雑感
半分くらいクロスシート通勤なのでわりと楽です(挨拶)。というかむしろ名城線が地下鉄なのに本数が少ないことの方が気になる。たぶん読書時間は増えているので良かったのではないかな。というわけで雑感。
週刊アスキーでやっている著作権関係の連載が元文化庁著作権課長の岡本薫氏のインタビューをまとめている(現・政策研究大学院大学教授)。基本的に大変正しいことが言われており、特に著作権問題の大半は契約問題である(適切な契約をきちんと結んでおけば回避できた問題が非常に多い)という指摘はまったく正当だと思うのだが、関連して気になったところが一つ。
というのはJASRACとLinuxは同じという一見逆説的な書き方で、要するにみんなで一緒に権利を行使するのがJASRAC、みんなでいっしょに行使しないと誓ったのがLinuxという話なのだが、しかし誓った本人はいいとして子孫や親族が相続後に権利行使すると言い出したらどうするのか、やっぱりJASRAC同様に契約を通じて中央に権利を集めた上で行使しないという話にしないといけない……と書いてあってあれいやGPLは?
というかcopyleftのミソは再配布や改変を制限してはならないという制限を課すところ・著作権を否定するような条件を著作権の強制力によって担保するところにあるので、一種のシュリンクラップ契約だけど権利処理は一応きちんと考慮してあるところが重要だと思うわけである。ただこれ、岡本氏の認識が不十分なのか、Linuxの権利処理もJASRACと同構造ですよという話をしたのを記事の筆者がそのあたりの趣旨を理解できなかったのかは判然としない。というか記事原文の表記はLinuxでなく「リナックス」であって、そのあたりからもちょっと筆者の見識に不安を感じるところではあるので(いや縦書きだからというのもあるだろうしもうみんな気にしないのかもしれないけどさあ)。
中田宏・横浜市長が週刊現代の記事をめぐって訴えたという話があって、へえまあ週刊現代だしねえとにやにやしていたら刑事の告訴だというのでびっくりした(asahi.com)。それはどうかねえ。というか真っ向公人に関する名誉毀損の事例であって民事訴訟でも「現実の悪意」actual malice要件を要求したいくらいなのだが、刑事告訴というのは相手との紛争に国家権力を動員しようという話である。それをいかにメディア相手とはいえ現に国家権力の側にいる人間がやることが妥当かどうか。私人対メディアの場合には力関係の格差があるから国家権力に頼ることも一概に不適切とは言いたくないけれど本件はそういう要素もないわけで、言論の自由を尊重する限りこれは許容できない事例だろう。ちゃんと論評してるのかな田島泰彦先生とか。
ミャンマー情勢について私はうす~いけど利害関係者なのでそのことは踏まえて読んでもらう必要があるかと思うのだが、しばらく前の週刊新潮に元ミャンマー大使の寄稿が掲載されて、うんまあこういう見方も知っておく必要はあるだろうけどひどいねえと思った。私自身は欧米の人権NPOとかあまり好きではなく、というのはたとえば政府官僚の腐敗を声高に批判するのはいいとして公務員月給が20ドルとかの社会で収賄や副業抜きでどうやって生活すればいいのか考えてないよねえとか、裁判における人権抑圧を語るのはいいんだけどそれを是正するためにどれだけのカネが必要でそれを政府予算から支出すると地方の一般市民のQOLがどれだけ低下するのかしらとか、というかお前らが現地職員に高い給料払うもんだから人材が政府部門からばんばん流出してるじゃねえかそれで誰が統治を改善するんだとかいろいろ思うところがあるからであり、つまりイースタリー言うところの"FIA"はこの人たちにも欠けていますという話なのだが、もちろんNPOもさまざまあるからすべてに当てはまる議論ではない。
ともあれ人権抑圧国家に援助を続ける日本を批判されるのは結構なのだがウチがやめるとどっかの国がにこにこしながら代わりにお金持ってくるんですよそうなったときにこの国の人権状況が改善されるのかそうでないのか考えてくださいもちろん市民に対する発砲とか論外ですが批判的にであれコミットし続けることが重要なんですとか微妙な議論を展開している横でああもあっけらかんと軍政側の主張を全面展開されるともうどういう顔していいやらと思うわけで、いや欧米ベースの報道だけではなく当事者の言い分も一応聞いておきましょうよという紹介なら一定の価値はあると思うのだがそういう留保抜きで書くなよなと頭を抱えたわけである。
ところでこれは前置きで、本題は当該記事について元大使「なのに」こういうこと書いてしまうのはどうよとネット上で評されているのを見かけていや大使「だから」だろうなあと思ったという話。というのはミャンマーの普通の人と普通に話をしていれば軍政の評判というのは耳に入っただろうになあ、大使だといって付き合うと構えちゃうんだけどなあという話があるのだが言わずに付き合うのは多分えらい困難だと思います。セキュリティの問題とかあるだろう遠山の金さんじゃないんだからというのも一つあるが、途上国における大国の大使ってのはそれなりに顔が売れてたりして「おしのび」もそう簡単ではないというのがもう一つ。そもそも多分「普通の人」と話せませんだって現地語できないもんというのがさらに一つ。
つまり大使などはキャリア外交官だからあちらこちらの国を移動するわけで、そのたびに現地語を全部習得していくのは不可能に近い。だから英語・フランス語・スペイン語・ロシア語のようにある程度の領域で共通語lingua franca的に使われる言語を学んでスクール化するわけで、途上国でもそういう言葉を話せる人間、というのはある程度教育を受けた階層としか話せない可能性が高い(でそういう人は大使の顔を知っていたりする可能性も高い)。自然と彼に直接流れ込む情報というのは政府関係のインテリからのものに偏る可能性が高いよな、とは思うわけである(なお同じ理由で私が知っている途上国事情というのも首都や大都市のインテリ経由のものが多いので、偏ってると思う)。
じゃあ現地語の情報とか現地の人とのコミュニケーションとかどうすんのかというと、たぶんそういうのは外交官で言えばノンキャリの現地滞在の長い人とか、専門調査員とか、あるいは開発援助関係の政府機関の人なんかが担当する事柄で、個人的にはたとえば協力隊の人なんかと話すとかなり皮膚感覚的な情報が入ってるなあと思ったけど大使館の人とかとうち解けて話したことがないからそう思うだけかもしんない。で結局どういう話かというと大使が寝とぼけたこと書くのは本人の資質というよりは周囲のフォロー体制の問題かなと私は思ったということ(いやもちろん情報が入ってきやすい状況を作る能力、というのもあるわけだけど)。
とそんなことを考えていたら東京地裁から混合診療の禁止に法的根拠はないという判決が出たとかいう話でなんだと(asahi.com)。う~わこれ附属病院とかで大問題になるなあ。予習しとかんと。
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はじめまして。Linuxと著作権とGPLの問題に関して、考えていたのですが、以下の場合には問題が出てこないのでしょうか。
1.GPL作者がGPL違反を承知でソフトウェアの著作権を行使した場合。
2.GPL作者が別人に著作権譲渡し、その人が著作権を行使した場合。
頒布や改変は問題がないかも知れませんが、例えばプログラムの商用利用の禁止、対価の要求を行った場合、世の中に相当な混乱がでるのではないかと思いますが、その心配はないのでしょうか。
極論を言えば、Linus氏が自らの持っている著作権をMicrosoftに譲渡した場合、Linuxは今まで通り自由に使えるかどうかという事ですが、あまりに極論すぎるかも知れません。