同人誌印刷所の数は増え続けてるような、という話でもある(これはまあ元々のご商売が苦しくなった印刷所が流れ込んでいるという背景もあるらしいのだが)。
じゃあ新風舎の件は何なのかというと記事にも書かれている通り詐欺まがい商法が表沙汰になって客が寄りつかなくなりましたというだけのことであって、しばらく前に裁判沙汰にもなったからそれなりに有名な話だと思ったんだがなあ。要するに実態としては(2)なのにあたかも(1)であるかのように誤信させてカネを出させるという話で、しかも流通配本も握っているので本当に契約しただけの冊数刷られたのか・配られたのかどうかもよくわからない。新風舎の実態が(2)である、という点については『出版名鑑2007』のデータを紹介している人がいて、2006年の出版点数が2788点、そのうち取次会社ルートで販売されたものが385点だそうである。つまり差し引いて2403点(全体の86.2%)については取次→書店という通常の書籍流通ルートに乗っていないわけでまさに同人誌としか言いようがない。にもかかわらず「共同出版」などの用語と出版社であるという看板に釣られた人々から高いカネを取っていたのがさすがにバレましたと。正直こんな会社を再建する必要も意味も思いつかないし既刊の流通を維持するって維持するような流通ねえだろ?と思うのだが。
もちろん個人的には本ってのは出せば売れるわけじゃないし、リスクを出版社がタダで引き受けてくれるわけはないだろうと思うのであまり「被害者」の人々に同情もしていないのだが、しかし(1)や(2)の差について知っているというのも限られた環境かもしれんとも思う。つうか学術書とか限りなく(2)に近いわけで(出版助成とか取ると本気で(2)だしな)。
とにかく新風舎を他のまっとうな自費出版業者と一緒くたにするのはかわいそうだし、このケースと一般的な出版の問題を結びつけて論じるのも不適切だと、それだけの話である。
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タイミングがよいのか悪いのか分りかねますが、
新風舎についてお書きになった直後に、
草思社の経営破たんが報じられてしまいました。
事のついでにこちらについても一言願えますでしょうか。
個人的には、
以前から新刊の題名を聞いただけで「ああ、草思社ね」
とすぐわかるくらい底の浅い会社という認識でしたので、
なんら感想はありません。
以前光琳社が潰れたときはショックでしたが。
さらに底の浅い出版社で仕事をしているので、草思社や山海堂のことは、なかなか感じるところはあるんですけれども、新風舎はまったく別の問題ですね。やっぱり詐欺なんじゃないかと思いましたから。
ただ、もし同じことがあるかとすれば、誰もが「本」に幻想を持ちすぎているということかもしれません。
本になって書店に並べてもらうというのが、300万円も払ってやることなのかどうか。あるいは、本を出しさえすれば、お金になる、とか。このくらいの厚さの本だから、この値段にしよう、とか。
何だか、マーケティングの基本がすべてない、というようなことなのではないか、と思うし、そこはどちらの出版社も共通している、そう思うのです。
うちも科研費をもらって本をつくるということもあるんですけれども。でもそもそも、100部もあればいいような本があって、アマゾンで買えればいいや、というものであれば、もっと違う作り方があるだろうし、自費出版も同じことなんじゃないか、とも思っています。
たぶん、出版社の社会的使命というのは、まあ、会社によって違うのだろうけれども、専門書ということになれば、いかに文化的財産を社会に提供するかだし、あるいは自費出版の想いをどのように周囲の人に届けて上げるか、だと思うわけです。
そこの順番がちがってくると、売れない本をコストをかけてつくるようになるし、適正な価格付けもできないし、まして適切なプロモーションなんて考えないんじゃないか。そうなると、ビジネスとしてお金がまわらない。
そんなことを思っています。
>匿名希望さん
草思社については昔から良い本もいろいろ出していた印象がありますし(「カッコウはコンピュータに卵を産む」とか、最近だと「日本帝国の申し子」や「私はヒトラーの秘書だった」もここ)、あまり悪く言いたくはないです。Web草思というページで、週刊文春に切られた(らしい)高島俊男先生の連載の続きを載せようとかもしてましたしね。
まあタイトルの付け方が、訳書の場合も含めてうまいというかうますぎるというかある種の軽薄味を含んでいるのは事実ですが、うまいこと本を売ろうとするのは悪いことでも何でもないと思います。というか研究者や目利きが読んで「ああこれはいい本だ」と思うものを出版していればご商売が成り立つかというとそんなことはないわけで、学術書取次の鈴木書店も潰れたよなと思うわけですが、良い本を出すためのカネを底の浅い本でかき集めるというのはある意味で非常に志の高いことではないかと思います。
# 出す本出す本すべてダメであるという出版社についてはバカにしてよいと思うのですが。鹿砦社とか。あれはダメというより犯罪か。
草思社のようにそれなりの財源を築いてきたところでさえ再建という話を見ると、まあやはりこれは出版不況の問題なのだろうなとは思います。
>本橋牛乳さん
どうも。「本」に幻想を抱いている人が多いというのはその通りだと思いますし、新風舎のような商法が成り立った背景にはそういう幻想があるのでしょう。あとは幻想の在り方について、出版会の外側にいる本当の「一般人」と、「本」という権威付けを求めているところのある「執筆者」と、「出版社」の中の人々でまた違うかなという気がします。
「出版社」について言えば、結局市場原理によるコントロールがちゃんと効いていなくて延々とチキンゲームをやっている側面がある。その原因は再販制度による価格維持と委託販売制度だ、といまたしか慶応に出向している経産省のひとは言っていたような記憶があります。市場原理ですべての出版を適切に処理できるとは思いませんが、しかしすべてが市場から保護されているのも適切なのかどうか、そのせいで結局ビジネスとしての判断ができなくなっているのではないかという疑念はあります。
とはいえ「執筆者」が学術書などを出したがるわけで、という事情もあるのですが、私自身は学術論文を書籍体にする必然性はよくわからないと思っており、だって電子出版の方が低コストで読む側にも便利だよと。実際、理系のジャーナルなどは次々と電子媒体onlyに移行しているので、いずれ文系もそうなるしかないのでしょう。必要なのはオフィシャルテクストが固定されることと、引用の便宜などのためにページ数(なり適切なインデキスなり)が備えられることですから、モノに固定した流通に頼る意味はないです。どうしても紙の手触りの欲しい人は自分で印刷して製本を頼めばいいわけで、なんだか昔の貴族の蔵書みたいですが。
「その本はどれだけ・どういう形で必要なのか」という問題にもっと自覚的であるべきだろうと、まあそういう話になるのでしょう。
# と言いつつ私自身は学術書出しているわけですが、まあ増刷はかかったので「100部もあればいいような本」でもなかったのだろうと自画自賛風に(笑)。