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RATIO04

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というわけで無事刊行されるようなので、書誌データを抜き書いておきます。大屋雄裕「憲法とは政治を忘れるためのルールである:理念から決め方の論理へ」(特集・「憲法」とは何か)『本』別冊『ラチオ04』、講談社、2007、pp. 150-173. 目次も下に写しておきますが、「大特集II」という位置づけで4本の論考がある中の1本です。やあ、宍戸君がきっと真面目な憲法学の話を書いてくれると思ったので私はそれ以外に走りましたよ。でも前半二本が理念論議の問題点と手続の重要性を指摘していて、後半二本が歴史から振り返ってみるといういう感じでバランス良くなっているんじゃないですかね。このご時世に単純に右とか左とかでない憲法の論じ方をしているのでご興味ご関心おありの方はどうぞご参照ください。

巻頭論考
  白井聡「民主主義は不可能か?:シュミット、フロイト、ラディカル・デモクラシー」
大特集I・「日本論」への視角
  小林敏明「「近代の超克」とは何か:竹内好と丸山眞男の場合」
  (対談)本郷和人・新田一郎・本郷恵子・東島誠・榎本渉
    「「日本の中世」像を更新する」
大特集II・「憲法」とは何か
  宍戸常寿「「憲法改正」とはどういうことか」
  大屋雄裕「憲法とは政治を忘れるためのルールである:理念から決め方の論理へ」
  瀧井一博「伊藤博文の憲法行脚:立憲政治とは何か」
  奈良岡聡智「戦前にデモクラシーは存在したか:明治憲法下の「憲政」」
連載特集・イタリア現代思想への招待:美学と現代思想のあいだ
  岡田温司「アイステーシスの潜勢力」
  マリオ・ペルニオーラ「芸術と残余」(鯖江秀樹訳)
  ジャンニ・カルキア「芸術の哲学/哲学の芸術」(長友文史訳)
大特集III・形而上学の可能性
  柏端達也「「われわれ」の行為とは何か:共同性の形而上学」
  加地大介「現代的カテゴリー論の諸相」
  伊勢田哲治・戸田山和久「実在論論争:科学に何ができるのか(4)」

なお私の場合、本論文を執筆した時期は——脚注の一つに明記してありますが——本年の9月末です。その後2ヶ月の展開を見て本稿がどの程度の意義を持っているか、というのは読者の方々の判断されることでしょうな。個人的にはあ〜あという感じなのですが。はい。

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TK さんのコメント (2007年12月 7日 21:50):

最近の日本の政治状況は見るだけでも嫌悪感が募るの(特に、今まで存在感が無かった民主党参議院、ついでに言うと、小選挙区制で落選して、参議院で拾って貰った民主党参議院議員のうっぷん晴らし)で、見ないようにしていますが、それにしても、民主党のやることは酷いに尽きます(イギリスの様に、カンガルーやギロチンの制度を導入したらと臣マス)。まあ、私的に言うなら、今の民主党は、古い自民に乗っ取られたようなモノで、古き良き時代への回帰、のように思えてなりません。

憲法問題として考えるなら、憲法が衆議院の優越を認めていること、衆議院にのみ解散を認めていることを重視して、議会制度を構築すべきだと思います。例えば、予算、条約等は、衆議院に圧倒的な優越性を認めている訳ですから、予算や条約(外交)が絡む案件については、参議院は謙抑的であるべき、だと思います(予算が絡むという意味では、税制もそうです)。

それにしても、参議院だけでも大変なのに、貴族院、枢密院を相手にしてきた戦前の政党政治家はすごかったんだな、と感心させられる毎日です。そして、やはり、こういう欠陥制度には、戦前の天皇のような、ある種超越した「裁定者」の存在が欠かせないのかな(その意味で日本は欠陥制度)と思ったりします(貴族院、枢密院、衆議院に加え、軍部、皇族を相手にしてきた戦前の天皇も大変だったんだなと思ったりもします)。

あと、某新聞に、安倍退陣に際し、こういう場合、解散総選挙をして民意を問うのが憲政の常道だ、という事が書かれていましたが、ブレア退陣後のイギリスって、解散総選挙したんでしたっけ?と言いたいです。

おおや さんのコメント (2007年12月15日 15:51):

>TKさん
「憲政の常道」について言うと結局それは自分の主張したい結論を裏付けるモデルを任意の国家・時代から選択しましたという意味なので、たぶん戦前日本の二大政党制期をモデルにすればそういう主張が可能なんじゃないですか。
改革の方向性については、私も《二院制を維持するのであれば》衆院の優越をはっきりと制度化すべきだと思います(一院制を積極的に主張したいわけではないですが)。「ねじれ」なんてアメリカでは当たり前のことだと書いているジャーナリストがいて阿呆かの一言ですが、起きた「ねじれ」を解決するシステムをきちんと整備するべきだと、そういう主張ですね。
戦前について言うと、もちろんお書きの通り内閣・衆議院・貴族院・枢密院・軍部・宮中に権力が分散していてそれらを統合調整する必要があったわけですが(そしてそれは多分に衆院を通じて民主政が独走することへの警戒感があったわけですが)、元々その機能を果たしていたのは「元老」だと思うのですよね。典型的には首相指名を見るとわかる通り、アンオフィシャルな調整者としての「元老」の機能が慣習として定着している。だから「元老」が減っていくに従って国家のコントロールができなくなっていったと、そういう話を誰かが書いていたと思います。

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