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on objectivity

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前述の通り私としてはApeman氏の私に対する批判というのがおおかた誤読に基づくものであると主張したいわけであるが、もちろん第一に読者には「誤読」する権利というのがあり、というか言明の意味は受け手の決めるものであって筆者もまた読者の一人としてしかその意味形成には参画し得ないわけである。ただまあ、その「誤読」にどの程度つきあうかの自由というのも筆者を含む他の読者たちにはあるのであって、たとえばこのブログをどこかのひみつけっしゃの暗号文だと解釈する読者というのはいるかもしれないし、彼から熱烈な支持のコメントがくる可能性というのもあるわけだが、それに対して私ができるのはせいぜい「いやがんばってくださいね」とか微笑んでみせることだろう。

第二にもちろん私はいったん書いたあとやべえと思って何とか別様の解釈の可能性を持ち出して言いつくろっている、のかもしれない。どちらにせよ最終的な判断は(未来の存在も含めた)読者たちに委ねられざるを得ないので、私の主観的意図がどうだろうがApeman氏の読み取りがより妥当だと考える人々の方が多いという可能性もその逆もあり、いずれにせよその結果は甘受しなくてはなるまい。私としてはただ、「我こそは絶対にして永遠の読者」と僭称するような人とはお付き合いしたくないと思うだけのことである。で、まあしかし私としては私の主観的意図の方がテクストを説明するものとして適切だと思う理由としては概ね以下の通り。

第一に、「on reversibility」において私が直接言及しているのは「政党の諸氏」の行動であり、審議会等によって「政治闘争」が差し控えられるとしている点。逆に、県民大会については引用文の中で背景説明として登場するだけだし、歴史家については一切出現していない。なお学問のレベルとパフォーマティブなレベルを区別する私の立場からは沖縄戦の経緯をめぐる歴史家の論争はもちろん前者に属すべきなのであって、それを審議会なんかに抑圧されたら困るわけである。歴史家の行為が「政治闘争」の一環であると考えるなど、パフォーマティブな層にすべてを一元化する人にとってはこの区別が見えないのかもしれないけどね、という話。

第二に、当該エントリにおいて言及されているのは「撤回の決議案」など「決め方のルール」に関してだけであって、決められたものの内容については一切評価を加えていない点。つまりここではメタの話しかしていない。もちろんメタにおいて特定の立場をとることが具体的なベタの事例における特定の帰結を導くことはあるわけだが、だから両レベルにおける立場が一致するというわけではない。たとえば、「なるほどこの判決は不当である(ベタ)。だがだからといって裁判官を殴って判決を変えさせようとしてはならない(メタ)」という言明はまったく矛盾していない。このベタとメタのレベルの差がわからない人はただのあんぽんたんであり、その差を認めないという人(パフォーマティブ一元論者)は法学的思考のできない人だがそれが悪いことかどうかはまた別の問題である。

第三に、タイトルが「on reversibility」であることからも同概念について私が何かを述べようとしていると推測することは妥当だと考えるわけであるが、歴史家(ないし一般市民)と審議会委員その他の公権力者はreversibleじゃないんですけどという話。ものすごおおく薄いreversibilityでよければ成立するかもしれないがまず私自身は社民党・共産党に対してreversibilityを認め得るかも難しいとしている点からもそのような前提に立っていないことは明らかであるし、権力者と市民が反転可能でだから市民が一定の規律に服すべきだというのはなんというかその、Apeman氏にも嬉しくない議論だという気がする。

最後に、私にとっては決定的だが他の人にはさほどでもないかもしれんと思う理由について述べると、中立的な機関の決定についてはあらゆる人間がそれを批判してはならないなどという主張をしたら判例評釈が書けなくなるじゃねえかというものがある。「「中立」となっている機関」をめぐっては従来その具体例として法廷による判決を挙げてきたわけだが、それらを研究者・実務家が論評するというのはごく一般的なことであるし、結論として「判旨に反対」というのも(いやどのくらいあるか経験的に数えたことはないけど)わりとよくある。そういう批判的な論評を通じて時代に合わせた判例変更が可能になってきたという面も、もちろんある。心の狭い学究として法学を擁護するところの私がそのように法学の一般的な営みを阻止するような主張をするわけがないのだが、まあ法学に関するイメージのない人にはわからないのかもしれん。

以上のような次第で、私自身としてはApeman氏による一連の批判の攻撃目標地点に私はいないと思うところだが、すでに述べたとおりその判断が妥当であるかは読者に委ねられる問題である。私としてはただ、氏の長大な弁舌がどこかにいる誰かに対する批判としては有益であればまだ一定の意味があろうか、と思うだけのことであり以下は余計なことなのだが、若干事実関係をめぐる論点について補足する。

***

第一は民主党の主張をめぐる点で、Apeman氏が10月4日の報道を挙げたのに対してそれ以前の報道を私が挙げたから「まあ結論は見えてる」とお書きなのであるが、ということは9月30日・10月2日の時点では撤回を主張していた、という点にはご反論がないということであろうか。その場合、まあ最終的にこの話は参院民主党が議案上程を断念せざるを得ないと判断する筋悪の案件だったわけだが、党首脳レベルがreversibilityをまったく踏まえない発言をしてしまうという体質の面では社民党・共産党と選ぶところがないということに(後述する事実認定に関する拘束の問題を抜きにしても)なると思うのだが。もう一つ、仮に上記の前提に立った場合、この時点でわかるのは党の国会対策委員長が「撤回」を文字通り主張することを止めていたということであって、これが民主党の総意なのかどうか不確定である、という言い方もできる。一般的な組織であれば、より上位の人間が見解を示した場合にはそれと矛盾する下位の人間の見解はoverrideされると考えられるが、代表代行と国会対策委員長は前者が上位なのではあるまいか。なお民主党に党の総意が統一されてからでないと発言しないという風習がないことについては参院の委員長人事をめぐる迷走で明らかになっていると思うわけだが、performativeな解釈可能性やそれ以前の事情を抜きにして特定時点での文面から民主党は検定意見の撤回を主張していないという強い主張が可能なのかはよくわからない。

第二は「安倍晋三の対NHK圧力疑惑の際のふるまいと今回のふるまいとの整合性」という点について、Apeman氏としてはこの二つの事例に対する私の態度にintegrityがない、と主張されたいようである。でその論点を私が「見事にスルー」したのがお気に召さないようなのだが、だってそりゃ論点になってねえよ、パラレルが成立してないもの

この二事例がパラレルである、という主張をわかりやすく書くとこのようになる。NHK事例(A)では「番組内容が中立でないならば、番組を修正しなくてはならない」(規範)ときに「番組内容が中立でない」(事実認定)と言明することが「修正しなくてはならない」(帰結)ことを意味する。教科書検定事例(B)では「検定内容が事実に反しているなら、検定意見を修正しなくてはならない」(規範)ときに「検定内容が事実に反している」(事実認定)と言明することが「修正しなくてはならない」(帰結)ことを意味する。ここで問題の第一は、今回の事例において民主党の決議案が帰結の前提となる事実認定を拘束する内容を含んでいるのに対して(「集団自決が、日本軍による強制・誘導・関与等なしに、起こりえなかったことは紛れもない事実」イザ!報道)、NHK事例において安倍・中川両氏が「番組内容が中立でない」という事実認定に踏み込んだ言及をしたのかどうかという点にあり、当時私の目にした報道の範囲内でいえばそうではなく規範のみを仮言命法として主張したに過ぎないようであった(なおApeman氏の挙げる魚住昭記事によれば安倍・中川両氏とも事実認定に踏み込んだ発言をしたことを認めているようである。ただしこの記事の内容が検証不能であること、魚住昭(笑)という点からそれが正しいかどうかは留保せざるを得ないだろう)。仮に事実関係がそのようであるとすれば前者に比べて後者ははるかに強く帰結へと誘導しているということになろう。

第二はそもそも問題になっている規範それ自体が、(A)においては放送法第3条の2から真であるのに対し(同本文「放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。」および2号「政治的に公平であること。 」)、(B)では真ではないという点にある(念のために言うがここで扱っているのは「法的」な次元であり、道義的だか良心的だか宗教的だかの問題はまったく別である)。教科用図書検定規則(平成元年文部省令20号)が規定するのは検定意見に対する意見申立書の提出があった場合の検定意見の取消(9条2項)と検定済図書の訂正(第3章)のみであるが、後者の行為主体はあくまで発行者であり、教科用図書検定調査審議会でも文部科学大臣でもない。大臣は教科用図書の内容に訂正が必要となる問題があると考えた場合発行者に訂正申請を勧告することができるが(13条4項)、あくまで韓国であり発行者がそれを拒んだ場合に強制し得る手段はない。だから与党が政治的に妥協しようとしても発行者に訂正申請を促すという方法しかとれなかったわけでね。

さきほど「道義的だか良心的だか宗教的だかの問題はまったく別」と述べたように、問題となる「法」が正義にかなっているのかどうかという議論は当然可能である。だがその点を置いてあくまで現行実定法を基準にして言う限り、(A)の規範は合法的であり、そこでは合法的なことが強制されているに過ぎない。これに対して(B)の規範は法を逸脱している。合法性という要素を重視する論者において両者に対する態度が異なるのはむしろ当然だ、ということになろう。つうかその、ブーメラン論法が決まると気持ちいいのでやってみたくなるのはわかるのだが、規範分析とか要件事実の評価とかをきちんとしないと買春を論難されて「おまえだって奥さんと寝てるだろうが」と反論するような喜劇に終わるので、要注意(なお買春が普遍的に悪いことかどうか私にはよくわからないという話はすでに述べたので、上記は単なる例示である)。

それ以降のくだくだしいモノイイについては文脈から切り落として引用するのがお得意なようですねの一言だが、まさか「立ち退きを迫っている地上げ屋」が「かわいい娘さんですね」と言ったらそれだけで脅迫が成立するとか思ってるわけじゃないよねえ。『ミンボーの女』でも見なさい、という話ではあるが、当事者が否定していても「圧力」の存在を立証するには相当明確な発言が必要で、さもないと言論表現の自由もへったくれもないのである(たまたま子供好きで善良な地上げ屋の人権はどうしてくれる)。その客観的要件が弱いので、主観的要件で行くならというところの文章だよね、それ。

もう一つ、「「言われた当人である「NHK幹部」」が果たして自由に自分の「主観的印象」を語りうるものか」という点については考慮しないのではなくてそこで語れないような人間の権利を法が守る必要はないと考えているだけのことである。私はvoice outしない「弱者」の利益を先取りして・代弁的に擁護することには大きな問題があると考えているのだが、その最大の理由はそれが代弁者による他者の人権の制約を現実の権利衝突があるかどうかにかかわらずもたらすという点にある(Apeman氏の主張に反証可能性があるのかどうか検討してみること)。なお自らvoice outする能力を持たない未成年者・精神障害者等についてはこの例外であるが、他方その故に彼らは「個人」の世界から(部分的にであれ)放逐されなくてはならない。まあどちらも言論弾圧大好きな「抵抗の論理」の人にはわからないことかもしれないけどね。

***

あとこれはほんとおおおにどうでもいいことだが、東浩紀さんが「東工大の特任教授でしかない」のは専任ポストにいたのを辞職したからなので(まあ経緯とかご本人の言い分とかはあるだろうが)就職できなかったわけではないし、活動は派手だけどアカデミックな意味で業績を積み上げているかどうかはかなり疑問(ただしアカデミックでないから悪いとかつまらないという話ではなく、単に違うということ)。後者は宮台先生が(そういう言い方をすれば)いまだに准教授「でしかない」のと同じ事情で、面白かったり啓発的だったり売れていたり派手だったりすることとアカデミックな業績かどうかは関係ない、ということ(*)。この違いが見えないレベルの人か、ああ、そう。

ちょっと話を戻すと私の論文が『国家学会雑誌』に載った、というのはつまりそのバックナンバーなどにするっとアクセスできる人を対象に書かれましたということであり、それがアカデミックだということでもある。シロウトさんが読もうとするのも読んで「感想」を書くのももちろんご自由ご勝手であって私はそれに干渉しようとは思わないし、シロウトである学生がそういうプロの仕事にしゃにむに取り組むなかから次世代のアカデミシャンが出てくるわけだが、議論とか論争とかがしたいんだったら査読誌に論文載せてから言ってください、という話でもある。

なおコメント欄のやりとりについて目を通したところ議会手続の問題と議決内容の問題の区別がついていない人とか発生論的誤謬とかが花盛りであり私としてはすでに述べたとおり「どうぞ皆さんで楽しくやってください」という感じである。Apeman氏について言えば発言の切り貼りでわら人形を仕立てるのがうまい人だなあと思ったがある意味で非常にご愛読いただいているようなのでありがたいと言えばありがたく、しかし本質的に金権政治と直接民主政をめぐるアネクドートそのまんまであるなあと思ったわけであった。どっとはらい。

(*) 人文系の就職が厳しいのは歴史学や考古学では昔からそういう傾向が強かったのだが要するに(研究者に対する社会の)需要と(研究者になりたい人の)供給のバランスの問題だというのが私見であり、需要過剰の状態なら研究内容が思弁的だろうが地味だろうが就職できるわけである。その傾向が悪化した背景には確かに国家権力がいるのだが、この点に関する限り保守とか右翼とかいう話ではなく大学院重点化と院生増という文部行政の施策とそれを受容した・それに迎合した人文系専任教員集団の問題だ、と私は思っている。この点については佐藤良明先生がたぶん2007年6月発売の『諸君!』に発表した文章がよく事情を伝えており、結論についてはそんなんでどうにもなるかいとか思わなくもないもののご本人のみの振り方も含め一つの決着の付け方かな、とは思った。

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おおや さんのコメント (2007年10月24日 18:37):

なお「党の総意が統一されてからでないと発言しないという風習がない」点については自民党も同断である、というのは書き忘れました。
また、宮台先生は最近ついにご昇任されたそうです(ご指摘をいただきました)。1959のお生まれなので50歳前かな。文系の相場から言うと十年くらい遅い感じだ、ということで(なお駒場は例外らしいので注意)。

なかの人 さんのコメント (2007年10月24日 19:05):

「大屋先生も相手のために外堀埋めていい人だなあ」と思いつつ読んでいて、

>あくまで韓国であり

のくだりでそば茶吹きました。つまりこれは「(他国の教科書に訂正申請をするなんてのは)韓国(くらいのもの)であり」なのではないかと想像をめぐらせ、そうかこの辺にひみつけっしゃの影が(違う)。

筋の悪い与太はともかく、この秀逸な誤変換によって「大屋先生は遠くない過去において韓国について言及したかweb検索したのかもしれない」とか「直前の「勧告する」が正しいことから、大屋雄裕はサ変動詞を入力する際には「する」まで打ちこんでから変換をする」ということが推測され、そんなこと分かったところでなんになるというのはもっともなんですが、いや誤植を見つけたときにその背景を想像するのはわたし個人としては職業上の利益となり、また個人的な利益以外の部分に敷衍するならば言葉の誤りを正すことは言論の信頼性に資するものであるといいわけをして、つまらない揚げ足取りの嫌味さを薄めておきます。

おおや さんのコメント (2007年10月24日 19:26):

>なかの人
……すいません「勧告」の誤植です。

しかし自分でも気付きませんでしたがいろいろわかるものですねえ。確かに変換キーを押すまでのインターバルは比較的長い方だと思います。あと韓国についてはいろいろ興味を持って見ています。もちろん韓国政府の法制処(日本でいう内閣法制局)と交流があるとか、韓国も最近法整備支援に乗り出してきていてカンボジアでバッティングしつつあるので……とか真面目な問題もあるわけですが。

個人的におすすめの年内イベントは、韓国で大統領選挙をめぐって何か起きるのではないかというのと、ウズベキスタンが大統領選挙をやるはずなんだけど何も起きないんじゃないかという二点です。ワクテカ。

MIR さんのコメント (2007年10月24日 20:08):

Apemanさんが教科書検定の件と安倍NHK圧力疑惑の件と並べたのには、両者の同一性が素で理解できず何を勝ち誇れるのかと訝しみました。この方は学究云々への絡み方といい氏による大沼本への書評といい、自分が関心を持っている事柄について他人が自分と異なる問題意識を持っているとトサカにきて駄々をこねる、という困った習性をお持ちのようです。正直「きんもー☆」。こういう異論の認めなさって弱者への最大の敵じゃないかしらんと思ったり。ほんと自分が強者になったらどうすんだろう。

>法学的思考のできない人だがそれが悪いことかどうかはまた別の問題である。
確かに氏は法学的思考が苦手というかできずさらに敵視もしている気配ですけど、法学的思考って弱者の強力な武器になってくれるはず…というのは法学教育に毒されてるのかしらん。

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